fight






 社清春の朝は早い。

「春兄ぃ! 起きろ!」
 到底優しいとは言い難い甲高い声が目覚まし時計代わり。いや、毎朝念のため目覚まし時計はセットしているのだが、アラームが鳴る時間までゆっくり寝かせてもらえた試しがない。
 社はベッドの中でごろりと寝返りを打ち、寝起きの顔を顰めて低い声で呟いた。
「なんや朝っぱらから、美冬……」
「もう6時やで! はよ起きてお弁当作って!」
「オカンに作ってもらえ……」
「お母さんまだ寝てるもん! それにお母さんのおかず適当やから嫌や!」
 すでにきっちりと制服を着込んだ妹の美冬は、容赦なく社の布団を剥がしにかかる。
 七時前には家を出なければならない美冬にとって、お弁当の有無は死活問題のようだった。
 社は大あくびをしながら渋々身体を起こし、ぼりぼりと後頭部を掻いた。時計を見るとまだ午前五時五十分程。眠い目を擦り、鈍い身体をベッドから這い出す。
 どたどたと決しておしとやかとは言えない足音で階段を駆け下りていく妹を見て、社はため息をついた。
「まったく、あいつ嫁の貰い手あるんかいな」
 顔は俺に似て悪ないんやけどな。そんなことを呟きながら、よれよれのスウェット姿のまま社はのんびり階段を下りていく。
 洗面所から水音が聞こえてくる。どうやらこれからしばらく美冬の占領下に置かれるようだ。
 やるか〜、と気合の足りない声を出し、社はいざ腕まくりして台所へ向かった。

 エプロンなんて面倒臭いものはつけない。どうせ寝巻きが汚れようと気にしない。手だけは美冬がうるさいのできっちり洗って、妹の弁当箱を取り出す。
 まずは小さめの鍋で湯を沸かし始めた。あらかじめ適当に塩を加え、指を入れてぺろりと舐めて塩加減を見る。この行為が妹に見つかったら汚いのなんのとうるさいので、いつも秘密にしてある。
 白飯だけは炊飯器のタイマーがきちんとセットしてあり、フタを開けると炊き立てのふっくらご飯が湯気を立てていた。大雑把に解してから二段ある弁当箱の下段にふわっと詰めてやる。以前ぎっちり詰めたら怒られたためだ。
 ご飯を冷ましている間におかずを作り始める。冷凍食品のからあげをレンジで暖めながら、卵を割って玉子焼きに取り掛かった。
 社としては塩辛いくらいの玉子焼きが好きなのだが、妹は砂糖を入れないとヒステリーを起こす。その上あまりに甘すぎるとカロリーがどうのこうのとうるさいのでタチが悪い。
 いちいちリクエストに答えてたら身がもたんわ、と独り言を呟きながら、がしゃがしゃと卵を掻き混ぜる。熱した長方形のフライパンに油を引いて、卵を豪快に流すとじゅっと小気味良い音がした。
 玉子焼きを箸でくるくる巻いている間に湯が沸いたので、完成した玉子焼きをまな板に移してから、棚からパスタを取り出して数十本無造作に抜く。それをぽきんと二つに割り、鍋の中に入れて掻き混ぜた。
 パスタを茹でつつ、玉子焼きを弁当箱に丁度良いサイズに合わせて切る。残ったきれっぱしはその場で口に放り込んだ。
 もぐもぐ口を動かしながら、弁当箱の一段目に玉子焼きとからあげを詰め始める。それから冷蔵庫に入っていたミニトマトも。ぐしゃぐしゃに入れると文句をつけられるので、バレンもきちんと使ってそれなりに配色も考えて。
 あと数分でパスタが茹で上がるので、鍋にブロッコリーも投入する。パスタとブロッコリーがぐつぐつ鍋で踊っている間に、使いきりサイズのふりかけとプラスチックの箸を弁当箱に添え、巾着も用意してやった。
 そろそろ頃合かと鍋の中のパスタを一本箸で摘んで口に入れ、茹で具合を確認して社は満足げに頷いた。ざるにざっと中身を移し、ブロッコリーはキッチンペーパーで水気を拭き取ってマヨネーズを底に敷いたアルミカップの中へ。
 パスタは再び油を引いたフライパンで炒めて、冷凍のミックスベジタブルを加えてケチャップで味をつける。
 出来上がったナポリタンをお弁当の隙間に詰めて、朝の一仕事が完了した。
 社はふうと息をついて、次の仕事に取り掛かる。

 やかんに水を入れ、火にかける。用意したカップは五人分。
 そのうち三つにはインスタントコーヒーの粉を、二つにはココアの粉を。
 オーブントースターに食パンを放り込んだところで、半分眠ったままの母親が起きてきた。
「おはよう……なんや、またお弁当作ってくれたん? いつもありがと。私立の中学ってしんどいわ」
「おはようさん。美冬がオカンの作る弁当にダメ出ししてたで。前も一段目焼きソバで二段目白飯入れたちゅうて大騒ぎしてたやろ」
「毎朝考えるの面倒なんや……お母さん料理苦手やし……」
「十八年息子やっとるからよう知っとるわ。ほれ、コーヒー」
 ダイニングチェアにどすんと腰を下ろした母親は、少し気を抜けば再び眠ってしまいそうだ。
 社は時計を確認し、腕まくりを下ろして居間を出て行った。
 階段を上がり、弟の部屋のドアを開ける。
「豊秋〜、朝やで〜」
「うー……」
 布団にくるまって丸まっている弟の身体をぽんぽんと叩き、社は部屋のカーテンを開け放った。
「寝起きが悪いのは完全に母親似やな」
 社は呆れたようにため息をつき、今朝自分がされたように弟の布団を引っぺがしにかかった。
 寒さに震えながらもなかなか目を開けようとしない弟をひょいっと抱えると、豊秋はくすぐったさに暴れてけたけたと笑った。
「ほれ、歩け」
「下まで抱っこしてえ」
「甘ったれんな」
 時々幼児帰りする弟を小突いて、さあさあと部屋から追い立てる。
 何とか階段を下りていく豊秋を見送って、社は次に自室へ向かった。

 高校のブレザーに着替え、ネクタイを手慣れた様子で締める。それから軽く部屋を見渡し、少しだけ顔を顰めた。
「そういや、今日はアイツが来るんやったな」
 オカンに掃除機だけかけといてもらお――社は頷き、ろくに物も入っていないようなショルダーバッグを手に取ると部屋を出て一階へ下りていった。
 玄関にバッグを置き、居間に顔を出すと、先ほどはいなかった父親も食卓に向かっている。
「オカン、俺目玉焼き半熟なー」
 それだけ声をかけると、ようやく妹の占領下から解放された洗面所で顔をばしゃばしゃと洗い始めた。
 どたばたと賑やかな足音が聞こえたので、ひょいっと顔を出して妹に声をかける。
「気ぃつけてな〜」
「ひげ面出さんで!」
 手厳しい美冬の一言に社は憮然とした。
 弁当作った礼もなしかい、と突っ込む前に、美冬はいってきまーすと軽やかに玄関を飛び出して行った。
 通学に時間のかかる美冬の私立中学は、義務教育中だというのに弁当の必要な面倒な学校である。週に少なくとも三日は弁当作りに叩き起こされる社が通う高校のほうが、よっぽど近くにあって通学が楽だ。
 それでもその中学への入学を希望したのは他でもない美冬自身で、たくさん勉強していい大学に入って大企業に就職して、碁打ちなんかよりも稼ぎまくってやると豪語する彼女が社は時折空恐ろしくなる。
「昔は春兄ぃ春兄ぃって後ろくっついてきて可愛かったんやけどなあ」
 しみじみと呟きながら、妹に指摘された通りに社は髭を剃り始めた。

「いってきます」
 バッグを肩にかけて玄関を出ようとする社に、母親がぱたぱたと追いついてくる。
「清春、あんた今日来るお友達っていっつも東京でお世話なってる子やろ?」
「世話んなってるっちゅうか世話しとるっちゅうかな……」
「何訳の分からんこと言うとんの。何時頃来るん? お母さん気合入れて晩御飯作らなあかんから」
「オカンが気合入れたって高が知れてるやろ」
「清春!」
 怒鳴られてぼりぼりと頭を掻いた社は、肩を竦めてドアに手をかけた。
「夕方くらいになると思うで。連れてく前に連絡する。俺、ガッコから直行して迎えに行くから」
「ほんまにちゃんと電話してよ。いってらっしゃい」
 ひらひらと手を振り返し、社はようやく家を脱出することに成功する。
 ポケットに突っ込んだ携帯をちらりと取り出し、サブウィンドウに表示された時刻を見て目を丸くした社は、慌てて駆け出した。






MONOTONE〜以来の社主役のお話です。
社の日常の一部なので平凡な内容ですが……
うちの社を気に入って下さってる方が多くて嬉しいです!
それだけによく分かっていない大阪弁が申し訳ないです……
あまりに目も当てられないものがありましたら
どうぞこっそり教えてやってください……