「進藤……」 顔を上げたヒカルの目の前に、紺色のコートにグレイのマフラーをぐるぐる巻いて、信じられないという表情のアキラが口を半開きにして立っていた。 その間抜けな顔を見たとき、ヒカルは笑おうとしてうまく笑顔が作れないことに気づく。 表情まで強張るほど冷え切ってしまっただろうか。 それならば、何故こんなに泣きたくなるのだろう。 「進藤……ホンモノ?」 近寄ったアキラが、ヒカルの顔を覗き込むように腰を屈める。 「ホンモノ」 それだけ言って、ヒカルはようやく歯を見せて笑った。 アキラがそっと手を伸ばしてくる。 頬に触れた指のあまりの熱さに、肌が火傷したかのようにびりっと痺れた。 「冷たい」 「うん……結構長く外にいたから」 ヒカルはフードを脱いで、改めてアキラを見上げた。 アキラもまた、フードのファーが邪魔をして見えなかったヒカルの金の前髪が見えたことに安堵したのか、どこかほっとしたように息をつく。 「震えてる。どこか暖かいところに行こう」 「あ、それかなりありがたいかも」 「待って、これ巻いて」 アキラは自分の首に巻いていたマフラーを外して、ヒカルの首にかけた。ふんわり手触りのいいアンゴラの暖かさが、ヒカルの身体をほっと和ませる。 「いいよ、お前寒いだろ」 「ボクは今走ってきたから暑いくらいなんだ。不思議だね、こんなに寒いのに、少し身体を動かすとすぐ暑くなる。雪があるせいかな」 そう言ってふわりと笑ったアキラの笑顔は、ヒカルの手のひらで溶けた雪のように柔らかかった。 首から伝わる熱と、目の前の愛しい人の笑顔が、ヒカルのかじかんだ心を優しく解していく。 (……塔矢のニオイだ) マフラーに少しだけ顔を埋めて、ヒカルはそっと目を閉じた。 ――塔矢に逢えた。 まだ身体は震えるほど冷たいのに、胸の内は自然と落ち着きを取り戻している。 「でも、進藤一体どうやってここまで?」 アキラはヒカルに手を伸ばしながら尋ねてきた。 思わずその仕草に応えてヒカルが手を伸ばし返すと、呆気なく掴まった手のひらがアキラにぎゅっと握られる。アキラは目を丸くして、「冷たい」と少し怒ったように言った。 「お前こそ、なんで俺がここにいるって分かったんだよ? あのメールじゃ意味わかんなかっただろ?」 ヒカルは立ち上がり、きつく握り締められた自分の手を見て、少し人目を気にしながら尋ね返す。 しかしアキラは手を離さず、それどころか自分のコートのポケットにヒカルの手を導いた。 ヒカルがぎょっとして、誰か見ていないかと辺りを見渡す。 「ついさっき、ボクはここを通ったばかりだったんだよ。珍しいイルミネーションがたくさんあるから、いくつか写真に撮って後でキミに見せようと思ってたんだ。ホラ」 アキラは携帯をヒカルに突き出し、自分で撮影したらしい目の前のすずらんのイルミネーション画像を見せてきた。 「そうしたら、キミから全く同じ画像が送られてくるから驚いたよ」 「うん、あの、塔矢、手」 「手? ああ、大丈夫だよ、誰も気にしていない」 アキラはさらっとそんなことを言って、そのまま歩き出した。 アキラのポケットに右手をとられたままのヒカルは、慌ててその後に続く。 なんだかアキラが妙に上機嫌だ。なんというか、浮かれている、という表現がぴったりくる。 こんなふうに手を繋いで、人の往来も少なくない街を堂々と歩くなんて初めてのことだった。 「こんなに雪が降っていて、街はクリスマス一色で、イルミネーションも綺麗だろう。何となく、キミの言った意味が分かった気がしたんだ」 「意味って?」 歩きながら、手を繋いだ二人は自然と身を寄せ合っていく。 「クリスマスは恋人同士のためにあるって」 ヒカルははっと目を見開いた。 「綺麗な雪と光を見ていたら、凄くキミに逢いたくなった。……そしたらキミがいた」 「塔矢」 「来年は、ちゃんと休みをもらって一日中キミと過ごそうかな」 振り返って口角を吊り上げたアキラの口唇から、白い息が風に靡いて消えていった。 その鮮やかな笑顔にヒカルは少しはにかみ、ポケットの中のアキラの手をぎゅっと強く握り返した。 そう、誰も二人のことなんて気にしていない。 雪の降る街のクリスマス、クリスマスソングに乗せて恋人同士が白い世界を闊歩する。 誰も彼も自分たちのことだけで精一杯。他の誰かに気を取られるなんて、勿体無い時間の使い方をするはずがない…… 地下鉄の入口を見つけて降りていくと、一気に暖かい空気が全身を包み、すぐに身体は暑くなった。 さすがに地下街で手をつないだままではいられないので、名残惜しげに手を離す。 適当な喫茶店に入り、ヒカルは熱いココアを頼んだが、冷たい飲み物でも充分な屋内の暖かさに、失敗したかなあと首を捻る。 アキラはコーヒーを優雅な仕種で口に運びながら、事の顛末を話してくれていた。 「対局? 緒方さんが中押しで勝ったよ。もう二時間くらい前かな? その後少し検討をして、みんなでススキノに飲みに行くって話になったから、ボクは断ったんだ」 「え、断ったのか?」 「だって、ボクはお酒飲めないし、酔った緒方さんに絡まれるのは嫌だしね。それにホテルの人が、今の時期はイルミネーションが綺麗ですよって教えてくれてたから。一人で見に来てたんだよ」 「そしたら、俺からメールが入ったのか」 「そう。……まさかキミが本当にいるとは思わなかった。この目で見るまで、あのメールはボクの願望が見せた幻かと思ったよ」 ヒカルは笑った。 大真面目に語るアキラが可笑しくて、すっかり強張りの解けた頬を緩めて歯を見せる。 「それにしても、来るならもっと早く言ってくれれば迎えに行けたかもしれないのに。少なくとも、こんなに冷え切る前にはキミを見つけられた」 「もうすっかりあったまったよ。それに、……驚かせたかったんだよ」 上目遣いでココアを啜るヒカルの目に、優しく目を細めたアキラが映ってほっとする。 「驚いた。……キミはボクを驚かせるのが上手すぎる」 「……怒ってない?」 「怒るもんか。嬉しくて倒れるかと思った」 「そんなタマかよ」 アキラが微笑む。 その笑顔に見惚れかけて、ヒカルははっとした。 「そうだ、連絡」 「連絡?」 携帯電話を取り出したヒカルは、本日三度目の自宅の電話番号を呼び出した。 「俺、親にずっと前からお前と約束してたって言っちゃったんだよ。心配したら困るから、お前もちょっと協力して」 「協力って……」 「あ、もしもしお母さん? うん、さっき塔矢と合流したー。ちょっと待って、今塔矢と代わるから」 ヒカルはそう言って強引にアキラへ携帯を突き出した。 アキラは一瞬呆気に取られた顔をしたが、すぐに状況を飲み込んでくれたらしい、コホンと小さな咳払いをして携帯を受け取る。 「お電話代わりました、塔矢です。こんばんは、ええ、先日は有難うございました。すいません、ボクからも事前に今日の予定をお伝えしておけばよかったのですが……いいえ、すいませんでした。はい、ホテルはボクと一緒ですから」 アキラの言葉にどきんと胸が音をたてる。 「ええ、ありがとうございます……はい、分かりました。はい、……失礼します」 アキラが電源を切ったのを確かめて、ヒカルは恐る恐る口を開いた。 「塔矢、……ホテルって?」 「だってキミ、帰りの便もないんだろ? 泊まるしかないじゃないか」 「でも、俺あんまり持ち合わせが……」 「いいよ、ボクの部屋はシングルだけど、ベッドはハリウッドサイズだから問題ないだろう」 ――どうせひとつしか使わないだろう? アキラの目にはそんな囁きが含まれているようで、ヒカルがごくりと息を飲む。 「その代わり、騒がれたら困るから関係者には見つかるなよ。特に緒方さん」 「う、うん……、でも、いいのか?」 「たまにはね」 悪戯っぽいアキラの笑顔に、ヒカルも釣られて笑う。 どうやらお互いクリスマスマジックにかかっているようだ。 誰だって夢見がちになる、雪と光のクリスマスに、ヒカルだけでなくアキラも心奪われてしまったらしい。 「じゃあ、どこか食事に行こうか。お腹すいただろ?」 「あ、俺ラーメン食べたい〜。せっかく札幌まで来たんだから」 「ラーメンか……それは明日にしよう。ちょっとここからは離れてるみたいだけど、美味しいって評判のところを聞いたんだ。今から行くには遠いから、今日は、そうだな……カニにしないか?」 「カニ! マジ!?」 「ボクがおごるよ」 同い年のアキラがやけに頼もしく見え、ヒカルはその案に乗っかることにした。 それからアキラは自分が明日乗る飛行機の航空会社に電話をいれ、予定より遅い時間の便に空きが二席あることを確認すると、最初の便をキャンセルし、すぐさま空いている二席の予約を入れてくれた。 予定の便は明日の夜の最終便。緒方らは午前中の早い便で帰ってしまうから心配ない、取材が終わったら一緒に観光しよう――ヒカルの目の前で、アキラは魔法でも使ったかのように全ての準備を整えた。 「俺、うちにおみやげ買いたい」 「そうだね、心配されてるだろうし」 「六花亭のお菓子、お母さん好きなんだ。あ、あとロイズの生チョコも。買えるかな」 「駅周辺なら大抵どこでも売っているみたいだよ。明日探そう」 いとも簡単にヒカルの喜ぶことばかりをくれたアキラは、それが当然のように微笑んだ。 ヒカルは、その笑顔に目を奪われながら、満たされる心の一番奥がちくちくと痛んでいることにひっそりと気づいていた。 |
アキラに花が咲いてしまった……
正直札幌でカニはどうかと……
ラーメン屋は山桜桃をイメージしてみました。
でも食べにいったことないです……。