「ああもう、どうしようかなあ」 ここ数日、ずっと繰り返してばかりのにらめっこ。カレンダーを見て、パソコン画面を見て、それからまたカレンダーを見て、一通り終わるとため息。 そんな、いつの間にかパターン化されてしまった行動の中で、決まってヒカルの口から出てくる言葉といえば、「あと一週間しかない……」といった頼りなさげな呟きだった。 今日の日付は十二月七日。とうとう残り一週間のカウントダウンが始まってしまった。 「なーんにも思いつかない」 椅子にどっかり背中を凭れさせると、緩やかに軋んだ背凭れがバランスを失って、ヒカルは引っくり返る寸前で慌てて身体を起こした。 ドキドキうるさい心臓が落ち着いてから、再びはあ、とため息をつく。 あと一週間で、アキラの十七歳のバースデイだ。 今年も去年同様、何が欲しいかちょこちょことリサーチを重ねていたのだが、案の定アキラからの答えはいつも通りの「何もいらない」。それじゃあ困ると詰め寄っても、アキラの頭に欲しいものは浮かんでこないらしい。 去年はまだこんな関係ではなかったとはいえ、それでもアキラのために何かしたくて誕生日デートを計画した。今年はお互い夕方まで仕事が入ってしまっているので、それもできないし、第一去年と同じだなんてあまりに芸がない。 俺の誕生日の時は何かしないと気が済まないって凄い剣幕だったくせに。ヒカルはぶつぶつ不服を訴えるが、元はと言えば自分だって誕生日には何もいらないと言った口である。 自分の誕生日には何もいらなくても、相手の誕生日には何かしてあげたいという気持ちはどうやら同じらしい。 そんな訳で、十二月に入ってからずっと、世界と繋がる魔法の箱を駆使して何か良いものを見つけようと、ヒカルはまだまだ不慣れなパソコンでプレゼントを探し続けていた。 検索サイトで「誕生日」や「プレゼント」などの単語を入力して、ざっと出てきたページを見てもあまりピンと来るものがない。 ――ネクタイとかって、なんか父の日みたいだし。 ――時計はちゃんとしたのをあげようと思ったら高すぎるし。 ――服もいまいちアイツの好みが理解できねえ。 何より、どれもこれも無難すぎてつまらない。 恐らく、何をあげたってアキラは喜んでくれるはずなのだ。いっそ自分にリボンをかけてはいどうぞ、でも充分大喜びされそうな気がする。 「俺、考えがだんだん自虐的になってきた気がするな」 ぽつりと呟き、またため息で締め括る。 そうなのだ、アキラは何だって喜んでくれる。でも、できればもう一段階越えた喜びを見てみたいとも思っていた。 アキラの予想を飛び越えて、驚かせつつも笑顔になるような、そんなプレゼントはないだろうか。自己満足なのは分かっているが、元々お祭り騒ぎが大好きなヒカルとしては、一年に一度しか来ないアキラの誕生日を盛大に祝いたいという気持ちが強くあった。 「塔矢の誕生日っつうか、塔矢生まれてきてくれてありがとう記念日だよなあ」 ヒカルはマウスを握り、カチ、と検索画面を表示させた。 検索ワードに「記念日」と入れてみる。 数秒後にずらりと表示された様々な言葉にも、ヒカルの興味をひくものは見当たらない。 「あーあ、なんかいいものないかなあ」 ヒカルはパソコンの傍らに置いていた携帯電話をおもむろに手に取り、メールを打ち始めた。 『なあ、もうすぐ塔矢の誕生日なんだけど、なんかいいプレゼントないかなあ』 本文にそう打ち込んで送信する。待つこと数分、思ったよりも早く返事は返ってきた。 「お、さすが社」 どれどれとヒカルが開いた社からの返事は、 『知るか』 ……だった。 「なんだよ、人が真剣に聞いてんのに!」 怒りの言葉をそのままメールに載せて送ると、またしばらくして返事が戻ってくる。 『そんなもん適当でええやろ。菓子とかやっといたらええやんか』 「ええ、だってアイツ俺ほど甘いもん好きじゃねえしなあ」 『服とか時計とかじゃあかんのか』 「アイツの趣味って微妙だからなあ。それに塔矢アキラに安物の時計贈れるかよ」 『もう、お前が箱に入ってそのままプレゼントでええやんけ』 「それは最後の手段! 第一そんなことしたら腰立たねえよ」 勿論、最後の一言は社宛の返事からはカットしてある。 結局社も役に立たないか、と恩知らずなことをヒカルが思い始めた時、再び送られてきた社からのメールにふと目を留めた。 『なんかないんか。お前らの思い出の品とか、そーゆーんは』 「……思い出の品……」 ヒカルは上目遣いに天井を睨んだ。 ――思い出かあ……。そういえば、俺ら付き合い初めてもう七ヶ月かあ…… この七ヶ月、何か思い出に残るようなことってあったっけ? 別に遠出もしてないし、俺ら会うって言ったら碁打つかエッチするかばっかりだしなあ…… 「おい、思い出のひとつもないのかよ」 ヒカルはあまりに夢のないアキラとの恋人っぷりに愕然としつつも、必死で記憶を巡らせた。 もう、こうなったら付き合う前でもいい。何か、ちょっとくらい綺麗に残った思い出はないものか…… 「……あ……」 記憶を順々に過去へ戻していった時、ふいにヒカルはその景色を思い出した。 ぱちんと風船が割れたような顔をして、いやでも時期外れだし、と呟いたヒカルは急いでその単語を検索する。 「……あった」 驚き半分、もう半分は喜びでヒカルは目を丸くして、社に「サンキュー!」とメールを送った。 それから辿り着いたページをまじまじと見て、眉を顰めたり唸り声を出したりしながら、とうとう降参して階下の母親を大声で呼ぶ。 「おかーさーん! 郵便振替と代金引換ってどっちがいいのー!?」 母親がばたばたと階段を上がってくる音が聞こえてきた。 「はあ? あんた何の話?」 「だからあ、支払方法だよ。どっちがいいの?」 「支払い方法って、あんた何か買う気なの?」 「塔矢の誕生日プレゼントだよ。ほら、ネットで買い物できるんだって」 「こんなものあげてどうするのよ」 「アイツにはこれでいいの!」 ――よし、これならアイツもびっくりするだろう。 (俺のセミナーの仕事が終わってからゆっくり帰ったって夜の八時にはアイツの家に着く。アイツ、誕生日もオヤジさんたち帰って来れないって言ってたもんな。なるべく早いとこ行ってやろっと。) 「持つべきものは社だなあ」 ヒカルは西の方角に向かって手を合わせて拝んだ。 社が知ったら、「俺はまだ死んどらん!」なんて怒ったかもしれない。 *** ゆっくり帰っても午後八時、のつもりだったのに。 「なんでこんなに雪が降ってんだよ〜!」 ヒカルは先ほどから止まったままの電車の中で、黒と金の髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜながら喚いていた。 「進藤、落ち着け。騒いだって疲れるだけだぞ。ホラ、座ってお茶でも飲め」 隣に座る伊角はにこやかにヒカルを宥めるが、落ち着いてなどいられない。 すでに時刻は午後の九時を回ったが、電車は一向に動く気配がない。 都心部に向かうにつれて酷くなっていく今日の天候は、予報通りだと一晩中雪。いつになく早い時期に薄ら積もった雪のせいで、雪国ならいざ知らず、都内の全ての交通機関は大ダメージを受けていた。 車内で動きを待つ人々の顔は一様に疲れ、苛立ちが伝染していく。そんな中で一人冷静に状況の緩和を待つ伊角は、ある意味稀有な存在だった。 今日は一日伊角と一緒にセミナーで指導碁を打ち、父親より年の離れたオジサンたちに握手を求められたりして、非常に気持ちよく仕事を終えることができた。都心で雪が降っている、と聞いたのはその後だった。 セミナー会場から出て、乗り込んだ電車がしばらく進むと、やがて景色に雪がちらつき始めた。雪はそのまま留まるところを知らずに、それどころか勢いを増していく。 まさかこのまま積もったりしないだろうな――ヒカルの不安は的中して電車は止まり、その後の動きを待つうちに外はすっかり真っ白だ。 ヒカルは動かない車内の中でどうしようどうしようと右往左往する。 このまま朝まで動かなかったらどうしよう。今日という日はあと少しで終わってしまう。一年でたった一日しかない、アキラの誕生日が終わってしまう。 先ほどから何度も入れている謝りのメールに対して、アキラは怒るふうでもなく穏やかな返事をくれている。 『間に合わなくてもいいから、気をつけて帰ってきて。時間も何も、気にしなくていいよ。』 恐らく、強がりなんかではなくて心底そう思ってくれているのだろう。だからこそ余計に、ヒカルは何としてもアキラの誕生日に間に合わせたかった。 一年で一番大事な日なのだと、アキラに分かってもらうために。少しでも時間がずれては意味が半減してしまうのだと。 (だって、やっぱり生まれた日におめでとうって言われたほうが嬉しいじゃん) ヒカルは愛用のリュックをそっと撫でた。念のため、アキラへのバースデイプレゼントを持ってきておいて良かった。家に戻っていたらきっと間に合わない。 それも、この電車が動いてくれなければ自分自身も間に合わないかもしれない。 ヒカルはとうとう決意して、立ち上がった。 「進藤?」 「伊角さん、俺降りる」 「降りる? ……降りて、どうするんだ?」 隣の伊角は少し目を丸くしてヒカルを見上げ、次に外の天気を見る。雪は相変わらずだった。 「降りてタクシー拾う」 「タクシー!? お前、家までどれだけかかると思ってる?」 ヒカルはタクシーに乗りなれているわけではないが、それでもここからアキラの家まで向かうとなれば万札は覚悟しないと駄目だろう。 「きっと道路も渋滞してるぞ。大人しく待っていたほうが……」 「でも、俺じっとしてられないんだ!」 拳をぐっと握ってそう吐き出したヒカルに、伊角は驚いたように瞬きをしてみせた。 「……今日、何か約束でもあったのか?」 「……今日中に、帰りたいんだ……」 「今日中か……」 伊角は顎に手を当て、何事か考えるような素振りを見せた。 ヒカルはそんな伊角に焦れ、もう行くよ、と席から移動しかける。 「待て、進藤。きっとタクシーも行列が出来てる。お前、あの碁会所の何とかって人と連絡取れないのか?」 「碁会所の……?」 碁会所、それからタクシーという単語を組み合わせ、ヒカルの頭に河合の姿が浮かび上がる。 「河合さん?」 「ああ、そんな名前だったか。今日みたいな天気で走っているか分からないが、もし近くにいたら乗せてもらえるかもしれないぞ」 伊角の言葉にヒカルは慌ててリュックから財布を取り出し、以前河合にもらった名刺を探し出した。 名刺に記入された携帯番号を確かめ、急いで電話をかける。 「……もしもし? 河合さん? 俺だよ俺、進藤。進藤ヒカル。……え? もう、そんなのはいいんだって! 河合さん、今仕事中? どの辺走ってるの? ……え、マジで? やった、それなら近い!」 ヒカルは空いた手で伊角にOK! の合図を出しながら、河合に迎えに来てくれるよう頼んだ。 「ホント、お金払うからさ。うん……うん、ごめん、頼んだからね!」 ヒカルは電話を切り、伊角に「ありがとう!」と一声かけるとばたばた電車を飛び出して行った。 伊角はやれやれとため息をつきつつ、うまくいったらしい交渉を思って微笑んだ。 「間に合うといいな、進藤」 何に急いでいるのか、聞きもしなかったけれど。 でもきっと大切な用事があるのだろう。――ひょっとして彼女でもできたのかな。 伊角は、別れ際に見たきらきら輝くヒカルの目を思い出して、楽しげに微笑を浮かべた。 |
なんかついこの前アキラの誕生日書いた気がするのに……
もう笑っちゃうほどベタですが、よく考えたらうちの話は
みんなベタベタでした……あー新鮮さが欲しい。