1996年12月29日
札幌から成田までは、中国旅行への期待に胸を膨らませ旅は順調に進んでいた。旅行会社でチェックインを済ませ、国際線ゲイトをくぐる。まっすぐ、中国国際航空の待ち合いゲートにいく。表示を見ると約1時間出発が遅れている。ま、中国の国際線ならこれくらいは仕方ないかと思い、のんびりと待合室で待っていた。この遅れがこの後、中国国内での散々な目に会う前兆だとは、われわれ4人は気がつく由もなかった。
15:45、予定よりおよそ1時間遅れて中国国際航空は成田を離陸した。機中から見える、東シナ海に見える漁り火が街の明かりのようでとても綺麗だった。北京に到着したのは、21時近かった。空港は、日本の国際空港と比べても10年ほど遅れている設備のようだ。通関を済ませ旅行会社のバッチを胸につけ外に出る。我々のほかに、同じバッチをつけている千葉からきた家族四人(この時は、まだ名前すらお互いに知らなかった。)もガイドを探している。背の高い、ガイドが旅行会社の看板を持って待っていてくれた。そこでそれぞれ挨拶をし空港の外に出る。 外は、何かばい煙臭い、昔の札幌の冬(昔は石炭で暖房していた)のようなにおいだ。車中で明日の予定などの説明を受け、ホテルへ。
ホテルは、北京シャングリラ。考えていたホテルよりもかなり豪華なホテルだった。中は、中国というよりもヨーロッパのホテルを彷彿とさせる。驚いたのは、年末だというのにクリスマスムードいっぱなのだ。ともかくこの日は移動で疲れたので各自部屋に入り早早に寝た。1996年12月30日
二日目、北京の朝は霧(スモッグか?)で明けた。6:00起床部屋の窓より下を見下ろすと、大きな荷台にたくさんの荷物を積んだ自転車がたくさん走っている。自動車も想像以上に多い。あの自転車も群れを見ると。ああ、北京にいるんだなと実感される。
朝食は、これはどこにいっても同じだ、バイキング。特に美味しかったものはないが、おかゆが気に入った。
8:00ガイドが迎えにきた。昨夜遅くに到着したという大坂からの夫婦二人が仲間に加わり出発。この日は、”天安門広場”にいく。まずは、天安門広場近くの中国特産みやげ物店に連れて行かれる。ここで、私はいきなり掛け軸を買ってしまった。ケースに入ってはいるが長くてスーツケースに入らない。手に持って歩くことのする。香港返還が待ち遠しいのかこんな表示をあちこちで見かけた。
天安門広場は、テレビで見たとうり広いところだった。毛沢東のでっかいプロマイドもそのままだ。地元の人が凧上げをしている、これが上手いのだ。しばらく、見とれていた。この広場での事件は、今ではすっかり忘れ去られているかのようだ。
昼食を食べる。特に美味しい物ではなかったが。中国で中華料理を食べる最初のものとなる。食後少し時間があったので、食堂の近くを散策する。屋台で野菜を売っていたり、いろんな小さな店が軒を連ねている。また、こちらのタクシーは日本でいえば軽自動車(スズキキャリーバン、ダイハツハイジェット)を使っている小型車(ダイハツシャレード)も走っているが軽自動車のほうが圧倒的に多い。バスは二台連結のかなり大きなのが走っている。日本では絶滅した、とローリバスも走っていた。
食事を終え、北京空港に向かう。空港使用料50元を払い、ガイドより国内線の受付の仕方を教えてもらい、中に入る。さて、西安行きのカウンターはと見ると長蛇の列、なんじゃこれは。表示を見ると何と遅れているではなか。13:15分のはずが、15:00になっておりチェックインも始まっていない。。まあ、これが中国なのだろう、と思い列の最後尾に並ぶ。日本人、ロシア人、ドイツ人さまざまな国からきているんだなとのんびりと構える。しばらく待って(30分くらい)やっと始まった。みんな争うようにチェックインを始める。周りにいた、日本人観光客に聞くと昨日も遅れて結局飛ばなかったそうだ。え!そうすると此処にいるのは昨日と、今日の分の客なのか。ここで少し不安になる。当日の客優先のようだったのでチェックインを済ませて中に入る。待合室は円形になっていて円周にそって、行き先別の待合室がある。我々が乗ることになっている飛行機の表示のある待合室に入る。それにしてもすごい人だ、ごった返している。
ところが、遅れている表示が次々と時間変更される。段々遅れていく。理由は、西安空港大霧のため向こうからくる飛行機がまだきてないそうだ。なんだと!じゃ、まだ北京には我々が乗る飛行機がないのか。待合室のアナウンスは中国語だし、たまに流れる英語のアナウンスは聞き取りずらい。不安が募る。札幌組の我々四人のうち私を除いた女性三人は中国語をある程度知っており、あちこち聞いて回る。それによると天候回復次第飛ぶとのことなのでその言葉を信じひたすら待ち続けた。
周りは、ますます人が増え座る椅子もない。ロシア人の団体は比較的冷静だ。彼らの国もこんな調子なのだろう我々が聞いてきた情報を英語で尋ねてきたりして彼らなりの情報収集をしている。ドイツ人の団体は中国人添乗員を取り囲み食って掛かっている。すごい剣幕だ。ドイツではこんなことは、ほとんどないのだろう。添乗員も何もわからないのに。我が同胞、日本人観光客団体はといえば諦め顔で、座りこんでいる。言葉は分からないし、疲れているのだろう。動き回っているのは添乗員だけ。その添乗員にしても情報を我々に聞きにくる始末。待合室内は混乱しまくっている。
外はすでに暗くなり17:00頃我々十人は、旅行会社の中国連絡先に連絡し今後の身の振り方を聞くことにした。中国語のできる女性三人の中で一番中国語に堪能な小田切さんと石川さんが代表して電話をした。ところが電話に出た係りの人は、”私はわかりません”の一言。”こちらに連絡してくださいと”電話番号を知らせただけで切られてしまった。その電話番号にかけると早口の中国語で聞き取れず、切られてしまう。もう一度かけると何もいわずに切られてしまった。何てことだ!我々の不安は頂点に達した。
20:00頃、聞き取りずらい中国語のアナウンスで飛行機は飛ばないことを確認、7番受け手受けにいくようにとのこと。待合室を出てその場所を探す。うろうろしていると、航空会社の係りに、このバスに乗るようにと案内される。バスに揺られること1時間ほど、ホテルに到着。昨日のホテルとは大違いだ。フロントでは、チェックインの人でごった返している。部屋が決まり落ち着いたところで食事が用意されているとのことで、食堂にいく。我々十人は一つのテーブルにつき北京ビールで乾杯をする。食事はうまいと言えるものではなかった。とにかく今夜はベットで寝ることができる。
ここで、皆さんの紹介
千葉から内藤さん一家、ご夫妻と息子さんと娘さんの四人。大阪から広瀬さんご夫妻。そして我々札幌から四人の計十人がこの旅行のメンバーだ。これから先この十人が一致団結していくのである。
”労働大厦”というホテル中国では二つ星だそうだ。
日本人には、かなり厳しい環境だ、この映像ではテレビが映っているが、かなり調節をして映るようになったのだ。小田切さんと石川さんの部屋のテレビはとうとう写らなかったそうだ。
ご覧のように、この日はシャワーを使えませんでした。どこの部屋も同じ状況だったようです。