逢いたい






 もうしばらくカニはいい、というくらいにカニ尽くしで満足したヒカルとアキラは、昨日からアキラが泊まっているホテルへと移動を終えた。札幌駅から派生したようにそびえる塔のようなホテルは、まだ建設されて三年しか経っていないというその真新しさもさる事ながら、アクセスの良さが伴って観光客の人気を集めているようだった。
 聞けばアキラの部屋は二十四階だという。ヒカルは、今まで自分が地方の仕事で泊まったホテルとの明らかな格の違いに目を丸くした。
「こんなとこ、泊まってたんだ」
「ああ、スポンサーのご好意でね。随分奮発したなあと思ったよ」
 フロントで二人並んでシングルの部屋の鍵を受け取るのはマズイと、アキラに指示された通りにヒカルは先にエレベーターで二十四階に上がった。扉の閉まったエレベーターの傍でアキラを待ちながら、ヒカルは少し俯いてふうっとため息をつく。
 胸の痛みの原因は分かっている。ずっと感じている後ろめたさと、やるせなさ。幸せを手放しで喜べない身の回りの環境。
 想い合って一緒にいる仲なのに、おおっぴらにはできない関係。親しい人に嘘をつき続けて、これからも過ごさなければならないのだろうか。
 逢いたい気持ちだけでこんなところに来てしまえるほどアキラが好きでも、それを全ての人が理解してくれるわけではない。
 もしもこの先もずっとアキラと一緒にいるのなら、いつかはこの問題と真剣に対峙しなければならなくなるのだろう。その時までに、自分は覚悟ができているだろうか。
 その時は、いつやって来るのだろう。
 ふと、エレベーターのドアが静かに開き、見慣れた黒髪が降りてきた。アキラはヒカルに気づいて、少しだけ首を傾げる。
「なんだか険しい顔してるけど、どうかした?」
「え? い、いや、えらそうなホテルだからキンチョーしてた」
 アキラは軽く笑って、ヒカルの手をとった。
「部屋はこっちだよ。見たらきっとびっくりする。夕べ、あの景色を独り占めするのが勿体無いと思ったくらいだ」
「景色……?」
「写真におさめようかと思ったんだけど、携帯のカメラじゃさすがに綺麗に撮れなくて。実際に見せることができて良かった」
 アキラに案内されるがまま入った室内は、ごく普通のホテルの一室と変わりなく見えた。
 しかし、カーテンの開け放たれた窓の下、ちらちらと舞う雪に遮られることなく、地上に散りばめられた生活の光の輝きにヒカルは思わず声を漏らした。
 高い高い、二十四階の窓から見下ろす街の光。
「うわあ……すげえ」
「見事な夜景だろう? このホテルはこれが売りらしい」
「札幌って、そんなに夜景有名じゃないよな?」
「うん、それでもこれだけ綺麗なんだから、神戸や函館はどれだけ綺麗なんだろうね」
 いつしか窓の外を眺めるヒカルの隣で、アキラはヒカルの肩を抱いて立っていた。
 ヒカルはきらきら煌く地上の宝石箱を眺めながら、どこかで聞いたシチュエーションだと苦笑いする。
 きっと、多くの夢見る少女が、こんなふうにアキラと夜景を眺めるクリスマスを過ごしたいと思っているのだろう。
 ロマンチックでムードたっぷりなシチュエーション。それなのに、今ここにヒカルとアキラが一緒にいることを、祝福してくれる人間は数えるほどにもいない。
 これからも、こんなふうに甘やかで苦い胸の痛みを抱えて過ごすことになるのだろう。
 アキラを好きだと思う度に、幸せな気持ちと裏腹に重い現実がちくちく針を刺している。
 親は今も疑っていないだろう。和谷だって、自分が風邪を引いたと信じて心配してくれているかもしれない。
 自分の周りの人だけではない。アキラの両親だって、アキラがヒカルと仲良くしていることを喜んでくれている。親しい友達以上の関係だなんて、想像もしていないはずだ。
 そうしてヒカルは自分とアキラのために、アキラもまた自分とヒカルのために、同じような嘘をつき続ける。
(でも、逢いたかったんだ)
 逢いたくて仕方なかった。
 痛みを越えて、強い想いに平伏す自分とずっと向き合わなければいけない。
 その歪に耐えられるだろうか?
 いつまでもこうしていられるだろうか?
(考えたって仕方のないことかもしれない)
 だって自分は選んでしまった。アキラがヒカルに差し出した両腕を取って、この情熱的な黒い瞳の輝きに気付いてしまった。
 もう何も知らなかった自分には戻れない。――好きだから。誰でもなく、今隣でヒカルの肩を抱くアキラのことが好きだから。
 暖かくて大きな手は、不安を抱えるヒカルの肩を優しく包んでいた。
 その熱がこんなに愛しい。もっと力強く抱き寄せられたくて、ヒカルは自らアキラの胸に頭を傾けた。
 アキラの腕が身体を包む。その強い腕の力に抱かれて、ヒカルは細く息をつきながら、薄ら開いた瞼の隙間から地上の煌めく灯りを見つめていた。
 アキラの腕の中なら、その強さを信じられる。
 アキラとなら、越えていけるのかもしれない。
(俺も強さが欲しい)
 揺ぎ無い強さが。この想いを貫くための強さが。
 そして、痛みに背を背けない強さが欲しい。
 この先たくさんの嘘をついて、そのために誰かを傷つけ、自分が傷つくようなことがあっても。
 それら全てを乗り越えて、アキラと共に夢を見たい。
 誕生日に誓いをたてたあの夜のように、ヒカルは雪の街に祈りを込めた。

 この先、何があってもアキラと一緒にいられるように。
 アキラと越えていけるように。
 自分の果たしたい「いつか」が過ぎても、ずっとこうしていられるように……
(信じよう)
 ヒカルを真直ぐに好きだと告げるアキラの潔いまでの強さを。
 ただ逢いたいという気持ちだけで、こんなところまでアキラを追ってきた自分の想いの強さを。

 目を閉じたヒカルの口唇に、暖かな感触が押し当てられた。
 そのまま身を委ねてしまえば、祈りの時間も幕を閉じる。
 優しい腕に熱を預けて、二人だけのクリスマスの夜に意識は堕ちていく。
 雪は相変わらず冬の街を包み込むように降り続いていた。
 ヒカルの凍えた心はアキラに溶かされて、皮膚さえも溶け合うような熱い夜に溺れて行く。
 ――この街にも、雪が溶ける日が来るはずだ。
 できれば、次は雪のないこの街を見たい。
 この街の冬もいつかは終わるのだと、自分の目で見て信じたい。
 いつまでも降り続く雪が、胸の中にまで根雪のように積もることはないはずだと。




 疲れた身体を重ねて眠りについたら、翌朝は晴れた空がキラキラと白い雪を輝かせていた。
 ヒカルはアキラの腕の中で眩しい雪の景色を見下ろして、少しだけ目を細め、ささやかな不安を胸に抱き締めて微笑んだ。






あ、あれ、ただイチャイチャさせるだけのつもりだったのに……
これじゃアキラがただのスカポンタンだ……
うちのアキヒカはヒカルのほうが先に大人になりそうです。
(BGM:逢いたい/山下久美子)