逢いたい






 その夜ヒカルは、明日の札幌出張の支度をするからと早々にネットから落ちたアキラが消えたネット碁で、淋しくマウスを走らせていた。
 数人と打ってみたが、物足りなさは否めない。ヒカルもまた、今日のネット碁を終了することに決め、ネットサーフィンに切り替えることにした。
 さすがにパソコンを入手して三ヶ月ともなると、ネット碁や棋譜作成以外にもそれなりに楽しむ方法を見つけ出している。最近ではネット上での検索を覚えたため、ヒカルのお気に入りサイトも徐々に増えていった。
 昨日テレビで見た歌手の名前でも検索しようかと検索画面を開いて、ヒカルはふと今日の和谷との会話を思い出した。
『冴木さん、小さいけどファンクラブあるんだぜ。今度ネットで冴木さんの名前検索してみろよ。』
「どれどれ……」
 早速検索単語に「冴木光二」と入力して、いざ検索ボタンを押す。
 数秒後、ヒット数が千を越える検索結果の表示にヒカルは驚いて仰け反った。
「うわっ、すっげえ! こんなにヒットすんのか!?」
 試しに目についたサイトをいくつか開き、日本棋院のホームページから、和谷が言うようなファンが作ったらしいファンサイトまで様々なページが表示される。
 全ての記事が冴木を中心に扱っているわけではないようだが、中には「冴木さん大好き!」なハートが乱れ飛ぶような個人サイトもあり、ヒカルは奇妙なカルチャーショックに襲われていた。
 こんな愛情表現があるとは知らなかった。知り合いでもなんでもない人が、好きだという気持ちを込めて思い思いのサイトを作っているなんて。
 それが芸能人相手ならまだ分かるのだが、囲碁なんて地味な世界で、しかもヒカルのよく知る人がこんなふうに取り上げられているのが信じられない。
「すげえんだな、ネットって。ちょっと他のヤツでも検索してみるか」
 ヒカルは思いつくままにどんどん知り合いの名前を検索してみる。
 和谷義高。ヒット百三件。そのほとんどが棋院関連のページだった。低段の和谷はまだ冴木ほどの知名度はないようだった。
 伊角慎一郎。ヒット八十五件。ヒカルや和谷に遅れてプロ入りした伊角もまた、思ったほどのヒット数はなかったが、一部熱狂的とも言えるファンサイトを発見した。どうやら固定のファンがすでについているらしい。
 緒方精次。ヒット三万件! さすがに三冠は伊達じゃないようだ。
 塔矢行洋。――ヒット十万件突破!
「おおっ、さすが塔矢先生!」
 ヒカルは思わず画面を見て唸った。
 世界を股に掛けて活躍する行洋は、ニュースサイトの関連記事だけでも相当の件数が引っかかっているようだった。
 ヒカルは最初の数件のサイトにフムフムと目を通し、それではいよいよと気合を入れてキーボードを叩く。
 「塔矢アキラ」。ヒカルの大切な恋人の名前を緊張しながら入力し、いざ検索ボタンを押す。
「ま、マジ?」
 その数何と五万件――緒方三冠を遥かに上回るとは――ヒカルは恋人の名前が並ぶ検索結果画面に唖然とし、複雑な気分になる。
 なんというか、嬉しいような、嬉しくないような。
 さすが若手棋士ナンバーワンと称されるだけのことはある、というところだろうか。それだけではない、アキラはその容貌も伴い、囲碁に限らず各方面の雑誌から取材の依頼を受けて、白川が人気の条件として挙げていた露出度は時に高段者を上回っている。
 なんだか手の届かない人のような錯覚を起こして、ヒカルはパソコンのモニタを見つめながら数分間ぼーっとしていた。
「……いけね、魂抜かれてた」
 ヒカルははっと覚醒し、改めて検索結果に出てきたサイトを検証し始めた。
 トップに出てきたのは、当然ながら棋院のサイトで紹介されているアキラのプロフィールだ。穏やかながら精悍な顔つきをした写真を眺めて思わずにんまりしてしまい、いかんいかんと首を振る。
(やっぱりカッコいいんだよなあ)
 初めて会った頃の小学生のアキラは、丸いくりっとした目をして随分と可愛らしい印象だった気がするのだが、成長するにつれ父親に面立ちが似てきた今の顔は、ヒカルより数歳年上に見える。
 涼しげな切れ長の眼差しと、きりっとした眉。物腰が柔らかいせいか、軟弱な優男に見られがちだが、決してそうではないことは何度も夜を共にしたヒカル自身がよく知っている。
 あの熱のこもった目で見つめられると、柄にもなくぽーっとしてしまうのだ。
 いつだったか、冴木がアキラのことを男も女も迷うと形容したことがあった。まさにその通りだとヒカルは思う。
 もっとも、アキラの魅力は顔立ちだけではないのだが……それは自分一人が知っていればいいことだと、ヒカルはプロフィールのページを閉じた。
 それから数件のサイトを巡ってみる。最年少記録を数々塗り替えたアキラは、やはり新聞記事でのヒットも多い。
 文字だけで追うアキラの名前は、写真を見るほどインパクトはなく、ヒカルはまあこんなもんかと検索結果を追うのを終わりにしようとしていた。
 ところが、検索結果の二ページ目に、気になるサイトを発見してしまった。
「……『AKIRA’S ROOM』……?」
 口にして、その違和感に顔を顰める。
 直訳すると、そのまま『アキラの部屋』だろう。しかしアキラ本人が個人サイトを持っている話は聞いたことがない。
「誰が勝手にアイツの部屋を語ってんだ」
 ヒカルがそのサイトにアクセスを試みると、TOPページにどーんとアキラの笑顔がアップで表示され、思わず腰を抜かしそうになった。
 見ると、表示された画像の下に、「ここは日本棋院所属棋士・塔矢アキラくんのファンサイトです」なる注意書きが見えた。
「ファ、ファンサイト……」
 これは先ほど冴木の名前で検索したものと同じようなサイトではないだろうか。まさかというか、やはりというか、アキラにも熱狂的なファンがついていたようだ。
 ヒカルは妙に緊張する指で、サイト内部へ侵入し始めた。再び現れるアキラの画像は、ヒカルも見たことがない写真だった。
「おい、なんだこれ、どこの写真使ってんだ?」
 半ばムッとしながら画面をよく見ると、写真の横に「○月×日囲碁セミナーにて/※画像掲載はご本人のご承諾済みです」とご丁寧にヒカルの疑問に答えてくれる一言が掲載されていた。
「アイツ、どうせ適当に了解したんだろうなあ」
 セミナーで握手や写真を求められることは珍しくはない。かくいうヒカルも記念に写真を、と頼まれたことは一度や二度ではなかった。
 恐らくアキラもこうして写真を撮られた後、サイトに載せてもいいかと尋ねられたのだろう。忙しい合間なら、詳細を確認せずにOKを出したとしてもおかしくない。
 写真のアキラは、緩やかに口唇だけで微笑んで、少し細めた目が優しそうな視線をモニタの前の夢見る少女たちに分け与えているようだった。
 仕事でよく見せる笑顔とはいえ、公式に撮られたものではないというのがヒカルを苛立たせる。
 なんとなく、このサイトの管理人が「私のためだけの写真!」と主張しているような気がしたのだ。
「なんだよ、俺なんかお前らの知らない塔矢をいっぱい知ってんだからな」
 誰が聞くわけでもない文句をぶつぶつと呟きながら、ヒカルは虫の好かないサイトを細かくチェックし始めた。
 どうやらこのサイトの管理人は、相当昔からアキラのファンであるようだった。
 アキラがプロ棋士になって以来の、それは見事な軌跡が事細かに掲載されている。手合いの勝敗や勝率、昇段の年月日、アキラが参加するイベントのスケジュールまで、ちょっとしたデータベースのようである。ヒカルも思わずすげえと感嘆の声を漏らすほどだった。
 それだけではない、トップの画像だけでは飽き足らず、これまで管理人が集めたらしいアキラの写真が「AKIRA'S PHOTO」の名の下に所狭しと飾られている。当然、ヒカルが知らないアキラの写真も満載な訳で、嫉妬に歯噛みしつつ、画面から伝わる情熱に半ば呆れていた。
 同時に空恐ろしくもなる。見ず知らずの他人が、ここまでアキラのデータを把握しているのだ。常日頃、アキラがヒカルに「公の言動には気をつけろ」と言っていた言葉の意味がようやく分かった気がした。
「俺らって、こんな世界に生きてるんだあ……」
 他人事のように呟いて、ヒカルはこれまでの非日常が日常となりつつある身をほんの少し淋しく思った。  最近は、棋院の出版部以外で受ける取材もちらほら増えてきている。最初こそ緊張したそのやりとりも、今ではそれほど身構えずに受けられるようになっていた。
 自分もまた、こんなふうに追われる日が来るのだろうか。なんだか信じられない、とため息をつきながら、そのサイトにおかしなコンテンツがあるのを発見した。
「……投票コーナー……?」
 投票といえば選挙くらいしか思いつかないヒカルは、訝しがりながらそのコンテンツをクリックした。






ヒカル、ネット検索フル活用です。
検索のヒット数は適当なような、そうでないような……
しかしうちのヒカルはどうしてこう独り言が激しいのか。