Good morning,my darling









 目を開いた。
 世界がなだらかな丘から立体の建物に形を変えていた。
 耳に焼き付いている歓声、まだ余韻が残っている。
 腕が痺れている……。
 剣を握る自分の手をまじまじと見つめた。大人になりかけの、節が目立ち始めたまだ青い手。
「凄いなお前!」
 目の覚めるようなはっきりした声に弾かれる。
 視線の先には黒い髪を清潔に切りそろえた青年……いやまだ少年と言ってもいい……がいた。
 その声には興奮がおさまらず、まだ息も切れている。覚えのある声だった。
「絶対に勝ってやろうと思ったのに……適わなかった。感服したぞ」
 彼の笑顔は前にも見たような気がする。
「私も……負けるつもりはなかったよ……何としても君の剣を叩き落とそうと思ったのに……」
 この言葉も何処かで聞いたような気がした。
「勝てなかった」
 あっさりと出て来た言葉に余分な力が抜けて行く。
 どれ程勝ちにこだわったか。……それなのに勝てなかったことを認めるのが不思議と辛くなかった。
 彼はにこりと笑った。先程剣を交えた相手とは別人のような、無邪気な笑顔だった。
 ああ、そうか……ここはマチルダ。騎士になるべく入団試験の模擬戦で彼と出逢い、勝負がつかないまま引き分けに……
「改めて、俺の名はマイクロトフだ。一緒に騎士になれるといいな」
 彼が右手を差し出す。
「私はカミュー。君ともう一度会えることを願っているよ」
 その手を握りしめた。
 お互いの手がじんわり痺れているのが伝わってきた。
 熱く汚れた手のひらの微かな震え。
 マイクロトフ。……マイクロトフ。この名前は聞いたことがある。そう、ずっと以前から知っていた。
 マイクロトフ、始めてお前に出逢って、その時から永遠に離れることのない崇高な名前。
 緑の大地から三色の端の下へ。
 半ば自棄になって訪れた世界で見つけてしまった運命を変える力。
 望みは違えども昂みは同じ、私達はずっと傍にいた、そうだね、マイクロトフ。
 握りしめた手のひらがあの時より大きくなろうとも、お前の笑顔は変わらぬままだった。それを知っているのはできれば私だけでありたい。
 これは、記憶。それとも理想。
 どちらでも構わない。目を閉じて再び瞼を開いた時、そこにお前がいてくれるのならそれでいい。
 静寂が歓声に還る。押し殺していた空気が爆発したように拳を振り上げた。
 あれは、……これは騎士団長の叙任式だ……
 重みを増した着衣と肩書き……握りしめて、開いた手のひらは白い手袋に被われている。
 誇り高い青の団長服を纏って、私の隣で振り向くのは……





 ***





「目が覚めたのか?」
 白い天井。風が通り抜けて、揺れた前髪が額をくすぐった。
 無意識に前髪を右手で払って……傍らで腰を下ろしている眩しい青に目を細くした。
「よく眠っていたな……もう夕方だ」
「……?」
「俺の代わりにモンスターの攻撃を受けただろう。お前が浴びたのは催眠効果のある胞子だそうだ」
 再び風が乱していった前髪を、今度はマイクロトフが指先でそっと払った。
「気分はどうだ……カミュー」
 カミューはまだ現実に戻り切れていないように瞬きをして、
「……いい気分だ」
 掠れた声がぽつりと呟いた。
 その声は酷く違和感があった。自分の声はこんなに低かっただろうか。
 そうか、とマイクロトフは立ち上がり窓に手をかける。
 それを視線で追うが、夕陽の逆行で顔が見えなくなった。
 風が止む。
 窓を閉めたマイクロトフは再び腰を下ろし、どんな夢を見ていたんだ、と尋ねた。
「夢……」
「時折何か呟いたり笑ったりしていたぞ。どんな夢を見ているんだろうと思っていた」
「マイク、ずっといてくれたのかい?」
 マイクロトフは気恥ずかしそうに上目遣いになり、俺のせいだからな……と肩を竦めた。
 あれは記憶、それとも理想。
 ……どちらでも構わない、その通りだ。
「理由が分かった……私は小さな頃のお前の笑顔は知らなかったんだ」
「?」
「でも、きっと今と変わらないのだろうね。」
 子供らしい無邪気さが落ち着いたのだとしても。
「何だそれは……? 一体どんな夢だったんだ?」
 カミューは笑って答えた。
「忘れたよ」
「嘘をつけ。ずるいぞ。」
「うん、でも本当に殆ど覚えていないんだ……マイクロトフ、手を」
「手?」
 不思議そうに右手を出したマイクロトフのそれを引き寄せ、自分の右手で握りしめた。
 あの時よりずっと大きなお互いの手、でも変わらないものが確かにある。
 この手の温もりと、もうひとつ。それだけ覚えていれば、いつだって前を向いていられる。
 何故あんな夢を見たのか、きっとマイクロトフが傍にいてくれたからだ。
「お前に逢えて良かったよ、マイクロトフ」
「いきなりどうしたんだ……まさか脳にくる胞子だったんじゃないだろうな」
「酷いな、折角告白してるのに」
「……撤回する、いつも通りのカミューだ」
 マイクロトフはにこりと笑った。
 小さな頃の影が通り抜けていった。
 もうどんな夢か形も覚えていないけれど、いい夢を見た……カミューも笑い返した。
 この戦いが終わったら、一度故郷に帰ろう。
 そして、できればマイクロトフに緑の大地を見せてあげたい。
 遠い記憶でそうしたように、2人で草の上に腰をおろして子供の頃の話なんかできたらいい。
 きっといつか見た空とは高さが変わっているかもしれないけれど。



 だけど隣でお前が笑ってくれるのなら、繋いだその手が暖かければ、記憶も理想も夢も皆現実になる。
 変わらない現実に。






キリリベンジSS。リクエストは「少年騎士」……
相変わらずリクエストとはかなりずれてますが気に入ってます。
とりあえず私的騎士設定の断片というか。
少年騎士だけのきちんとしたストーリーにもしようかと思いましたが、
ありきたりのものしか浮かばないのでやめました。
少年時代は面影が残っていればいいかな、と勝手に思っているのです……