「痛っ……痛い痛い痛い痛い――っ!」 夜更けの静かな塔矢邸に響き渡る絶叫―― 期待していた事後の余韻に浸る間もなく、アキラは容赦なく投げつけられた蕎麦殻枕を顔面で受け止めることになった。 「バカ! 変態! 嫌だって言ったのに!」 枕を投げつけた張本人のヒカルは、素っ裸のまま仁王立ちでぶるぶると肩を震わせている。 十秒ほど枕のダメージにくらくらしていたアキラは、はっと意識を取り戻すと、慌ててヒカルの足元に追い縋った。 「で、でも、キミだってボクが好きだと認めたじゃないか!」 鬱陶しく足に絡み付いてくるアキラの腕を蹴飛ばすように振り解いたヒカルは、怒りなのか恥ずかしさなのか判断に困る真っ赤な顔で一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに鋭い目つきで怒鳴り出した。 「そ、そうだけど、だからってこんなことしたかったわけじゃねえよ! お前がどうしてもって言うから、仕方なく……で、でも、あんなに嫌だって、痛いって言ったのに……」 「そ、それは悪かったと思ってる……! 今度はもっと優しくするから、」 「今度!? 冗談じゃねえよ、もう二度とこんなことしねえ!」 「な、なんだと!? 二度とって、こっちだって冗談じゃない! ボクが今までどれだけ耐えていたと思ってるんだ!」 「うるせえ! とにかく金輪際俺に触るな、でないとお前とは今すぐ別れる!」 目と口を最大限に開いたアキラは、そのまま雷に打たれたかのように固まってしまった。 ヒカルと同じく、一糸纏わぬ素っ裸のまま。 事を始める前に準備万端とばかりに用意していた布団は乱暴な行為ですっかり縒れており、皺だらけのシーツの上で立膝をついて凍りついたアキラは、自分を睨みつけているヒカルを呆然と見上げていた。 *** 「アキラ、今日すっごいクマ作ってんなあ。どした〜? なんかあったのか?」 のほほんと尋ねてくる芦原の軽い口調がいつも以上に気に障る。アキラはなるべく視線を合わせずに、「なんでもありません」と棘丸出しに返事をした。 クマが酷いのは当たり前だ。あれから一睡もしていない。 ようやくこぎつけた、念願のヒカルとの初夜だったというのに……まさかあんな押し問答になろうとは。 思いを通じ合わせてから苦節半年、宥め拝み倒してやっともらえたOKサイン。いざ快楽と陶酔の夜へ飛び込まんと勇んだアキラだったが、どうやら無事に飛び込んだのはアキラだけで、ヒカルにとっては荒波に引きずり込まれて苦しいだけで終わってしまったようだ。 確かに最中、何度も痛い、嫌だと喚かれた。髪も引っ張られたし腹も蹴られたし、しかし罵られても殴られても怯まなかったのが敗因になってしまったらしい。 終わった途端にアキラを待っていたのは、愛を確かめ合ったことへの優しい時間なんてものではなくて、投げつけられた枕とヒカルの「二度と触るな」宣言だった。 とっくに日付も変わっているのに今すぐ帰ると騒ぎ出したヒカルを宥めすかし、何とか太陽が昇るまではと身体を張ってヒカルの帰宅を阻止していたが、気力が切れてしまった日の出の直後、本当にヒカルは始発目指して塔矢邸を飛び出してしまった。 アキラの予定では、仲良く二人で朝食をとって一緒に家を出て棋院に訪れるはずだったのに――握り締めた拳が何だか虚しい。 一晩中睨み合っていたせいでヒカルだって不眠状態だ。さぞや疲れているに違いない。悪かったと思って先ほど対局室で姿を見つけた時に声をかけようとしたが、ツンとそっぽを向かれてしまった。あからさまな拒否にアキラの口唇がわなわなと震える。 ――何も、あんなに嫌がることないじゃないか。恋人同士なのに…… 恋人同士。……のはずだ。 かねてから想いを寄せていたヒカルに告白したのは、付き合いだした半年前よりもう少しだけ前に遡る。 最初こそ面食らっていたヒカルも、だんだん慣れてきたのかほだされたのか、アキラの告白に満更でもない様子を見せるようになってきた。 少しでも気のある素振りを見逃さず、ひたすら攻めて攻めて攻めまくったアキラがやっとのことでヒカルからのイエスの返事を勝ち取ったのが半年前。念願叶ってお付き合いを始めたわけだが、それが実に清く正しすぎた。 デートといえば碁会所。電話をしても話題は碁。とりあえず碁。とにかく碁。ひたすら碁。 一向に進展しない関係に焦れたアキラが執念深く誘いつづけ、何とか三ヶ月目にキスまでは許されたものの、その先は拒否され続けた。 それでも少しずつ少しずつ甘言巧みにヒカルの緊張をごまかしていって、やっとの思いで両親不在の塔矢邸にお泊まりすることを承諾してもらったのが昨夜。 アキラの当初の予定では、身も心も結ばれた二人が同じ布団で穏やかな朝を迎えるはずだったのだが…… ――同じ布団どころか、裸のままで一晩中睨み合いをすることになろうとは……! そりゃあ確かにちょっと乱暴だったかもしれない。痛いと泣かれたのに無理矢理決行したことは悪かったと思っている。 でもアキラだって初めてだったのだ。最初からいきなりうまくできるはずがない。だからこれから少しずつ慣れて行こうと言っているのに、ヒカルが二度とごめんだと突っぱねるのだ。 これでは恋人同士ではなく、アキラが一方的に想いを寄せていた頃となんら変わりがないではないか。 ――恋人なら、好きなら触れ合いたいのは自然なことじゃないか。ちょっと痛かったくらいで……進藤は本当にボクのことが好きなのか? 夕べの手加減のないヒカルの暴れっぷりを思い出し、アキラの眉間にくっきりと皺が刻まれる。 せっかく素敵な夜になるはずだったのに。大きなため息と共に肩を落とすアキラの隣で、芦原が不思議そうに首を傾げていた。 やはり話し合う余地がある。 そう判断したアキラは、午後の早い段階で対局にケリをつけ、ヒカルの終局を待っていた。 待つこと一時間、ようやく対局室から出てきたヒカルの前に立ちはだかると、ヒカルは明らかに不快な顔を見せてアキラの脇をすり抜けようとする。 昨夜から少しも軟化していないその態度にカッと頭に血を昇らせたアキラは、アキラを無視しようとしたヒカルの腕を強引に掴んだ。 「痛っ……何すんだよ!」 「キミが無視するからだろう!」 「……っ、お前、自分が昨日何やったか分かってねえのかよ!」 「だからそれは何度も謝ったじゃないか! それなのにキミは一方的にボクを拒み続けて……!」 「……一方的だと?」 アキラを睨み据えていたヒカルの目がきらりと光った。 ヒカルはふいにアキラの腕を振り解くと、まるで汚いものでも見るような歪んだ目をアキラに向ける。 「……どっちが一方的なんだよ。俺は嫌だっつったんだ」 「……進藤」 「とにかく、お前がそんなんじゃ俺はもう絶対あんなこと許さない。……へたくそ」 ビシイ、と凍りつく音が日本棋院中に響き渡るかのようだった。 完全に石像と化したアキラを置いて、ヒカルは肩を怒らせて去っていく。 アキラは固まっていた。間抜けに口を開けたまま、両手をヒカルに差し伸べたまま。 ――……へたくそ…… へたくそ、へたくそとヒカルの声が頭の中でループする。無限ループ。終わらない螺旋階段。ぐるぐると上ったり下がったり、渦を巻く声にエコーがかかって全身に反響する。 それからしばらく凍り続けたアキラは、約二時間後になんとか相手の見落としで半目勝ちを手に入れた芦原が上機嫌で対局室を出てきたところでようやく発見され(その間も人は通っていたが皆遠巻きに避けていた)、なんとか解凍、帰路につくことになった。 ……が。乱れた脈拍はあれからずっと治まらず、アキラは血走った目でうろうろと部屋を歩き続けて時折髪を掻き毟り、何度も何度もヒカルの言葉を耳にリピートさせていた。 『へたくそ』 「……ッ!」 冷たい抑揚のない声。汚らわしいとはっきり書かれたあの目…… まだ十六歳のアキラが胸に受けた傷は深かった。初めてだったのだ、初めてなのだから多少のまずさは仕方ないと頭では理解しているのに、面と向かって「へたくそ」と言われてしまうと立ち上がる気力ごと削がれてしまう。 しかしそこは塔矢アキラ。これまでも何度も前向きに挫折を乗り越えてきた男である。 これではいけない、と拳を握り、ヒカルに満足してもらえるよう現状打開を試みるのだった。 そうして手っ取り早く飛びついたのが……インターネットだった。 |
十六歳くらいの二人??
長ったらしく書いた割に中身は単純極まりないです……
そして後から読み返すのがとても恥ずかしい部類の話です。
何もかもが空回った痛々しさが否めません。
ああなんか全てにおいてごめんなさい……!
(しかしネットに頼るのはこれで何度目か……)