イタリア紀行(03.12.10〜19)
ミラノーヴェローナーヴェネツィアーラヴェンナーサンマリノーフィレンツェーシエナーアッシジーローマ
Voyage en Italie, Sight-seeing in Italy, Italienische Reise

Dec. 10 ~19, 2003

Milano(Milan)- Verona- Venezia (Venice)- Ravenna- San Marino- Firenze (Florence)- Sienaー Assisi- Roma (Rome)


    チューリヒ空港の乗り換えエスカレータ

スフォルツェスコ城壁の角にある円筒状天守閣

         
     
ミ ラノにて、 ドウモ見学、市内観光。ドウモの前面は改修工事中で見れない。横のヴィットリオ・エマニュエル2世通り商店街夜景。
 

スフォルツェスコ城博物館の武器室の展示品の一つ

        
スフォツェスコ城博物館の入り口のプールのある中庭

 


   スフォルツェスコ城前の花屋さん店頭

           
ミラノ市内のイタリア側ガイド。実際は在留の日本人がするが、規則上イタリア人が必ず随行するシステムになっている。


   

 スフォルツェスコ城博物館

   

    

    ミラノ市内街路にあるクリスマスイルミネーションの一つ

  

     

  

ロメオとジュリエットの町、ヴェローナの広場にて

ヴェネツィアの運河を行くフェリーからから見る街のwaterfront
ヴェネツィアの運河にかかる橋の上で
背景にバイロンの詩に出て有名になったという「ため息橋」(Ponte de soupire)。運河の左側にある裁判所と右側の刑務所を結ぶ石造りの高架橋。

ヴェネツィアのlandmarkの一つ、ドカーレ宮殿。ゴシック式建築の代表例。 Ducaleとは、英語のDukeと同じ「大公の」という意味で、要するに領主館、市役所のような機能がある。
ヴェネツィアの陸地側にあるスタジアムの脇にあるホテル。旅行中一番よい宿だったが一泊のみ。
ヴェローナのジュリエットの家の前で。ジュリエットの彫像に触ると女性は幸運に恵まれるとの伝説があり、胸の乳房の周りはテカテカ光っている。
ヴェネツィアの海岸通り。陸地との連絡フェリーや市内の無数の運河に行くゴンドラの発着する桟橋が並ぶ。霧にかすむ鐘楼はサンマルコ広場に立つ。
ラヴェンナのレストランにて。
サンマリノの山の上、たそがれ時の眺望。アペニンの山並み。

サンマリノは人口2万7千人、面積61平方キロの独立国。1700年前建国。海抜750mの山頂にあり、消費税なし、医療、教育無料の天国。観光、農業、製造業が主産業。60名の代議員と6ヶ月交代の2名の大統領よりなる政府がある。防衛、警察はイタリアに依存するが、第2次大戦時も中立を維持したといわれる。92年国連加盟。
アッシジの山の上、オリーブ畑の真ん中にあるレストランで。秀逸な料理が出た。

サンマリノのドウモの前面
同上

サンマリノの城壁、天然の要害

サンマリノの夕暮れ
サンマリノの町をお城から見下ろす。晴れていれば、10キロ先のアドリア海、リミニ方面を眺望できるはず。
サンマリノ城郭内のバラ園。
フィレンツェを貫流するアルノ川をミケランジェロ広場から見下ろす。ポンテ・ヴェッキオ(古い橋)が見える。
フィレンツェのミケランジェロ広場からドウモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会)方面を見る。ドウモ(Duomo)とは、ドームの語源で、イタリアの町の中心となる教会、いわば鎮守様である。丸屋根(キューポラ)は、2重曲面壁構造で内部に螺旋状通路があり、頂上展望台まで登れる。直径45m、高さ90m。ブルネッレスキの設計による。左側に見えるのが「ジオットの鐘楼」。
ミケランジェロ広場のダビデ像
フィレンツェ・シニョーリア広場のダビデ像
ウフィツィ美術館5階の通路窓からポンテヴェッキオを見る。

ヴェキオ橋の上部構造は通路で、対岸のピッティ宮殿(新宮殿)からウフィッツィ(office事務所)に領主が通勤するために設けた。橋の1階には宝石店が並ぶ。もちろんホコテン。
アルノ川の水は乳緑色に濁っていて綺麗ではない。フィレンツェにはグッチ、フェラガモ、フェンディなどの本社工場があり、皮革加工工場の出す廃水のせいかもしれない。
ヴェッキオの   アーチ明るし   冬朝日
フィレンツェのメディチ家の邸宅ピッティ宮殿。ルネッサンス建築の代表例。
フィレンツェの街角
フィレンツェの宿、BestWestern。
シエナのメディチ城
アッシジのレストランの犬
パン焼き釜
アッシジ、サンタ・キアーラ教会
美しい紅白の大理石を積み込んだだファッサード
聖フランシスコ教会の見えるオリーブ山
聖フランシスコ大聖堂ファッサードと鐘楼
アッシジ、聖フランシスコ大聖堂前の傾斜地に設けられたクリスマス飾り、キリストの馬小屋での生誕シーンを現すNativity。フランス語ではCreche(飼い葉おけ)という。
後ろの針葉樹は糸杉というこの地方に多い樹木。
アッシジ、聖フランシスコ大聖堂前広場
ローマのヴァティカン、サンピエトロ大聖堂内の入って右手の空間にあるミケランジェロ作「ピエタ(憐れみ)」。ガラスで区切られている。フラッシュが使えないので、手ぶれに用心しながら撮影。
サンピエトロ大聖堂内部
サンピエトロ大聖堂内の壁にある天使のレリーフ。美しい彫像である。
サンピエトロ大聖堂前のエプロンにて。左側の建物最上階に法王の居住空間がある。
サンピエトロ前広場で、同心円上の半径方向に4重に配置された列柱全部がそれぞれ一本に見える地点(半円の中心点)にて。聖堂に向かって左側半円部分。撮影には好都合な光が順方向になる右側の列柱は、クリスマスの装飾工事中のため、中心点にカメラが入れなかった。
サンピエトロ大聖堂前景
フォロ・ロマノ(古代ローマの中心地)遺跡前にて。右手前側にコロッセオ。
コロッセオ前にて
トレヴィの泉にて
ヴェネツィア広場付近の風景。トラヤヌス記念碑などがある。
Traianus(在位AD98−117)帝政中期五賢帝の一番目。属州スペインの出身。ダキア(現ルーマニア)の征討戦に成功。その記録は、瑞穂の後ろに見える尖塔の周囲にらせん状に200mにわたり、114の場面が刻まれたレリーフに残っている。ドナウ川に1135m、高さ27mの石橋を架け、北方蛮族に対する防衛線を確立した。、、
ヴェネツィア広場にて。カメラの後方に、ローマの街の中心の目標建造物ヴィットリオ・エマニュエル2世記念碑がある。

スフォルツエスコ(Sforzesco)城大手門前噴水

 スフォルツェスコ城内広場
ミラノは近代都市で、第2次大戦でほとんど破壊したため、ドウオモとこの城以外は古い建物は残っていない。内部は博物館で、エジプトのミイラからピカソの画まで、珍しい展示品が無料で見られる。

ヴェローナの朝市にあったブロッコリ(カリフラワ?)の頭。きれいな円錐で螺旋状の葉序を示す。

あとでわかった名前:ハナッコリー
「ブロッコリー」と中国野菜「サイシン」をかけ合わ
せてできた野菜です。

真実の口。「ローマの休日」で、グレゴリーペックがふざけて差し入れた手が抜けなくなるジェスチャーを王女のヘップバーンが真に受けてあわてるシーンで有名になり、観光客の長い行列ができて手を入れる順番を待っている。特徴のある形をした鐘楼のある小さな古い教会「サンタ・マリア・イン・コスメディン」の入り口にある。
位置的には、ヴェネティア広場からかなり歩いてマルチェロ劇場跡の先にあり、フォロ・ロマナまで戻るにはかなり遠い。映画との因縁が無ければ誰もわざわざ行きたいとは思わないところだ。
フォロ・ロマーノ(古代ローマの政治・祭祀活動の中心地 Roman Forum)の真ん中あたり。シーザーの火葬場所跡で。向こうの鐘楼の立つ建物はカンピドーリオ広場の市庁舎。奥に「セヴェルスの凱旋門」。左後方数本の列柱が残るのがサトウュルヌス(農業の神)の神殿で、国庫の金銀が保管されていた場所跡。右端の大きな赤レンガの建物はCuria(元老院)であるが、BC44年3月15日のシーザー暗殺は、1キロぐらい西北に離れたポンペイウス劇場で開かれていた元老院会議での事件。シェークスピアの「ジュリアス・シーザー」第3幕第2場で、マーク・アントニーが、シーザーの遺骸を前にしながら、ブルータスやカシアスなど暗殺者達を糾弾する追悼のアジ演説を打ち、次第に追い詰めてゆく緊迫の演技を見せる見せ場、聞かせ場の舞台になったのはこのあたり。
「友よ、ローマ人よ、同胞よ、あなた方の耳を貸してくれ!」とアントニーの叫び声が響いて来そうなところです。

Friends, Romans, countrymen, lend me your ears.
I come to bury Caeser, not to praise him.
The evil that men do lives after them;
The good is oft interred with their bones.
So let it be with Caesar. The noble Brutus
Hath told you Caesar was ambitious.
If it were so, it was a grievous fault,
And grievously hath Caesar answered it.
Here, under leave of Brutus and the rest-
For Brutus is an honorable man,
So are they all, all honorable men-
Come I to speak in Caesar's funeral.
He was my friend, faithful and just to me;
But Brutus says he was ambitious,
And Brutus is an honorable man.
He hath brought many captives home to Rome,
Whose ransoms did the general coffers fill.
Did this in Caesar seem ambitious?
When that the poor have cried, Caesar hath wept;
Ambition should be made of sterner stuff.
Yet Brutus says he was ambitious,
And Brutus is an honorable man.
You all did see that on the Lupercal
I thrice presented him a kingly crown,
Which he did thrice refuse. Was this ambition?
Yet Brutus says he was ambitious,
And sure he is an honorable man.
I speak not to disprove what Brutus spoke,
But here I am to speak what I do know.
You all did love him once, not without cause.
What cause withholds you then to mourn for him?
O judgment! Thou art fled to brutish beasts,
And men have lost their reason. Bear with me;
My heart is in the coffin there in with Caesar,
And I must pause till it come back to me.
友よ、ローマ市民よ、同胞諸君、耳を貸していただきたい。
今、私がここにいるのは、シーザーを葬るためであって、讃えるためではない。
人の悪事をなすや、その死後まで残り、
善事はしばしば骨とともに土中に埋もれる。
シーザーもそうあらしめよう・・・・・高潔の士ブルータスは諸君の前に言った、シーザーは野心を懐いていたと。
そうだとすれば、それこそ悲しむべき欠点だったと言うほかはない。
そしてまた、悲しむべきことにシーザーはその酬いを受けたのだ・・・・・
ここに私は、ブルータスおよびその他の人々の承認を得て、
それも、ブルータスが公明正大の士であり、
その他の人々とて同様、すべて公明正大の人物なればこそ、今こうしてシーザー追悼の言葉を述べさせてもらえるわけだが・・・・
シーザーはわが友であり、私には常に誠実、かつ公正であった。
が、ブルータスは言う、シーザーは野心を懐いていたと。
そしてブルータスは公明正大な士である・・・・
生前、シーザーは多くの捕虜をローマに連れ帰ったことがある、
しかもその身代金はことごとく国家に収めた。
かかるシーザーの態度に野心らしきものが少しでも窺われようか?
貧しきものが飢えに泣くのを見て、シーザーもまた涙した。
野心はもっと冷酷なもので出来ているはずだ。
が、ブルータスは言う、シーザーは野心を懐いていたと。
そして、ブルータスは公明正の士である。
みなも見て知っていよう、過ぐるルペルカリア祭りの日のことだ、
私は三たびシーザーに王冠を捧げた、
が、シーザーは三たび退けた。果たしてこれが野心か? 
が、ブルータスは言う、シーザーは野心を懐いていたと。
そして、もとより、ブルータスは公明正大の士である。
私はなにもブルータスの言葉を否定せんがために言うのではない、
ただおのれの知れるところを述べんがために、今ここにいるのだ。
みなもかつてはシーザーを愛していた、もちろん、それだけの理由があってのことだ。
とすれば、現在いかなる理由によって、シーザーを悼む心を抑えようとするのか?
ああ、今や分別も野獣のもとに走り、人々は理性を失ってしまったのか!・・・みな、許してくれ、
私の心はあのひつぎのなかシーザーと共にあるのだ、
それが戻ってくるまでは先が続けられぬ。
(新潮世界文学1シェークスピア「ジュリアス・シーザー」福田恆存訳)
フォロ・ロマーノ内の柱脚台石に彫られたレリーフ
セヴェルスの凱旋門をカンピドリオ広場側から見る。映画「ローマの休日」でヘップバーンのアン王女がうたた寝しているところにペック扮する新聞記者が通りかかる出会いのシーンの背景になった。
左Curia(元老院)。右の低いところの日の当たっているレンガ積みのRostrumと呼ぶ演説台があり、この上にシーザーの遺体が置かれ、暗殺後の後継政権争いの中で政論家として活躍し殺されたキケロの首とアントニー弾劾などに健筆を揮った右手がさらされた。右から左斜めに延びる道が「聖なる道」。右手高台が「パラティーノの丘」で、ローマ時代の高官達の邸宅街だったところ。
セベルス(在位AD193-211):マルクス・アウレリウス帝の後継をめぐる内乱に勝って帝位についた軍人皇帝。北アフリカ(カルタゴ)の出身。軍国化し国力消耗の原因になった軍制改革を実施。オスティアから、ナポリ方面に向かう海岸沿いの街道を建設した。浴場で有名なカラカラ帝の父親.。この凱旋門は、後にササン朝ペルシャの勃興を促進し、ローマ帝国崩壊の遠因にもなった、パルティア遠征戦争の勝利を記念して建てられた。64歳でスコットランド遠征戦役中、ヨークで病死。
ミケランジェロが設計したカンピドリオ広場の市庁舎前の階段横のレリーフ。
カンピドリオ広場の真ん中に立つ、哲人政治家、マルクス・アウレリウスの騎馬像。3世紀頃製作のブロンズ製オリジナルのコピー。
Marcus Aurelius Antoninus (121-180)、ローマ皇帝(161-180)。良心的皇帝として、軍事的才能は乏しかったにもかかわらず、治世のほとんどをドナウ川以北の北方ゲルマニア蛮族、東方パルティア(現在のイラク、イラン方面)に対する国防戦争に率先従軍している。戦場において、軍事の合間に自分のためだけの備忘録をギリシャ語で書いた。Pensee (Meditation、「自省録」として岩波文庫に収録)。ストア哲学的倫理観(公的利益を優先する人生観)を唱導した人だそうである。59歳、対ゲルマニア戦役に従軍中前線のウイーンで病死。オリジナル騎馬像がその後のキリスト教会によるローマ帝国遺産の破壊を免れたのは、キリスト教を初めて国教と決めたコンスタチヌス帝と間違われたためと言われる。

馬具としての鐙(あぶみ)の発明は中世以後だそうで、皇帝の馬でも鞍らしいものは見えない。医学の祖、ヒポクラテスは、長時間ぶら下げたままでいるためのうっ血による脚の病いを、騎士の職業病であると記しているそうである。
同上、
「自省録」より
「時というものはいわばすべて生起するものよりなる奔流である。」
「人間は公正で善良でありうるかなどと、果てしない議論を続けるのは許されない。公正に善良に行動すること、のみが求められるときが来ている。
自分の人生に出会うための言葉―ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの人生訓
マーク フォステイター (著), Mark Forstater (原著), 池田 雅之 (翻訳), 高井 清子 (翻訳)
英訳全文はマサチューセッツ工科大学のサイトに収録あり

ナヴォーナ広場にある、ベルニーニ設計の四つの河噴水(ナイル、ガンジス、ドナウ、ラプラタを擬人化)
ナヴォーナ広場のクリスマス市の天幕店舗で、季節の縁起物を売っている。
ボルゲーゼ美術館。カノーバ、ベルニーニの彫刻の名作が沢山ある。超一級品のコレクション。
「パオリーナ・ボナパルト像」、「アポロとダフネ」、「投石器を持つダビデ」、「プルートとプロセルピーナ」、など。
絵画では、ラファエッロの「キリストの埋葬」ティッツィアーノの「聖愛と俗愛」など。
スペイン広場の階段の上で。
ここも「ローマの休日」の舞台として有名。長髪をバッサリ切って髪型を変えたアン皇女が、ソフトクリームを舐めながら階段を下りてくるところへ、偶然を装って新聞記者のペックが再会するきっかけを作る。
階段を下りるとローマきっての高級ブティク街、コンドッティ通りの入り口。ブランド品目当ての日本人で賑わうが、バーバラ・ヴァイン(ルース・ランダルの改名)の「誘拐」というミステリーでは、別名「誘拐通り」と呼ばれる。家族が身代金目的の誘拐犯罪組織の標的になった資産家の老舗が多いという。
同上。坂の上にある一対の鐘楼のある教会は、トリニタ・ディ・モンティ。中を見ようとしたが入れてくれなかった。
ツアー添乗員の警告では、この辺はスリが多いと言う話で、注意しているとそれらしい怪しい若者がいたようだが、オフシーズンのせいか、それほど危険な雰囲気はなかった。
オベリスクはエジプトから運んだ。ローマ市内にはオベリスクが方々にある。かつての地中海世界の支配者として君臨したローマ帝国の栄光の痕跡である。

ボルゲーゼ公園内の美術館通りがヴェネト通りに繋がるピンチアーナ門からは、動く歩道もついた長い地下道がスペイン広場に通じていることがわかった。地上部経由では長い迂回路になるのでどうしようか迷ったところだ。
パンテオン。ローマ時代から残る建物としては最も良好な状態で原型をとどめている。
表は角型の神殿、奥は円形ドームの広い空間で、建国の父 VittorioEmanuelleII、ラファエッロ などの墓所となっている。

コンドッティ通りからは、コルソ通りで左に折れ、横町を通りここまでくる。広場奥のマクドナルドでアイスクリームを食べた。周囲にあるカフェやバーに入る人は疎らだが、MacD は外国から来たと見える若者で溢れている。やはり気心の知れたアメリカ的安直さに人は流れるようだ。
ここからナヴォナ広場はすぐ近くで、下院や政府機関があり、道路には警官が大勢立っているが、道を聞いても要領を得ない。役所の警備が本職だから無理もない。
パンテオン内部のキューポラ。真ん中に明り取りの天窓(直径9m)が開いている。
前の写真で瑞穂の頭の陰になっている正面の軒に、最初この神殿を建築したアグリッパの名があるが、初代皇帝アウグスツスの右腕として帝政の草創期に活躍した武人。このキュポラ部分は中興の皇帝ハドリアヌス(在位AD117−138)が建設した。全ての神を等しく祀るために、円形状の壁面とし、彫像を飾った。ローマ人の多神教的世界観を象徴したユニークな建築物である。キリスト教時代には教会に転用されたため、キリスト教徒による破壊を免れた。
サンタンジェロ(聖天使)城前の橋の上にて。
これもハドリアヌス皇帝が建設し、その後の皇室関係者の墓所となったが、カトリック教時代に入り、教皇庁で使用した。

「ローマの休日」でボート上でのダンスパーティーの舞台になったテーベレ川が下を流れる。
ホテルに帰る881(オト・オト・ウノ)番バスのターミナル(パオラ広場)の近く。
チューリッヒ空港内の電話機。スイス国旗は赤地に白十字で、赤色が国のシンボルカラー。イタリアは緑。
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長いページを閲覧いただきありがとうございました。.

(BGM:アルベニス「スペイン組曲」から「タンゴ」)