Thankyou for waiting







 カツン……コツン……

「……」
 ため息の音すら廊下に響いて聞こえる。
 立ち止まると共に消える靴音に、いかに普段この城が様々な音に包まれていたかを思い知らされる。
(人の気配というものは大きいんだな……)
 カミューは独り廊下を歩いていた。
 城は静まり返っている。
 無人ではないが、それに等しい。
 渡り廊下の窓から城下を眺め下ろしてみた。美しい街並も、今日の静けさは気のせいではない。
 カミューはえも言われぬ微笑を浮かべて、再び靴音と共に青騎士団長の執務室へと向かって行った。


 軽いノックの後に扉を開くと、案の定マイクロトフは窓辺に立って外の景色を眺めていた。
「カミュー」
 振り返ったその顔はどこかぼんやりとしている。
「ぼうっとしてるな」
「ああ……何だか変な感じがして」
 マイクロトフが落とした視線につられるように窓の外を見たカミューは、確実に普段よりも人通りが少ない街を認めた。
「本当に休日なのだな」
「ああ、みーんなお休みだ」
「こんなに静かになるとは思わなかった」
「私もここまで騎士団領から人が出て行くとは思わなかったよ。城はともかく城下町まで人気がてんでない」
 カミューの言葉通り、城下に住んでいた人々はこぞって騎士団領を出た。今までのマチルダの文科にはあまり見られなかった“日帰り旅行”である。
「確かに馬車を出せば近辺の街や村には日帰りできるだろうが、休日は一日しかないのだぞ。」
「だからだろう。丸一日身体が自由になるような休暇は今までの騎士達には許されなかったからな。」
「疲れを癒すために休むものかと……」
「それよりも家族を優先したんだよ」
 以前の休暇は心までは休まることがなかった。 緊急事態に備えて騎士達はいつでも出勤できる場所にいなければならなかったし、その準備ができていなければならなかった。
 マイクロトフは伏せ目がちに外を見下ろしたまま、その横顔は少し淋しそうにも見える。
「何だマイクロトフ、何も起こらなくてがっかりしているのか?」
「そういうわけではないが……」
 からかい口調のカミューにややむっとして答えながらも、マイクロトフは複雑な表情を変えない。
 その真意をさりげなくカミューは探ろうとしたが、それより先にマイクロトフがぽつりと口を開いた。
「……部下が。初めて娘を連れて出かけるのだと言っていた。」
「……」
「嬉しそうだった。口では休みたいと言っていたが、休日の話を聞いて子供が非常に喜んだそうだ。家族揃って家を出るのは騎士に就任してから初めてだと」
「……、私の部下も、恋人に会いに行くと言っていたよ」
「当たり前のことが自由に出来ない地だったのだろうか」
「……」
「皆、嬉しそうだった」
 遠くを見つめるマイクロトフの肩にそっと手を伸ばし、カミューは思い出したように瞬きを繰り返す黒い瞳を横目で見つめた。
 何か言おうと口を開きかけ、少し躊躇ったように閉じ、またカミューは口を開く。
「……静かだな。」
「ああ。静かだ」
「マイク、お前は……、こういう静けさは嫌いじゃない?」
 カミューの問いはいつになく微妙なニュアンスで、マイクロトフは不思議そうに首を傾げた。
「ああ……、嫌いじゃない。どうしてそんなことを聞く?」
「今まではどちらかというと喧噪に包まれていたから」
「……、そうだな、でもこういう静けさは好きだ。人の流れが穏やかで、悪意のない静けさはいい。落ち着く……」
 口調から感じられるよりもカミューがずっと真剣に尋ねていることに気づいたマイクロトフは、疑問には思いながらも正直に答えた。
 そういえば、こんなふうに静かな時間は久しぶりかもしれない。戦いの間も戦いが終わってからも、耐えることなく押し寄せてくる義務と願望。
 常に頭と身体を動かし続けて、来た道を確かめる余裕がなかった。
「こんな時間が必要だったのかもしれないな。」
「……それは、マチルダに? それともマイクロトフ、お前自身に?」
「……、両方だろうか」
 軽い調子で笑って見せたのだが、カミューはその言葉に少し口唇を引き締めたようだった。
 流石にマイクロトフも不安になって、先ほどからの様子について問い質そうとした時、
「……こんなふうに、時間の流れがゆったりしたところへ……行かないか。」
 カミューが低く、しかしはっきりした声でそう言った。
 マイクロトフは二度瞬きを返した。
「お前も……連れて行きたい。とてもいいところなんだ。私の故郷は」
「……カミュー……」
「突然で驚いたかもしれないけど……、……なんて顔してるんだ、マイク……」
 思わずカミューが言葉を区切るほど、マイクロトフは情けなく顔を歪めていた。
 ぎゅっと曲げた口唇は、幼い子供が泣くのを我慢する時に仕草に似ている。
 ついその表情を見返すカミューが同じような顔になってしまった頃、マイクロトフは恐々と口を開いた。
「そんなこと……、言ってくれると……思わなかったから……」
「……マイク」
「薄々勘付いてた。お前はきっと何処かに行ってしまうのだと……だが、俺は……」
 それは今まで共に過ごして来た相方としての、絶対的な自信だった。
 しかしその話題はカミュー自らが避けているようにも思えて、敢えて追求することはできなかった。
「置いて行かれるのだと思っていたんだ。でもお前がそう望むなら仕方がないと思った。……いや、きっと勇気がなかったから、そう思うしかなかったんだ……」
「マイク、じゃあ」
「カミュー、本当に?」
 急いた二人の言葉が重なって、不安と期待を合わせた表情を向け合い、一呼吸相手の発言を待った。
 一瞬、お互いの瞳の中に自分の姿を見た。
「……マイク。改めて言うよ。――私と一緒に、グラスランドに来てくれないか」
「カミュー」
 マイクロトフは何かを堪えるようにくっと下を向き、右手でカミューの袖を掴んで二度程小さく頷いた。
「ああ……、ああ、カミューでも、もう少し待ってくれ。俺はここでもう少しやらなければならないことがある。それが終わるまで、もう少し待ってくれ……」
「……うん」
 袖を握りしめるマイクロトフの手を取り、胸の高さまで持ち上げてカミューは愛おし気に口唇を寄せた。
「この静けさが、本当にマチルダのものになるまで……待つことにするよ。」
 その言葉に再び見下ろした窓の外の城下町は、よく晴れた太陽の下相変わらず人通りが少ないままだった。
 夕方、風も落ち着いた頃にちらほらと帰宅の人影が見え始め、夜にはまた普段のような穏やかな賑わいが戻っていた。

 翌日、晴れやかな表情の騎士達が城に向かうと、両騎士団長は疲れも見せずに彼らを迎えた。
 二人が騎士団領を去る半年前のことだった。





……というわけで、777HITキリリクでした。
結局「休日作成」のお話に。あああ。
私にしては珍しく何度も書き直し、
こんなにも遅れて捧げることとなってしまいました……
すいませんでした!リク有難うございました!