We are the BOYS





 時刻はとうに午前1時を回った頃だろう。
 大暴れして大笑いして、そろそろ身体も冷えて来た頃だった。ついでに頭も多少は冷静になった。自分達の状況を考え直す余裕ができるくらいには。
 まずはこの泥だらけの身体をどうするかだった。このまま部屋に戻るにはあまりに汚れ過ぎた。ベッドに入ったら最後、シーツも毛布もどろどろになってしまうだろう。
「マイクロトフ、お風呂借りようよ」
「こんな時間に風呂なんかしまってるぞ」
「浴場に鍵はかかってないだろ。こっそり借りるんだよ」
 カミューはそう言ってマイクロトフの腕を取った。わっと引っ張られるマイクロトフは、ちょっと待てと剣を拾う。軽く汚れを払って鞘へ入れ、カミューもそれに倣った。それから二人で宿舎へと続く暗い道をくすくす笑いながら走り抜けた。
 約束の裏庭は遠く背後に、中庭で月の光を細切れに遮る草木も二人の足音を包んで響かせる虫の声も、全てが秘密の世界の欠片を造り上げる夢の塊だった。
 誰かと並んで風を切る心地よさ、カミューはこれまで以上に、マイクロトフは恐らく初めて感じたに違いない。
 心と身体をぶつけたら、わだかまりの消し飛ぶ幼心、争いの種すら何処かへ吹き飛んでしまった。
 二人は闇を駆け抜けた。






 宿舎は静まり返っていた。
 意識して音を立てないように歩く二人は、人の気配が全く感じられないことを廊下の道々感じながら、すでに電気の落ちた共同浴場の扉に手をかけた。
 脱衣所も思った通り誰もいなかった。カミューとマイクロトフは泥で真っ黒になった服をぽいぽいと脱ぎ捨て、貸しきり状態の広い浴室へと踏み込む。冷たく冷えた床が足の裏を刺激した。
 カミューはまだ湯の張ったままになっている風呂桶に、指先をつけた。
「やっぱり冷たいな」
「ずいぶん時間がたったからな」
 ふいに、カミューはにやりと笑って両手に水を掬った。その様子を確認しようとしたマイクロトフの顔に、すっかりぬるくなった残り湯がかけられた。
「わっ!」
 カミューは冷たさにオーバーに飛びのくマイクロトフを笑った。風呂場に笑い声が反響した。
 その声が想像以上に響いたので、思わず二人は肩を竦める。誰もこんな時間にやってきたりはしないだろうが、あまり騒いでいると見つかって怒られるかもしれない。お互いに口唇に人指し指を当てながら、冷たい水を使って身体にかけた。傷口にちくちく染みて、ぶるっと鳥肌が立った。
 タオルなんてものは当然持ち合わせていないので、汚れたシャツを洗って代わりにした。カミューが石鹸を泡立ててマイクロトフの小さな背中を洗ってやると、マイクロトフはくすぐったそうに小さな笑い声を上げた。
 掬った水を背中にかけると肩甲骨がくっきり盛り上がる。寒さに縮むマイクロトフを楽しそうに眺めながら、カミューはもう一度豪快に水をかけた。
 マイクロトフは冷たさに思わず立ち上がってしまう。今度は俺がやる、と半ばムキになってカミューからシャツを奪った時、カミューの視線が妙に下降気味であることに気がついた。
 マイクロトフも合わせて視線を下ろして、自分の腹部よりやや下で動きが止まった。マイクロトフの頬がかっと赤くなる。
 カミューは何だかにやにやしていた。見るとカミューの成長途中の大切な部分には気持ち程度の和毛が薄ら揃っていた。対してマイクロトフの可愛らしい付け根はつるつると滑らかで、成長途中と言うより未だその兆しが表れていないといった感じだった。
 マイクロトフは耳まで真っ赤になってシャツを振り上げた。
「笑うな! カミューのほうがいっこ上なんだからしょうがないだろ!」
「ふふふ、ついでに私のほうが大きいな」
「うるさい! うるさい! 俺だって1年たったら大きくなる!」
 そう言うとマイクロトフは冷たい水をお返しとばかりにカミューに盛大にぶっかけた。カミューは突然の水を少々鼻から吸い込んで咽せながら、ずぶ濡れになって大笑いした。
 二人の足下から黒く汚れた泥水が流れて行った。




 ***




 こっそり帰った自分たちの部屋、幸いにも同室者はお互いによく眠っていた。カミューは朝起きた時に向かいのベッドで酷い寝相で回転していた少年に、昨夜は点呼をごまかしたんだぞと怒られた。それでも彼は謝ると許してくれた。
 マイクロトフのほうはどうだっただろうかと少々心配だったが、朝食にいつもと代わりなく現れた彼を見て無用の危惧だったとほっとする。カミューはパンとサラダの乗ったトレイを手に、マイクロトフの隣へ座った。それまでならちらりと一瞥する程度だったマイクロトフが、カミューを見てほんの少し笑った。カミューも笑い返した。
 食堂では夕べの決闘がなくなったことがすでに噂になっていた。結末としてはマイクロトフが尻尾を巻いて逃げたのだ、ということになっているようだった。しかしカミューもマイクロトフも表情を変えずに、嫌でも耳に聞こえてくる秘密の話し声をシャットアウトした。
 そんな二人に、また新たな噂話が走った。昨日までの様子とどこか違うということは誰もが分かっていたが、その理由は当の二人にしか分からなかった。
 午前の授業を終え、昼を過ぎて午後に備えての休憩時間だった。
 相変わらずマイクロトフの隣にいたカミー、マイクロトフも特にそれを咎めず、寧ろ表情を柔らかくして来月に控えた実力試験の話なんかをしていた。
 夕べの話題は特別持ち出すことはなかったが、それは二人にとって決着がついたことを意味しているために他ならなかった。
 しかしそう思っていたのは飽くまで二人だけであって、決闘相手だった少年にとっては納得できる材料がひとつとしてなかったのだった。
「おい、めかけのこ」
 廊下でカミューとマイクロトフは振り向いた。
 やっぱりというか、彼の表情は説明するまでもないくらいに怒りが浮かんでいた。
 それはそうかもしれない。宿舎での消灯時間は午後11時、しかしそれ以前に一日の疲れで眠ってしまう子供が多く居た。何しろまだ10歳やそこらの少年ばかりなので、点呼が緩いのはそういう理由だった。
 そんな中、彼は恐らく日付けが変わるその瞬間まで裏庭に立っていたのだろう。一人きりだったかどうかは分からないが、こうして突っかかって来た彼が今一人であるということは、取り巻きはいなかったのかもしれない。
 カミューは内心はらはらと様子を伺っていた。夕べはこ難しい理屈でマイクロトフを思いとどまらせたが、この場で爆発してしまうとも限らない。
 ところが、カミューと少年の目の前で、マイクロトフはくっきりと90角度で頭を下げた。
「約束をやぶったことはあやまる。軽はずみな約束をしたこともあやまる。すまなかった」
 マイクロトフが人につむじを見せるのは初めてなのではないか、と二人は素直に思ったことだろう。それほどカミューと少年は驚いた顔をしていた。
「俺はもう力にまかせてケンカをするのはやめる。これから騎士になるために、自分勝手な理由で人に剣を向けないことにした。」
 頭を上げたマイクロトフは舌ったらずな口調できっぱりと言い放った。今までの理不尽な憎しみの光が消えた、瞳の見つめた先を更に見る黒い眼差しだった。
「俺もカミューも弱くはない。だから今俺の剣は使わない。騎士になってから剣を取る」
 カミューは心から安堵した。初めてマイクロトフに会った時の磨ぎ忘れた刃物のようなざらつきが、こうして会話をする相手と正面から向き合うようになった。自分がこれほどまでに彼に執着したのは、この瞬間が来るのを分かっていたからではないだろうか……カミューは半ばうっとりといった形容の似合う表情で、頼もしい小さな横顔を眺めていた。
 しかし少年は違う流れを歩いて来たのだ。
「めかけの子」
 明らかな憎悪の混じった声は少年のものだった。
 カミューは眉を寄せて少年とマイクロトフを見た。マイクロトフは気づいていないようだが、普段彼らがマイクロトフを辛かって単調に発音する「めかけのこ」とは響きが違っていたのだ。
 いけない、カミューは直感した。しかし間に入る前に少年は口を開いていた。
「めかけの子のお前が騎士になんてなれるはずないだろ。お前の本当の父さんは騎士じゃないんだってうちの父さんが言ってたぞ。お前なんかいなくなっちゃえばいい、めかけの子!」
 カミューは咄嗟に彼の肩を突いた。自分の言ったことの半分も意味が分かっていないだろう少年の言葉は、受け流すにはあまりに重過ぎた。
 カミューに手を出されたことで少年はターゲットをマイクロトフにカミューを加え、臨戦体勢に入ったが、そのトライアングルを形成するひとつの頂点であったマイクロトフが、拳を握ったまま床を見ている様子にカミューは気づいた。
 声をかけようとした瞬間、マイクロトフは顔を上げた。
 憎しみで誤魔化そうとしている悲しみの色だった。
 カミューが言葉を失った隙に、マイクロトフはもうそこから走り出していた。カミューはすぐには追えなかった、最後に見たマイクロトフの目に捕われて。
 それでも同じく呆然としている少年にかろうじて「馬鹿!」と罵声を投げ付けて、カミューも消えた小さな背中を追い掛けた。
 影はとうに掻き消えていた。





この回はシュミです……。
何か犯罪者の気分……(笑)