ハートに火をつけて






「いいって、そんな……。もうお祝いって年でもねえし」
 言葉の割には満更でもなさそうな表情のヒカルに対し、和谷は鉄壁の笑顔でまあまあと畳み掛ける。
「せっかくみんな都合ついたんだ。大勢で騒ぐの久しぶりだろ? この話したらさ、門脇さんとかもノッてきて……冴木さんからもOKもらってんだぜ。まだ他にも声かけてて、感触いい感じだし」
「だったら別に、普通に飲み会でもいいじゃん」
「なーに言ってんだよ、みんな集まんのはお前のためだろー? お前の人望の為せる技だよ、みんな進藤の誕生日祝いだから来るって言ってんだから」
「またまた……」
 冷静に受け流そうとヒカルは目線を下へ下ろすが、笑いを堪えて震える口元は隠し切れない。
 和谷はあえてそんなヒカルの無理っぷりを突っ込むことなく、肩に手を回して下手に出る方法を選んだ。
「な? 祝わせてくれよ。九月二十日、午後七時な。オールで朝まで騒ごうぜ。もう場所も確保してんだから」
「まあ……そこまで言うんなら、しょうがねえな……」
 遂に堪え切れず、口唇の端をへらっと緩めたヒカルを見て、和谷は隠れた左手で小さなガッツポーズを作った。
「んじゃ、決まりな! 空けとけよ、その時間!」
「分かったよ。ま、飲み会の延長だろー?」
「誕生日祝いだって、何度も言ってんだろ! 楽しみにしてろよ、主役!」
 飽くまで自分が前面に出ることをさりげなく辞退するヒカルをうまく丸め込み、和谷は素直ではない友人に心の中で苦笑いする。
 誕生日祝いの企画を伝えたら、案外照れ屋だったヒカルはすんなりと好意を受け入れようとしなかった。
 勝負事では出しゃばりすぎるくらいに自分を前面に押し出す癖に、いざプライベートで鉾先を向けられると気恥ずかしさが勝ってしまうらしい。嬉しさを隠しながらやんわり断ろうとするヒカルの態度を見て、和谷は何としても誕生日を派手に盛り上げようと誓ったのだった。


 全員で騒ぐの久しぶり――和谷のこの言葉が、まさに今回の誕生会のきっかけだった。
 数日前、仕事帰りに一杯、と伊角と共に出向いた街中で、現在はOLとして働いている奈瀬と偶然和谷は顔を合わせることになった。
「ちょっと、久しぶりじゃない! 二人とも変わんないわね〜」
「ホント久しぶりだな。元気そうじゃん。何、職場この近くだっけ?」
 思い掛けない再会に三人共大いに盛り上がったのだが、同僚を脇に待たせていた奈瀬にはあまり時間がなかった。
「もっとゆっくり話したいんだけど、ごめんね。今度みんなで飲みに行こうよ」
「ホントにな。最近結構忙しくて、俺も伊角さん以外とあんま会ってねえし」
「俺はこの前飯島と顔合わせたよ。それも偶然だったけど……そのうち飲みたいなって、その時も話してたんだ」
 ならば、と奈瀬は携帯電話を取り出した。どうやらスケジュール帳としても使用しているらしい携帯電話で、カレンダーを呼び出しているらしい。
「なら、とりあえず集まれそうな日だけ決めちゃいましょ。そのうち、そのうちって言ってたらきっとずるずる連絡取れないままだし。今月はあたしは……二十日の土曜と、二十六日の金曜の夜なら空いてる」
 伊角も胸元から、黒く細長いシンプルなスケジュール帳を引き抜いた。ぱらぱらとめくり、軽く頷く。
「二十日の夜なら俺も大丈夫だ。二十六日は泊まりのイベントがあるから」
 和谷はスケジュール帳のような几帳面なものを持ち合わせていないらしく、頭の中で今後の予定を思い出しているらしい。
「俺は十三日と二十日がオッケーだったはずだな。んじゃ二十日にするか?」
「あれ、九月二十日って……確か進藤の誕生日じゃないか?」
 伊角の一言で、和谷と奈瀬が瞬きをした。
「そうだっけ? 伊角さん、記憶力いい〜」
「進藤にもしばらく会ってないわね。それなら進藤の誕生会ってことで声かけたら、もっと人集まるんじゃない?」
「そうだな……せっかくみんな集まれるなら、めでたいことがあったほうがいいかもな」
「じゃ、俺本田さんや越智にも声かけるわ」
「じゃあ、あたし飯島君に連絡取ってみる」
「俺も門脇さんに都合聞いてみるよ」
 あれよあれよという具合に即席で予定を詰めた三人は、どうせなら大勢で集まろう、と自分達が思い付く限りの面々に声をかけた。伊角が門脇の名前を出したことで人脈は院生時代の繋がりに留まらず、ヒカルと関係があってそれなりに親しい人間なら、と誘う範囲を大きく広げたのだ。
 そして自分の知らぬところで主役となってしまったヒカルからの了承も得て、九月二十日の午後七時に向けて和谷らは着々と準備を進めていた……はずだった。



 九月二十日当日――
「ええ!? 今からですかっ!?」
 和谷は棋院の事務局で悲痛な叫び声を上げていた。
「悪いね。急に後藤先生が体調を崩してしまって。他にも何人か当たってみたんだが、みんな都合が悪い人ばかりで。申し訳ないんだが、この通り」
「い、いや、でも俺も……」
 ちらりと見上げた時計は午後六時。今、代打で是非にと頼まれている指導碁に出向いてしまったら、とても今夜のヒカルの誕生会には間に合わない。
 しかし、必死に頭を下げる職員を前に、すんなり断れるほど和谷は頭の切り換えが良くできてはいなかった。穴を埋めるために走り回っている人には何の罪もない……謝り続ける職員に対し、遂に和谷は覚悟を決めた。
 ――今から向かって一時間、いや一時間半。開始にゃ間に合わねーが、どうせオールで騒ぐんだから……
「分かりました。俺、行きます」
「ありがとう! 本当に助かるよ!」
 両手を握りしめられて喜ばれると、和谷も腹を括らざるを得ない。
 早速指導碁先の場所を確認し、いざ出発と棋院を出たところで携帯に着信が入った。
 表示された名前は奈瀬。丁度良い、事情で少し遅れることを伝えよう――そう思って携帯電話を耳に当てた和谷は、奈瀬からの言葉に大声を上げた。
「ええ!? お前も遅れんの!?」
『そうなのよ、今週ずっと先輩が風邪で休んでて、そのとばっちり受けてんの。今日なんか休出だってのに、まだ終わんなくて。たぶん一時間くらい遅れると思う』
「マジかよ〜、そんじゃ伊角さんに頼るしかねえな……」
 通話が終わった後、すぐに伊角に電話をしようと番号を表示させる前に、画面がメール受信の文字を浮かび上がらせた。
 届いたメールは伊角から。嫌な予感がしてメールを開いた和谷は、案の定声を詰まらせる。
『すまない、今大阪なんだが、帰りの新幹線が事故で遅れてる。二時間くらい遅れてそっちに着くと思う。門脇さんも一緒だ』
 和谷は前髪を掻き毟り、その場に立ち止まったまますぐに返信できずに口唇を噛む。
 確か、飯島も仕事で参加は九時くらいからと言っていた。越智は名古屋で対局、本田と冴木は広島でイベント、それぞれ終わって東京に着くのは早くても八時過ぎ……

「あと……誰かいたっけ……?」

 和谷の呟きは風に溶けた。
 それぞれのスケジュールを頭の中で整理することにパニックを起こした和谷は、慌ててヒカルに電話をした。
 ――マジで悪い、少しだけ遅れる。でもみんな八時か九時くらいには絶対揃うから……
 たったそれだけを伝えたかったが、間の悪いことにヒカルの電話は圏外もしくは電源が入っていないようだった。無機質なアナウンスを耳に、和谷はじたばたと足踏みする。
 仕方がない。和谷にも時間はない。取り急ぎのメールをヒカルに送り、どうにでもなれとばかりに走り出す。
 ――たぶん、何とかなる。たぶん。
 自分に言い聞かせながら、他に声をかけた誰かが定刻に訪れることを祈って走り続けた。