闇の中、ヒカルはがばっと上半身を起こす。何もしていないのに呼吸が荒かった。 このベッド、普段眠っているものとは違う気がする。身体にしっくり来なくて、淋しさと切なさだけが異様に積もっていくのだ。 熱が足りない。隣に誰もいない。無性に何かが恋しくて――ヒカルは思わず枕の下に手を伸ばしかかっている自分に気づき、慌てて左手で右手を掴まえた。 ――だ、ダメだ! 認めるか、こんなの! いけないと分かっているのに、身体の奥が何かを欲してたまらない。その何かが「何」であるか、考えたくもない。 ヒカルは見知らぬ自分と戦った。 その頃、アキラもまた自分自身と戦っていた。 ギンギンと血走った目をどうしたものか持て余し、とにかく心を落ち着けようとリビングの電気を消して自室へ向かう。 部屋の中を占領する大きなベッドはやはり圧迫感があるが、これだけ上質なのだから寝心地は悪くないだろう。 アキラはベッドに腰掛けて、傍らにあるキャスターから背表紙に「詰め碁集」と書かれた本を手に取った。 まだ囲碁のことも思い出せないけれど、真面目な本を読めば少しは冷静になるのでは――そう思ってぱらりと本を開いたアキラの顔が、中を見た瞬間に強張った。 それとほぼ同時、ノックもなしに部屋のドアがバンと開け放たれた。驚いて振り返ったアキラの目に、パジャマ姿でやけに呼吸の荒いヒカルの姿が飛び込んでくる。 「し、進藤? 何か用――」 焦って震える声で問いかけようとした時、驚きに手の力が抜けて本がぽろりと落ちる。 「詰め碁集」のカバーが空中で外れ――裸になって床に横たわった本の表紙には、「図解!四十八手」のタイトルがどんと構えていた。 ちょうど二人の間に転がる形になった本をヒカルが凝視する。今にも目玉が飛び出そうなヒカルの顔は、みるみる首から額まで赤く染まっていった。 「へ、ヘンタイ! なんだよこの本! なんでこんなもん見てんだよ!」 「ち、ちが、知らな……」 「変態! 変態! やっぱりお前なんか変態だ! お、お前なんか、お前なんかっ!」 「ちょっと、落ち着け、ボクは本当に何も」 「来るな変態! へ、変態なのはお前だ、俺じゃないっ!」 顔を真っ赤にして腕を振り回し、変態を連呼するヒカルを呆然と見たアキラは――頭の中で何かがぷちんと切れる音を聞いた。 「変態、変態って……」 低く呟くと、ヒカルがぴたと動きを止める。 ベッドからゆらりと立ち上がったアキラは、鋭い目つきに影を背負ってヒカルを睨みつけた。 ヒカルが萎縮した瞬間を見逃さず、手を伸ばして腕を捕らえる。抵抗する隙を与えないままに振り回すように引き寄せて、そのままベッドに転がした。 「昼間から何度も変態呼ばわりして……! そういうキミはどうなんだ!? ああ!? なんでココがこんなに硬くなってるんだ!?」 「あうっ」 アキラがパジャマの上から無遠慮に掴んだ股間に、強烈な刺激を受けたヒカルの身体が海老のように跳ねる。 「ずっとおかしいおかしいと思っていたのに、キミのためを思って言わなかった……!」 アキラは自分が触れる前からしっかり形を顕にしていたヒカルの股間をぐりぐりと握り、自分の下で刺激に合わせて身体を震わせるヒカルを酷く凶暴な目で見下ろした。 「ボクらのコレは、同居じゃなくて……!」 「う、うう、や、やめ……」 ヒカルはすでに抵抗をやめ、顎を仰け反らせてひくひくとべそをかいている。 頼りなくアキラの腕に縋る指先が無性に扇情的で、アキラは口唇を舌で濡らしてから最後の言葉を言い切った。 「――同・棲って! 言うんじゃないかッ!」 ひあ、と小さな悲鳴の後、アキラの手の中のものが急に萎えた。衣服を身につけたまま達してしまったらしいヒカルはぐたりと脱力する。 しかし興奮の冷めないアキラは、そのままヒカルのパジャマのズボンに手をかけ、下着ごとずるっと引き摺り下ろした。すぐさまシャツのボタンも乱暴に外し、手際良くヒカルを剥いた後、自らも着ていたものをばさばさ脱いでいく。 そして身を屈め、まだ嗚咽のようなものを漏らして震えているヒカルの口唇にえいっとばかりに口付けた。 まるでパズルのピースがはまったかのようにしっくりきた口唇の感触―― 舌を落とせば、口中でヒカルの舌も動きに応える。噛み付くように、吸い取るように躱すキスに互いの身体の芯がどんどん硬くなっていく。 アキラは考える素振りも見せずに枕元の引き出しを開け、中から手慣れた様子でローションを取り出した。 迷うことなくローションを手のひらにたっぷりと垂らし、そんなアキラを見てヒカルが自らそろそろと立てた膝の間に、アキラはピンク色に濡れた中指を潜らせた。 *** 翌朝、腰のだるさに顔を顰めたヒカルは、隣にある熱の塊に身を寄せて小さく唸る。 すると伸びてきた大きな手が優しく髪を梳いてくれて、心地よさにヒカルの頬が緩んだ。 「おはよう……」 低い囁きにぞくりと背中が竦む。ヒカルは小声でオハヨと呟き、広い胸に頬を摺り寄せた。 「なんか、腰すげーだるい……。昨日、張り切っちゃったんだっけ……?」 「実はボクも……。あまりよく覚えてないんだが、明け方まで頑張ってたみたいだ」 二人はベッドの中で裸のまま抱き合い、寝ぼけた顔をつき合わせてちゅっと軽いキスを交わす。 ヒカルはへらっと笑っておでこをアキラの鎖骨にくっつけ、顔を顰めてすぐに放した。 「? どうしたの?」 「なんか、オデコ痛い。俺どっかにぶつけたっけ?」 「どれ……ああ、たんこぶになってるよ。痛そうだ」 「あれ、お前もなんかオデコにできてねえ?」 「え? 痛っ……ホントだ」 二人は首を傾げ、その原因が思い当たらずに不思議な顔をするばかりだった。 まあいいかとばかりにもう一度抱き合って、カーテンの隙間から漏れる眩しい光に目を細める。 ふと、アキラが枕元にある開けっ放しの引き出しに気がつき、閉めようとして形の良い眉を顰めた。 「減ったな。買い足しておかないと」 「えー? いち、にい、さん……九箱もあんぜ?」 ヒカルも横から引き出しの中を覗き込み、整然と並んでいるコンドームの箱を数えて充分だろうとアキラの顔を伺う。 「常に一ダースは揃っていないと落ち着かないんだ。いつどれだけ使うか分からないだろう?」 「なあなあ、それって一晩で一ダース使っちゃうこともあるかもってこと?」 ウキウキと尋ねるヒカルにアキラは婉然と笑みを浮かべ、「お望みなら」とヒカルのこめかみに小さなキスを落とした。ヒカルは嬉しそうにアキラの腕にしがみつく。 べたべたと腕を絡ませながらベッドから身を起こし、床に落ちている本を見つけて二人は顔を見合わせた。 「夕べ、これ使ったんだっけ」 「どうだったかな……あんま覚えてねえ」 「試したヤツには印をつけてるんだけどな……まあ、何度試したっていいんだけどね」 「ヘンタイー」 言葉の割には嬉しそうに毒づくヒカルの前で、アキラは優雅に笑って本を拾い上げる。 そして本の傍らに落ちていた「詰め碁集」のカバーを元通りにかけると、キャスターにきちんと並べておいた。 「さ、朝ごはんにしようか。今日はフレンチトーストでいい?」 「スープもつけて!」 腕を絡めたまま寝室を出て行った二人は、その後リビングのゴミ箱に捨てられている割れた食器を見て、更に首を傾げることになる。 またお揃いで買おうねと約束し、かつて茶碗や皿を買った記念日についてあれこれと嬉しく恥ずかしいエピソードを思い出し合いながら、仲良く普段通りの朝を過ごした。 危険な秘密はまだしばらく守られたままになりそうだった。 |
30万HIT感謝祭リクエスト内容(原文のまま):
「すごくありきたりすぎてなんなのですが・・・
アオバ様の書かれる記憶喪失ネタを拝読してみたいです。
どちらが記憶喪失でもいいのですが、とりあえず、
記憶喪失になる前は二人とも既にふかーい関係で・・・
(すみません本当に、私の趣味丸出しです・汗)
その他忘れるきっかけ、展開、結末などの細かな設定は
アオバ様の文章構成センスで拝読できれば特にはこだわりません。」
↑のリクエスト内容には欠片も変態性が含まれておりません。
というわけでリクエストしてくださった方には何の罪もなく、
私だけが一人で突っ走ったお話でした……。
こ、こだわられたほうが良かったかもです……!
諸事情で、シリアスではなくギャグにさせてもらえませんかと
事前にお伺いは立てていたのですが、まさかこんなことに!
(それはK様の台詞だろう)
一応テーマ(というほど大したものじゃないです)は
「お互い出逢わなければ普通の人だったかも」アキヒカです。
た、大変申し訳ありませんでした……
そしてリクエスト有難うございました!
(BGM:ERASE/hide)