落ち着かない、落ち着かない。 胸を引っ掻く何かが消えていかない。無性に苛々してカッコワルイったら。 ホラ、やっぱりみんな変な顔してこっちを見てる。 なんだよ。塔矢までそんな顔することねーじゃん。 そりゃ、無茶苦茶だけどさ。俺が塔矢差し置いて大将なんて。 でも、どこかで足掻きたかったんだ。 心のモヤを晴らす方法を、何でもいいから見つけたかったんだ。 社と連れ立って塔矢の家に着いたのは随分遅い時間だった。 案の定、塔矢は少し怒ってるようだった。 そりゃそうだ、社がうっかり「迷った」なんて口滑らせるから。 本当なら迷うはずないんだ。だってこの家に何度も来てるもの。 でも迷ったのは本当だった。社との話半分、ぼけっとして歩いてたらなんだか見たことない景色になって。 それから戻って元の道を探そうとして、また変なとこに入って。 そんなに迷うくらい何を考えてたのかと聞かれたら、……俺にもよく分かんない。とにかく、胸んとこに何か突っかかってる感じがとれなくて、それでいろいろ考えようとしてたんだと思う。 塔矢に理由を聞かれるかと思ったけど、意外にもそこまでつっこんではこなかった。でも聞きたそうな顔をしているのが分かる。 あいつ、ずっと俺の様子伺ってるし。 ここ何ヶ月も一緒に碁を打ってきた塔矢なら、俺が妙に焦ってるのが分かるんだろう。 塔矢アキラは俺のライバル。 でも、何故か俺のことが好きらしい。 どちらの目で今の俺を見ているのかは正直よく分かんない。 棋士として心配してるのか、一人の男として俺を心配してるのか……って、ちょっと肌寒い感じだな。 心配すんなよ、塔矢。 俺、自分で何とかするから。 俺が一人で何とかしないといけないから。 ……だってもう佐為はいないんだから。 なかなか寝付けなくて、おまけに社がイビキかき始めて、とうとう我満できずに部屋を出た。 廊下はひんやり冷たくて、とりあえず毛布を身体に巻きつけて、どこに行ったらいいのかも分からないからそのまま座り込んだ。 背後の襖から社のイビキがもれてくる。 こいつ、全然物怖じしないのな。 少し前までは自分もそうだった。 今は何かがふいに脚を止めようとする。 いろんな恐怖を知ってしまった。勝負への。未来への。一人になることへの。 その度に平気なフリをして、常に自分を奮い立たせようとする。――大丈夫だ、俺。まだいける。まだまだやれる。 俺には昔佐為がついてた。 今も見えないけどついてる。 俺の中の佐為は、俺が打たなきゃ生かせない。 俺が立ち止まったら、佐為がつないだ道も途切れてしまう。 俺がやらなきゃ。 俺が一人で。 一人で。一人で。 ……どうやって? 「進藤」 身体が跳ねる。振り返ると塔矢が座敷童子みたいに立っている。 いきなり驚かせんなよ。すげーびっくりしたじゃねぇか。 「バカ、声でかい」 「あ……す、すまない」 本当はそんなに大きな声じゃなかったけど、あんまりにもひどく驚いてしまったのをごまかしたくてそう言った。 でも塔矢は相変わらずの猪っぷりで、人の言葉なんて聞いてないらしい。 「何してるんだ、こんなところで!」 「しーっ、だから声でかいって! 社のイビキがうるさくて寝らんねーんだよ」 なんで塔矢がこんなところにいるんだろう? ――俺の様子見に来たとか? ホントおせっかいというか、お人好しというか。 大丈夫だってば。俺、一人で頑張らないといけないからさ。 お前が何を心配してるのか知らないけど、俺一人で大丈夫だよ。 「大変だな。部屋を変えるか?」 「んー、まあここでもいいよ。俺どこでも寝られるし」 一人で寝られるし。 ちょっと一人になりたいし。 「だめだ、そんなところで。別の部屋を用意するから来い」 塔矢は強引に俺の手首を掴む。 相変わらずこいつってマイペース。なんでも思ったらすぐ行動するところなんて、まさしく猪って表現がぴったり。 この前なんかの雑誌に落ち着いてるだの穏やかだの書かれてたけど、あれ全部猫っかぶりじゃん。 本当の塔矢はいつも激しい。胸の中に炎を飼ってる。碁盤挟んで向かい合った時の塔矢は、ちょっとでも気を抜くとあっという間にやられてしまう鋭さを持っている。 そして今時妙に熱い男。キスも……熱くて火傷しそう。 ……って、何考えてんだ俺。 「進藤……いつからここにいた?」 「ん?」 見ると、塔矢は俺の手首を握ったまま固まっている。 こいつの手、あったかい。その暖かさがなんとなく居た堪れなくて、俺は嘘をつく。 「……ついさっき」 「嘘だろう」 すぐ見破られた。ちょっと悔しい。 でもまだ一時間くらいだぜ。客間がうるさくて寝れないってのはホントだし。 答えずにいたら、いきなり塔矢が俺を抱き締めてきた。 この前の激しいキスを思い出して身体が凍る。 「おい、塔矢! 何暴走してんだよ」 声がうまく出せない。だってあの時の俺は本気でヤバかった。自転車のにーちゃんが来なかったらどうなってたか分かんないくらい。 もっとも、俺よりコイツのほうがヤバそうだったけど。 「身体が冷えきってるじゃないか。こんなところにこんな格好でいるからだ。来い」 「分かったから離せって!」 「いいから来い」 またコイツのペースだ。 せっかく一人で気持ちを落ち着けてたのに。 今は一人のほうがいい。 だって……塔矢はあったかすぎる。 急にあったかくなると、緊張してた気持ちが緩みそうになる。 ……俺、緊張してた? 北斗杯を迎えて? 初めての国際棋戦だから? なんかどれも違う。 佐為の代わりに打つから? ……、……今更の話なのに? 『秀策なんかたいしたことないって――』 俺、勝たないと。 でないと佐為の強さを証明できない。 俺が負けたら佐為の強さを継げない。 その前に、俺、戦わせてももらえないかもしれないんだ。 戦いたい。勝ちたい。 やらないと。一人でやらないと。佐為がいなくても、佐為がいないから、一人でやらないと。 ……塔矢はあったかい。 なんか、トゲトゲしてた心がちょっと緩む感じ。 弛んじゃダメだって気持ちと、緩みたいって気持ちと。俺は頭の中で戦わせてみたけど、結局……その中間で塔矢に抱えらてた。 コイツ、本当に背ぇ伸びやがったな。今に見てろ。クソ。 つれられた部屋は、明らかに一人用の布団が敷いてあった。 「……ここ、何の部屋?」 「ボクの部屋」 塔矢の部屋!? 布団ひとつで! こいつ、何する気だ!? 「へ、変なことはしない!」 俺の顔に出ていたんだろうか、塔矢が慌てて聞いてもいないことを否定する。 やっぱり、ちょっとは下心あったんだな。 「ここ布団一組しか敷けねーじゃん。まさかお前……」 「違う、その布団はキミが使え!」 「じゃあお前どこで寝るんだよ」 「ボクは……キミを見てる」 またとんでもないことを言い出したぞ、こいつは。しかもなんで大真面目なんだ。 なんて答えたらいいのか分からない……呆れたというのが正しいかな? 「いや……ちょっと違う……キミが心配で……」 塔矢は戸惑いながら続ける。 ちょっとだけギクリとした。やっぱり心配されてたんだ。 「……なんだよ、心配って」 なるべく平静を装ってみる。 「いや……その、なんとなく……」 「なんとなく、なんだよ」 塔矢が口ごもる。 心配なんかするなよ。 俺は一人で大丈夫なんだから。 一人でやらないといけないんだから。 「……、……ともかく、キミはそこで寝ろ! ボクはキミがまたふらふら廊下に出ないように見張っている」 「なんだよそれ〜」 「いいから寝ろ」 塔矢は結局自己完結してしまい、無理に俺を寝かしつけようとする。 こうなったら逆らうだけ無駄な気がしてきた。 仕方なく塔矢が今まで寝てたっぽい布団に潜りこんだら、なんだか塔矢がもじもじと落ち着かない。 「……お前、今ヘンなこと考えたろ」 「なっ! そんなことはない!」 「なんとなく分かるんだよなー、お前……」 本当に分かりやすいヤツだった。 なんでもすぐ顔と態度に出るのに、不思議と周りの人間にそれを見せない。 俺に対して無防備すぎないか? 今だって、俺のために一生懸命になりすぎて、こんな真夜中までつきあってくれている。 バカなやつ。俺なんかほっとけばいいんだ。 実力もないのに大将なんか申し出て、本当は呆れてないのか? 俺はまだお前に適わない。塔矢だってそれを知ってる。 だから笑えよ。まだ俺には無理だって。気持ちだけ粋がってもどうにもならないものがあるって。 ……そんなの俺だって分かってるけど。 「……で、お前ずっとそこにいるの? お前こそ風邪引くんじゃねぇの」 塔矢の真っ直ぐな眼差しが辛い。 暗闇でも俺を見ているのが分かる。 塔矢の一生懸命さが今は痛い。 「キミが眠ったら別の部屋で寝るよ」 「すげー眠りにくい……」 「ボクのことは石か何かだと思ってくれていいから」 ホント無茶苦茶言いやがる。 こんなに存在感のある石がどこにある! 「こんな口うるせー石はないよな〜」 「進藤!」 「石のくせに怒鳴んなよ」 なんだかふざけてないとじっとしていられない。 この闇は、俺の中の闇とは違う。 ここは塔矢の部屋。塔矢の黒髪みたいに、なんだか優しい黒の世界。 張り詰めていた糸がぶるぶる震えてる。 こんなに近くにいられたら、縋りたくなってしまう。 一人でやらないといけないのに。――一人でいられない。 一人で戦わないといけないのに。――一人でいたくない。 俺の中の佐為は消えてしまった。だから俺は佐為の分も一人で打ち続ける。もう一人なんだ、俺はずっと一人なんだ。 佐為が消えてもうすぐ一年、…… ……独りってなんだろう。 寒い。 |
JUST A HEROのヒカルver.です。
ヒカルはアキラが思ってるほど深刻には悩んでないつもりですが、
読み返したら充分思いつめてますな……
それにしても独白調?って私ホント下手なんだなあ。