LOVE & GAME






 ヒカルの呆然とした表情に、じりじり違う色が混じり始めた。大きく見開かれていた目が徐々に釣りあがり、眉間には深く皺が刻まれ、口唇は噛み締められてぐっとへの字に山を描く。
「いつからだよ……」
 ついさっき、とごまかせる雰囲気ではない。アキラは青ざめて尚も押し黙る。
「まさか……ずっと……?」
 低い囁きにアキラがゴクリと喉を鳴らす。
 小さく縮こまったアキラの様子から全てを察したヒカルは、カッと頬を紅潮させた。
「お前……っ! 俺が、みんな、どれだけ心配したと思ってんだよっ……!」
「す、すまない……!」
「すまないじゃねえよ! ふ、ふざけんな、すげえ心配したのに、あんなに、俺のこと忘れちゃったって、ホントに、うっ……」
 ぎりっと歯を噛み合わせたヒカルの鼻に皺が寄り、上下から押し潰されたように拉げた大きな瞳からぼろぼろと涙が落ちてきた。
 アキラは堪えきれず、痛む足も構わずにベンチから転がるように地面に膝をついて、がばっと両手をついてひれ伏した。
「申し訳ない! 本当に、本当にすまなかった……! ボクが馬鹿だった! ボクが、くだらない企みなんか思いつくから……!」
 地面を押し込むように開いた手のひらに小石が刺さる。構わずに這い蹲ったような格好のままアキラが顔を上げると、立ち上がったヒカルがアキラを黙って見下ろしていた。怒りに震え、涙で顔をぐしゃぐしゃにして。
 分かりきっていたことだとは言え、とんでもないことをしてしまったのだ。夕陽に染まったヒカルの泣き顔が胸に痛い。
 アキラは今更ながらに思い知った。ヒカルがどれだけ自分のことを心配してくれていたかを。
 そんなヒカルの想いを踏みにじったのだと思うと、自分に腹が立って仕方が無かった。
「ボクが……、ボクが卑怯だったんだ……。キミの気持ちを知るために、記憶をなくしたフリをした。知りたかったんだ! キミがボクのことをどう想っているか……! 悪いことだと分かっていたのに、ボクは……、キミが、優しくしてくれたのが嬉しくて……」
 アキラの目の前では、今にもアキラを殴りつけそうなヒカルの拳が固く握り締められている。
 殴られたって仕方がない――覚悟を決めたアキラは、これ以上無駄に足掻くまいとぐっと歯を食いしばった。
 飛んでくるだろう激痛に備えて目を閉じていると、ふいにヒカルの低い声がぼそりと頭の上に落ちてきた。
「……、……俺も、嘘ついてたし……。お前、止めてくれたから。チャラにしてやるって言いたいけど……」
 一旦言葉を区切ったヒカルが、すうっと息を吸い込む気配がした。
「でも、やっぱ許せねえ……」
 アキラはぎゅっと目を瞑る。合わせるように身体も小さく竦めると、「立てよ」と短く吐き捨てるような声が聞こえた。
 顔を上げたアキラの目には、厳しい顔つきのままぼろぼろと涙を零しているヒカルが映る。
 観念したアキラは、よろよろと立ち上がる。右足に体重をかけるとずきんと鋭い痛みが走った。僅かに顔を顰めながら、拳を震わせているヒカルの前に立った。
 殴られるとばかり思っていたアキラは、しかし思わぬヒカルの言葉を耳にした。
「お前……、俺に言うことあるだろ」
 え? と瞬きをするアキラと向かい合い、ヒカルは相変わらず険しく眉を寄せて涙を零す。
 アキラは狼狽し、謝罪が足りないのかともう一度頭を下げた。
「ほ、本当に、悪かったと……」
「謝るんじゃなくて! ……俺に、言うことあるだろ……!」
 頭を上げて、困惑の表情を浮かべたままアキラはまじまじとヒカルを見た。
 涙でとっくにぐしゃぐしゃだが、赤らんで、怒りの中にどことなく見え隠れする恥ずかしさをじっと堪えているような、そんな顔。
 まさか、とアキラが瞼を広げた瞬間、ヒカルは泣きじゃくる勢いそのままアキラを怒鳴りつけた。
「言えよ、ちゃんと! ……そしたら、許してやる……っ!」
 アキラは目を見開き、全てを理解した。
 ヒカルの声にほんの少しだけ含まれた、甘えるような響き。アキラは驚きながらも、きゅっと口唇を結んで、ヒカルの譲歩に応えるべく背筋を伸ばした。
 そうだ。ヒカルはもう、充分すぎるくらいアキラにヒントを与えてくれている。もうこそこそと詮索する必要はない。
 初めから小細工なしで、こうしていれば良かった――後悔してももう遅い。
 ならばせめて、今から伝える言葉にはありったけの真摯な想いを込めて。

「――キミが好きだ」

 きっぱりとよく通る声で告げると、泣き顔のヒカルが胸に飛び込んできた。思わず踏ん張った右足がまた痛んだが、こんなの罰にもならないだろう。
 わんわん泣いているヒカルを抱きとめながら、アキラはもう一度ごめんね、と柔らかい髪に隠れた耳へ囁いた。





 ***





 良く晴れた碁会所の午後――

「だからどうしてそんなところを荒らすんだ! 強引すぎて手になるはずがない!」
「ちまちま稼ぐよりよっぽど効果的だろ! お前には無理でも俺ならちゃんと活かせる!」
「誰が無理だと言った!」
「手にならないって言ったじゃねえか!」
 定位置でぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を見守る客たちの表情はどこか温かい。ああ、見慣れた光景が帰って来た……そんな眼差しで周りに構わず言い合いを続けるアキラとヒカルを、常連客はうんうんと頷きながら遠巻きに眺めていた。
「はいはい、そこまで! 二人だけの碁会所じゃないんですからね!」
 どん、と乱暴に置いたコーヒーで割って入った受付の市河も、口調に比べて顔は嬉しそうだ。
 すいません、と小さく頭を下げた二人は、それぞれコーヒーに手を伸ばす。
「それにしても、良かったわね。アキラくんの記憶が戻って」
「ええ、おかげさまで……いっ!」
「ど、どうしたの?」
 突然呻いたアキラを市河が驚いて見下ろすが、アキラは眉間を寄せた渋い表情を見せながらも「なんでもありません」と無理矢理笑顔を作っていた。
 アキラは碁盤を挟んで向かいに座っているヒカルをじろりと睨み付ける。わざとらしく口笛を吹いたヒカルはそっぽを向いて知らないフリをしていた。
 テーブルの下、市河に見つからないようにアキラはそっと右足を擦った。完治どころか悪化させてしまった捻挫部分を思いきり蹴られたのだ。自業自得とは言え、なんだか悔しい。記憶を失ったフリをしていた時は、あんなに優しかったというのに……。
 しかしアキラが文句を言えるはずはなかった。もしもヒカルが「塔矢はずっと記憶をなくしたフリをしていました」と大騒ぎしていたら、両親や棋院側からどんな非難を受けることになったか想像するだけで身震いする。
 事故にあって二日後、ふいに記憶を取り戻したと口裏を合わせてくれたからこそ、今こうして碁会所にもいつも通り迎えてもらえるのだ。涙まで見せてくれた市河が真実を知ったら、たとえ経営者の息子と言えども出入り禁止くらいの対応は取りかねない。
 アキラの弱味を握ったとばかりに、ヒカルはネチネチと嫌味を言い、今もこんなふうに悪戯を仕掛けて来たりする。確かに全面的にアキラが悪いのだが、時々この扱いはあんまりだと声を荒げたくもなってしまう。……時々。
 それ以上に、とても大切なものを手に入れることができたのだから、本当はそんなこと苦にもならないのだけれど。
「さ、俺そろそろ帰ろっと」
「あら、進藤くんもう?」
「うん、今日うちの親出かけててさ、夜は留守番頼まれてんだ」
 そう言って立ち上がったヒカルは、ほんの一瞬横目をアキラに向けた。
 アキラが何か言う前にカウンターへ向かったヒカルは、後ろから追い付いて来た市河の手からリュックを受け取り、じゃあまた、と自動ドアを潜る。
 アキラも碁盤の上を綺麗に片付けて、よいしょと思わず年寄りじみた声を漏らしながら椅子から立ち上がった。右足を軽く振って、相変わらず痛むことに肩を竦めながら、ひょこひょことカウンターへ向かう。
「ボクも帰ります。鞄もらっていいですか」
「アキラくんも? 足、大丈夫? タクシー呼ぶ?」
「いえ、大丈夫です」
 気遣う市河に笑顔を見せて、アキラは碁会所を出た。そして首を回すと、案の定、碁会所の外の壁に背をつけて腕組みをし、ふてくされたような顔をしているヒカルが待っている。
 目を細めたアキラに、尋ねられてもいないのにヒカルが言い訳を始めた。
「その、お前、足治ってねえから! だからしょうがなく待っててやったんだからな」
 どこか怒ったようなぶっきらぼうな口調にアキラは微笑んで、足を引きずりながらヒカルの元へと近付いて行く。ヒカルもアキラに歩み寄り、その背中をそっと支えた。
 エレベーターに乗り込んで、アキラの右足を庇うヒカルの耳元へ、アキラはそっと口唇を寄せた。
「今日、ご両親いないって本当?」
「……ああ」
 ヒカルの耳が真っ赤に染まった。アキラは口元を綻ばせ、尚も掠れた声で囁きかける。
「じゃあ、打ちに行こうかな。キミが一人で淋しくないように」
「べ、別に、……いいけど……」
 消え入りそうな声を掬うように、アキラはヒカルの顎に指をかけた。
 エレベーターの扉が閉まる。

 どんな些細な仕草だって、今はもう「合図」なのだと解釈することを躊躇わない。
 もう二度と、冗談でも彼を忘れただなんて口にするものか。
 そしていつか、ヒカルの意志で彼の秘密を語ってくれる時が来ますように。
 記憶どころか大事な存在を失うことにならなくて良かったと、アキラは口唇の先に触れる柔らかな感触にうっとりと酔いしれていた。






30万HIT感謝祭リクエスト内容(原文のまま):
「あの・・・。ありきたりですがどっちかが記憶喪失に(失笑)
できればアキラのほうで。
策略家のアキラが何かの弾みで一時的に記憶喪失に。
しかし、病院で目覚めたときにはすでに記憶が戻っていて、
その時の二人の関係(友達以上恋人未満)に業を煮やしていたアキラが、
はっきりしないヒカルの気持ちを確かめるために記憶が戻らない振りを。
自分のことを思い出してほしくてせっせとお世話するヒカルと
後ろめたい気持ちでいっぱいのアキラが見たいです。
ヒカルは恥ずかしくて素直になれないだけだったのに。
嘘がばれて、ヒカルにけちょんけちょんにやられるアキラが見たいです。
あ、でも、やっぱり最後はハッピーエンドで。
結局はアキラさんのぐずぐずでおろおろな所が見てみたいだけなのです。」

策略家というのと変態シーン以外は大筋リクエスト通り……かな??
細かいところは微妙に違ったりしていますが……
あの、アレです。ヒカルが泣いたのは怒ってるというより安堵のほうです。
(ここでフォローしないと伝わらない腑甲斐無さ……)
それにしてもアキラさん土下座しまくりです。
彼が誠意を込めて謝るとなるとあれしか浮かばなくて……
(謝るようなことばっかりしているということか……)
悪事発覚までのスピードがさすが早漏といったところですが、
15歳くらいの初々しい彼ということで御勘弁を!
リクエスト有難うございました!
(BGM:LOVE & GAME/氷室京介)