「……全てはsaiのせいだと恨んだよ。あれから随分saiを探したんだ。再戦すべきだと訴えるためにね。もう一度打って父が勝てば、きっと父は引退を考え直すと思ったんだ……しかしsaiはそれから二度と現れなかった」 「塔矢……」 アキラは自嘲気味な笑みを浮かべ、ふわっと両肩を持ち上げた。 「……でも、もしもsaiが現れて、再戦を受け入れてくれたとしても……それで父が勝ったとしても、父はきっと引退を撤回しなかっただろう」 「え……?」 「本当は分かっていたんだ。父の引退の本当の理由を……」 行洋は、saiと打つことで囲碁を打つことの面白さを取り戻したに過ぎなかったのだ。 立場も年も国境も越えて純粋に碁を楽しむという原点を、saiとの対局で改めて認識したその喜びが、行洋にしがらみを離れて自由な一棋士となる道を選ばせた。 それが分かっていながら、アキラは認めることができなかった。 父とプロとして向かい合いたいというささやかな夢。もしも自分がsaiほどに、sai以上に強かったら、父は考えを改めて自分の成長を待っていてくれただろうか? 自分には父の考えを変えさせるほどの力はない。それがたまらなく悔しかった。 そうして意地を張ったのだ。父の引退をsaiのせいと思い込み、大好きな囲碁から離れて、駄々をこねる子供そのもののように…… 「でも……キミと打って、久しぶりの対局が凄く……楽しくて。ボクは囲碁が好きなんだって、改めて思い知らされた。そして、父の言葉がやっと心から理解できた」 「言葉?」 「ああ。この身さえあればいつでも本気の碁は打てる――キミとボクのあの一局は、まさにそうだった」 アキラは腰を捻って身体ごとヒカルに向き直り、躊躇いの残る控えめな笑顔を見せた。 「打ってる最中、キミに父を馬鹿にされたことなんか忘れていたよ。勝ったことへの喜びよりも、創り上げた素晴らしい一局への喜びのほうが大きかった」 「塔矢」 「キミも……saiが消えてから、ずっと碁を打っていなかったんだろう? 久しぶりの対局を、楽しんでくれたんじゃないのか?」 ヒカルははっと顎を上げた。 アキラが何気なく言った言葉に過敏に耳が反応し、口は思わずそのことを追及しようと開いていた。 「お前……、佐為が消えてからって……、俺の話、信じてくれんの……?」 「夕べ言っただろう? 今なら何を聞いても信じられる気がするって……」 「ホントに……? 俺のこと、頭がおかしいってバカにしない……?」 アキラは軽く首を傾げて笑った。 「バカにするような相手に、こんな話はしないよ」 暗がりで細かい表情までは分からないのに、ヒカルにはアキラの目が酷く優しく感じられた。 佐為の存在を認めてくれた、と思った途端、引っ込んでいた涙がまたヒカルの瞳を突付いて溢れてくる。 ヒカルは腕を目元に押し付けて、嗚咽を堪えながら言葉を漏らした。 「お……、俺、本当は、佐為が消えたのは俺のせいじゃないかって……、俺が佐為を押しのけて打ちたいって言ったから、佐為が消えちゃったんじゃないかって」 「うん」 「だから、佐為がいなくなった後に俺が碁を打っちゃダメな気がして……誰かのせいにしたかったんだ。佐為が消えたのは俺のせいじゃない、そう思いたくて……」 「……うん」 しゃくりあげるたびに揺れる肩に、そっとアキラの手が伸びてきた。暖かい手のひらに触れられて、ヒカルは泣きながら顔を上げる。 「ボクも同じだよ。……誰かのせいにしたかった。自分の力不足を人のせいにして、逃げ道を作ったんだ」 「塔矢……」 「ボクら……なんだか少し似ているような気がする」 ふふ、とアキラが品の良い笑い声を零し、ヒカルも思わず釣られて口唇の端を持ち上げた。 「キミさえ良ければ、ボクのことをもう嫌わないでくれると嬉しいんだけど。……ボクはまたキミと打ちたいんだ……」 少し照れくさそうにぼそりと呟いたアキラへ、ヒカルはこれまでの自分勝手な態度を思い起こして薄ら頬を赤らめながら、小さく頷いてみせた。 「……うん。俺も、お前と打ちたい……」 ヒカルの小さな声を確かに拾ったアキラは、ほっとしたように肩の力を抜いてにっこり笑った。 闇の中でもはっきり分かる笑顔に、ヒカルも気恥ずかしそうに笑い返す。 アキラは満足げに立ち上がって、軽く伸びをした。 「……聞いてもらえてすっきりしたよ。ありがとう」 「お、俺こそ……今まで、ゴメン」 「もういいよ。それより、そろそろ眠って? ここ数日ずっとまともに寝ていないだろう。キミも疲れてるだろうから」 そんなことを言いながら、アキラは何故かヒカルのベッドの傍らに膝をついてそこから立ち去ろうとしない。 ヒカルは不思議そうにアキラを見て、「何してるんだ?」と尋ねた。 「キミが眠るまでここにいるよ。また、魘されるかもしれないから」 平然と答えたアキラにヒカルはぎょっとした。 「な、何言ってんだよ、一人で大丈夫だよ!」 「しかし、キミはここ連日ずっと魘されていた。あの押し殺した泣き声を聞くと、なんだか胸が掻き毟られるような気分になるんだ」 ヒカルは顔を赤らめ、気づかないうちに自分がかけていた迷惑に気づいて口唇を噛む。 アキラの言うとおり、夏目から幽霊の話を聞いてからというもの佐為と別れる夢ばかり見ていた。まさか実際に泣いていたとは昨夜起こされるまで全く知らなかったが、アキラの口ぶりでは夢を見ている間中うるさくしていたようだ。 恥ずかしさにヒカルが返事を出来ずにいると、アキラは特にバカにした様子もなく、それどころか真剣な口調でヒカルを諭した。 「誰かが近くにいたら気配で安心することもあるだろう。大丈夫、キミが眠ったらちゃんとベッドに戻るから」 「うーん……」 「さ、眠って」 言葉の割に強い口調でどんと構えたアキラは、どうやら言い出したら聞かない強引なタイプのようだ。 そういえば、と口喧嘩で絶対に引かなかったことを思い出したヒカルは、渋々アキラの言うとおりベッドに横になった。 しかし、傍に人がいて安心するというよりは、存在が気になってなかなか眠れない。おまけに少し前まで一方的に嫌っていた相手だ。なんだか気恥ずかしい。 (佐為がいた時は他の人の気配なんて気にならなかったのに……) ふとそんなことを思い出して、ヒカルはまた少しだけ寂しさを覚えた。 しかし、昨日までのような胸にぽっかり穴が開いたような感じではない。 先ほどのアキラの話を聞いてから、なんだか気持ちが落ち着いている。 (誰かのせいにしたかったんだ……) 自分のせいで消えてしまったかもしれない、と思うには自分はまだ幼すぎた。佐為が消えた事実を受け入れられる容量はこの心にはなく、人に責任を押し付けることで逃げ場を作っていたのだ。 でも、そんなところがアキラと似ていると言われて、尖っていた気持ちがほんの少し丸まった。 自分だけじゃない――そんな安心感が気持ちを楽にさせたのかもしれない。 そして、アキラが打ちたいと告げた言葉に「俺も」と返した時、今まで無理に押さえ込んでいたものが鮮やかに解放された気がしたのだ。 (俺……打ってもいいかな、佐為……) 呼びかけに返事はないけれど、胸の中で佐為が微笑んだような気がした。 (……お前、俺のこと……ずっと見守っててくれる……?) うとうとと瞼を震わせながら、遠い面影を想って静かに眠りとの境をさまよい始めた時―― 「……っくしゅ」 ヒカルの目がぱちっと開いた。 思わず身体を起こすと、ベッドの傍の塊が申し訳なさそうに身じろぎする。 「すまない、起こしたか?」 ぐす、と控えめに鼻をすする音がする。 ヒカルは慌ててアキラに声をかける。 「バカ、お前寒いんだろ? そんなとこにいるから……俺もう大丈夫だからさ、自分のベッド戻れって」 「いや、何ともない。今度は静かにしているから眠ってくれ」 頑固な返事にヒカルは渋い顔になったが、アキラはお構いなしだ。どうやら傍にいることが最善の方法だと信じて疑っていないらしい。 すっかり目が冴えて眠れなくなってしまったヒカルは、寝たふりをしてごまかそうと寝息のようなものを立ててみたが、アキラが立ち去る気配はない。狸寝入りに気づいているのだろうか? アキラが気になってどんどん眠気が遠のいていく。 (あー、もう……!) ついに業を煮やしたヒカルは、ずずと身体をベッドの奥へずらし、空いた手前側の布団の端をめくった。 「……狭いけど。こっち、入れよ」 「え……」 アキラがきょとんとヒカルを見た。 ヒカルは顔を真っ赤にし、言い訳するように早口でまくしたてた。 「だって、お前が戻らないって言うから! 風邪引かれんのもやだし! そんなとこで座り込まれたらかえって落ち着かなくて眠れねえじゃん!」 ヒカルの言い分に目を丸くしていたアキラだったが、一理あると思ったのだろう、少し躊躇いながらも「じゃあ……」とベッドに足を乗せた。 もぞもぞとすぐ隣で動いていた気配が、無事に身を横たえたようで静かになった。 はあ、とほぼ同時に息をついて、なんだか奇妙な気分になる。 「……人と一緒に布団に入ったのなんて子供の頃以来だ」 「俺だって……」 「……saiは夜はどうしていたの?」 「佐為? ……アイツは、夜はずっと傍にいたよ……」 すぐ隣から聞こえてくる声を少し不思議に感じながら、ヒカルはかつての夜を思い出す。 佐為と一緒にいた懐かしい日々。あの頃のように、近くに他の誰かの気配があるのは同じだけれど、狭いベッドで僅かに触れ合う肩のぬくもりが違う。 衣服越しに伝わる自分以外の体温は、触れたその場所からじわじわとヒカルの身体を温めていく。 佐為と暮らしていた頃のようで、明らかに違う夜。優しさだけは、あの頃とよく似ていた。 『誰かが近くにいたら気配で安心することもあるだろう』 (ああ……そうかも……) 初めて感じた他人の体温の心地よさに、ヒカルはじりじり重たくなってきた瞼に逆らえず、ついに目を閉じてしまった瞬間から、何かのスイッチが入ったかのようにすとんと眠りに落ちた。 その後は夢も見なかった。いや、何か見たかもしれないが覚えていない……アキラに揺り起こされるようなことはなかったから、魘されるようなものはきっと何も見ていないはずだ。 翌朝、同じベッドで目を覚ました二人は、最初は状況についていけずに呆然とお互いを見て瞬きを繰り返していたが、やがて昨夜のことを思い出すと照れくさそうに笑い合った。 「おはよう」 「……オハヨ」 同室になって以来初めての朝の挨拶を交わし、いそいそとベッドから降りて着替えを済ませる。 並んで朝食に行くのも初めてのことで、その和やかな様子を見て周囲の生徒たちが唖然と二人を遠巻きに見守っていた。 *** 放課後を向かえ、ヒカルは小さなあくびをひとつ、まだ少し眠そうな目を擦った。 夕べも遅くまで話し込んでいたものだから、いくら後半にぐっすり寝たと言ってもまだまだ寝足りない。今日は部屋で早めに休もうか――そう考えて、もう消灯間際まで時間を潰さなくても良いことにほくそ笑む。 「進藤」 一人ニヤニヤしていると、アキラが声をかけてきた。 アキラも少しだけ目が赤い。きっと彼も眠いに違いない。 二人はクラスメートの好奇の視線に囲まれながら、仲良く教室を後にした。 廊下を歩きながら、アキラが思い出したように口を開いた。 「そうだ、夏目くんから伝言を頼まれていたんだった」 「夏目から?」 「キミさえよければ、囲碁部に入らないかって」 「囲碁部……」 ヒカルが口を噤む。 アキラはそんなヒカルの様子を横目で伺い、すぐに視線を正面に向けて続けた。 「ボクも誘われたけど。……でも、やっぱり断ろうと思ってるよ」 「え……」 不安げにアキラを見たヒカルに、アキラは静かに微笑してみせた。 「今年の夏、プロ試験を受ける。プロになったら、部活動とはいえ大会にも出られないからね」 自信ありげにそう告げたアキラを見て、ヒカルは目を丸くした。アキラは意味ありげにヒカルに目配せしながら、 「だから、できればキミにも囲碁部の入部は諦めて欲しいんだけど……」 含みのある声でそんなことを誘いかける。 ―― 一緒にプロにならないか。 アキラの思惑をはっきり理解したヒカルは、その大きな課題に思わず頬を高潮させる。 ヒカルの戸惑いを理解したように、アキラは一度にっこりと笑うと、ひとつ提案をした。 「……入部しないとしても、人数の少ない囲碁部のことだ。ボクらが顔を出すだけでも喜んでくれるかもしれないよ。……どうだ、これから一局?」 ヒカルはその提案に目を輝かせ、顔いっぱいに笑い返して大きく頷く。 「おう! 望むところだ!」 並んで歩く二人は、勇んでいざ理科室へ。 いつまでも立ち止まっていられない。胸に抱えた新しい目標に心ときめかせ、明日に向かって前進していく。 仲の悪かった同室者から、同じ夢を目指すライバルとして。変化した関係がくすぐったくて、何だか誇らしい。 ――佐為。俺、プロになるよ。それで……お前の教えてくれた碁を、ずっとずっと打つんだ。 道はまだ始まったばかり。 五月の爽やかな風が二人を祝福するようにさわさわと木々を揺らしていた。 |
30万HIT感謝祭リクエスト内容(原文のまま):
「パラレルでも可でしたら、やはり学園ものですね!
原作では見られなかった2人の学生生活があれば何でもOKです。
6周年リクの生徒会関連でもいいですし、全寮制で
同じクラス・同じ寮部屋というのもいいかも!
最初から2人が仲良しさんでも犬猿の仲
(でもお互い気になってる)でも楽しめそうです。
もしよければ、よろしくお願いします!」
あ、あれ、これで終わり??
普段はおっとりしてるけどキレると怖い風紀委員長伊角さんは?
寡黙でミステリアス(←?)な生徒会長岸本先輩は?
何かとチクチク突っかかって来る下級生の越智は?
大阪からやってきた一癖ありそうな転校生社は?
……とまああらゆる可能性がありそうな貴重なリクだったのですが、
アキヒカに発展する前に終わってしまいました……す、すいませ……
TEENAGE〜ほどはっちゃけきれず、One more〜ほど突っ込み切れなかった
中途半端なお話になってしまいましたが、楽しかったです。
機会があれば続き書いてみたいです〜今度こそアキヒカまでの道のりを!
(ラストの不自然な添い寝が精一杯のアキヒカアピールだったらしい)
リクエスト有難うございました!
(BGM:CHANGES/河村隆一)