electric man






 弥生三月、春遠からじ。
 ぽかぽかとした陽気を肌で感じることが多くなったとはいえ、時折強く吹き付ける風の冷たさにはまだまだ身が竦む。
 踏み締めた慣れない駅のホームで、後ろから忙しなく流れて来る人波を物ともせず、社清春は小さく両拳を握って顔を引き締めた。
「――おっしゃ」
 小声で気合いを入れ、大股でずんずんと歩き出す。
 新幹線に揺られること約三時間。無事東京の地に下り立った社は、明日行われる北斗杯の代表予選に余念がなかった。




「お〜い、社〜」
 手を振る人影ふたつ。
 人込みの中でも目立つ金色の前髪は目印に丁度良い。
 長身の社はひょいと手を上げて、彼らに合図を返した。
 人の流れから少し離れた場所で自動販売機に寄り掛かっているヒカル。その隣にいるのは和谷だ。どちらも社にとって親しい友人であり、棋士仲間である。
「よ、久しぶり」
「元気だったか?」
 ヒカルと和谷の元へ辿り着き、軽く手のひらを叩きあって再会を喜んだ。
 ふと、社は二人の頭を見比べて首を傾げる。
「なんや、進藤のほうがデカかったか?」
 見れば和谷よりもヒカルのほうが目線が高い。並んだ二人と会うのは随分久方振りだが、以前の記憶ではヒカルのほうが和谷より小さかったはずだ。――そういえば、昔はもう少しヒカルを上から見下ろしていたような気がする。
 和谷がぶすっと口唇を尖らせた。
「こいつ、まだ成長期なんだよ。中学生のガキかっつーの」
「抜かされたからって拗ねんなよ〜。俺この一年で五センチくらい伸びたもん」
「なーんか進藤に抜かされると無性に腹立つんだよな〜」
 ヒカルと和谷の会話を笑って聞いていた社は、無意識に今ここにいないアキラの姿を思い浮かべた。
 アキラもそこそこの長身だが、今のヒカルと比べたらどちらが大きいのだろう。
「そんじゃ飯食いにいく?」
 笑顔のヒカルに顔を覗き込まれて、少し仰け反った社はすぐに頷いた。
 電話やメールでのやりとりはあれど、彼らと実際に顔を合わせるのは数ヶ月振りだ。
 くだらなくも肩の凝らない近況報告を交わしながら歩き、大袈裟に笑ったり驚いたりしていたら店までの距離はあっという間だった。


 第四回北斗杯を前に、今年も行われる代表選手の選抜予選。
 例年通り、昨年代表選手として選ばれた社とヒカルには、十八歳以下の棋士たちであらかじめ行われた予選に勝ち抜いた棋士とそれぞれ争い、その対局に勝ったほうが代表選手の権利を得るという予選シード枠が用意されていた。
 ただ、これまでと違うのは、今年はその予選シード枠にアキラも加わることだ。前回までは無条件で出場を許されていた彼だが、今回は自ら予選からの参加を申し出たらしい。もっとも余程の事がない限り彼が予選落ちだなんて状況にはならないだろうから、結果は同じことかもしれないが。
 その予選決勝を明日に迎え、社は勇んで東京まで繰り出して来た。アキラは遅くまでかかる仕事があるらしく出迎えには来られないとのことだが、代わりにヒカルが和谷を連れて駅まで顔を出してくれた。
 和谷は年齢制限のため今回の北斗杯に参加することはできない。去年、予選でヒカル相手に白熱した展開の末破れた和谷が、やけに清清しい顔でヒカルを讃えていた様を昨日のことのように思い出す。
「こうなったらお前ら、最後まで同じメンバーで行けよ。越智には悪いけど」
 三人で入ったファミリーレストランで、もぐもぐとハンバーグを頬張りながら和谷が社とヒカルを交互に睨む。
 社はヒカルと顔を見合わせてにやりと笑った。――もちろん言われなくともそのつもりである。
 ヒカルは先ほどドリンクバーで新しくお代わりしてきたばかりの炭酸飲料をごくりと一口含み、ぷはっと小気味良い息を吐き出しながら言った。
「越智、大分気合い入ってるみたいだけどな。アイツ棋院で会ったら盤外戦仕掛けて来たし」
「そうなん?」
「うん、突っかかってくるぜ〜普段はこっちから話し掛けないと余計なこと言わないのに。ピリピリしてる」
「越智かて三年連続で弾かれとるからな。ま、こっちも譲る気はさらさらないけどな!」
 社が歯を見せて笑うと、ヒカルも当然とばかりに不敵な笑みを浮かべた。
 そんな二人を前に、和谷が何処か苦々しい微笑みを見せていた。
「まったく。お前らのせいで俺も三年出番がなかったんだからな。一気にお前らがいなくなる来年、北斗杯はどうなるんだって心配されてんだぞ」
「そんなことねえって。この前の新初段、乃木先生相手にいい勝負してたじゃん」
「そーそー。気ぃ抜いてられんわ、ほんま次から次へと怖いやつらが来よる」
 言葉の割にはのんびりとした口調の二人に、和谷は若干呆れ顔になった。
「くっそお、差ぁつけられてるよなあ北斗杯組には。お前らも塔矢も余裕かましやがってよ。あ、そういや知ってたか社、塔矢のヤツ一人暮らし始めたんだぜ」
 和谷が端の先端を振りながら社にそんな話題を振って来る。社はほんの一瞬言葉に詰まり、それでもおかしな話の流れではないはずだと咄嗟に判断して答えた。
「あ、ああ、知っとる。本人から去年聞いた」
「そうなのか? そっか、お前ら結構連絡取り合ってるんだっけ。わざわざ一人暮らししないでもいいような気がすっけどなあ。どうせ親はほとんど留守してんだし。でっかい家なんだろ? お前ら毎年北斗杯前に合宿やってたよな」
「お、おう、でっかいで」
 何でもない話題のはずなのに、つい向かいに座るヒカルを意識して声が上ずってしまう。
 社は焦る自分を叱咤しつつ、ちらりと黒目を動かしてヒカルの様子を伺った。……別段表情を変えることもなく、ヒカルは落ち着いてコップに口をつけている。
 とん、とヒカルが置いたコップの音に社はびくりと肩を竦めた。ヒカルはいつも通りのきょろっとした目を和谷に向けて、ごく自然に会話に入って来る。
「ま、あの家でかいからさ、一人で暮らすにはちょっと広すぎるかもな。な、社、あの家すげぇよな」
 それどころか当たり前のように鉾先を向けてくるヒカルに、社は内心たじろぎながらも平静を装ってみせた。
「せ、せやな。むちゃくちゃ広いからなんや落ち着かんちゅーか……一人暮らしのほうが楽っちゃ楽やな」
「そんなに広いのかあ。すげえな、塔矢先生って現役の時の収入億単位だったって言うしなあ」
 和谷が何処か遠くを見つめてほおっとため息をついた。夢見がちなその目を見たところ、今の会話を妙に勘ぐられたりといったことはなかったようだ。社も小さくほっと息をつく。
「そういや一人暮らしって言えば、お前も来月家出るんだっけ?」
 ヒカルが社に軽く首を傾けながら尋ねて来た。和谷が身を乗り出して目を丸くする。
「え、そうなの?」
「お、おお。実はそうなんや」
 そこから話題は社の一人暮らしの準備へとスムーズに切り替わった。
 部屋探しにおけるちょっとしたエピソードや、実際に住む予定の部屋について社が面白可笑しく話し、それから和谷が一人暮らしの先輩としてちょっとしたアドバイスなんかを得意げに説明して、ヒカルも自然な笑顔を見せる。
 ――こいつ、大人んなったなあ。
 社は向かいのヒカルにちらちら視線を送りながらそんなことをしみじみ思った。
 アキラの名前が出ても動揺するどころか、何でもないことのように話題に乗っかって来た。そしてさりげなくアキラから社へと話の主役を転換したその流れは見事と言うしかない。
 これがアキラとつき合い始めのヒカルならここまですんなり躱せたかどうか。
 さすがにつき合ってもうすぐ二年、ヒカルも腹が据わって来たようだ。
 ――こいつら、うまくいっとるみたいやな。
 ヒカルの笑顔に社は安堵して、先ほど情けなくも狼狽えてしまった自分を恥ずかしく思いながら、すっかり変わった話の内容に自らツッコミを入れたりボケてみせたりと二人を盛り上げた。
 大笑いするヒカルと和谷は目尻に涙さえ浮かべ、楽しい時間はあっという間に過ぎて行った。






今回も便利屋社に話を繋いでもらいましょう。
ヒカル+社+和谷の組み合わせは初めてかな??
身長差はかなり夢見ていてすいません……
とりあえずこの話ではヒカ176cm、和谷173cmくらい?
アキラは178cmで社は181cm希望。夢だ夢だ!