JUST A HERO






 髪に触れる優しい指先。
 摘まれた前髪がさらさらと額に落ちる。
 気持ちいい。
「おい……」
「あ、す、すまない」
 声をかけると、塔矢は俺の髪を触っていた手を引っ込めた。
 引っ込めなくていいのに。声なんかかけなきゃよかった。
 ここは柔らかくて気持ちいい。さっきの布団とほとんど変わりないのに、気持ちがなんだか落ち着くのは何故なんだろう。
 ……ああ、塔矢のニオイがするからかな?
 いいニオイなんだけど、女の人の香水みたいなのじゃなくて、ちゃんと男っぽいニオイ。俺のイメージだけど、大人っぽいニオイって感じ?
「この布団、お前のニオイがする」
「えっ……、き、昨日干したばっかりだが」
 塔矢のボケにちょっと笑ってしまった。
「いや……変なニオイじゃなくてさ。お前のニオイ」
 俺、たぶんこのニオイ好きなんだ。
 だから、こいつに抱き締められると弱いのかもしれない。
 塔矢の腕の中にすっぽり入ってしまったら、もうコイツのニオイしかしなくなっちゃうから。
 ……って、俺また恥ずかしいこと考えた?
 塔矢といえば、自分のニオイとやらが気になるのか、二の腕とか袖とかくんくん嗅いでいる。分かるかっつーの! 俺だって自分のニオイなんかわかんねぇよ。
 でも、塔矢のニオイはきっと優しいんだ。優しくてほっとする。
 この布団、塔矢の腕の中みたい。
「ちょっと落ち着くかも……」
 思わず呟いて、ちょっと頬が熱くなった。
 何言ってるんだ、俺。
 塔矢に毒されたのかな?
 毒されたのかも。
 気張ってた気持ちがちょっとゆるゆるになってる。
 塔矢のニオイ、もっと近くに欲しい。
「なあ……塔矢」
「ん?」
「あのさあ……ゼッタイ変なことしないなら、こっち来いよ」
「えっ!?」
 塔矢の声がきれいにひっくり返った。
 ちょっと後悔したかも……。
「その代わり、ゼッタイ、ゼッタイ! 変なことすんなよ」
「し、しんどう」
「この前みたいにいきなりベロチューとかしやがったら追い出すからな」
 念のため、先に断っておいた。
 だって、ヤバすぎる。こんな狭い布団であんなキスされちゃったら、俺たち絶対ヤバいことになる。
 でも、塔矢の温もりも少しだけ欲しかった。何より、俺の傍でじっと座っているこいつが情けないというかいじらしいというか……
 お前だって北斗杯前で本当ならピリピリしてるはずなのに。
 俺のこと心配してる場合じゃないだろ?

 俺は一人で大丈夫なんだから。

 また胸が寒くなる。
 ふいに襲う不安が俺を苛立たせた。
「来るのか、来ないのかどっちだよ」
 来て欲しい。――いや、来ないで欲しい。
 塔矢は暖かすぎて、俺はまた一人でいることを意識してしまう。
 大丈夫、大丈夫。言い聞かせているのに俺は何を怖がっている?
 来て欲しい、来ないで欲しい。
 それでも俺の手は、布団をめくって塔矢を待っている。
「い、行く」
 目を閉じた。
 塔矢が来る。俺の隣に入ってくる。
 優しい塔矢。優しすぎる塔矢。俺がおかしなことに気づいていたはずなのに、今日は一度も手を抜かないでいてくれた。
 俺、塔矢のこと好きなのかな。よく分かんないな。好きか嫌いかって言われたら好きだけど、塔矢が俺を好きなのとはちょっと違うかも。
 塔矢の身体が俺の身体に触れる。しばらくすると、服の布越しに塔矢の熱が伝わってくる。
 塔矢ってホントにあったかい。
「進藤……寒くないか?」
 塔矢が少しだけこっちを向いた。
 俺は天井を睨んだまま、冷たい足先を思い出す。
「俺? ちょっと寒いかも」
 でも塔矢がくっついてるからこれで充分。
「布団、もう少し持ってくるか?」
「んー……、いや、いいや。」
 たぶん、布団をたくさんかけても暖かくはならないと思う。
 塔矢はそれが分かったのか分かっていないのか、軽く小首を傾げただけで会話は終わってしまった。
 塔矢って、実はコミュニケーション下手かも。
 唐突だし、強引だし。超がつくマイペースだし。
 そういえば中学ん時イジメられてたんだっけ。
 そもそも友達っているのかな?
 ……塔矢もずっと一人だった?
 俺が現れるまで。……佐為が現れるまで。
「塔矢さあ……」
「ん? な、何?」
「お前、兄弟いないだろ。小さい頃、一人ぼっちの時ってどうやって遊んでた?」
「……?」
 ちょっと変な質問だったかな?
 でも、あんまり直接聞くのももっと変に思われそうだし。
 なんとなくどんな返事が来るのかドキドキする。
 そういえば、初めて会った時より小さい塔矢って全然知らない。
「……碁を打ってた」
 お約束どおりの回答に、やっぱり俺は笑ってしまう。
 ホント、さすが塔矢アキラだ。
「お前ってホント碁バカ」
 塔矢は最初っから一人で自分の碁を打ってたんだ。
 そう、塔矢はずっと一人で高みに向かっていた。
 俺は……佐為がここまで連れてきてくれた。
 俺の碁って、……俺の碁ってなんだろう。
 今俺は一人で、誰の碁を打っているんだろう。
「俺も一人っ子だからさ、結構一人で遊んでたはずなんだ。だけど何やってたか全っ然思い出せない。一人の時間をどうやって使ってたのか……俺、どうやって一人でいたのかな」
 俺の碁は佐為の碁。佐為の碁は俺の碁。
 では俺はどうやって一人で碁を打つ?
「一人でいられたはずなんだ。寝る時も、一人で寝るの早かったんだぜ。小学校上がる前から一人で寝れたの、俺。なんでも一人でできたの。」
 凄いだろ。乾いた声で調子付いても、塔矢は何も言わなかった。
「だけど、なんでかな、その時の気持ちが思い出せない」
「……」
「俺、一人でいられたはずなんだ。」
 一人でいられたはずなのに。
 いざ独りになると、どうしたらいいのか分からない。
「……キミは一人じゃなかったんじゃないのか」
「え?」
 ドキンと胸が鳴る。
「思い出せないのは、キミが一人じゃなかったから。キミの周りにはきっと常に誰かがいた」
 塔矢は時々鋭いことを平気で言う。
 そうだよ、俺は一人じゃなかった。
 ずっと一緒にいたんだ。
 お前も言っただろう? ――俺の中にもう一人いる。
「……じゃあ、俺どうやって一人でいたらいいんだ?」
 もう一人いた。……いなくなってしまった。
 傍にあった形のない温もりが、完全に消えてしまった。
 声も、気配も、何一つ痕を残さずに、煙みたいに消えてしまった。
 これからは一人だ。一人でやらなくちゃ。

 怖い。

 一人で頑張らなくちゃ。

 怖い。

 俺は勝たなくちゃ。

 怖い。

 俺が勝たなきゃ、佐為まで負けてしまう。

 ――怖い。


 俺は佐為の代わりに、
 佐為の代わりに、……
 一人で
 一人で
 一人で
 一人で

 ……一人は嫌だ……






 突然、目の前が塔矢でいっぱいになった。
 ふわっとした塔矢のニオイと、俺を締め付けてるみたいな物凄い力。
 何がなんだか分からなかった瞬間から少し間を置いて、ようやく塔矢が俺を思いっきり抱き締めてるのだと分かる。
 なんて力だ、バカ塔矢。息が苦しくて仕方ねーよ。
「バカ、変なことすんなって……!」
「しない、何もしない! キミを抱き締めてるだけだ!」
「しないって、もうヘンなことになってんじゃねーか!」
 俺の腰の辺りに何かが当たっている。あんまり考えたくないけど、思い当たるのはアレしかなくて。
 ヤバイって、もしこんな状態であの時みたいなキスされたら……
「ほっとけば治まるから!」
 ホントかよ! 思わずツッコミたくなる。
 そりゃ、確かにほっといたら治るだろうけどさぁ。でもこんなふうに身体合わせたままで、ホントに治るのか?
 ……でもやっぱり塔矢はあったかい。それにいいニオイ。
 締め付けられて凄く苦しいのに、胸の奥があったかい。
 塔矢の胸からもドンドン音がする。少し耳を寄せ、胸に額を押し付けた。
 やっぱりすげー緊張してんじゃねーか。心臓の音、とんでもないことになってるぞ。
 こいつ、俺のためにホント一生懸命なんだ。俺なんかのために頑張って我満して、俺のことあっためようとしてくれてる。
 塔矢はあったかい。怖かったのに寒かったのに、塔矢の胸の中は落ち着いてあったかい。
「お前、……あったけーな」
 常に前を見据えて、更なる高みを目指す塔矢――
 優しくて強い塔矢。暖かくていいニオイの塔矢。
 腕の中は気持ちいい。このままずっといられたら。
 何にも考えずに碁だけ打って、塔矢といられたら。
「進藤、キスしてもいいか」
「はぁ!?」
 せっかくいい気分になってたのに、塔矢はまたとんでもないこと言い出した。
 だから、この状況でキスするのはまずいんだっつーの!
 道端でもほとんど腰砕けだったのに、今布団だぞ、フ・ト・ン!
「変なキスはしない! 触るだけだ!」
「触るだけも何も、キスはキスなんだろうがよっ!」
「約束する、絶対舌は入れない! 触るだけだから!」
 もうコイツ信じらんない。下半身カチカチにさせてる男の台詞かっての。
 お前が我満できなくなるか、……俺が我満できなくなるか、どっちが先が分からない。
 怖い。でもこの腕の中から離れたくない。
「……ほんっとーにヘンなキスはなしな」
 声が震えているのが塔矢に分かってしまうだろうか。
「うん」
「触るだけだぞ」
「うん」
 本当に触れるだけ?
 そんなのしてみないと分からない。
 でももしこのまま流されちゃったら、……今まで通りの俺たちじゃなくなっちゃうかも。
 それもちょっと寂しい。
 目を閉じて塔矢を待つ。なんで俺が待ってるんだろう。
 恥ずかしい。ちょっと目を開けてみようかな。それも恥ずかしいか。
 まだかな。
 ……まだかな。


 最初は、触れたかどうかも分からないくらいにゆっくりとして。
 あの時の激しいキスはなんだったのかと思うほど、優しい熱が口唇を包んで。
 お前、ずるい。
 こんなキスできるなんて。
 優しすぎるキス。泣きたくなるようなキス。
 それはそれはあったかいったら。
 俺の身体、指先がぽかぽかしてくる。心の内側もぽかぽかあったってくる。
 俺、これからも一人で戦わないといけないのに。
 こんなに溶かされて、お前責任取れんのかよ。
 なあ塔矢、塔矢。
 お前には言えないけど、こんなこと絶対申し訳なくて言えないけど、
 ……もし佐為に触れることができたら、こんなキスをくれたんじゃないかと思うんだ。

 ごめん。
 ごめんな、塔矢。
 明日になったら、いつもの俺に戻るから。
 ちゃんと碁を打つ。俺と佐為の碁を打つよ。俺、一人でも眠れるように頑張るから。
 今夜だけは。







 だからこのまま














ヒカルも絶対おかしいですね。
5/5目前で情緒不安定みたいです。
しかしニオイ連発させすぎて、
アキラさん相当臭いんじゃないかと勘ぐってしまいます。
(BGM:JUST A HERO/BOΦWY)