うつらうつらと船を漕ぎながら授業を終え、放課後になって元気を回復した社が教室を出ようとすると、クラスメートの高野に呼び止められた。 「おい社、これお前?」 高野が差し出した雑誌を見て、ああ、と社は思い出したように頷いた。 「結構前のやつやな。撮影めんどくて大変やったで」 「すげえな、お前囲碁辞めても芸能界で食ってけんやないか?」 「何抜かす阿呆、辞めんわ」 呆れた口調でそう答え、女性向け雑誌の見開きページにちらりと視線を向けた。 そう、この撮影は大変だった。 いわゆる北斗杯三人組と呼ばれる塔矢アキラ、進藤ヒカル、社清春の三人揃っての撮影は、まるでグラビアモデルのように手の込んだものだったからだ。 三人のスケジュールを合わせるのも一苦労だった上、社はその撮影のためだけに上京しなければならなかった。まあその分久しぶりにヒカルやアキラと打つことができたので良いことはあったが、それにしても疲れる仕事だったことは間違いない。 髪や顔をいじくられ、ホストみたいな格好をさせられて、ポーズにつけられる細かい注文に苦しみながら撮影にかかった時間は四時間。あれだけ長い間拘束されて、実際雑誌に載ったのは三人揃った全身ポーズ以外ほんの1カットなのだから納得がいかない。 しかしまあ、全員よく化けたものだった。ヒカルなどあからさまにアキラに見蕩れていて、その見苦しい様子に社が思わず後頭部を殴りつけたほどだった。 (あのバカ、でれっとしくさって。周りに勘付かれたらどうする気なんや) 「この二人も囲碁やるん?」 「ああ、むちゃくちゃ強いで」 「なんや囲碁っちゅうよりアイドルみたいやな」 「まあ、見た感じはそうかもしれんけどなあ……」 中性的な顔立ちで挑戦的に笑っているヒカルと、落ち着いた大人の雰囲気で微笑んでいるアキラ。ちょっとした芸能人のような二人だが、囲碁界の若手棋士の筆頭であることは間違いない。 頼もしくて、恐ろしい存在。この二人を越えなければ、いつまで経っても上に行けないのだと思うと時折背筋が寒くなる。 特にこのおかっぱのほうは、別な意味でもぞっとすることが少なからずあるのだけれど。 「ちょっと高野ぉ、雑誌返してよ」 少し離れたところで固まっている女子生徒たちがこちらを見て怒鳴る。どうやらこの雑誌は彼女たちの所有物であるようだ。 「お前らここにホンモノおるで」 高野がからかうように社を指差すが、彼女たちの反応は冷ややかだ。 「社なんか興味あらへんわ。塔矢くんと進藤くんのほうがかっこええもん」 「なんやと」 社がむっとしてみせるが、彼女たちは意に介さない。 高野も苦笑しながら雑誌を返しに行った。 ――夢ばっか見よって。社はため息をつく。 彼らの実態を知ったら、とても「カッコイイ」なんてハートマークを飛ばす気にもなるまい。 (あいつら、今日俺ん家にそのかっこええヤツが来るって教えたら何て言うやろなあ) 社は心の中で舌を出しながら、教室を後にした。 「やあ、久しぶり」 混雑する駅の中、その「かっこええ」塔矢アキラが社に向かって微笑んでいた。 顎で切り揃えた特徴的な黒髪と、切れ長の涼しげな瞳が印象的な整った顔立ち。 社ほどではないとはいえそこそこに長身ですらりとしているため、一見優男風だが、薄着になると案外しっかりした体つきをしている。 対外的には物腰柔らかく、穏やかで営業スマイルを忘れない、礼儀正しい美青年である。 ある意味、その表面上のイメージしか知らない人間は幸せ者だろう。 アキラは社を見てくすくすと笑い出した。 「なんや、いきなり」 「いや、キミも制服を着ていたらそれなりに学生に見えるんだな。いつものチンピラめいたイメージが強いものだから」 ――この塔矢アキラという男、かなりの曲者であった。 「ほんま失礼なやっちゃな。それが今夜世話んなる家の息子に対して言う言葉か」 「悪かったよ。じゃあ行こうか? あまり遅くならないうちにお伺いしたほうがいいだろう?」 さらりと答えたアキラは、さあ、と優雅な振る舞いで社に案内を求めているようだ。 社はやれやれと肩を竦めつつ、顎をしゃくってアキラを促した。 今や立派に囲碁界を代表する棋士の一人となった塔矢アキラ。 そして、アキラ、社と並んで雑誌に掲載されていた、同じく囲碁界のホープ進藤ヒカル。 彼らは男同士でありながら、恋人同士だった。 そして、そのことを知るものは、この社清春ただ一人だけなのである。 「お前、ちーと元気ないんちゃう?」 自宅までの移動中、社は思わずアキラにそんなことを尋ねてしまった。 今日アキラが大阪を訪れたのは、明日関西棋院で行われる手合いに出席するためである。 事前に連絡をもらった社は、これまで塔矢邸に散々お邪魔した事実もあることだし、家に泊まらないかと持ちかけたところ、アキラから快諾が返ってきたのだった。 敵に回すと何かと厄介な男であるが、その棋力は確かなものだった。いろいろとアキラにまつわる苦い思い出はあれど、社はアキラと一局打てるのを楽しみにしていたわけだ。 ところがアキラは普段通りに見えて、どことなく沈んだ表情をしている。時折出ているため息は恐らく無意識だろう。 社の質問に、アキラは苦い笑みを浮かべてみせた。 「……最近どうも進藤に避けられているようなんだ」 「なんやて?」 社は思わず大きな声を出し、慌てて口を塞ぐ。 さすがに公共機関の中で滅多なことを言うのはマズイ。 一般的な知名度はまだまだとはいえ、雑誌にも載るような二人が揃っているのだから、発言には気をつけねば。 社はこそっと耳打ちするように囁いた。 「なんかの間違いやないか?」 「そう思おうとしたんだけどね……彼があまりに分かりやすい嘘をつくものだから」 「嘘?」 アキラはため息混じりに頷いた。 「ボクと逢う時間を作ってくれないんだ。お母さんに買い物頼まれたとか、じいちゃん家に行くからとか、不自然な理由ばかりつけてね」 「お前……なんか嫌われることしたんやないのか」 「でもメールや電話はいつも通りだ。棋院で逢っても普通に接しているし、逢う時間が減ったことを除けば今までと変わらない」 じろりと社を睨んだアキラの横目は、暗に「嫌われているはずがない」と主張しているようだった。 その眼力に多少怯みつつも、社はおかしなことに気がついた。 アキラにとって、何よりも最優先されるべきはヒカルのことだ。 そのヒカルが自分を避けているという割には、やけにアキラは冷静ではないだろうか? 確かに元気はなさそうだから落ち込んではいるようだが、それにしても落ち込み方が大人しすぎる。 北斗杯韓国戦の夜、ヒカルに逢えない寂しさを肴に自棄酒した男とは思えない。 「……何か聞きたそうだな」 アキラが僅かに口角を持ち上げ、社を見た。 社は迷ったものの、まあな、と頷いた。 「お前……避けられとる、ちゅー割に妙に平然としとらんか? お前のことやから、もっとこの世の終わりみたいに大騒ぎするんかと思っとったけど」 「随分な言い方だな。……まあ、何か隠してるのは間違いないだろうけど、彼なりの事情があるみたいだから。不安はあるけど、彼を信用しているからね……。それに」 「それに?」 「ボクも彼に隠していることがあるから、おあいこなんだよ」 そう言ったアキラは悪戯っぽく笑う。 何か企んでいるようなその様子に、社はははあと間抜けに口を開けた。 ――浮かれてるんや、コイツ。 その「隠していること」とやらのせいなのか、浮かれているからヒカルのおかしな素振りにも目を瞑っているのだ。 ヒカルが何を隠しているのか知らないが、タイミングが良かったのかそうでないのか…… 社は複雑な表情をしながら、まさにタイミングよく目的の駅に停まった電車を降りた。 |
今回は社+おかっぱです。
ホラー要素はありませんから!