feels like HEAVEN






 三度目の北斗杯も無事に終幕――



「あ〜、疲れた〜!」
 客間の襖が開くなり、畳の床にどさっと倒れこんだヒカルはまだスーツ姿のままである。
 続いて中に入ってきた社も乱暴に荷物を投げ下ろし、どっかり胡坐をかいてふうと息をつく。その顔は少々顰めっ面に近い。
「まったくや。なんで死闘を尽くした俺らがおっさんがたのご機嫌とらなあかんのや。ほんま無駄な時間やったあ」
「お前、会場の料理食いまくってめちゃめちゃ堪能してたじゃん。よく言うよ」
「うるせ、進藤、お前かて肉とデザートばっか漁ってたやないか。おまけにスーツの袖にソースこぼしたやろ、見てたで」
「く、クリーニング出すからいいんだよ!」
 二人の低レベルな言い争いに、最後に客間に入ってきたアキラが呆れた様子で喚くヒカルと社を見下ろした。
「疲れたのはこっちだ。面倒なことを全部ボクに押し付けて、こそこそ背中に隠れてたのは誰だ?」
 アキラのため息交じりの言葉に、ヒカルも社もしれっとお互いを指差した。
「二人共だ!」
 びくりと肩を竦めた悪ガキ二人は、すぐにへらへらと悪びれない笑顔でアキラに愛想を振りまいている。
 北斗杯の締めくくり、スポンサーを招いた打ち上げパーティーにて、アキラはこの二人の完全な保護者と化していた。
 面倒なやりとりはごめんとばかりに、アキラの背中に張り付いて離れない。偉そうな狸親父に話しかけられては、一言二言相槌を打って全てアキラに話を振る。
 アキラに対応を任せたその隙に手当たり次第とも言える動きで料理に手をつけ、その食べっぷりをあまり外部に晒さないように再びアキラがフォローに走る。また話しかけられる。アキラに任せて二人は逃げる。その繰り返し。
 放っておけるならそうしたかったが、事前に倉田から「くれぐれも」日本の恥を国際的に晒さないように、見張っていろとお達しを受けてしまっていた。
 韓国戦ではヒカルにその位置を譲ったとはいえ、日本チームの大将はお前なんだから、責任持って面倒見ろよ――アキラにうるさいガキ共のお守を押し付け、自分は落ち着いて食事を楽しみたいという魂胆が見え見えである。
 おかげでアキラは、今になって頬がだるくなるような作り笑いをパーティーの間中ずっと強いられてきた。それも仕事のうちとはいえ、二人が放棄した分も全て引き受けなければならなかったのだから、不公平なことこの上ない。
「えーやん。お前はああいうの慣れとるやろ」
「そーだよ、俺らが下手に口聞いて変なこと言ったらどーすんだよ」
「……キミたちは……」
 アキラはこめかみに指を添え、険しい顔で目を閉じてしまった。
 やがて何を言っても無駄だと思ったのか、アキラはふるふると軽く首を振って、「着替えてくる」と客間を出て行った。
 ヒカルも窮屈なスーツをさっさと脱いでしまいたかったが、着替えることすら億劫で、ネクタイを抜く程度に留まった。社はこの後大阪に戻らなければならず、スーツを抱えて歩くのは面倒になるため、着替えるつもりはないようだ。
 北斗杯での役目を全て終えてホテルを後にしてから、三人が真っ直ぐ向かったこの塔矢邸。
 三人の目的は、反省会と称した北斗杯の「後合宿」の開催だった。
 タイムリミットは社の新幹線の最終時間が来るまで。僅か数時間しか用意されていないとはいえ、早碁ならばそれなりに密度の濃い時間を過ごせる。
 要するに、三人とも前回の碁漬けの時間にすっかり味を占めたというわけだ。
「とりあえずお茶でも用意すっか。社、手伝えよ」
「おー」
 だらだらと身体を起こした二人は、到底機敏とはいえない動きで台所へと足を向けた。
 たどりついた台所、慣れた様子で茶の準備をするヒカルを見て、後ろについてきた社が顎に手を当てる。
「何ぼーっと見てんだよ、手伝えって」
 ヒカルは湯飲み茶碗を三人分取り出しながら、離れたところでヒカルを観察している社に向かって口を尖らせると、社はフーンと意味深な声を漏らした。
「お前、めっちゃ慣れてんな。この家」
「え? そ、そうかな」
 少し口ごもったヒカルを見て、社はにやりと口元を歪ませた。
「相当入り浸ってるみたいやなあ?」
「さ、最近はそんなでも……、先生もいたし……」
 ヒカルはほんのり頬を赤らめながら、もごもごと口の中で言い訳する。
 社は両手を軽く挙げて降参のポーズを取り、含み笑いを隠そうともしない。
「あー、もうええもうええ。ラブラブみたいでよかったやないか。うまくいっとんのやろ? どうや、一周年迎えた気分は」
「一周年? ……あ、そうか」
 ヒカルは社に言われて、ようやく自分とアキラが一年前の今日、恋人同士になったことを思い出した。
 もう一年も経ったんだ――ぼんやりと過ぎていった月日のことを思い出し、ヒカルは胸に暖かいものを感じた。なんだかあっという間の一年だったけれど、思い出がいっぱい詰まっている。
 ぼーっとしながら、あんなことやこんなことを振り返っていると、ふと視界にちらちらと忙しなく動くものが映った。
 社を見ると、手を団扇代わりにしてぱたぱたと顔を扇いでいる。いかにも「熱い」と言いたげなニヤケ面に、ヒカルは耳まで赤くなった。
「当てられるわー。俺もうさっさと帰ろかな〜」
「う、うるせえ! いちいち突っ込むなよ!」
 湯飲み茶碗を握ったまま真っ赤な顔で怒鳴るヒカルを見て、社はふいに辺りを見渡し、そそくさと近寄ってきた。
 そして、耳打ちするように口に手を添え、
「……時にあいつ、アッチのほうは上達したんか?」
 とんでもないことを囁いた社に、ヒカルは今度は首まで赤くなった。
 そうなのだ。アキラのバカが、バカな相談を社に持ちかけたせいで、社に夜(?)の生活事情まで知られることになってしまった。
 よく社も付き合ってやったなあと呆れるくらいの酷い内容だった。アキラが渋々白状した真相を聞いて、ヒカルは項垂れた頭を二度と持ち上げたくないと思ったくらいだ。
「……その節は……ご迷惑を……」
 思わず恥じらいを含んだ哀れみの目を向けてそう呟くと、社もまた遠い目をしてふっと苦い笑みを浮かべた。哀愁漂うその表情に、ヒカルは社の傷が案外深かったことを悟る。
「……で? ちっとはマシになったんか?」
「……、まあ……確かに前よりは……、でも、質より量……か、な?」
 ヒカルは台所の入口からひょっこりおかっぱが顔を出さないか気を配りながら、なるべく小声でぼそっと告げた。こんなことを告げ口するのに多少の罪悪感を感じるが、元はといえばアキラが社に変な相談をしたのが悪い。
「量か……」
 社が酷く重たい声で呟いた。
 二人の間に息苦しい空気が漂う。
「アイツ早いからさ……、一回で終わんないんだよ……」
「……てことは、十分の壁は微妙っちゅうことか……」
「十分? あー、状況によっちゃ二分も厳しいかもな……」
「二分か……でもとりあえず秒速の壁は越えられたんやな……」
「何の話だ?」
 ふいに二人と違う声が会話に混じり、ヒカルと社は石のように固まる。
 いつの間に来ていたのか、普段着に着替えたアキラが台所を覗き込んで不思議そうな顔をしていた。
「秒速がどうのこうの、って聞こえたけど」
「や、こ、これは、つまり、早碁、早碁や!」
「そ、そうそう、早碁の話! さ、早いとこ打とうぜ! 秒速碁!」
 わざとらしい笑顔でごまかす二人に訝しげな視線を向けながらも、アキラは「そうだね」と頷いた。
 それからヒカルと社の二人は馬車馬のようなスピードでお茶の支度をし、ポットと湯飲みを抱えて逃げるように台所を飛び出した。二人の後を追うアキラは、やはり妙な顔のままで首を傾げていた。






今回はヒカル+社VS若です。
って力関係は皆様お察しの通りですが……
今回タイトルに使った曲名を御存じの方はオチも読めますね^^;
へたれな若を愛でようキャンペーン。←?