たからもの |
常春の天界。 今日も朝から軽快な音が聞こえてきた。 カラッコ☆ カラッコ☆ カラッコ☆ 「けんれーんっ!おはよーございます〜vvv」 「…はよ。珍しく朝からテンション高いな」 「そんなことないですよぅっ!」 僅かに顔色の悪い捲簾の背後から、上機嫌な天蓬が声を掛けて走ってくる。 捲簾は振り返ることもしないで、胸元を押さえて溜息を零した。 どうやら二日酔いらしい。 追いついた天蓬がヒョッコリ捲簾の顔を覗き込んだ。 「珍しいですねぇ…捲簾が酒に飲まれるなんて」 「うーん…やっぱチャンポンが不味かったか」 「そんなに飲んだんですか?」 「どんだけ飲んだか覚えてねーぐらいは飲んだな」 答えながらも捲簾は鈍痛のする頭を叩く。 何だか頭の上に重しが乗ってるようだ。 酔いは覚めているが、まったく頭がぼんやりして冴えない。 天蓬は首を傾げて苦笑を浮かべた。 「後で二日酔い効く漢方あげますよ」 「頼むわ…昼ぐらいになれば酒も抜けると思うけどなぁ」 頭を左右に揺らして、捲簾は大きく伸びをする。 足取りの重い捲簾と並んでいる天蓬の視線が、一点に吸い寄せられた。 大きく伸ばされた捲簾が右手で持っていたバスケットに。 「捲簾っ!ソレ!おやつですよねっ!?今日のおやつは何ですかっ!?」 「んあー?」 天蓬は瞳をキラッキラ輝かせ、ウットリとお菓子が詰まってるらしいバスケットを魅入る。 顔を上向かせて鼻をヒクヒクさせる仕草に、捲簾は呆れた視線を向けた。 「お前なぁ…俺の心配よりおやつの方が大切かよ」 「勿論捲簾が一番大切ですっ!大切ですけど…おやつも大事ですっ!とってもとーっても大事ですからっ!」 「あ、そーかい」 頬を紅潮させて朝からおやつの重要さを力説しまくる軍最高士官。 何だかちょっと、いやかなり情けない。 興味津々でバスケットの周囲をウロチョロする天蓬に呆れた視線を向けつつ、重い足取りで執務室へ向かっていると。 「けんれ〜んっ!意地悪しないで教えて下さいよ〜」 おやつが知りたくてまとわりついてくる天蓬が痺れを切らせて、捲簾の腕をチョイチョイ引っ張った。 二日酔いで気分最悪、いつもなら気にもしない天蓬の言動が鬱陶しい。 何となく癪に障って、捲簾が掴まれている腕を思いっきり振り払った。 「お前しつこいぞっ!」 邪険にされるとは思いもしなかった天蓬の身体が不意を突かれて前のめりに倒れ込む。 と、同時に。 ブチッ!!! 「あ?」 何かが引き千切れるような音がしたかと思うと、天蓬が豪快に回廊へひっくり返った。 「きゃんっっっ!!!」 一瞬何が起こったか分からない捲簾がまん丸と目を見開く。 見下ろせば無様な格好で回廊へ突っ伏す副官の姿が。 「け…捲簾…酷いですっ!」 「酷いって…言われてもなぁ?」 思いっきり顔から転んだ天蓬が涙目になって鼻を押さえ、情けない表情で捲簾を睨み上げた。 捲簾だってたかが腕を振り払っただけでひっくり返るなんて予想もしていない。 困惑して視線を泳がせていると、静かな朝の空気を切り裂くような悲鳴が。 「ひっ!?い…いやああああぁぁあああっっ!?」 施設内中に響き渡る絶叫に、軍舎に居た士官達が何事かと一斉に部屋を飛び出し顔を出した。 グワングワンと壁を伝って響き渡る音の先には、何故か膝を崩して横倒れになっている元帥と耳を押さえて顔を顰めている大将の姿。 絶対面倒なことに巻き込まれる。 そう本能的に察知した部下達は、何も無かった何も見なかったとばかりに慌てて執務室へ逃げ込んだ。 ある意味正確に上官達を把握している優秀な部下へ、捲簾が忌々しそうに舌打ちする。 捲簾は深々と溜息を零して、目の前に倒れる天蓬へ厭そうに視線を落とした。 横倒れになったままガクガク震える天蓬の様子がおかしい。 心なしか顔も青ざめ、涙目になっている。 たかが転んだぐらいで何なんだ?と、捲簾は眉を顰めた。 「おい、天蓬…いつまでひっくり返ってんだよ?元帥閣下がみっともねーぞ?」 「そんなことはどうだっていいんですっ!」 凄まじい怒気を込めた形相で天蓬が突然叫んだ。 訳が分からず捲簾が困惑すると、途端に顔が歪んで瞳が潤み出す。 何で泣くっ!? 泣きそうな天蓬に吃驚して硬直する捲簾を無視して、天蓬は白衣の袖口で目元を拭った。 「そ…そんなに痛かったのかよ?」 「痛かったですけど、それはもういいんです。それよりも…僕は哀しみで胸が張り裂けそうなんです」 「は?哀しいって何が??」 まさか邪険に腕を振り払われたことではないだろう。 それこそ今までだってベッタリまとわりつく天蓬が気恥ずかしくて、頻繁ではないにしろ何度もやっていた。 今日に限って言えば、捲簾が二日酔いで機嫌が悪いと分かっていたはず。 腕を振り払われたことだって本意でないことは気付いているだろう、が。 しかし、捲簾の心配はまるっきりの杞憂だ。 何故か天蓬の視線は捲簾ではなく、じっと足下へ向けられている。 そこにあるのは……………便所ゲタ。 天蓬が愛用しているトレードマークの便所ゲタだった。 その片方が転がっている。 「僕の…僕の便所ゲタが…便所ゲタが壊れましたーーーっっ!!!」 「あ?」 よく眺めてみれば、確かに壊れていた。 足の甲を押さえる部分の留め金が飛んで外れている。 さっきの『ブチッ!』と何かが千切れるような音はこれだったのか。 なーんだ、と肩を竦める捲簾を天蓬が睨んだ。 「何でどーでもいい顔なんかしてるんですかっ!」 「だってどーでもいいし?」 「良くありませんよっ!これは…この便所ゲタは僕の大切な想い出の隠った宝物だったんですよっ!」 「便所ゲタぐれーで大袈裟な…」 「大袈裟なんかじゃありませんっ!」 悔しそうに回廊を叩いて駄々を捏ねる天蓬を、捲簾は面倒臭そうに見下ろした。 天蓬の『宝物』は本当の意味で『宝物』じゃないことが殆どだ。 興味さえ惹かれれば、値打ちがあろうと無かろうと何でもかんでも収集する悪癖が天蓬にはある。 そのお陰で天蓬の私室はガラクタで溢れかえり、扉を決壊させて何度も雪崩を起こしていた。 しかも今回の自称『宝物』は誰がどう見たってタダの便所ゲタ。 胡乱な眼差しを向ける捲簾を無視して、天蓬は何故か遠くを見つめた。 「あれは…もうどれぐらい前になりますかねぇ。軍へ配属になって何度目かの下界出征の時でした」 「いきなり回想っ!?」 「とある討伐任務で下界へ降りたんですが…それは酷い状況でした。森で生息していた大型の甲殻妖獣が人里へ現れるようになって人間を襲い始めましてねぇ。人々も懸命に追い払おうとしたんですが、犠牲者が後を絶たず…鎧の用に硬い鱗のような皮がどんな武器も弾き返すんですよ」 「ふーん…それは厄介だな」 タダでさえ凶暴化した大型妖獣なうえ、武器が全く歯が立たない。 そうなると討伐部隊が主に使用する重火器類も役に立たないと言うことだ。 不殺生が天界人の掟。 生態系にダメージを与える妖獣も殺してはならない。 大概が麻酔銃で眠らせ、動きを止めたところで自然界へと半永久に封印していた。 「次第に大人の数も減り、妖獣は子供を襲うようにまで凶暴化しました。このままではその近隣一帯の人間が壊滅して、いえ周辺に生息しているあらゆる生き物の生命バランスすら崩壊するおそれが」 「で、封印は成功したんだろ?」 「僕を誰だと思ってるんですか」 「天界随一と誉れ高い天才軍師サマ」 「棒読みが気に入りませんが、まぁいいでしょう。どうにか妖獣の封印を終えて、里の被害状況を確認しようと回っていたその時っ!僕は…僕は見つけてしまったんですっっ!!」 「な…何を?」 「この子です…」 天蓬の手には壊れた便所ゲタが。 「えーっと…その里で気に入って買った土産とか?」 「いえ。ぽつりとゴミ収集場所に落ちてました」 ゲシッ!!! 「テメーはっ!素直に思い出話を聞いてやりゃ〜よりによって拾ってきたゴミなんかを宝物だとぉっ!?」 「ィダッ!?ちょっ…何で蹴るんですか…っ!?」 「大将ぉっ!落ち着いてくださーいっっ!!!」 コッソリと上官達のやりとりを窺っていた部下達が慌てて飛び出し、足を振り上げる捲簾を押さえに掛かった。 「てめぇらっ!離せーっっ!!このバカ蹴らせろっっ!!」 「大将ダメですって!大騒ぎしたら敖潤閣下がキレちゃいますって!」 「うっせぇっ!懲罰房がなんだっ!ゴミの便所ゲタなんかで俺は…俺はっ!け〜ら〜せ〜ろ〜っっ!!」 本気で暴れる天界最強の武神将を、部下達が総出で必死に宥める。 しかし、当事者である天蓬はプックリ頬を膨らませた。 「ゴミだなんて失礼な。まさにこの子とは運命の出逢いだったんですよ?正に捲簾と初めて恋に落ちたときと同じぐらい衝撃的なっ!」 「俺を便所ゲタなんかと一緒にしやがってぇ〜〜〜っっ!!」 「もうっ!ちょっと元帥は黙っててくださ…イダダダダッ!」 「大将痛いっ!落ち着いて下さいってっっ!!」 部下達に羽交い締めされても物ともせず、捲簾はジタバタ暴れて脚を振り回す。 ギャーギャー騒ぐ連中から視線を外すと、天蓬は切なげに便所ゲタを見つめて溜息を零した。 「初めてこの子へ足を入れて歩いたときの感動と言ったら…足へのフィット感といい、可愛らしい音といい、何て素晴らしい芸術品だと心が震えたんですよ…ほぉvvv」 「テメッ…まだ言うかっ!」 額へ血管を浮き上がらせて激怒する捲簾を、天蓬はじっと見つめる。 「でも…もうお別れですね」 今にも零れ落ちそうなほど瞳に涙を湛えた天蓬が、口元へ自嘲を浮かべてそっと顔を伏せた。 あまりにも儚げな風情に、捲簾の動きが止まる。 「もう長い間使ってましたもんね…物が壊れるのは仕方がないこと。ただもう少し僕が気をつけていれば…捲簾に腕を振り払われても転んだりしなければ…っ!」 「お…俺のせいだってゆーのかよっ!」 「いえ…今日この子が壊れたのはそういう運命だったんでしょう。だけど僕が捲簾に腕を振り払われて転んだりしなければもしかしたら…っ!」 カラン☆ 天蓬は寂しげに微笑むと、履いていたもう片方の便所ゲタを脱いで、靴下のまま回廊をスタスタ歩いていった。 捲簾と部下達の前には取り残された便所ゲタが。 「こ…これ…処分しちゃってもいいってことなんですか?」 「でも…元帥が今まで愛用していたヤツだろ?な…何かすっげぇコワイんですけどっ!」 「大将っ!どうしましょうっっ!?」 「ったく…どうしようたってなぁ?」 確かに捨て去っていったのだから処分したところで天蓬も文句は言わないだろう。 それでも。 「…何かすっげアイツの怨念が籠もってそうでヤ」 「ですよねっ!?」 捲簾は思いっきり厭そうに顔を顰めると、転がっている壊れた便所ゲタを摘んだ。 便所ゲタは留め金が飛んで甲の部分が切れていたが、ゲタそのものは壊れていない。 「はぁ…仕方ねーなぁ」 捲簾はもう片方の便所ゲタも拾い上げクルリと踵を返すと、回廊を逆戻りして歩いていった。 翌日。 ぺったぺったぺった…。 間の抜けた足音が回廊から聞こえてくる。 「おはよーございますー…」 これまたすっかり意気消沈した天蓬が執務室へ現れた。 溜息を零しながらいつも使っている自分の机へ近づくと。 「こ…コレっ!?」 机の上には便所ゲタが揃えて置いてある。 天蓬は慌てて駆け寄ると、便所ゲタを手に取った。 踵の減り方、ついつい灰を落として焦がしてしまった煙草の焦げ。 昨日まで天蓬が愛用していた便所ゲタだった。 しかし、甲の部分がまるで違う。 以前の便所ゲタは茶色のビニール製で素っ気なかったのに、今はパステルピンクのチェックの布製で、可愛らしいウサちゃんのアップリケまで付いていた。 天蓬は頬を染めて感動で震えると、床へ便所ゲタを置いた。 そっと足を入れてみる。 甲の部分は布製だが、ちゃんと芯が入っていて布でくるんでいた。 そのお陰で履き心地は依然と変わらない。 しかも、前より明らかに可愛らしく天蓬好みにカスタマイズされていた。 こんな器用なことが出来るのは唯一人しか居ない。 「捲簾〜〜〜っっvvv」 「それなら捨てなくってもまだ履けるだろ?」 「勿論ですっ!勿論ですともっ!もうもうありがとうございますっ!僕の宝物にして大事に履きますからっ!!」 「あ、そ?」 嬉しそうに大はしゃぎで微笑む天蓬に、捲簾は素っ気なく顔を背けた。 しかし耳が心なしか赤くなっている。 単純に照れ臭いようだ。 「今度お礼に捲簾が好きそうなお酒手配しますねvvv」 「んじゃ一緒に飲もうな?」 「嬉しいですぅ〜vvv」 朝っぱらからイチャイチャとピンク色の空気を放つ上司達を無視すると、部下達は一斉に窓を開けて肩を落とした。 |
Back |