We are the BOYS






 ……太陽が昇っている間はマイクロトフの黒い頭を見つけることはできなかった。




 夕食にも現れなかったマイクロトフに、カミューは夜の探索を続けた。
 同室の少年には出かける前に怒られてしまった。誤魔化すのは大変なのだと彼は言うが、恐らく点呼の前にぐっすり沈没してしまっているだろう。扉を閉める前にもう一度謝って、ポケットにビスケットを忍ばせたカミューは廊下を走り抜け、途中点呼のために見回りをしている教官の目をくぐり抜けて、夜の屋上へと向かっていた。
 昼間何度も確かめた時にはマイクロトフの姿は見つからなかった。だが今夜は月が出ている、星が出ている。マイクロトフはきっといる、そしてカミューがやって来ることも分かっているはずだ、カミューは信じて階段を駆け上がった。
 そこに小さな身体が蹲っていた。
 ドアを開けた音で恐らく気づいているはずだと、カミューは静かに歩み寄った。何か声をかけようと思ったが、如何せんカミューも幼過ぎて何も思い浮かばなかった。咎められないのを見て取って、ただ隣に腰を下ろしただけだった。冷たい床が服越しに尻に伝わって来た。
 どのくらい無言の時間が続いただろうか。風は決して温かくも弱くもなく、今夜はそのせいか空気が済んでいた。頭上に輝く星はこんなにも美しいのに、見上げた目に薄らぼやけて映るのはどうしてなのだろう。
 幾つも頭にあるはずの星座の話も思い出せず、カミューはそれに代わるきっかけを探していた。マイクロトフを慰めなければ、その時は本気でそう思っていたのだった。
「俺、小さい時に今のうちに来たんだ」
 なのでマイクロトフがそう呟いた時、カミューは何の言葉なのか音を理解するのに多少時間を要した。
 今でもこんなに小さいのに、マイクロトフは記憶も怪しいもっとずっと小さな頃の話をしているようだった。
「誰かにつれてこられたんだと思う。今日からここが俺のうちだって言われて、俺の父さんだって言ってくれた。俺はそれまで母さんと一緒に暮らしてたけど、母さんは一緒には来なかった。」
 マイクロトフは膝を抱えて俯いたまま、独り言のように口を動かし続けた。カミューは黙って聞いていた。頷くことも相槌を返すこともしなかった。
「父さんは優しかったけど、新しい母さんは俺のこときたないって言ってた。うちの使用人もあんまり優しくしてくれなかった。俺、母さんのところに帰りたかったんだ」
 マイクロトフの拳が、膝の辺りの布地を掴んでぎゅっと固く握りしめられた。
「だから母さんに会いにいったんだ、ないしょで。誰にも見つからないようにしたのに、帰りたかったのに、母さんは……」



『お前なんかいなければいい』



 震える口唇を潰してしまうようにぎゅうと噛んで、カミューは初めてマイクロトフの潤んだ瞳を見た。
 そうしてようやく分かったのだ、悲しみを隠すためには虚勢を張るしか彼には思い浮かばなかったこと。自分から世界を拒絶してしまえば、もう拒否されなくて済むこと。
 自分への防御で人を傷つけること。それを否定するためにまた殻をつくること。
 殻を破ることは外の世界に触れることと同じであり、鎧を脱ぐことと同じであった。
 更に知ってしまった、彼が今までどれだけの言葉に傷つけられて来たか。発した人は意味のない単語を口にしただけかもしれない、しかし小さな彼の頭にこびりついた衝撃は直接殴られた方がどれだけマシだったか分からない。
 ――ひとりぼっちだったのだ。
 カミューは理解した、マイクロトフは独りだったのだ。この広い世界に何万という人がいて、空の星は幾億も輝いているというのに、マイクロトフの世界にはたった独りしかいなかったのだ。独りぼっちのマイクロトフは、自分が独りであることを気づかないように気づかれないように生きて来た。だけど、いつだってそこから出たかったに違いないのだ。
 カミューは相も変わらず言葉を捜していたが、やはり気の利いたものは見当もつかなかった。振り払われる覚悟で彼の頭に手を置いてみたが、意外にもそれは受け入れられたようだ。一瞬ぴくりとマイクロトフの肩が揺れて、それでも彼は動かなかった。
 カミューは酷く優しい気持ちになって、自分に弟がいたらこんな感じなのだろうかとふと考えた。もしそうだったらきっととても可愛がるだろう。真っ直ぐにぶつかってくるのは心が素直な証だ。彼のことを知れば知るほど、必ずみんな好きになる。
「マイクロトフ……、あのさ、怒らないで聞いて欲しいんだけど。私の母は、私を産むとき凄く大変だったらしいんだ。ひょっとしたら死んじゃうかもしれなかったんだって。だから、私が産まれた時はとても喜んだって。そうやって父が言ってたんだ。そうだったのって母にも聞いたら、私が産まれて嬉しかったのはもちろんだけど、母親はみんな産まれてくる子供が可愛いんだって。その日から子供を幸せにするために生きるんだって。特別なことじゃなくて、みんな子供が可愛くて、だから……」
 うまく言葉を紡げない自分がもどかしく、カミューはありありと焦りの分かる声色でそれでも続けた。マイクロトフは動かないまま、聞いているのかいないのかも分からない様子だった。
「だから、マイクロトフのお母さんも辛かったんじゃないかな……。マイクロトフにそんなこと言うの、きっと悲しくて辛かったと思うんだ、だって……」
 そこから先は言えなかった。
 顔をぐしゃぐしゃにしたマイクロトフが飛びついてきたからだ。
 カミューは驚きに目を見開きながら、それでもマイクロトフを受け止めた。胸にしがみついて泣きじゃくる彼の髪からは草の匂いがした。
 マイクロトフの背中を撫でながら、カミューは見上げた空の眩しさに目を細めていた。この空と遠く繋がった故郷は星が輝いているだろうか。
 母親の香りを懐かしく思った。今は何をしているだろうか……



 泣き疲れてお腹の減ったマイクロトフと、ポケットに入れていたせいで少し崩れてしまったビスケットを半分こした。
 マイクロトフが身分違いの母親の恋と、悲しい母親の愛情を理解するにはそれから10年近くの時間が必要だったけれど、彼はもう攻撃と言う名の防御を誰彼構わず吹っかけたりはしなかった。
 古い殻を脱ぎ捨てた彼の変化は目覚ましかった。元々根が素直だったのだろう、眉間に常に寄せていた皺が消えただけでも人当たりは随分良くなった。カミューの暗躍も手伝ってか、それから数年経つ頃には周囲の人間はマイクロトフが「めかけのこ」と詰られていたのを忘れていた。







 ***






「何をにやにやしてるんだ」
 食事を終えて満足げに紅茶を飲んでいたマイクロトフは、隣の赤騎士団長の視線に不審な目を向ける。
「ちょっと昔を思い出してただけだよ」
 カミューは青騎士団長の制服を纏うマイクロトフの頭から爪先までを眺めて、またにやりと笑った。
「変なこと考えてるだろう」
「とんでもない」
 笑いながら、カミューはすっかり逞しくなった目の前の我が友を夢見がちに見る。いつのまにか彼の心を吸収したかのように、すっかり自分がひねくれてしまった。
 いつでも一番近くで兄のように。
「マイク、可愛かったなあ……」
「何なんだお前はさっきから。そろそろ時間だ、行くぞ」
「はいはい」
 マイクロトフが前を歩く。カミューはその後ろから彼の背中を追う。いつか何処かで見た、面影の残る光景。今はこんなに近くにあるようでいて、ひょっとしたら誰より遠くに行ってしまったのかもしれない。
 今日は冷えるなと、カミューは手を擦りながら通りかかった窓の外を見上げ、今夜の星はきっと綺麗だろうと微笑む。
 久しぶりに故郷のワインを手土産に、マイクロトフの部屋を尋ねて星座の話でもしよう。カミューはそう決めると、早足だったマイクロトフに追い付くため歩幅を広げた。その背中を見失わないように。








 ――胸を借りるのはお前だけ。
 いてくれて良かった。








ようやく終わりました、ひねくれ子まい。
結局心からひねくれたマイクは無理でした……。
マイクの家庭云々は、子供相手に歪んで伝わっているのです。
大人はほんと考えてものを喋らないといけないですね……。