The princess who dreams



捲簾が西方軍へやってきてから数度の出征を経て。
じわじわと着実に天蓬元帥と親密度が上がった。
コレも忠実な捲簾の切なる乙女心(?)の成果だ。
先日の出征では、危うく巨獣に襲われかけた天蓬の命まで救う。
突発的単独行動の一番不味いパターンだ。
部下達を待避させると、天蓬は独り無謀にも巨獣の陽動作戦に出た。
自分が囮となって、結界内の中心へに誘い込もうとする。
捲簾は驚愕した。

イヤーッ!?元帥ヒッドぉ〜いっ!
俺のこと置いてくなんてえええぇぇっっ!!

ガーンッ!とショックを受けた捲簾が涙目になって見ている先で。
天蓬から死界になっているの背後から、1頭の巨獣が迫っているのが見える。
そこから捲簾の行動は早かった。

俺の王子様がっ!
絶体絶命の大ピィーンチ!!

自称天蓬のお姫様は勇猛果敢だった。
駆けながらシリンダーへ銃弾を装填すると、迷わず巨獣の後頭部へ狙いを定める。
背後の巨獣に気付いた天蓬が驚愕で振り返る中。

ドンッ!ドンッ!ドンッ!

重い銃声が周囲に響き渡った。
1発目の着弾で倒れ込んだ巨獣の身体に乗り上げると、捲簾はその身体に容赦なく更に麻酔銃を撃ち込む。
呆然と目を見張る天蓬の視線を無視して、捲簾は俯いたまま。

元帥…死んじゃうかと思った、グッスン。

コッソリ目元の涙を拭って、捲簾は助けることが出来た安堵で胸を撫で下ろした。
ふと見下ろした足許には眠っている巨獣。

…丸焼きにして今日の兵糧にしてやろーか。

物騒なコトを考えながら、捲簾が1発2発と残りの銃弾を撃ち込んだ。
それだけ天蓬を失うかも知れない恐怖で我を忘れていた。
「麻酔…もう効いてますよ」
穏やかな声音が背後から掛かっても捲簾は振り向かない。
捲簾の心の中は哀しみで一杯だった。

元帥のバカ…バカバカバカあああぁぁっっ!!

脳内お花畑で、捲簾は泣き崩れる。
辺りは漆黒の闇夜で、天上から一筋捲簾だけを照らしてピンスポットが当たっていた。
まるで悲劇のお姫様。

俺のこと置いてくなんて…絶対許してあげねーっ!

ムスッとふて腐れたまま、漸く捲簾が口を開いた。
「―――ったく。天界人ってのは損なモンだよな」
低い声で零れ落ちる言葉を、天蓬は静かに聞いている。
「ブッ殺してぇなと思った時、ブッ殺せねーんじゃあよ」
頑なに振り向かない捲簾に、天蓬が困ったように苦笑いした。
捲簾の背中からは天蓬を拒絶する空気が漂っている。
「…怒ってますね」
相当心配をかけてしまったようだと天蓬も漸く気付いて、バツ悪そうに顔を強張らせた。

うぅ〜ん…ご機嫌取るのも大変だなぁ。

突発単独行動の代償は、部隊全員分の焼き肉食べ放題だった。






それからもちょくちょく下界へ出征しているが、天蓬は以前のように一人で何もかも重責を背負うような真似はしなくなった。
確実に捲簾との距離も近づき、プライベートでも一緒にいることが多くなる。
どうやら捲簾は本人が豪語するとおり家庭的で、なにくれと天蓬の世話を買って出た。
しかも意外と繊細で綺麗好きだ。
神経質な程潔癖性ではないが、ちょっとでも執務室が雑然となってくれば、天蓬が何か言う前にせっせと片付けを始める。
それはあまりにも見違えて、思わず邪魔だと外に放り出されていた天蓬が戻ってきて『…失礼しました』と出て行こうとする程の手際と完璧さだった。
それだけじゃない。
料理も得意で、自炊しているらしい。
妻帯者はともかくとして、下士官達は大抵軍にある食堂を利用する。
天蓬や捲簾のような上級士官になると、世話付きの従者がついた。
天蓬も食事の世話は部屋付きの者に頼んでいる。
ところが捲簾は従者が居るにも拘わらず、生活の全てを自分で賄ってると言う。
掃除も炊事も趣味だから、他人に頼む必要は無いのだと。
従者がするのは、どちらかといえば仕事の秘書的な役割だった。
来客の旨を伝えたり、客人へお茶を出したり、司令部から送られてくる書類の受け取りやスケジュールの管理まで。
もっとも副官を持たない天蓬の従者も似たような仕事をしていたが。
さすがに主の魔境と化した執務室をどうにかしようという無謀な考えは、配属されてからすぐに諦めた。
そこへ現れたのが救世主でもある捲簾だ。
従者達は密かにほっと安堵していた。
これで自分達の主はまともな生活を送れるようになるだろう、と。
捲簾の来訪を心待ちにさえしていた。

そして、毎日。

捲簾は従者達の応援まで受けながら、日々天蓬の元へ通っていた。
放っておけばゴミ集積場と化す天蓬の部屋を、定期的に訪問しては空気を入れ換え掃除をする。
備え付けの家具も天蓬お気に入り謎の置物も雑巾で磨き上げ、脱いだまま山積みになって匂いどころかキノコ栽培でもしているのかと思わしき汚れ物も、律儀に洗濯しては天気の良い外でシッカリ干す。
武技どころか家事の達人でもある捲簾のおかげで、天蓬は数年ぶりにまともな生活を送れる日々が確実に増えていった。
捲簾はほぼ毎日、仕事で忙殺されなければ定期的に天蓬の部屋へ顔を出す。
ヒトとしてはおろか動物よりも劣っているのではないかと思われる程、天蓬は全く生活習慣がメチャクチャだからだ。
本を読んでいて夢中になると、最低限の生命維持活動をド忘れする。

寝ない、食べない。

まず最初に栄養失調で身体が動かなくなる。
すると天蓬は。

「…面倒ですねvvv」

そのままガックリと電池切れ。
唐突に意識を無くして寝入ってしまう。
ソコがどこだろうと関係ない。
倒れ込んだ拍子に本の柱を崩して生き埋めになろうが意識を取り戻すことなく、すやすやと身体が休息を貪る。
西方軍の全ての部下達が『きっといつか元帥は本の生き埋めになって、腐乱死体で発見されても可笑しくない』と危惧しているのも、強ち大袈裟ではないようだ。
キッチリと紐で括ってまとめ上げた本の膨大な束を眺めて捲簾は溜息を零す。

今日も捲簾は天蓬の執務室へ来ていた。

しっかりとお掃除体勢を整えて、本日の戦場(?)へと赴いた。
頭にはバンダナのほっかむり。
ちなみに柄は可愛らしい小花柄。
それに加えてエプロン姿。
そっちは黒の無地だが、胸のポケットにウサギさんのアップリケが付いていた。
勿論捲簾が『な〜んか、この辺地味すぎて寂しいよな〜』と自分で刺繍したオリジナル仕様。
動きやすいようにラフな私服へ着替えてから、掃除道具一式を携え敵陣へ乗り込んできたのだが。

「…昨日の今日でこんな散らかるんだかなぁ」

捲簾は掃除機をガーガーかけつつ、愚痴を零す。
実際昨日捲簾が尋ねた時は、多少本が乱雑に積み上がってはいたが、崩れる程ではなかった。
それでも捲簾は念を入れて、バランスの悪い本の柱をきちんと積み直してから帰ったはずだったのに。
それが。
午前中の訓練を終えて、やってきてみれば。
やけに扉を叩いた時の音が鈍かった。
「…まさか、な?」
思わず息を飲んで捲簾は覚悟を決めると、ドアノブに手を掛ける。
数度深呼吸をして気持ちを落ち着けながら、意を決して力強く扉を引いた。

ドドドドドドドーッッ!!!

物凄い勢いで、本の雪崩が回廊まで押し寄せ庭まで流れていく。
周囲には埃が立ちこめ、真っ白で視界ゼロだ。
呆然と立ち尽くす捲簾が、はっ!と我に返る。
またもや天蓬が遭難して生き埋めになってるかも知れない。
乱雑に積み上がった本を乱暴に放り投げながら、発掘作業をするが、どうやら部屋の主は一緒に流れて来なかったようだ。
ホッと安堵の溜息を零すと、捲簾は改めて部屋の中を覗き込む。
部屋の中まで埃が煙っていて、全く様子は分からない。
1日でこんな状態になる、凄まじい
呪いなんて。

一体元帥はどれだけ魔女に恨まれてたのか。

捲簾はあまりの恐ろしさに小さく身震いした。
しかし負けてはいられない。
「元帥待ってろよーっ!今助け出してやるからなっ!!」
捲簾は本の積み上がっている僅かな隙間から、大声で室内へと声を掛けた。
ところが返事は帰ってこない。

まさかっ!魔女に取り殺されたんじゃ…いやあああぁぁっっ!元帥いいいぃぃっっ!!

捲簾は心の中で涙ながらに慟哭しながら『うらああぁっ!』と掛け声も勇ましく、次々と本の山を切り崩した。
漸く通り抜けられる程になった隙間から室内へ飛び込むとソコには。

床に大の字で突っ伏している天蓬が暢気に惰眠を貪っていた。

とりあえず換気をしてから室外へ流れていった本を全て撤去して、手際よく紐でまとめ上げては壁沿いに積み上げていく。
本棚の空いているスペースには、適当に本を突っ込んで並べていった。
ジャンルや内容などまるで分からないが、大きさだけを揃えてさっさと詰めていく。
次ぎに洗濯。
行き倒れている天蓬から白衣を引き剥がすと、他の衣類も纏めてすぐ近くにある西方軍の共用施設へ向かう。
そこには独身の下士官用に、ランドリースペースがある。
捲簾は空いている洗濯機に抱えてきた衣類を放り込むと、時間を確認してまた天蓬の執務室へと戻った。
洗濯をしている間に今度は掃除。
うっすらと埃を被った家具や調度品を雑巾で磨き上げ、綿埃がホワホワと転がる床に掃除機をかけた。
これだけ騒がしく動いていても、天蓬は一向に目覚める気配がない。
無防備というか暢気というか。
それでも寝顔は相変わらず麗しく。

はぁ…今日も元帥ってばカッコイーvvv

捲簾はキラキラと瞳を輝かせて、寝汚い天蓬の寝顔に見惚れた。
あばたもえくぼ。
確かに普段仕事をしている時は、誰もが見惚れる美貌の策士だが。
気を張っていない時までそうとは限らない。
ちょっと口端がキラリと濡れていたり、半目を開いて白目が覗いていたりもする。
しかし捲簾は気にならないらしく、脳内で都合良く天蓬を王子様化へ変換していた。
ハタキを片手に見つめること数分。
捲簾の気配に気付いたのか、天蓬の瞳がゆっくり開かれた。
「あ…れ?捲簾大将来てたんですか」
「気付くの遅ぇよ」
暢気に欠伸を漏らす天蓬にムッと唇を尖らせる。
妙な寝癖で絡まった髪をそのまま撫でつけていると、ふいに天蓬が声を上げた。
「捲簾大将っ!この辺に雑誌が落ちてませんでしたかっ!?」
「は?雑誌?」
「グルメガイドがあったはずなんですよっ!」
「グルメガイドぉ??」
捲簾は首を捻って考え込んだ。
天蓬がこれだけ言うんだから、確かにあったのかもしれないが。
「さぁ?あったとしても雪崩でどっかに紛れこんじまったはずだし、そのまま括ってあの辺に入ってんじゃん?」
「えーっ!まだ全部見てなかったのにっ!!」
妙に悔しがって天蓬がガックリ項垂れる。
たかがグルメガイドでそんなに落胆するモノなのか?
「はぁ…場所は覚えてるからいいんですけど」
「何が雑誌に載ってた訳?」
「以前長期の出征した折りになんですがね?」
「ふんふん?」
「陣を張っていた近くに小さな町があったんですよ。漸く封印作業が終わって、身体を休める為に一旦隊のモノを連れてその町へ出かけたんですよ」
「ふぅ〜ん」
任務遂行中は極度の緊張状態が強いられる。
全てが終わった後に、ゆっくり身体を休めて眠りたいという気持ちは捲簾もよく分かった。
出征中は大抵テントで過ごすことが殆どだ。
いくら天蓬が上級士官だからとはいえ、フカフカの寝心地良いベッドなんて持って行ける訳がなく、簡易ベッドに寝るしかなかった。
「それで久しぶりにゆっくり食事を取っていた時、宿のご主人のご厚意でお酒を振る舞って頂いたんですよ」
「へー、太っ腹じゃん」
「何でも大勢のお客が入ったのは数年振りだと言って。賑やかで嬉しいってね。まぁ本当に小さな町でしたから」
「まぁ、隊の全員連れてきゃ、賑やかっつーよりは喧しいぐらいだろ?」
そこに酒が入れば、その騒々しさは容易に分かる。
「それでね?その時頂いたお酒が…」
「酒?」
「もぉ〜
至福の美酒だったんですっ!」
「なっにーっっ!?」
美酒と聞いて、俄然捲簾の表情が輝いた。
酒は自分のガソリンだという程、捲簾は無類の酒好きだ。
「当然これは何処で手に入るのか聞いたんですよ。そしたら何でも息子さんが働きに出ている街から送ってくれたらしく、すぐには手に入らなかったんです」
本当に残念そうに天蓬が呟いた。
それほど天蓬が味わった酒は旨かったらしい。
思わず捲簾の喉が小さくなった。
「その時は泣く泣く諦めたんですけど。天界へ戻ってからその酒を売っている街を僕は聞き忘れていたことに気付いて…大失態でした」
「確かに大失態だよ」
手に入れることは出来ないのかと、捲簾もガックリ項垂れた。
ところが。
「そうしたらっ!さっき僕が何気なく読んでいたグルメガイドにっ!そのお酒のことが載っていたんですよっ!!」
「えーっ!?」
「ラベルは覚えていたので間違いないですっ!今度こそは何が何でも手に入れなければっ!と、思ったところで意識を失ってしまいました〜」
へらっと天蓬が笑みを浮かべる。
「雑誌っ!その雑誌探さなきゃっ!ど…どこに括ったっけ?」
慌てて捲簾がキョロキョロと室内を見渡すが、堆く積まれた本を眺めて一気に志気が萎えた。
これを端から解いて探すのは物凄くイヤだった。
「大丈夫ですよ。ちゃんと街の名前と場所は覚えましたから。どうせなら他にも何かないかなーっと思っただけなんです。それでですね?」
唐突に天蓬が捲簾の手をギュッと握りしめる。

いっ…いやあああああぁぁぁっっ!!?

天蓬に手を握られ、捲簾は脳内で狂喜乱舞。
お花畑で真っ赤になりながらゴロゴロと転がって身悶えた。
しかも、天蓬は更なる衝撃を捲簾に与える。
「お買い物しに、貴方も一緒に下界へ出かけませんか?」

それってばデートのお誘いっ!?

歓喜を通り越して、捲簾の脳みそは真っ白に弾け飛んだ。
ピクリとも動かなくなった捲簾を、天蓬が不思議そうに見つめる。
「けんれ〜ん?」

しかも呼び捨てっ!?

あまりにも立て続けにショックを受けて、捲簾はあははは〜と無我の境地に旅立ちそうになった。
「捲簾?どうかしたんですか??」
天蓬に大きな声で呼ばれて、ビクンと捲簾の身体が跳ね上がった。
パチパチと瞬きをして現実に帰ると、途端に頬が赤らんでくる。
未だに手は天蓬に握られたまま、困ったように捲簾が首を傾げた。
「でもさ…勝手に下りたら不味いんじゃね?」
「あぁ、大丈夫ですよ。司令官には適当に話をつけて降下許可取りますからね。幸い今は警戒中でもありませんし」
「そうだけど…でも…」
恥ずかしそうに視線を逸らして捲簾がモゴモゴ言い淀むと。
「捲簾…僕とデートするのイヤですか?」

やっぱりデートなのーーーっっ!?

今度こそ捲簾はカッと全身を朱に染めた。
嬉しいのか恥ずかしいのか、何が何だか分からなくなる。
初々しい捲簾の反応に、天蓬はご満悦だ。
どうやら自分とのデートを喜んでくれているらしいのは分かった。
「色々回ってみましょうね?美味しいモノもあると思いますから」
「う…うん」
コックリと頷いて了承すると、天蓬は今まで捲簾が見てきたどんな時よりも綺麗な笑顔を浮かべた。



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