The princess who dreams |
唐突に天蓬が捲簾を置いて下界へ勝手に出かけてしまってから早1週間。 総司令官の所へ下界から有休願いが送りつけられてから、一切の連絡は入っていなかった。 たまたま現在は待機中ではないが、勝手に下界へ出かけてから届けを送りつけてくるとは何事だと、総司令官敖潤は大層腹を立て、共同責任者とばかりに捲簾を執務室へ呼び出したのだが。 顔を出した捲簾の姿を見て敖潤は唖然とする。 「天蓬だったら…どこ行ってるか知らないっす」 「……………そうか」 「用件はそれだけですか?」 「あ、あぁ…下がっていい」 「失礼しまーす…」 捲簾はのろのろと踵を返して執務室を出て行った。 扉が閉まると、側へ控えていた秘書官が首を傾げる。 「捲簾大将…お身体の具合でも宜しくないのでしょうか?」 「さぁな」 「天蓬元帥も急に下界へお出かけになられて。きっとお寂しいのでしょうねぇ」 「………そうか」 何となく覇気のない捲簾の様子の理由が分かり、敖潤は溜息混じりに椅子へ深く腰掛けた。 いつも生き生きと生命力に輝く双眸は暗く澱み、元々シャープな頬も痩せて削ぎ落とされた状態。 散々泣き腫らした後なのか、先程見た捲簾は見るからに痛々しげで。 天蓬元帥とケンカでもしたのか。 あんな捲簾大将を一人置き去りにして、天蓬元帥は一体下界へ何をしに出かけたのか。 一方的に事後承諾で送られてきた休暇願には、その理由が一切記載されていなかった。 余程慌てていたからといえ、承諾も無しに勝手な行動をした天蓬元帥を訓戒処分するにせよ、その理由を知ろうと捲簾大将を呼び出したが。 どうやら理由を知りたいのは捲簾も同じようだ。 「天蓬元帥からの休暇届には何日間となっていたか?」 「確か…10日間と書かれていました」 「10日間、か」 書状を受け取ってから既に1週間が経っている。 それならほどなく天界へも戻ってくるだろう。 そう考えた敖潤の背筋にゾクゾクと言い知れぬ悪寒が駆け抜けた。 思いっきりイヤな予感がして、眉間へクッキリ皺が刻まれる。 何だか、良からぬコトが起きるのでは? 脳裏を過ぎるのは、脳天気に笑い合う傍迷惑な部下二人の満面笑顔。 杞憂だと思いたいのだが。 「妙な事態にならなければいいが…」 「閣下?どうかされましたか?」 「いや…何でもない」 「そうですか?閣下も元帥閣下をご心配されているのでしょう?早く元帥閣下がお戻りになると宜しいですねぇ」 秘書官が小さく溜息を零すと、敖潤はさり気なく視線を逸らす。 心配なのは今現在の天蓬元帥ではなく、戻ってきてからの天蓬元帥の言動だ!とは、さすがに言えなかった。 これから一体どんな騒動に巻き込まれるのか。 止まらない悪寒に顔を顰めながら、敖潤は山積みになった決裁書類へ手を伸ばした。 「………あと3日か」 「元帥早く帰ってこねーかなぁ」 「うー…寒ぃ」 執務室で部下達は制服の上から袢纏やマフラー、イヤーマッフルにニット帽で完全防備した上、更に湯たんぽを抱え込んでガタガタ震えていた。 以前のような極寒ブリザードは発生してないが、捲簾や天蓬の机周りだけは豪雪地帯に変貌している。 「今日の積雪は…1メートル50センチか」 「昨日よりプラス30センチ積もってるな」 「元帥が戻るまであと3日…一体どこまで積もるんだろうなぁ」 積雪に突き刺してある定規を眺めて、部下達は重々しく項垂れた。 もはや仕事どころではない。 仕事なんかとても出来る状況じゃないが、とりあえず部下達は律儀に出庁していた。 何せ机は全て積雪に埋もれている。 その周りにはミッシリと小さな雪だるまが増殖して捲簾を取り囲んでいた。 部下達諭されて天蓬を信じて帰りを待つことにした捲簾だったが、やはり日々不安は募っていく。 その捲簾の不安が小さな雪だるまとなって具現化し、ポコポコと時間毎に増殖していた。 …ぽこん。 「あ、また増えた」 「はぁ…どーすんだよコレ。元帥が戻ってくる前にこの部屋雪だるまで埋め尽くされるんじゃねーか?」 「いや、それは大丈夫だ。大将が好きなおやつの時間には10個ばかり減ってる」 「………気ぃ反らしたって、それじゃあんま意味ねーよ」 どうにかこれ以上雪だるまの増殖を阻止しようと、部下達は捲簾の気持ちが一時でも浮上するようなおやつを用意したり、地道で涙ぐましい努力をしてはいるが。 どうやら苦労が結果に反映されていないようだ。 「大体30分に1個は増えてるだろ」 「大将も色々葛藤してるんだよ。元帥を信じてるけど何の連絡もねーしさ」 「今日の通信当番は誰だよ?マジで元帥から何の連絡も入ってねーのか?」 「元帥から連絡あったら直ぐに知らせるよう言ってあるし、こっちからも定期的に下界の駐留隊へ元帥の状況確認出来るか聞いてはいるんだけどさ」 「で?足取りは掴めたのかよ?」 「いや…何でも駐留地で車借りて出かけてからまだ戻ってきてないって」 「車で出てるんなら位置確認できるだろっ!?」 一縷の光明が見えて、部下達は色めき立ったが。 「それがさー…どうやら元帥、どっかで車置いて行動してるらしいんだよ。車の無線へ何度呼びかけても応答しないんだって」 「何だよそれぇ〜」 どうにか天蓬と連絡が取れると期待した部下達は意気消沈して肩を落とした。 ミニ雪だるまのように積もりに積もっている仕事の書類も何とかしたいが、それよりもなによりも。 「やっぱさ…あんな大将見てられねーよな」 「あぁ…」 「凍り付いた花で泣きそうになりながら花弁占いしてる大将なんて…何かヤダ」 「つーか、花弁粉々になってるし」 ミニ雪だるま城壁の向こうから『天蓬がぁ〜帰ってくる〜』『帰ってこな〜い』と、捲簾の姿は見えないが微かな声だけ聞こえている。 もう本当に限界だった。 何でもいいから早く元帥に帰ってきて欲しい。 居場所さえ分かれば無理矢理にでも連れて帰りたいぐらいだ。 げんすーいっ!早く戻ってきてくださーいっっ!! 部下達は心の中で切実な絶叫を上げる、と。 何やら回廊から慌ただしい足音が聞こえてきた。 こちらへ向かって全力疾走しているような。 何だろう?と部下達の視線が一斉に扉へ向けられた。 バッターンッッ!!! 蝶番が弾ける勢いで扉が叩き開けられる。 息も絶え絶え転がり込んできたのは、本日の通信当番。 大きく胸を喘がせながら、注目している同僚達を見上げた。 「げんすい…っが…元帥…からっ…今…れんらく…これから…っ!」 「元帥から連絡があったのかっ!?」 「あ…たっ…それ…これか…ら」 「おいっ!落ち着いて話せっ!」 「ほら、とりあえず深呼吸しろ!」 部下達は揃って大きくスーハーと深呼吸をする。 暫く繰り返すと、通信当番の同僚の苦しげな息もどうにか戻った。 とにかく気持ちを落ち着けてから顔を上げる。 待機していた部下達は息を飲んで同僚の言葉を待った。 「元帥から今連絡があって。これからすぐ戻ってこられるそうだ」 「やったぁっ!」 「元帥が帰ってくるぞーっ!」 漸くこの一極集中極寒ツンドラ地帯から解放されると、部下達は歓声を上げてハイタッチする。 「それから…元帥からもう一つ連絡事項があって」 「あ?他に何かあんのか??」 「よく分かんねーんだけど、大量の荷物があるから執務室に繋がる回廊は障害になるような荷物は速やかに撤去しておくようにって」 「大量の…荷物?」 「元帥まさか…また何か買ってきちゃったとか?」 部下達は顔を見合わせ、深々と溜息を零した。 とにかく天蓬元帥は自身の部屋を凄まじい魔窟と化すほど、異常な収集癖の持ち主だ。 何せ手当たり次第自分が気に入ったモノを集めまくった挙げ句に、部屋を崩壊させるぐらいの病的な収集家で、何度扉や窓など修繕したことか。 それでも最近はマメな捲簾が頻繁に片付け、手当たり次第買い集めるのをこっぴどく叱っているため、破壊されるまでは至っていなかったのに。 「ん?ちょっと待てよ。いくら元帥だって今回は違うだろ」 一人が気がつくと、全員が瞠目する。 「そうだよなぁ。だってその前に大将と…まぁ、ナニやアレな状況があってだ。そんな大将置き去りにして、ただ自分の趣味のモノを買いに行ってるはずないよな?」 「でもさぁ…元帥って大将にプロポーズするから指輪とか、そーいうの買いに行ったと思ったんだけど」 「俺だってそう思ってたよ」 「でも大荷物なんだ?」 「何で元帥って大荷物を?」 「さぁ〜?」 何だか自分達の予想が外れているようで、部下達は顔を見合わせ頻りに首を傾げた。 十中八九、捲簾へプロポーズするために何かを準備しに下界へ降りていたと思ったのだが。 天蓬元帥の思惑は一体? 何となくモヤモヤと腑に落ちない表情をしていた部下達の耳に、遠くから騒音が聞こえてきた。 ガラガラと何かが回る音…車…車輪か? それと全力疾走の聞き覚えのある軍靴の音が、一緒になってこちらへ近づいてくる。 部下達は恐る恐る扉の外へ顔を覗かせた。 「けんれーんけんれーんけーんーれーんーっっ!!」 騒音を掻き消すような天蓬の声が回廊中に響き渡る。 1週間ぶりに見る上司の姿に、部下達は驚愕で瞠目した。 トレードマークのように来ているいつもの白衣姿ではない。 キッチリ自軍の黒い軍服を颯爽と着込み、凄まじい勢いで何かを引いてこちらへ突進してきた。 キキイイイィィィーーーッッ☆ 「戻りましたっ!捲簾は居ますかっ!?」 「は…はぁ。いらっしゃい…ますけど」 天蓬の姿をマジマジと眺めた部下達は一様に顔を引き攣らせる。 「永繕、捲簾を呼んで下さいっ!」 「ぎょ…御意」 名指しされた部下はギクシャクと執務室へ戻った。 とりあえず大きく息を吸って、ミニ雪だるま城壁の向こうへ遠慮がちに声を掛ける。 「あのー…大将?元帥閣下がお戻りになられました…けど」 「何いいいぃぃっ!?」 ズボッと、ミニ雪だるまを蹴散らして捲簾が雪のカタマリから飛び出してきた。 積雪もなんのその、軽々と机を跳び越えると部下に掴み掛かる。 「マジで?天蓬戻ってきたの?何時?どこにっ!?」 「えっと…すぐそこで…大将をお待ちです…が」 「うっそっ!?天蓬ソコに居んのっ!?」 「あー………………はい」 ガックンガックン肩を揺すられる部下の視線は何故か泳いでいたが、そんなこと捲簾は気付かなかった。 天蓬の居ない寂しさで青白く痩せこけた頬が、歓喜でバラ色に染まる。 自然と期待で胸の鼓動が昂ぶった。 「捲簾?そこに居るんですか?」 扉の向こうからこの1週間恋い焦がれた愛しいヒトが、優しい声で自分を呼んでくれる。 捲簾は慌てて身なりを確認して雪をパタパタ払うと、ポケットから手鏡を取り出して髪のセットも整えた。 漸く天蓬と再会できる喜び反面、離れたときの状況も思いだして小さく身体を震わせるが、意を決して執務室の外へ一歩踏み出す。 「捲簾…っ!」 「………………………………天蓬?」 見惚れるほど美麗な笑顔は確かに愛する天蓬だった。 それは間違いようがないが。 「何でお前…夜逃げしたみてーなの?」 天蓬は黒い軍服をそれはもう華麗に着こなし、捲簾の乙女心をキューンとさせたけど。 どういう訳かその姿で大量のパステルピンクのバラを抱え、なおかつリヤカーにパンパンに膨らんだ大きな唐草模様の風呂敷を積んでいた。 |
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