指揮者のつぶやき… 〜指揮者の寺子屋〜


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昨年の演奏会 その3
TAKAちゃん

2002/02/05 19:53

 昨年出演した演奏会、その3 〜バッハ雑感〜

 『こころ』『祈り』のメッセージ、それがボクの好きな曲のキーワードであると前回書いた。そして、バッハにもそれを強く感じるとも書いた。そう、教会音楽(カンタータ、ミサ曲、オラトリオなど)とオルガン曲が中心だが、バッハの曲には『祈り』がある。また、教会カンタータは人生のはかなさ、甘い死への憧れにも似た情感を想わせるものが多い。教会音楽だから当たり前と言えばそれまでだが、バッハは聖書の言葉を宣べ伝える聖職者として、また神の僕としての自分自身の祈りを込めてこれらの曲を書いた。だが、バッハには宗教を超えたすべての人間に共感を与える普遍性がある。ボクがバッハに傾倒するゆえんである。

 バッハの曲には多くの数象徴が込められているとされる(これらの詳細は、多くの書物をご覧いただきたい)。有名な例としては、マタイ受難曲の「本当にこの方は神の子だったのだ」の部分があげられる。バッハは清書譜に十字架の形を浮かび上がらせ、そのバスパートの音符数14をバッハの名前の数(A=1、B=2・・・としてBACH、2+1+3+8=14)と一致させている。つまり、バッハはこの十字架の下に信徒としての自らの名前を密かに書き込んだことになる。バッハの作品には数多くの象徴的表現が用いられている。数象徴、音型による象徴(フィーグラ)など、様々な手法が用いられている。数象徴は非常に興味深いものであり、音符数、小節数などがしばしば人の名前や聖書の章や節の数と結びつけて解釈されている。ただし、どこまでが本当にバッハが意識して用いたものかは、残念ながら良くわかっていないらしい。しかし、ちょっと作曲をやった者としては(ボクはボクの奉職する学園の学園歌や校歌を10曲ほど書いているのである)、バッハなら当然そのようなことを考えたと信じている。

 この象徴的表現と、『人生のはかなさ』、『死への瞑想』、『祈り』のメッセージから、HP管理人が「独白」に書いているように、カンタータの多くから我々は切なさ、憂い、もしくは翳りを感じるのであろう。特に我々にはそこに、どことなく日本的なもの感じるのではないかとボクは一人思っている。 もちろん、バッハの音楽の特徴はそれだけではない。舞曲のリズムの要素、大胆な不協和音の導入による緊張感とその解決による解放感、巧みな楽器構成、など多くの特徴を備えている。しかし、そこに込められた『こころ』『祈り』のメッセージに、ボクは強く惹かれるのである。 そして、昨年の夏、ボクは岡山バッハカンタータ協会の一員として、バッハが晩年を過ごし、カントルとして数多くのカンタータなどを作曲・演奏し、そして没した地であるドイツのライプツィヒを訪れた。
 (この項、まだまだ続く)


2002/02/05 19:53