ハートに火をつけて






 数日後――


「おーい、進藤!」
 棋院の廊下で誰かに呼ばれ、ヒカルは足を止める。
 声ですぐに和谷だと分かったが、振り向いたその先に予想通りの顔を見つけてほっと表情を緩めた。
「よー」
「この前、悪かったなマジで。まさかみんな遅れるなんて思わなくて」
 まっ先に数日前の誕生会のことを謝られ、ヒカルも慌てて首を振った。
「き、気にすんなって。そんな大したことじゃねーし」
「いや、ホント悪かった。待っててくれて助かったよ。マジ、ごめんな」
 ヒカルは軽く眉を垂らし、笑ってもう一度首を横に振る。
 あれから彼らが続々現れて、二時間遅れの誕生会がスタートした。すでに酔っ払っていたヒカルだったが、メンバーが揃えばそれまで萎んでいた心もぐんと膨らむ。和谷が予め予約してくれていたケーキの登場に、テンションも上がって一気に元気を取り戻し、歌に酒に大騒ぎに加わった。
 予定通りほぼ朝まで騒ぎは続き、すっかり声を枯らして帰宅した部屋の中、じんわり幸せを感じたヒカルは誰に対しても怒ってなどいなかった。みんな、必ず来る――アキラの力強い言葉を思い出し、待っていて良かったとしみじみ実感する。
 誕生会だ、と誘われて嬉しかったのに、素直にその喜びを表せなかったヒカルは、自分のくだらない意地を後悔していた。
 特に嬉しくもないように気取ってみせて、その癖本当は浮かれまくって予定よりも一時間ほど早く会場に到着し、いざ誰も来ないと不安になった時のあの淋しさ……しょうがないから参加するなどと言った手前、何故来ないのかと連絡を取るのも気まずくて、アキラが来るまで悶々としていた自分が情けない。
 あの時、アキラが強く支えてくれなかったら、皆を待つ前に一人淋しく帰宅してしまったかもしれない。二時間後の楽しかった時間を思い起こすと、辛抱強く傍にいてくれたアキラに感謝の言葉しか浮かんで来なかった。
 謝り続ける和谷の肩を叩き、もういいよと軽い口調で促す。和谷もこれ以上頭を下げると逆にヒカルが恐縮することが分かったのだろう、もう一度だけごめんな、と口にして、にっこり笑った。
「だけどよ、ホントはもう少しだけ早く着いてたんだよ。ただよ、お前らあんまり……アレだから」
「アレ?」
 聞き返したヒカルに、和谷はしらっと横目を向けて、おもむろに携帯電話を取り出した。
 そして何やら操作して、ヒカルにずいと画面を見せる。
 ヒカルは目を丸くした。
「ヤバいくらいいい雰囲気だったから、入るに入れなくてよ。完全に二人の世界〜って感じで」
「……!」
 和谷が見せた画面には、写真が一枚。
 ガラス越しに撮影された、身体を寄せ合ってソファに座るあの日のヒカルとアキラだった。
「なんか、俺らお邪魔かなーって」
「……、……!」
「あのまま帰ったほうが良かったか?」
「……、……、……!」
 冗談を前提としてからかう和谷に対し、ヒカルは顔を青くさせたり赤くさせたりしながら言葉を失っていた。


 ……思い出してしまったのだ。
 あの時見ていた夢。
 自棄酒に酔って、ふらふらする身体を抱きとめられて、優しく低い囁きに心地よく睡魔を感じて。
 夢と現実の境目を行ったり来たり、夢が意識を支配する割合が大きくなってきた頃に見た夢。


 優しくヒカルを抱く腕が、ふいに片方外れ、垂れたヒカルの頭を持ち上げるためにすっと顎を掬った。
 そして、口唇を摘むようにキスが落ちて来る。驚いて肩を竦めたヒカルを、微笑みながらアキラが強く引き寄せる。
「誕生日おめでとう、進藤」
 気づけば場所はソファからベッドに変わっていた。ぎゅうっと抱き締められた自分の身体も、覆い被さるアキラの身体も素肌であることに気づいたヒカルは、慌てて身を捩る。
「お、おい……、なに、なにこれ」
「プレゼント、あげる。うんと愛してあげるから」
「ま、まて、俺ら、男同士……」
「愛に性別は関係ない」
 きっぱり告げたアキラが首筋に顔を埋める。ぞわっと首を縮めたヒカルは、ふんわり香るアキラの髪の匂いに思わず目を瞑った。
 心を惑わす良い匂いだった。暖かい腕と優しい囁き。
 ああ、もう、どうなってもいいだろうか……


 ……そんな非常識な夢に意識を飛ばしていただなんて、とても口にできるものではない。
 そう、あの時アキラが肩を貸してくれたのに他意があるはずもなく、現実にそんなシチュエーションが訪れた訳でもない。なのに、酩酊の波間にあんな夢を見るとは一体自分に何が起こったのだろうか?
 ヒカルは不必要に和谷に言い訳をして、逃げるようにその場を立ち去った。
 和谷の冗談に、冗談で返すことができなかった。淋しさが見せた幻は、やけにリアルに体温や吐息が補完されていた。思い出すと胸が苦しい。まさかこれはトキメキとかいうやつだろうか?
 夢は願望を表すというが、まさか! ――ヒカルは今まで考えもしていなかったはずの存在が、頭を占めていることに戸惑った。
 だけど今も、楽しく馬鹿騒ぎした気の置けない仲間たちの傍らで、役目は終えたとばかりに控え目に微笑んでいたアキラの優しい眼差しが心を支配している。あのお経のような歌声も、酷く甘くアレンジされて耳に響いてくるのだ。
 俺はどうしちまったんだ、とぐしゃぐしゃ頭を掻きながら、溜め息混じりに階段を下りて行くヒカルと、何も知らずに涼やかな表情で階段を上がるアキラが顔を合わせるまで、あと三秒。






ヒカル HAPPY BIRTHDAY!

なんかあほなヒカになりましたが……
ヒカ碁が続いていれば22歳のヒカなんですね!
うんといい男になっているといい。
しかし妄想力逞しいヒカだなあ。
(BGM:ハートに火をつけて/LOOK)