The princess who dreams



「…何なんでしょうかね。全く」

執務室でペンを握っている天蓬の額にピクッと血管が浮かび上がった。
同室にいる書記官達は、皆一様に天蓬から立ち上る不穏な空気をを無視して明後日の方向を向いている。

コッソリと。

気配を殺した黒い塊が恐る恐る執務室の中を覗いていた。

「…どうだ?元帥の様子は」
「な…何か機嫌が宜しくないみてぇだぞ?」
「マジかよぉ…どうする?」
「どうするったって…どうにかしないとマズイだろ?」
「だよなぁ。今日みたいな絶好のチャンスはまた何時来るか分かんねーし」
「で、でもっ!すっげ恐ぇんだけどっ!」
「チンチンがキューって縮むぅ〜」

黒い塊は顔を見合わせてプルプル身震いする。
部下達が集まって執務室の入口からそっと中の様子を窺っていた。
討伐対象に奇襲するかの如く全員が慎重に気配を殺しているが、何せそれなりにガタイの良い猛者の集まり。
いくらコッソリしていようが鬱陶しいことこの上なく、異様なまでに目立っていた。
部下達から向けられる緊張漲る視線に辟易した天蓬は、深々と溜息を吐いてクルリと振り返る。
いくつもの目が大慌てで隠れるが、今更逃げようがなかった。

「貴方達…さっきから何ですか?言いたいことがあるならコソコソ隠れてないでハッキリ言いなさいっ!」

天蓬が不機嫌さを隠すこともせず険のある声で誰何すると、入口の外で部下達が揉め出す。
誰が一番初めに出て天蓬の凶悪な視線を浴びるかで押し問答を繰り返していた。
暫く騒いだ後。
部下の一人が回廊から突き飛ばされて、天蓬の前にコロリと転がり出た。
隙を突かれて同僚達に押し出された人身御供は、ギクシャクと顔を上げて上司を窺う。

「さて。一体どういう了見なのか聞かせて貰いましょうか?」
「ーーーーーっっ!?」

一気に執務室内の体感温度が20度は下がった。
天蓬から見下ろされている部下は、顔面蒼白でガタガタと震えだした。
はっきり言ってどんなに凶暴な巨獣と対峙したときよりも恐ろしい。
涙目になって強張る部下を一瞥し、天蓬が仕方なさそうに頭を掻いた。
これでは話が一向に進まない。
「別に怒ってる訳じゃありませんから。僕に何か用事があるんでしょう?総司令官閣下か…それとも捲簾から何か伝言でも?」
捲簾、の名前が天蓬の口から零れた途端、隠れながら固唾を飲んで見守っていた他の部下達が一斉に室内へ雪崩れ込んできた。

「あのあのっ!自分達は確認したいんですが宜しいでしょうかっ!」
「元帥と大将はそのっ…えっと…交際なさっているんですよねっ!?」
「まぁ、ハッキリ言って愛し合ってらっしゃると言うかっ!」
「ラブラブなんですよねっ!?」
「それでですねっ!元帥にどうしてもお耳に入れておきたいことがありましてっ!」
「最近なんですけどっ!噂で〜」
「ちょっ…いっぺんに言うのはやめなさーいっっ!!」

デカイ男達が我先にと天蓬へ問い掛けるのを制して絶叫する。
ピタリと口を噤んで静かになった部下達の顔を眺めた天蓬は、一番端で視線を止めた。
「とにかく。一斉に大声で詰め寄られても答えようがありませんから。はい、聞きたいことがあるならそちらから一人ずつ言いなさい。では永繕から」
天蓬に視線で指名された部下は意を決すると、呼吸を整えてから敬礼する。
「元帥は大将とお付き合いされてらっしゃいますよね?」
「ええ。それが何か不都合でも?」
双眸を眇めて探るように睨まれた部下達は全員慌てて首を振った。
「いえ、それがマズイとか納得できないとかそういうことではなくてですね」
「まぁ、別に貴方方や総司令官閣下が反対しようとも、僕らの崇高な愛の前では所詮無力ですけど〜」
「いや、それはもうっ!元帥と大将は
天界一のベストカップルだと自分達は応援しておりますっ!なぁ?」
話を振られた同僚達は神妙な面持ちでブンブン頭を振って肯定する。

自分達の上官が仲睦まじいのは良いことだ。
ましてや心身共に唯一と互いに選んだ相手となれば、頼もしいことこの上ない。
…それが例え仕事上の相棒としてだけじゃなく、私的に愛し合う伴侶であろうとも。
まぁ、上官達の見目麗しさで寄り添っている姿は美しく絵になる。
が。
普通のカップルでさえ目の前でイチャつかれれば胡乱な気分になるが、お互いマッチョではないが軍神として鍛え上げられている男二人が狭い室内でデレデレされると、目のやり場に困るし何よりも鬱陶しい。
しかも四六時中ベッタリで周囲にピンク色の空気を撒き散らしているというのに、どうやら未だに二人は行き着くところまで行ってないようだった。

所詮は人ごとだが、実害を被るとなれば話は別。

天蓬も捲簾はそれぞれ勝手に空回りしているので、とばっちりが全て部下達へやってきた。
職務中に定時を過ぎようともおまかいなしに延々惚気話を聞かされたり、あるいはちょっとした勘違いでネチネチと八つ当たりされたり。
とにかく早いトコ収まるトコに収まって上手くいって欲しい、というのが部下達の総意だ。
イチャイチャしてる分なら見なければ済む。
そして上司達の仲が落ち着くなら仕事は捗るし、何より精神的に安堵できるだろう。
上司それぞれの顔色を窺って右往左往する必要も無くなるはず。

それにはまず。

どうやら一向に進展しそうもない二人の親密度を、心だけではなく身体まで一気に加速させてしまおうっ!と、上司達を省いた第一小隊臨時会議で決定したのだ。
作戦は慎重に何度も念には念を入れて話し合った。
自他共に認める天界随一の軍師も、生まれながらにして天性の策士である大将もいないが、こと恋愛に関しては全員の場数を合わせれば多分上司達を上回ってる…はず。
それぞれの経験を生かした作戦を実行する絶好のタイミングは今日、今この時しか無かった。

捲簾はちょうどこの時間、天蓬から定例会議へ強請出席させられている。

今回は天蓬が動かなければ二人の仲はいつまでたっても平行線だというのが全員の見解。
豪快で男前な捲簾は、何故か心に可憐でちっちゃな乙女を住まわせてるらしいので、ここは男らしくビシッと彼氏(?)である天蓬に多少強引でも頑張って貰うしかないと結論が出た。

では、どうすれば停滞気味の仲が一気に進展するのか。

要は天蓬を焦らせればいい。
捲簾は自分を愛してるんだと安心させずに、危機感を募らせればどうだろうか。
早く捲簾の全てを手に入れなければ、と。

「大将最愛の
彼氏、としての元帥にちょっと…お耳に入れたいことが」
「何ですか?」

最愛の彼氏と言われた天蓬は、上機嫌に胸を張った。
部下はコホンと一つ咳払いをして、同僚達へ目配せする。
小さく頷いて即された部下は、平然を装って天蓬へ目を向けた。

「実は…最近色々なところから大将の噂を聞くようになりまして」
「捲簾の噂…ですか?一体どんな?」

一瞬天蓬の眼光が鋭く瞬いたが、部下は心の中で自分を励ましながら怯まずに口を開く。
同僚達も小さく拳を振って『ファイト!』と視線だけでエールを送った。
「自分は…主天棟の女官達や護衛の者達が話しているのがたまたま聞こえたんですが。どうやら大将の噂をしていたようなので、こっそり聞き耳立てて窺ったんです。こぅ…悪い感じの雰囲気はなかったんですが気になって」
「…そんなはしたない真似をしてはいけませんよ?それでっ!捲簾のどんな話を聞いたんですかっっ!?」
さすがに最愛の捲簾の話となれば心穏やかではいられないようで、いちおう咎めはしたが、天蓬は興奮気味に部下へ身を乗り出す。
事と次第によってはさり気な〜く報復する満々だが、どうやら今回は違うようだ。
それならそれで気になるのは部下でなくても彼氏として当然だろう。
ちょっとドキドキ胸を昂ぶらせて天蓬が小首を傾げると、部下は今回の重要なキーワードを口にした。

「実は…皆が揃って大将のことを『最近特に綺麗になった』と」

部下の言葉に天蓬は堂々と誇らしげにふんぞり返る。
「何を今更。そんなの当然のことじゃないですか。捲簾は初めてであった時からそれはもう愛らしく空前絶後の美人さんですよ」
「いえ、それはもう大将の超絶美形っぷりは周知の事実というか。そうじゃなくてですね?特にっ!ここ数ヶ月で更に美しさに磨きが掛かったとか…こぉ〜お色気ムンムンで艶やかで、いっぺんでいいから
でお相手して欲しいとか」

チャキ☆

「…ドコの馬鹿野郎共ですか?僕のラブリー・スイーテスト・プリンセス捲簾に小汚い不埒な懸想をしている輩は?」
「げっ!元帥っ!自分じゃないですーっっ!!」
「こんな場所で抜刀しないで下さいっっ!!」
「お、おおおおお落ち着いて下さい元帥っっ!!」

どこからともなく取り出した刀を突きつける天蓬に、部下達が真っ青になって悲鳴を上げた。
涙目になって宥めてくる部下達を一瞥して、天蓬は刀を下ろしてチッと舌打ちする。
「じゃぁ、一体どこのどいつがそんな戯れ言を言ってるんですか?」
「誰、という訳ではなくて…あちこちで頻繁に噂されているらしいです」
「軍舎でも結構耳にしますよ」

チャキ☆

「…どこの軍の小隊ですか?まさかウチじゃないでしょうねぇ?」
「違います違いますっ!」
「特定でどの軍舎で。とか、どの小隊で。ということでもないですからっっ!!」
「いわば天界中で噂されてると言っても過言じゃありませーんっっ!!」
「危ないですからっ!刀を収めて下さいっっ!!」

怒気を漲らせて笑顔を浮かべる上司に、部下達は半狂乱で必死に宥めた。
天蓬は構えている刀へ視線を落とし、不敵な笑みを浮かべる。
「この斬妖剣…久しぶりに刃を見ましたよ。確か最後に鞘から抜いたのは…極寒のシベリアで僕のミーシャと初めて決闘した時ですねぇ」
「み…ミーシャ…ですか?」
「えっと…元帥が飼ってらっしゃる白熊の?」
「えぇ。今でこそ僕に懐いて可愛いミーシャですが、初めてであった頃はちょっと利かん坊でしてね?この僕を『おやつ』にしようとしたので、ちょこーっと刀でお灸を据えたらすっかり大人しくなりましたvvv」
「元帥…それは襲われたのでは?」
「ミーシャのチャームポイントは鼻の上のハゲです。未だに毛が生えてこないんですよ〜あははは♪」
豪快に笑う天蓬から視線を逸らし、部下達は遠く極寒の地へ思いを馳せる。
「ミーシャ…よくぞ生きて」
「頑張ったなぁ…ミーシャ」
とりあえずかろうじて会うこともない天蓬のペットに、部下達は涙に濡れた目元をそっと拭った。
「まぁ、この刃が血を吸えないのは残念ですが。そんなとんでもない噂があちこちへ広がってるというんですか?」
「御意。城内でもかなり耳にしますし、城下でも…特に花街界隈では特に噂になってるようです」
「その辺は捲簾の昔のお知り合いがかなりいらっしゃいますから…それにしても尋常じゃないですねぇ」
天蓬は腕を組むと難しい顔で思案する。

時間の流れも無い暇な天界では噂話も格好の娯楽だ。
特に捲簾は噂の標的にされることが多い。
良くも悪くもヒトを惹き付けて止まない魅力的な美丈夫は、頻繁に人々の口に上った。
それは好意的な憧憬だったり下衆な中傷だったり。
捲簾は全く気にもせず感心も無いようだが、天蓬は心穏やかではいられない。
ましてやその話がやけに艶めかしいとなれば。
軍の連中は自軍以外の四方軍であろうとも、おいそれ捲簾へ仕掛けてくるような度胸の据わっている者はいないはず。
かと言って隙あらば何をしでかすか分からない馬鹿が多いので、確実に安心は出来ない。
しかもそれだけではなく、その範囲は軍だけではなく天界中ではいくら何でも天蓬の目は全てを監視するのは無理だ。
まぁ、捲簾のことだから諾々と襲われてあげるようなことは無いと思うが。

もし不意を突かれたら?
もし一服盛られて昏倒してしまったら?
もし、捲簾が、自分ではない誰かにその清らかな(?)身体を汚されてしまったら。

自分以外の誰かなんて絶対に許せない。

チャキ☆

「僕の捲簾の可憐なヴァージンを奪い取ろうとしたら…スマキにして
ミーシャのご飯にしてあげますからっ!」
底冷えするような不気味な声で呟く天蓬に、部下達は小さく拳を握った。

何とかここまでは作戦通り。
あとは天蓬を決意させるのみ。

「元帥。多分大将の雰囲気が変わったのは、元帥とお付き合いされてからだと思うんです」
「ヒトは恋すると綺麗になるって言うじゃないですか」
「ですから…ちょっと…危険?ではないかと」
「やはり『虫』は『花』に誘われますから。大将に限って言えば杞憂だと思いますが…」
「いえ。そうですね…何事も絶対などあり得ませんから」
部下達の進言に天蓬は逐一頷いた。
更に部下は話を続ける。
「その…元帥には失礼かと思いますが。大将と元帥は…えーっと…まだ…何というかぁー」
「まだ
セックスされてませんよね?」
部下の無遠慮な発言に天蓬の顔が思いっきり強張った。
「お前っ!もうちょっと言い様があるだろっ!」
「こ〜オブラートにくるむようにっつーか、それらしく匂わせるというかっ!」
「あぁ、構いませんよ。ええ、残念ながらまだ捲簾とは心はすっかり深い関係で繋がっていますが、身体までは未だそっと触れるのがやっとです」
「多分…その辺りも噂の原因の一端になっているんじゃないかと我々は思うんです」
「何でですか?」
「こう…不安定というか儚いというか。あ、決して元帥と大将の仲が脆いとか言う訳じゃないですっ!やはり心身共に繋げた伴侶というのは危うげな雰囲気が無くなって自信で輝くじゃないですか」
「隙が無くなるって感じですね」
「そうすればきっと…そんな噂もあっという間に経ち消えて、ろくでもない真似をしでかす連中も早々諦めると思うんです…が」
恐る恐る部下が進言すると、天蓬は暫し考え込んだ。
確かに、心身共に深く繋がった恋人達は強い絆が結ばれ、そこへわざわざ手間暇かけてまでちょっかいを出すような馬鹿は居なくなるだろう。

と、なれば。

「………身も心も捲簾へ全て捧げる必要がありますね?早急にっ!」
天蓬は鼻息荒く、欲情漲らせて決意を固めた。
何せ捲簾の大切な貞操の危機が迫っている。
それだけは何が何でも阻止して、自分こそが捲簾を手に入れなければ。
「そうと決まれば今夜にでも…とりあえずお風呂に入りましょうっ!」
職務中だというのに天蓬は便所ゲタを鳴り響かせて宿舎へ走り去ってしまった。
その姿を見送りながら部下達はハイタッチで盛り上がる。

「ぅ…えっくしゅっ!?」

「大将お静かに」
会議の書記係が、派手にクシャミをする捲簾を軽く睨んだ。
何だろうか?
ここ数日下界に降りていないのに、背筋がゾクゾク怖気る。
下界の『風邪』という病の症状に似ているが。
「何だろ…何かすっげヤーな感じぃ…」
全身逆毛立つ寒気に眉を顰めて、捲簾は訳が分からず首を捻った。



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