「お〜い、塔矢ぁ〜こっちや〜」 人に揉まれながら改札を潜る特徴的な黒い頭を見つけ、社清春は手を振った。声に気づいた塔矢アキラは、社の姿を認めて軽く手を振り返す。 改札を出てしばらく続いた混雑からようやく逃れ、大阪駅の一角で二人は再会を喜んだ。 「久しぶりやな。っても三ヶ月か」 「変わりなさそうでよかった。やっぱりこっちは暑いね」 ぱたぱたと手で顔を仰ぐアキラの表情は、どことなく青く見える。 社は僅か三ヶ月ぶりだというのに、少し様子の変わったアキラに眉を顰めた。 「なんや、お前ちょっと痩せたんちゃうか?」 「キミにもそう見えるのか? まいったな、進藤も同じことを言うんだ」 二人は人の流れに乗り、歩きながら話し合った。 社にとっては特におかしなことではないが、普段棋院にいる塔矢アキラを知っている者にとってはおやっと思う光景だったかもしれない。あまり、アキラには同年代の友人と仲良く話すイメージはないからだ。 「それにしてもこっちで手合いなんて珍しいな」 「ああ、初めてだ。事前に連絡しておいてよかった、わざわざ迎えにきてくれてありがとう」 物腰柔らかに微笑むアキラに、社は幾分ほっとする。 社の記憶の中のアキラには、あの北斗杯での鬼のような目が爛々と輝いている。どうにもあの印象が強くて、夢に出そうだった。というか二度ほど夢に出た。 それが今はどうだ、余裕を感じるこの笑み。見た目が多少窶れているが、穏やかな様子は恐らく私生活がうまくいっている証拠だろう。 「まあ、積もる話は飯でも食いながらしよか。うまいお好み焼き食わしたる」 アキラは是非、と頷いた。 目の前でじゅうじゅうと音を立てる生地を、物珍しげにアキラは覗きこんでいる。 コテは完全に社が握り、アキラはふっくらと焼かれたお好み焼きを皿に盛られるまま箸を進めていた。 「阿呆、そりゃ食生活が悪いんや」 社は忙しくお好み焼きを焼きながら、隙を見て自分の皿に乗ったお好み焼きも口に放り込む。見ていると目まぐるしいが、平然とこなす社が彼らしく、アキラは苦笑しつつも次々焼かれるお好み焼きを口にした。 「食生活か。確かに、ここ最近あまり気を使ってないな」 「母親がいないからって適当に済ますからや。お前コンビニとか出前ばっかりなんやないのか?」 「うーん、帰宅が遅い時はそれすら面倒になって」 「せやから痩せるんやろ」 なるほど、とアキラは素直に頷く。 確かに社の言う通り、アキラは北斗杯前後から忙しさが増して、前以上に一人でいる時の食卓が適当になっていたようだ。 コンビニでちゃんとした弁当を購入するのはまだいいほうで、とりあえず炊いた米を茶碗一杯掻き込むか、ひどい時は牛乳一杯飲んで寝てしまうなんてことも少なくなかった、なんてアキラが言うものだから、社は呆れながら忠告する。 「一人やからって甘えたらあかんで。ちゃんと自炊せんと」 「何度か挑戦してみたが、あまりうまくいかなくて」 「料理が?」 「ああ。」 アキラは現在のように食事の支度が面倒になる前に、試してみたという味噌汁の話をし始めた。 「味噌汁ということは、味噌の汁だろう? そう思ってお湯に味噌を溶いたんだがいまいちボクの知っている味と違うんだ。野菜をたくさん入れたらそれなりに近くはなるんだけど、やはり何か足りなくて」 「……そりゃダシがないからやろ」 「ダシ……、そうか、ダシか。なるほど」 社は真顔で感心するアキラにため息をつく。 どんなボンボンやねん。ツッコミを入れたかったが、かつて二度ほど訪れた塔矢邸を思い起こし、あの家の一人息子なら仕方ないか、と社は肩を竦めた。 「まあええわ。今度母親帰って来た時にいろいろ聞いとくんやな。お前、自覚ないみたいやけどほんま痩せたで。頬こけとるやないか」 「そうかなあ……」 「ほんまやって。進藤も心配しとるんやろ? あいつ元気か?」 ヒカルの名前を話題に出すと、途端にアキラの表情に暖かな微笑が生まれた。 こーゆーとこはアイツと同じやな。社はかつて北斗杯会場となったホテルでヒカルを諭した夜を思い出す。 あの時のヒカルの無自覚っぷりは酷かった。うじうじ訳の分からないことで悩んでいると思ったら、アキラの名前を出した途端に嬉しそうに頬を染めて。恋心を指摘したらしたで、パニックを起こして大暴れだ。 これは今夜当てられそうだ。社は惚気を覚悟した。 「その様子やと、うまくやっとるみたいやな」 「おかげさまで。その節は本当に世話になった。ありがとう」 律儀にきっちり頭を下げるアキラのつむじを見ながら、社はよせよせと手を振った。 「まあ、なんや。俺もおせっかいやと思ったんやけど、お前らがぐじぐじしとるの似合わんからな。うまいこといってよかったわ」 「本当に感謝してるんだ。まあ……あの夜嘘をつかれた事実は消えてなくなりはしないが……」 そう言ってちらりと頭を上げかかったアキラの、血に飢えた日本刀のような瞳を見た瞬間、社の背筋がビクリと震え上がった。 「心から礼を言う。ありがとう、社」 顔を上げきった時にはにこやかな笑顔を浮かべているものだからタチが悪すぎる。 ――お前の本音はどこやねん。 社は今の身も凍るような視線を忘れようと努めた。でないと、またおかっぱ頭の悪鬼に追いかけられる夢を見てしまう。 「ま、まあ、気にすんな。そ、それより仲良うやっとるみたいで安心したわ。進藤の調子も戻ったみたいやし」 「ああ、落ち着いてきたよ。今は集中して打てているみたいだ。今月無事に三段に上がったよ」 「ああ、そやったな! ええなあ、お前はもう五段やし、俺も早いとこ追いつきたいわ」 「そう簡単には追いつかせやしないけどね」 食えない顔で微笑むアキラは、ごちそうさま、と箸を置いた。 気づけば二人がかりで四人前は優に食べただろう。 「お前、食欲はあるんやな」 「まあ、あれば食べるよ。幸い夏バテもしてないし」 「ちゃんと食うもん食っとったら、すぐにそのこけた頬も戻ると思うで。進藤も心配しとるさかい、帰ったらちゃんとせえよ」 アキラは苦笑して、分かったと首を竦めた。 どうやら、アキラを操縦するにはヒカルをダシにするのが一番のようだ。 「で、社。キミ、この後の予定は?」 「え?」 ふいに真顔になったアキラの唐突な話題転換に、社は思わず時計を見る。 時刻は午後の七時すぎ、たった今夕食も終わって、これから特に用事があるかといえば何もない。帰宅して碁の勉強をして寝るだけだ。予定を聞いてくるということは、この後一局とでも言い出す気だろうか? もしそうなら社にとっては有り難い申し出とはいえ。 アキラは明日の朝、日本棋院関西総本部で手合いがある。前乗りした今日、移動疲れもあるだろうからホテルに泊まって早めに休んだほうがいいと思うのだが。 「俺は何もないけど……、お前、もうホテル行ったほうがええんちゃう?」 「そうか、それはよかった。ちなみに明日は?」 「明日? 明日は一日ヒマやけど」 「それなら明日のことを気にしなくてもいいわけか。好都合だ」 ――明日のことを気にしなくてもいい? 社の眉根が寄せられ、その額にじんわり嫌な汗が浮かんできた。社お得意の野性のカンが、何か危険を訴えているような気がする。 目の前の大真面目なおかっぱ男は、付き合いこそ浅いものの、社の想像を絶するような二面性を持っていることはよく分かっている。 何を言い出すか分からない恐怖がそこにあった。そして、案の定アキラが告げた言葉は、社を仰天させるに充分な内容だったのだ。 「実は、折り入って頼みがあるんだが……」 |
アキラの痩せっぷりはただの食糧難でした。さすが社<超便利屋
また微妙に合ってるか合ってないか分からんタイトルを持ってきましたが、
Beauty(かわいこちゃん)=ヒカル、Stupid(バカ)=アキラとすれば
案外合ってなくもないか……?