Beauty & Stupid






「セッ……!?」
 その第一声を発した途端、テーブルを挟んで向かいに座っていたアキラががばっと立ち上がり、頭を握り潰す勢いで、社の大口を容赦なく掴んだ。
「声が大きい」
「む、むぐ、もが」
 アキラはきょろきょろと辺りを見渡し、誰かが聞いていないか確かめているようだ。しかし、鉄板の焦げる音が充満する店内で、社の大声はそれほど目立ったものではなく、寧ろ立ち上がって社を押さえつけるアキラのほうが余程怪しいことこの上ない。
 ようやく社を解放したアキラは、「静かにしてくれ」と念を押して座り直した。社はすでに逃げ腰である。
「……お前、なんやそら。……セックスの仕方?」
 ぼそりと、特に後半を小声で囁いた社に、アキラは冗談など一欠片もない顔で頷く。
「ああ」
 社は遠い目で店内のメニューをぼんやり眺める。
 大阪の夏は東京モンには暑すぎたか……
「社、ボクは本気だ」
 せやからタチ悪いんやろが。怒鳴りたいのをぐっと堪える。
 そう、アキラは真剣そのものでとんでもないことを言い出したのだ。
 ――セックスの仕方を教えて欲しい――
 なんだか全身の毛穴から空気が漏れていくような気がする。いっそぺしゃんこになってふわふわ風に吹かれてしまいたい。
 しかし、そこそこおせっかいでお人好しな社は、健気にも詳しい事情を聞こうとアキラに向き直ってしまった。自ら不幸を呼び寄せる気があることは、薄々感づいてはいるらしいのだが。
「いきなりなんや? お前ら……まだ、っちゅうことか?」
「いや、実は何度か」
「ヤっとるんかい! なら仕方もクソもないやろ」
「それはそうなんだが、その、具体的なコツというものが……分からなくて」
 アキラは薄ら頬を染めながら(勿論、今更恥らったって遅いわいと社は心の中でツッコんだ)、いまいちうまくいかないんだ、と続けた。
「自分なりに本を読んで勉強はしてみたんだが。主な順序やちょっとしたテクニックはよく載っているのに、基本的なことがあまり書かれていないんだ。これはもう、誰かに聞いたほうが手っ取り早いかと思って」
「お前どんな本読んでんのや……って、その前になんで俺やねん」
「見た目」
 アキラは実にきっぱりと言い放った。
「キミは見た目が軽薄そうでそういった経験が多そうだから。ああ勿論、キミが童貞なら無理にとは言わない。もしそうなら悪いことを言ったね」
「……お前、自覚なく敵作るタイプやろ」
「あとは、キミなら……ボクらのことを知っているから、変に思われることもないだろうし」
 ――変や! 充分変やっちゅうねん!
 頬赤らめてはにかんだって無駄やっちゅうねん! 恥じらいっちゅうか恥やんけ!
 社は髪をがしがし掻き毟りたい衝動をギリギリのところで堪える。
 アキラは性の欠片も匂わせないような上品な顔で、「で、教えてくれるの? くれないの?」とにっこり笑顔を見せる。
 首を横に振りたいのに、向かいに座るおかっぱの目が笑っていない。――そうか、これは頼みごとじゃない。脅迫なんだ。
 なんかもう、寝たふりとかしてしまおうか。今対峙している熊には一撃で殺られるだろうけど。
「社……返事」
「教えさせていただきます」
 額をテーブルに擦りつけた社に、アキラは満足げに微笑んだ。



「……で、どんなんが見たいんや」
 お好み焼き屋を出てからしばらくして、社とアキラの二人はなぜかレンタルビデオショップに立っていた。
「うーん、……できれば男同士がいいんだが」
「アホンダラ! そこまで付き合えるか!」
「じゃあ、別に普通のでいい。とりあえず動きが見たいんだ」
「普通の、ね……」
 社はぐったりしながら、自分より目線の低い男にさあさあとけしかけられてビデオショップに入る。いらっしゃいませーと明るい女性店員の声が耳に痛い。
 入るとすぐに目に付く洋画、邦画の棚を真っ直ぐ通り過ぎなければならないのだ。目指すは入口にカーテンのかかった、肌色ときめく男の夢の世界へ。
「お前、一回も借りたことないんか?」
「ああ、そういうのには興味なかったから。キミは?」
「まあ……人並みにやな」
 後ろめたいことをしているはずなのに、こうもはきはきと質問されると調子が狂ってしまう。
 社はぽりぽりとこめかみを掻き、いざカーテンを潜らんと手をかけたのだが、アキラがそこから先についてこようとしない。
「……なんや、お前何しとるん」
「キミ一人で行ってくれ。ボクはそういう場所にはあまり似つかわしくない」
 張っ倒したろかい。思わず飛び出るツッコミを抑えるのが精一杯だ。
 お前が見たいちゅーから借りるんやろが、とその腕を掴みたくても、鈍く光る黒い瞳は社に有無を言わせない。
「……行ってくる」
「あ、なるべく進藤に似た可愛い女優を選んでくれ」
 おるかい! ――力いっぱい心の中で叫んでから、社は一人でげんなりとカーテンを潜った。
 桃色のパッケージが目に眩しい。普段なら心躍る場所だというのに、今は釘を刺されたように心臓が痛い。ひょっとしたらアキラに何か仕込まれているのかもしれない。髪の毛は抜かれていなかっただろうか――社はぼんやりそんなことを考えながら、ずらっと並んだ棚を見渡した。
 アキラが言うには、
『最初は挿れるのも難しかったが、今は何とかクリアした。問題はその後だ』
 とのことだ。
 どうやら、どうやって腰を動かしたらいいのか分からないらしい。あまり乱暴に動かすとヒカルが痛がるので、結果的に少しもぞもぞとしただけであえなく終了、というパターンから何とか脱却したいようだ。
(……進藤、同情するで)
 ――あいつ、下やったんか。
 社はふっと切なげに笑い、アキラのリクエストになるべく合うようなビデオを探す。
 「お兄ちゃんと一緒」……この子可愛えけどこれはダメやな。ちょっとロリ入っとるし、何より茶髪のふわふわパーマはあかん、進藤と違いすぎる。
 「人妻団地」……これもあかんな。ちーと年食いすぎてるし。このオバハン、目が細っこくて進藤には似ても似つかへん。
 「イカせてあ・げ・る」……おお、この姉ちゃんごっつ好みや。出るとこ出とるし、顔も小悪魔っぽくてええ感じやんけ。でも髪長すぎるな。進藤とは……
(進藤に似た女がおるかいー!)
 このコーナーに入る前にも同じ台詞でツッコんだはずだが、一応一人でもお約束はこなすものらしい。
 社は散々悩んだあげく、軽い金髪でショートカットの童顔な女の子が出ているごく普通のアダルトビデオを手に取った。
(道具もなし、コスプレもスカトロも鞭もなし、こんなんでええやろ)
 カーテンを再び潜って現実の世界に戻ると、アキラの姿が見えなかった。
 あまりおおっぴらに持ち歩きたくないものを手にしているため、社は早々にレジに向かう。こういう時に限って、レジには女性しかいないのは何かの陰謀なのだろうか。
 無事にビデオを借り終えて、いざアキラを探すとアキラは純文学の邦画コーナーにいた。後ろから絞め殺したくなったが、返り討ちにあうこと間違いなしなので渋々手を引っ込める。
「……おい塔矢、借りたで」
「遅かったね。待ちくたびれた」
「……ほんまブン殴るで」
 聞こえないようにごくごく小声で呟いた。






アキラ壊れました。(元々?)
アキラなりの、社への信頼の表れがコレと思われます。
ひどい展開ですけどもっと酷くなりますから……