逢いたい






 その光景を、ヒカルは別段気にも留めていなかった。
 森下門下の研究会が終わり、帰り支度をしながら中国で最近勝ち上がってきている棋士の話なんかをしていた時だった。
 ふいに冴木の携帯電話が鳴り、ポケットから携帯を出した冴木が慌てた様子で部屋の外に出ていくのを、特に興味があったわけでもなくぼーっと見ていただけだった。
 羨ましげに呟いたのは和谷だった。
「いいなあ、冴木さんラブラブみたいだなあ」
 その言葉を、ヒカルと同じくとりわけ冴木の様子を気にしていたふうではなかった白川が聞き返す。
「ラブラブ?」
「そうっスよ。白川先生知らなかった? 冴木さん、先月から彼女持ちなんスよ」
「へえ!」
 白川が面白そう、といった表情で目を大きくさせた。
 ヒカルも少し驚いて、冴木が消えたドアを思わず振り返る。
「冴木さん、カッコいいもんなあ」
 ヒカルは冴木の隣に並ぶ女の子を想像し、きっと可愛らしい彼女なんだろうと頬を緩める。
 冴木は顔立ちがシャープに整っていて、長身で服のセンスもいい。見た目だけでも女の子にモテそうなのに、性格も穏やかで後輩たちからの信頼も厚い。
 そんな冴木に彼女がいるというのは、ごく自然なことのように思われた。
「そうそう、だから大変みたいだぜ」
「何が?」
「冴木さん、モテるからさ。ファンの子に見つかるものアレだから、デートとか結構離れたところまで行ってるみたい。逢いたい時にしょっちゅう逢えないってボヤいてたよ」
 和谷の説明に、ヒカルは目を丸くした。
「ファン??」
「そうだよ。知らないのか? 冴木さん、小さいけどファンクラブあるんだぜ。今度ネットで冴木さんの名前検索してみろよ」
 白川が実に楽しそうにうんうんと頷いた。
「たまにファンの子が棋院に見学に来たりしてるみたいだね。サインをねだられているのを何度か見たよ」
「へえ〜、冴木さんすげえ」
 なんだか芸能人のようだ。ヒカルが素直に感動しているのを見て、白川が苦笑する。
「高段になるにつれていろいろなところに露出が増えるから、自然とファンがついたりするようだね。進藤くんも、オシャレでカッコいいからそのうち追っかけられるようになるよ」
「マジ〜?」
「おい進藤、俺より先に彼女作るなよ」
 和谷に睨まれて、ヒカルはアハハとわざとらしく笑ってみせた。
 ――彼女はいないけど、彼氏ならいます。
(なんか彼氏って言い方ホンモノっぽくてヤだな……)
 ヒカルが密かに自己嫌悪に陥っていると、電話を終えたらしい冴木がいやに機嫌の良さそうな顔で戻ってきた。
 和谷がその様子を見て、心底羨ましそうに口唇を尖らせる。
「くそう、俺も彼女欲しいなあ。進藤、今年のクリスマスもオールでリーグ戦だからな!」
「うええ、マジかよお」
 ヒカルは去年のクリスマスイブを思い出す。
 彼女のいない和谷、伊角、本田、門脇とヒカルの五人でカラオケに繰り出し、その後和谷宅で朝まで延々と打ち続けた。ほとんど一睡もしないでひたすら打ち続け、頭も身体も朦朧とする中に一抹の淋しさが漂う悲惨なクリスマスイブだった。
 どうやら、今年も去年同様のメンバーが集まりそうだった。つまり、全員未だに彼女ナシということである。
 彼女はいないが、実は密かに恋人がいるヒカルが何故今年も参加予定なのかと言うと、ヒカルの大切な恋人はてんでクリスマスなんて頭になかったらしく、その日にしっかり仕事を入れてしまっていたからだった。
『なんでも、その日は都合のつかない人が多いみたいで、人手が足りないみたいだよ』
 しれっとした顔でそんなことを言っていたアキラに、そりゃそうだろうとツッコんだヒカルだったが、アキラにはその意味がよく分からないようだった。
 どうやら、塔矢家には特別にクリスマスを祝う習慣がなかったらしい。
 うちはキリスト教の信者じゃないしね、と大真面目で語るアキラの頭には、恋人たちのクリスマスなんてさっぱり頭にないようだった。
(それで去年のクリスマス、アイツ何にも言ってこなかったんだな)
 クリスマスに一緒にいられないなんて、と拗ねてみせたら、アキラは困った顔をしてしまった。まさかヒカルがそんなことを言い出すとは思ってもいなかったらしい。悪かったと謝ってはくれたが、実際本人は自分の何が悪いのか理解しきってはいないだろう。
 なまじ誕生日が近いから余計に感心が薄らぐのだろうか?
 もちろん、ヒカルも誕生日であれだけ悩んだのだから、プレゼントを用意したりなんて考えてもいなかった。でも、せっかくだから二人でちょっとイチャイチャなんてのもいいかな、と一人妄想を膨らませていたというのに。
「なんで仕事入れちゃうかなあ」
「え? 何だって?」
 和谷に聞き返され、無意識に頭の中の考えを口にしていたことに気づいたヒカルは慌てて笑ってごまかした。
 ただの仕事ならまだいい。仕事の後に、夜いくらでも会えるはずだった。
 ところが二十三日から二十五日まで、アキラはびっちり札幌に飛ぶことになっていた。緒方の十段防衛戦、第二局目の解説を任された翌日は、各雑誌の取材に費やすことになっている。二泊三日の出張から、帰ってくるのはほとんど夜中のようだ。
 さすがに海を越えられてはどうしようもない。寂しさは感じるが、それでも思ったよりは素直にその報告を聞き分けていたヒカルがいた。
 一週間ほど前に、アキラの誕生日を二人きりで祝ったばかりだからだろうか。クリスマスに会えなくても、心が満たされている気がする。
 優しくて暖かいアキラと、一晩中くっついて過ごしたあの夜。ケーキもたらふく食べた。食べ過ぎて胸焼けを起こしたくらい。あの日のうちに、ヒカルの中でクリスマス分の幸せが溜まっていたのかもしれない。
 そう、あれからまだ一週間しか経っていない。チャージされた幸せは、なんとかクリスマスが終わるまで持ちそうだ。
 ――逢いたい時に、しょっちゅう逢えない、か。
 冴木に比べれば、贅沢な悩みなのかもしれない。
 ヒカルは喚く和谷の隣で、今年も淋しい野郎達の虚しい夜に付き合うことを覚悟した。







時期外れのクリスマス。
全っ然気分出ませんが、フィーリングで読んでいただけると
大変ありがたく……マイペース配分ですいません……