feels like HEAVEN






「……?」
 電話を終えたアキラは、何事か理由の分からない胸騒ぎを感じた。
 何だか、自分にとってあまりよろしくないことが起きているような気がする。
 おまけに、客間にいるはずの二人の気配が、どうも違うところから感じるような気がする。
 まさかな。アキラはふっと笑みを浮かべてみせる。二人は今頃対局中のはずだ。戻りの遅いアキラを待ちきれず、もう何局か打ってしまったかもしれない。
 しかし、奇妙な予感がアキラに何かを知らせている。
 第六感と言ってもいい。何かが起きている。それも――
 アキラは黙って客間とは反対の方向に顔を向けた。
(……ボクの部屋……?)
 眉を寄せ、アキラはごくりと唾を飲んだ。
 覚悟を決めて歩き出す。客間に戻るのではない、嫌な予感が充満している自室へと向かうためだ。
 気のせいであって欲しい。でなければ、何が一体自分をこんなにも苛立たせるというのか。
 アキラは訳もなく沸々と沸き起こる怒りに戸惑いながら、ずんずんと廊下を進む。目的地である自分の部屋の襖が見えてきても、中からは物音ひとつ聞こえてこない。
 からりと襖を開いた。人の姿はない。
 やはり気のせいか、と肩の力を抜きかけた時、アキラは部屋の中の些細な変化を発見してしまった。
 ……本棚の一部分、禁断の入口である布のカーテンがめくれている。
「……」
 アキラはこの直感の理由の全てを理解した。
 握った両拳がプルプル震える。
「社……、進藤……!」
 地の底から響くような声で悪餓鬼どもの名前を呼ぶと、空気がびりりと震えたようだった。
 こめかみに青い血管を幾筋も浮かび上がらせて、アキラは黒いオーラを放ちながら室内へと足を踏み入れる。
「どこだ、二人とも……! 隠れてるのは分かってる……!」
 アキラの部屋までの道程は一方通行で、すれ違わずに部屋を出ることは適わない。おまけに、アキラの悪魔的な直感が、二人はまだここにいると知らせてくれていた。
 この部屋に訪れてあの本棚の中身を見たというのなら、ヒカルが手ほどきしたに違いない。どういう経緯でそんなことをしでかしたのかは分からないが、ただひとつ確かなことは、二人がアキラをネタに、隠れなければならないような話をしていたということだ。
「出て来い! 時間の無駄だ!」
 息を潜めてどこぞに隠れている二人は、アキラの天を揺らすような声にも出てくる気配を見せない。
 このままやり過ごせるはずがないと分かっているだろうに、往生際が悪い。アキラはおもむろにポケットから携帯電話を取り出した。
「進藤……キミが携帯をポケットに入れっぱなしなのは分かっているよ……」
 ヒカルの番号を呼び出し、通話ボタンを押す。
 一秒ほどの間を経て、押入れの中から重厚感のある音楽が響いてきた。


 狭い密室で突然流れたメロディーに、哀れな二人はパニックを起こす。
(し、しまった、音出したまんまだった……!)
(阿呆! って、なんでゴジラのテーマやねん!)
(だってアイツにぴったりなんだもん!)
(そんなんどうでもええからはよ止めろ!)
 ガラッといささか派手な音とともに、闇の中へ光が差した。
 布団を被るように押入れにこもっていた二人の目に、俯いたまま押入れの戸を開け放ったおかっぱの姿が映る。
「……進藤……、キミはボクが放射線を吐く怪獣だと言いたいのか……」
「そそそそういうわけじゃないんだけどさあ……お、お前、ゴジラ知ってたんだ、意外〜……」
 ヒカルと社は引き攣った笑顔のまま、どんより重い空気を纏って押入れの入口を占拠するアキラを見下ろした。
 ふいに、ぎょろりと上を向いたアキラの瞳の鈍い光が、前髪の隙間から怯える二人の姿をねめつけた。
「……!!」
 体感温度が一気に下がった押入れの中、ヒカルと社はお互いに犠牲を押し付けあって相手を蹴り落とそうとする。醜い争いは、怒れるアキラの腕によって終止符を打つことになった。
 にゅっと伸びてきたアキラの手が、ヒカルの足首をぐっと掴んだ。
「う、わっ……!」
 そのまま思い切り引かれて、どこにも掴まるものを探し出せなかったヒカルの指が虚しく宙を舞い、強い力に逆らえずに押し入れから引きずり出される。
 それどころか、高さのある押入れからアキラの上へと落っこちるハメになってしまった。
「うぐっ……!」
「……? わ、わあっ、わ、悪い!」
 見事にアキラの顔面を下敷きに地上へ下ろされたヒカルは、慌てて自分が尻の下に敷いていたアキラから飛びのく。
 顔を抑えながら上半身を起こすアキラを、最初こそ心底心配して覗き込んでいたものの、ヒカルの表情がすぐに愕然と強張るまで時間はかからなかった。
「と……塔矢……」
 アキラは強く打ち付けた鼻を押さえ、目の前で恐怖に震える恋人の姿に表情を険しくした。
 ふと、鼻を押さえる指にしっとりと絡み付く感触。
 アキラは手のひらを見下ろし、その手にべっとりついた赤い液体を見てくらりと目眩を感じた。
 沈黙は凶器のように鋭かった。
 社は見てしまった。押し入れの中から、呆然と口を開けたままのヒカルの向かいで、手のひらを凝視する端正な顔のおかっぱの鼻から赤い筋が口唇まで伝っているのを。
 アキラは無言のまま、普段からはあまり想像できないほど無造作に、手の甲でぐいと鼻を拭った。乱暴に拭われたせいで面積が広がった血の跡が毒々しく間抜けである。
 そんなコメントに困る顔で、鼻周りを濡らした赤い色よりもどす黒く血走った瞳をぎょろりと押し入れの中の社に向けたアキラは、赤く濡れた口唇を微かに開いてぼそりと呟いた。

「……社……、見たね……。」

 昔面白半分で「霊の声が入っている」なんて曲を友達と聴き、あまりの怖さにトイレに行けずに漏らしてしまった小学生時代――そんな苦い過去が社の頭を掠めて行った。
 おかっぱがゆらりと立ち上がり、押し入れの中で逃げ場のない社に向かってする〜と手を伸ばして来る。揺れる黒い髪の毛束、その隙間から怪しく光る赤い目に射抜かれて、腰が抜けた社はブルブル震える身体を動かすことができない。
 もうだめだ。社が心の中で今までの親不孝を詫び、もう二度と大阪の地を踏めないと覚悟を決めた瞬間、突然アキラの身体がべしっと床に伏せた。
 怨霊が視界から消えたことに驚いて、社が押し入れの中から下を覗き込むと、ヒカルがアキラの両足を掴んでしっかりと押さえている。
 ヒカルは社を見上げ、切羽詰まった表情で叫んだ。
「社、逃げろ! 俺のことはいいからっ!」
「し、進藤……!」
「早く、逃げろって……! こいつ、馬鹿力なんだから……!」
 ヒカルの言う通り、足を押さえられたアキラは尚も前進しようと畳に爪を立て、ぎりぎりと床を這おうとしている。畳を突き刺すアキラの長い指、くっきりと曲げられた関節の白さに魂を縮み上がらせた社は、二人を飛び越すように押し入れの中から飛び出した。
「進藤、すまんっ! 後は頼むっ……!」
「早く行けーっ!」
「や〜し〜ろ〜!!」
 呪いの声を背に、社は宙を駆ける勢いで客間に戻り、全ての荷物を抱えて命からがら塔矢邸を脱出した。
(進藤、俺のために……! お前の犠牲は無駄にはせえへん……!)
 目尻に触れる液体を拭い、一目散に駅へと走る。
 とはいえ、アキラと共に残されたヒカルに何らかのお咎めがあるとしても、せいぜい夜に寝かせてもらえない程度のものだろうし、ヒカルにとってそれほどダメージを受けるような仕置きが待ち構えていることはないだろう。一晩たっぷり絡み合ったら、翌朝は驚く程甘ったるい時間が待っているはずだ。それはもう、ヒカルを思って涙した社が逆に哀れになるほどに。
 見ては行けないものを見てしまった社は、それから三日三晩、テレビの中からずるりと這い出て来るおかっぱの夢に魘され続けることとなった。






なんかもう何処からツッコんでいいのか分からない。
最近オチ弱くてごめんなさい……
(BGM:feels like 'HEAVEN'/H II H)