DRAMATIC? DRASTIC!






 結局、ひどいことになってしまった。

 打ち掛けで他の棋士たちはほとんど食事に出かけ、残った数人が店屋物を食べている。アキラは無意識にヒカルの姿を探し、食事に出かけた彼がいるはずもないことを再確認して苦笑した。
 手合いの最中に昼食をとらないアキラは、普段ならこの時間も手合いの内容に集中しているのだが、今日は相手が格下なせいもあり注意力は散漫だった。
 あれだけ自分に言い聞かせたつもりだったのに、一度好きだと口にしてしまえばなんてあっけないのだろう。
 元々大きなヒカルの目が、驚きで更に大きくなった顔を思い出す。すっかり面食らっていた様子だった。表情豊かな彼がなんだか可愛らしく見えてしまって、調子に乗って口唇を奪い、……舌に噛みつかれた。
(ボク、舌入れるキスなんてどこで覚えたんだろう)
 大した予備知識もなかったくせに、ごく自然にするする差し込んだ舌先で、一瞬ヒカルの暖かさを感じた。でも本当にほんの一瞬で、後は激痛にすぐ顔を離してしまったのだが。
『何勝手に舌まで入れてんだよー!』
 耳まで真っ赤にしなから怒るヒカルだったが、それはふいうちへの純粋な怒りだけで、アキラがショックを受けるような嫌悪感みたいなものは感じられなかった。……と思いたかったのかもしれない。
 これも都合の良すぎる解釈だろうか? アキラはその後のやりとりを思い出しながら、微かに思い出し笑いをする。それは端から見ればとても優雅な微笑みで、まさかあの塔矢アキラが進藤ヒカルに言い寄った様を思い浮かべて笑っているとは想像もつかないほど上品だった。

 ――もー、やだっ! お前あっちいけっ!
 ヒカルが子供みたいな怒り方をするため、アキラもあまり危機感を感じることなく、ごく普通に頭を下げて謝る。
「ごめん」
「お前、ちっとも悪いと思ってないだろっ! 人の許可もなく、さ、三回も、き、き、キスしやがって!」
「でもキスしたかった」
 しれっと答えるアキラに、ヒカルは髪をがしがし掻き毟って身悶える。
「俺の意志無視かよ! は、初チューだったのに!」
「ボクが初めて? 嬉しいな」
「喜んでるんじゃねー!」
 そのうちヒカルは怒る気力もなくしたのか、アキラから一人分離れたソファにどっかり腰を下ろした。はあ、と大きなため息で背中が沈む。すっかり疲れたという様子だった。
 アキラも昨夜遅くまで慣れない酒で苦しんだため、こうして場が静かになると妙な疲労感が湧き出てくる。しばらく、二人とも何も言わずに黙って座っていた。
 アキラは、ヒカルがアキラを拒否してこの場を出て行かなかったことを素直に嬉しく思っていた。本当だったら二、三発殴られたっておかしくないことをしたのだ。それなのにヒカルは、ぶつぶつ言いながらもアキラからほんの少し離れるだけで、この空間を嫌がっているわけではなさそうだ。
「――……で、お前はどうしたいんだよ」
 ぼそっとヒカルが呟く。アキラはヒカルを振り向かずに、昨日好きだと告白した時から決めていた答えを返した。
「キミもボクを好きになってくれるといい、と思ってる」
「……俺ら男同士だぜ」
「そんなの分かってるよ」
 今のヒカルに、ヒカルだから好きなんだということを説こうとしてもすぐには分かってもらえまい。
 しかも今は北斗杯予選前の大事な時期。本当ならこんなふうに動揺させてはいけなかった。全て暴走してしまった自分が悪いのだけれど。
「……好きになってくれとは言わない。なってくれるといいな、と思ってるんだ。今すぐじゃなくていい。ゆっくり、これからもずっと一緒にいられたらボクはそれでいい」
「ずっと?」
「ああ。そして一緒に碁を打つ」
 アキラはそうしてヒカルを見た。ヒカルも少し前からアキラを見ていたようで、二人の目が合う。ヒカルは少し気恥ずかしそうに上目遣いになったが、目を逸らしたりはしなかった。
 この潔さが好きだ。あれだけ大騒ぎしていたのに、今は状況を理解しようと彼特有の高い順応性が働いている。
「キミとずっとずっと碁を打ち続けていたい。その時間をキミも幸せだと思ってくれたら嬉しい。キミに触れたいとか、キスしたいとかはその二番目でも本当は構わないんだ」
 言葉がするすると出てくる。自分でも驚いていた。
(――ボクは、こんなふうに考えていたのか)
 彼が好きで、苦しいとしか思っていなかったはずの感情は、本当はとても単純明快だった。
 碁を打つのが好き。ヒカルと打つ碁が好き。ヒカルが好き。
 もちろんたったこれだけで、あんな夢を見るような欲望を持ったりするはずはない。自分は更にひとつ飛び越えてしまったようだ。
(では相手が進藤でなければならない理由は?)
 アキラの思考はそこで行き詰る。
「……俺も、お前と碁打つのは好き」
 ヒカルが小さく言葉を落とす。
 アキラが思わず身を乗り出しそうになると、ヒカルの顰めっ面があんまり近づくな! と牽制した。
「でも、お前のこと好きかはわかんない」
「わかんない? ……それって、ひょっとしたら好きかもしれないってこと?」
 更に身を乗り出すアキラに、ヒカルはジェスチャーつきで「しっしっ」と後退を指示する。
「だから、わかんねぇって! 俺、今碁のことばっかり考えてるし、確かにお前と一緒にいるのは嫌じゃないけど、キ……キスしたいかって言ったら違うし」
「進藤」
「でも男だからって理由で嫌なのとはちょっと違う……なんかお前あんまり男ってカンジしねぇし、キレイだからかな? だからわかんない」
「それって……少なくともボクを気持ち悪いとかは思ってないってこと?」
 ヒカルは頷く。アキラの顔に幸せを表情にしたらこんな感じだろうか、と思うような笑顔が浮かんだ。
「進藤、ありがとう」
「べ、別に、ほんとのことだし」
「じゃあ、たまにキスとかしても怒らない?」
「それはダメ! 大体なんでそうなるんだよっ!」
 再びにじり寄ろうとしたアキラを、ヒカルはぶんぶん腕を振って威嚇した。
「気持ち悪くはないんだろ」
「そ、そうだけど!」
「ボクはキミと碁を打ち続けたいけど、キミと一緒にいると自制心がきかなくなるときがあるんだ。そんな時にキスしてしまうかもしれない。それでもボクと碁を打ちたい?」
 言っていることは無茶苦茶だと自分でも思っていたが、ヒカルが真っ赤な顔で真剣に悩むのを見て、少し可笑しくなってしまった。
 こんなにとんでもない話だというのに、ヒカルは大真面目でつきあってくれている。
 アキラの存在を否定せず、突然の告白も拒否せず、ヒカルなりの正直な気持ちを話してくれている。
(進藤、ありがとう)
 アキラはもう一度心の中で礼を言った。
 しばし悩んでいたヒカルは、口唇をへの字に曲げながら、それでも小さな声で告げた。
「……塔矢と碁、打ちたい」
 アキラの顔が輝いた。
「嬉しいよ、進藤!」
「わぁっ、バカ、抱きつくな! そーゆーのはなるべくナシ!」

 ……思い出すとニヤけてしまう。
 ヒカルに拒絶されなかった。それだけでも嬉しいのに、自分と碁を打ちたいと言ってくれた。受け入れるのは難しいと分かっていながら、受け入れない道を選ばないように考えてくれた。
 ひょっとしたら、まだヒカルはアキラの言葉がピンときていないのかもしれない。それまでの、会えば火花を散らすライバルだった相手から、突然愛を告白されてすんなり納得する人はそうそういるまい。
 アキラは自分の言葉を反芻する。ゆっくりでいい。
 今よりもっと時間が経って、やっぱりヒカルが自分を受け入れられなくても、彼と碁を打つ自分は残る。
 ヒカルがその道を残してくれた。
「充分贅沢だ」
 思わず囁いた時、院生時代の仲間と食事に出かけていたヒカルが戻ってくるのが見えた。しばしアキラは細めた目でその姿を追い、こちらを振り向こうとしないヒカルに微笑む。
 そして、穏やかな顔を捨て、軽く瞑った目を開いた瞬間にアキラは勝負師の顔に変わった。
 午後は十分もあれば充分。
 戻ってきた集中力に、アキラは対局への確かな手ごたえを感じていた。





なんとなく、うちのヒカルには悩んで欲しくないというか。
若先生もひたすらバカでいて欲しいんです。
素敵な二人は素敵なサイトさんでたくさん読めるので、
うちはバカと脳天気のまんまでいて欲しいなあと。
(BGM:DRAMATIC? DRASTIC!/BOΦWY)