♪♪ 415通信 58号 ♪♪
2002年4月28日発行
【415ニュース:マタイ受難曲について】
すでに練習などを通じてお話ししましたが、2003年12月7日(日)に倉敷市民会館で倉敷コンサート主催のマタイ受難曲演奏会が開催されます。指揮はH.ヴィンシャーマン、管弦楽はドイツ・バッハ・ゾリステンです。この演奏会の合唱に対して岡山バッハカンタータ協会からOPEの出演依頼がありました。この依頼にどう対処するかを、合唱メンバーにアンケートでお伺いしたところ、90%程度の方から参加したいとの回答がありました。それを受けて、カンタータ協会には「OPEとしてではないが、20数名が参加する予定」と回答しました。おそらくプログラムなどには「合唱:岡山バッハカンタータ協会、岡山ポリフォニーアンサンブル」と記載されることになるかと思います。出演されない方には申し訳ありませんが、ご了承ください。マタイ受難曲に向けては、来月下旬から日曜日の練習の後半1時間ほどをあてて音取りを始めたいと思います。なお、もちろん来年もOPEの演奏会は行ないます。今のところ10月の初めを考えています、また、内容も若干器楽の割合を高めたものになるかと思いますが、今後検討していきたいと思っています。
【練習計画(5月〜7月)】
5月からは、芳田公民館が使えなくなりますので、土曜、日曜とも京山公民館での練習になります。時間は変更ありません。器楽は第2が京山公民館、第4は八画園舎となります。
5月の最初の週も連休で公民館が使えないため、お休みとします。
7月も祝日の関係で少し練習日が変わります。お間違えのないようにご注意下さい。
また、6月30日は第5日曜のため練習お休みの予定でしたが、この日をマタイ受難曲の練習にあてたいと思います。参加予定の方は(されない方でも結構ですが)お出かけください。カンタータ協会の方にも声をお掛けしようかと思っています。
5月12日(日) 器楽:10:00〜13:00 京山公民館(実技室) 5月12日(日) 合唱:13:00〜17:00 京山公民館(第2講座室)
(鈴木さん発声)5月18日(土) 合唱:18:00〜20:50 京山公民館(第2講座室) 5月26日(日) 器楽:10:00〜13:00 京山公民館(実技室) 5月26日(日) 合唱:13:00〜17:00 京山公民館(第2講座室) 6月1日(土) 合唱:18:00〜20:50 京山公民館(第2講座室) 6月9日(日) 器楽:10:00〜13:00 京山公民館(第2講座室) 6月9日(日) 合唱:13:00〜17:00 京山公民館(第2講座室) 6月15日(土) 合唱:18:00〜20:50 京山公民館(第2講座室) 6月23日(日) 器楽:10:00〜12:00 八画園舎 6月23日(日) 合唱:13:00〜17:00 京山公民館(第2講座室) 6月30日(日) 合唱:13:00〜17:00 京山公民館(第2講座室)(マタイ) 7月6日(土) 合唱:18:00〜20:50 京山公民館(第2講座室) 7月14日(日) 器楽:10:00〜13:00 京山公民館(第2講座室) 7月14日(日) 合唱:13:00〜17:00 京山公民館(第2講座室) 7月21日(日) 合唱:13:00〜17:00 京山公民館(第2講座室) 7月28日(日) 器楽:10:00〜13:00 京山公民館(第2講座室) 7月28日(日) 合唱:13:00〜17:00 京山公民館(第2講座室)
【練習計画(5月)】
おおよその練習計画を掲載します。バッハとパレストリーナは一通り音取りが終わりましたが、参加者が少し少ないことなどもあり、なかなか計画通りに練習が進んでいません。お許しください。なお、2ステージの曲目は、イギリスものを中心としたマドリガルに決まりました。日曜日を中心に適宜練習に加えていきたいと思っています。
5月12日(日) 鈴木順子先生による指導 5月18日(土) P・クリステ・キリエ B・45番合唱 5月26日(日) P・グローリア前半 マドリガル B・53番、マタイ3・10番
【Bach Strasse東へ(その7・完結編) 日下不二雄】
12 ドイツ生活点描
バッハを追って、初めてドイツという国に来た。ここに書いた旅のあと私は予定通りライプツィヒからフランクフルト経由で帰国した。日本に帰るとまた日本での生活や仕事が待っていた。そして意外なほどすぐに心身共に元通りになってしまった。
今回の旅は2001年8月9日から18日までの10日間という短いものだった。が、私にしてみれば初めて行ったドイツという国で、見るもの聞くものすべてが新鮮であり、たいへん楽しく充実した重みのある旅であった。ここまでのバッハを中心にした箇所にも旅日記が随分でてくるが、ほかにいろいろ感じたことがらについて、いくつかテーマを決めて書いてみることにする。またそのほかに経験したことについては、クイズ形式にして書いたので、その解説もまた、一種の生活点描になっていることだろうと思う。・英語
英語については、ドイツなら通じるから大丈夫といってくれる人が何人もいて、あまり深く考えずに出かけたのだが、実際にはほとんど通じなかったと言ってよいだろう。ここ、旧東ドイツでは、三十代以下は多少できるが、それでも日常会話がちょっと苦しいというくらいである。通じるのはホテルのフロントや大きな店舗、駅、警察というところではないだろうか。
ただ通じないといっても、ドイツ語で話されるのをよく聞いていると単語くらいならわかるときもある。また数字は指を使って言っているのでわかりやすい。
実際に英語の全く分からない人と会話する(道を尋ねる程度の会話だが)時には、私が自分の行きたい地名をドイツ語で言うと、相手が何やら質問してくる。私はわからない顔をする。時にはI'm sorry. No German.と言う。そうすると仕方なく相手は何やらドイツ語で言いながら説明し始める。私はその中のいくつかの単語から意味を想像し、Do you mean that 〜?と、英語で質問する。すると相手はその中のわかる単語を基に何か言う。このように私は英語、相手はドイツ語で言い合っているうちに、何やら少しずつわかってくる。双方しゃべりっぱなしという奇妙な会話をする。でもこれで通じた場面はいくつもあった。
本文には書かなかったが、光学器械で有名なカール・ツァイス本社のあるイエナに行ったとき、光学博物館に行きたくて道を尋ねた。いわれたとおり行っても行き着けなくて、結局三人くらいに尋ねた。ここはイエナ大学のある町であり、若者に尋ねるとそれはほとんどが大学生だったので、この町では英語が実によく話せた。・物価
物価は安い。飲み食いだけでいえば半額くらいに感じた。もちろん高いものもある。高いのは飲み水。それも炭酸の入っていないものが特に高い。それからコーラやファンタ。通常はレストランでなくケラーで食事をすることが多かったのだが、何を食べるかにもよるが安ければ食事が10DM、ビールは5DMくらいである。1DM=60円くらいなので、1000円で外での食事にビールがつくといえば、やはり安い。ただレストランにはいるとこの五割り増しくらいにはなる。それでも日本よりまだ安い。
私は入らなかったが、ライプツィヒ中央駅構内にはマクドナルドも入っていて、これからは物価も西側諸国並になっていくのではないだろうか。
ほかに衣服は随分安かった。ただ一般に高いものはあまり売っていない。生活必需品は安くて十分に用の足せるものをちゃんと売っているので、それらを組み合わせて生活していく分には、お金は少なくて暮らせるように思った。・ソーセージ
sausageは英語なので、ここではドイツ語でwurstヴルストといわなければならない。ヴルストはテューリンゲンのが有名である。テューリンゲンのヴルストは白くて長さは15cmくらい。3cm位の太いものであり、鉄板で焼いて食べる。焼くことをbrattennといい、そこからこれはテューリンゲン・ブラットヴルストと呼ばれている。この焼きソーセージを堅めのロールパンにはさんでマスタードをたっぷりつけて食べるのがここでの流儀。テューリンゲン州ではないドレスデンでも駅の近くの路上で、屋台に大きくThulingen Bratwurstと書いて売っていたのを、買って食べたが、たいへん美味しいものであった。スパイスのよく効いたヴルストは絶品である。
いちばん美味しかったヴルストは、アイゼナハのヴァルトブルグ城の駐車場で売っていた屋台でのもの。お腹がすいていたからかも知れないが、とにかくびっくりするほど美味しかった。
どうも太いソーセージというと、フランクフルトソーセージというイメージがあるので、帰りのフライトの途中、フランクフルト空港での待ち合わせの時間にカフェーに入ってフランクフルト・ブラットヴルストを頼んでみた。それは細長い20cm位のソーセージで、色は普通日本で売っているのと全く変わらないオレンジ色のようなものであった。かじると中はピンクで、味はといえば、日本の方がおいしいかな、という感じでちょっとがっかりだった。このソーセージが二本に小さいロールパンが付いていたので、食べ方はきっと同じなのだろう。ちなみにこのソーセージは焼いたのではなくゆでてあった。
驚いたのはライプツィヒのトーマス教会前で、お昼にしようとあるヴルストのテイクアウトの店に行ったところ、写真のメニューに何種類かのヴルストが映っている。よくわからないので同行の人が適当に「自分はこれ」と頼んだところ。店員の女の子が何やらさかんに言っているのだがまったくわからない。ようやくわかったのは、これが焼いていない冷たいソーセージだということだった。こちらでは通常パンは焼かない。飲み物や水も氷を入れて冷やしたりすることはない。ヴルストも種類によっては焼かないでそのまま食べるということがあるようだ。・ビール
ドイツに行ったら美味しいソーセージを片手に、ビールをもう片方の手にニコニコ顔の自分を想像していったら、どうも勝手が違う。ビールはそんなに美味しくない。味でいったらさらっとしすぎているあっさりしたビールばかりで、味わいがない。黒ビールもあったが、黒というよりは茶色で、これまた味わいがない。
わかったのはどこで飲んでも、日本のように味わいのあるビールはなかなかないということだった。ただ地ビールが多く、だいたいが生なので炭酸がきつくなく、飲みやすい。ピルスナーと書いたものが多かった。 つまりは特別な味がするということではなく、よく飲むということなのではないかと思った。うすくて爽やかなのでみんなよく飲む。
私は今回は歌を歌うことがあったので、あまりたくさんは飲まなかった。日本でよく売られていて有名なHeinekkenは、あまり好まれないようだが、あんな味が標準的であった。ただ、煮込んだりして複雑な味わいのドイツ料理には、お茶代わりとしてはよく合う。水の飲めない国ならではの産物なのではないかと思った。・サマーコンサート
私自身、ドイツに来たのは聖トーマス教会・クイトリンブルグ教会でのサマーコンサート出演のためであったが、この二つの教会だけでなく、本当にどこの町に行ってもサマーコンサートは行われている。それも古い教会などを会場としたものをである。古い教会は、修復費用を捻出するために観光客から見学料を取っている。私たちの感覚からいえば、教会は宗教的な場所なので見学料を取るのはおかしいが、神社仏閣は芸術でもあるので見学料(拝観料)は払うのが当然、ということになるのだが、ヨーロッパでは古い教会にお金を払って入場するのが普通である。見学料は通常4〜5DMであり、これに写真を撮るならさらに5DM追加になる。したがって場所によっては写真撮影許可料の方が高いこともある。
しかしそれとは別にコンサートホールとしても現役で使われているのだ。聖トーマス教会は見学料は取っていなかったが、サマーコンサートは有料である。
私たちの聖トーマス教会コンサートは高い席では40DMだった。これは2400円ということになり、物価から見ると随分高い。こういった決して安くないお金を払って、土地の人が、自分たちの教会に演奏会を聞きに、数多く出かけるのだ。これを文化と呼ばずして何といえばいいのだろうか。
古いものはそのまま活用する。パイプオルガンもちゃんとしっかり鳴らして次の世代に引き継いでいく。特別なものには決してしない。この心がけによって音楽も引き継がれている。魂も引き継がれている。伝統が守られている。商業ベースに乗せられただけの日本のコンサートとは根本的に違うのだ。文化とは何かを教えてくれる。
文化とは、身近な所にあるものを大切にし、丁寧に扱い、そういう日々を過ごす中で子供に伝え、共に守っていくことだ。そうしていつか世代が変わり、ただ共通点としては「生きている」といことを軸として、生きているからこそ感じること、できることを保っていくという、脈々たる行為の連続なのだと私は思う。だからこそ、それらのどこをとってもどの切片を見つめても、そこに「生き生きした人生」が見えるのだろう。もちろんバッハの歌に見られる生き生きしたものも、そうやって作られてきたのだろう。
バッハを歌うことは、実はそういう人間の脈々とした文化の力を高らかに褒め称えることでもある。生きている人間の賛歌だからこそ尊いのである。
【編集後記】
日下さんの大「紀行文」が7回の連載をもって完結した。前半を一緒に旅した者として、これだけのものが書ける文筆力に感服している。ただ、一点だけ反論する失礼を許していただきたい。私はバッハがドレスデンを目指したとは思わない、いや、思いたくない。バッハは、ルター派の信仰をまもり、整った教会音楽の実現を望んでいたのだと思う。だからこそ、彼はクラヴィーア前奏曲やフーガの技法といった器楽曲にまで聖書の内容を忍び込ませたのであろう。ドレスデンの宮廷の豪華さや教会のオルガンには憧れたかも知れないが。
電池が老朽化したこともあって、携帯電話を新しいものに変えた。ついでにメールも使えるようにした。しかし、まだまだ使い方になれていないため、新機能に手こずっている。先日も、娘からのメールを読むのに20分も悪戦苦闘した。どうやら中年(初老、老年?)には新しいものは不向きなのかも知れない。素早い返信を期待しない方はご利用ください。(蛙)
2005/07/23 14:18