開いた扉の向こうには、まだ先ほどの厳かな雰囲気の余韻が残っていた――ヒカルは思わず前方のステンドグラスに目を奪われ、静かに空気を押し出すような扉の閉まる音にびくっと肩を震わせた。 そうして自分が何をしに来たかを思い出し、慌てて先ほどアキラと並んで座っていた座席へと向かう。念のため、バージンロードを跨いだりしないように左側から回り込んで。 「あ、あった」 カードのようなデジカメはいとも容易く見つかった。ヒカルが置いたそのままに、座席の上に放置されている。あまりに薄くて小さいのでアキラも見逃してしまったのだろう。 「あんまりコンパクトなのも危険かな」 そんなことを呟きながら元通りに胸ポケットにデジカメをしまい、さあ戻ろうと扉に足先を向けかけて――ヒカルはもう一度ステンドグラスを振り返る。 自然光を取り入れた七色の輝き。人工的な照明の力強さとは違った優しい光は、いつかどこかで見たことがあるような気がした。 思わず、惹かれるままふらふらと、ヒカルは聖壇に向かって足を踏み出していた。 先ほど晴美が夫と誓約を交わした聖壇の前で、ヒカルはぼんやり頭上のステンドグラスを見上げる。キリストの生誕が描かれているらしいその図は、聖書の知識のないヒカルにとってはただの絵でしかなかったけれど、美しさだけは純粋に感じられた。 身体を包み込むような柔らかい光。 どこか朧気で、まるで夢の中みたいな…… (……夢……) ヒカルははっと瞬きした。 (……そうか……) あの、夢の中に似ているのだ。 優しくて暖かな、でも少し淋しい光の中。 最後に佐為と出会った、あの夢の中。 あれから、気配さえも感じる事の無い大切な存在。 ……でも、想いの強さはいつもこの胸に在る。 (……佐為。俺、デカくなっただろ) 七色の光が睫毛の向こうでゆらゆら揺れる。今日は確か白い雲が点在する眩しいほどの青空で、風が少し強かった。 (強くなったぞ、俺) 風が吹くたび太陽の光は形を変え、ステンドグラスを通してヒカルの心の囁きに応えるように揺らめいて。 (もっと、もっと強くなるから。いつか、お前に会える時まで……もっと強く……) その瞬間、ふわりと胸に浮かんだ愛しい人の笑顔。 それはまるで天からの問いかけのようで、ヒカルは思わず微笑んだ。 (……うん。アイツと一緒に強くなるよ……) 優しい光がきらりと輝いたような気がした。 しばし続いた静寂に、キイ、と控えめな音が入り込んできた。 背後から聞こえた音にヒカルが振り返ると、待ちくたびれたのか、扉を開いて中を覗きこむように顔を出しているアキラが見える。 お前も呼ばれたのか? ――思わずそんなことを考えてしまって、ヒカルは軽く首を傾けて驚いたようにヒカルを見ているアキラに微笑みかけた。 *** 扉の向こう、座席付近にいるかと思ったヒカルの姿は意外にも聖壇前に見え、魅入られたように頭上のステンドグラスを見上げている様子にアキラは息を呑んだ。 扉の音で気づいたのだろうか、ヒカルがおもむろに振り向いて小首を傾げる。確かにいつも通りの笑顔がそこにあったのだが、振り向いた瞬間、少しだけ泣いているように見えたのは気のせいだろうか? アキラは呆けたようにしばらくぱちぱちと瞬きをしていたが、すぐに我に返り、座席の右側を回ってヒカルの元へと大股で駆けつけた。 「何してるんだ。見つからなかったのか?」 「んー、見つかったよ。さっきの場所に置いてあった」 「なら、どうしてすぐ戻って来ないんだ」 文句を言いながらヒカルの隣に立った時、ヒカルが意味ありげに再び見上げたステンドグラスをアキラもまた釣られるように見てしまう。 柔らかい輝きは、近くで見るとなお美しかった。 「キレイでさ。ちょっと見惚れちゃって」 「あまり長居すると怒られるぞ。披露宴の時間だって……」 言いかけたアキラは、ヒカルがとても穏やかな目で光を見上げている事に気づいた。 何かを懐かしんでいるような、細めた目が瞬きで睫毛を揺らすたび、アキラの胸の奥がさわさわと音をたてる。 口元は笑みを浮かべているのに、眼差しに一抹の寂しさが漂う。 (ああ、キミはまた――) アキラはまだ、自分が立ち入ることができない「その場所」があることを思い知る。 でも、大丈夫だと――ヒカルの横顔を見つめながら、アキラは確信する。 寂しさを抱えながらも、その瞳の奥に宿る光は揺るぎなく強い。 焦ることはないのだ。 ヒカルはいつだってここにいる。 ヒカルはアキラを振り向いて、歯を見せて笑った。アキラも思わず顔を綻ばせる。 ステンドグラスの光を浴びて、ヒカルの金色の前髪がとても綺麗だと思った。 「なあ、さっきの市河さんスゲーキレイだったよな」 悪戯っぽい上目遣いを見せたかと思うと、えへんと咳払いをして、ヒカルは背筋を伸ばして目を閉じた。 「え〜、健やかなる時も、病める時も、……んーと、あとなんだっけ……まあいいや、命ある限り、心を尽くす事を誓いますか?」 そうして片目を開き、ちらりとアキラに横目を向ける。 アキラは微笑み、ヒカルに向けていた身体を聖壇に向け、同じように背筋を伸ばしてきっと顎を上げた。 「……誓います」 静かな、しかしきっぱりした低い声で答えると、隣のヒカルが少したじろいだようだった。アキラをからかうつもりで始めた神父の真似事だったのだろう。 でも、冗談で許してはあげない――アキラは微笑んだまま、改まった口調でヒカルの名を呼んだ。 「進藤ヒカル」 「は、はい」 思わず硬い返事を返したヒカルに少し笑って、アキラは続ける。 「あなたは、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、哀しみの時も。富める時も、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り――真心を尽くすことを誓いますか……?」 ゆっくりと一言一言を区切り、自分自身も噛み締めるように告げたアキラは、そうしてそっと隣のヒカルに顔を向けた。 ヒカルは少し驚いた顔をして、しかしすぐにアキラの意図を感じ取ってくれたのだろう、ふっと表情が引き締まる。 そうして、アキラを見つめてはっきりと答えた。 「――誓います」 アキラは目を細める。 静かに足先の方向を変え、ヒカルと向かい合ってしっかりお互いを見つめ合った。 「……交換する指輪はないけど。ボクらにはこれで充分だろう……?」 応える代わりにヒカルが笑った。 そして、そっと目を閉じた。 アキラは両手で優しくヒカルの二の腕に触れ、柔らかいステンドグラスの光を浴びながら、胸に溢れるありったけの想いを込めて――アキラを待つその口唇に誓いの口付けを落とした。 口唇が離れて、そろそろと目を開き、至近距離で見詰め合った二人は少しだけ照れくさそうに微笑み合う。 ヒカルははにかみながら、二の腕からするりと落ちたアキラの手に指を伸ばし、指先を絡めてきた。 「……ヤバイ。お前、カッコよすぎ。俺、なんかすげえ盛り上がっちゃった」 「雰囲気が相乗効果だな。さ、そろそろ行かないと」 「なあ、披露宴終わったらどっかラブホ入らねえ? 俺お前ん家まで待てそうにないんですケド」 「二次会も呼ばれてるだろう? 週末のホテルよりもうちに帰ったほうがよっぽど早いと思うよ。おまけにこの格好じゃ悪目立ちしすぎる」 「え〜、久しぶりにシチュエーション変えてみたかったのに〜」 すねるヒカルの手を引きながら、アキラは苦笑いして祭壇を降りる。来た時と同じように座席側を回って後方の出口を目指し、ヒカルに気付かれないように何度も瞬きを繰り返した。 こんなにも安らかな気持ちで、大切な人と愛を誓い合うことができた。 そのことがどれほど幸せか、涙が出そうなほど胸は満ち足りている。 未来に続く長い道のりを、キミと歩いて行ける喜び。 少し、遠回りしてしまったけれど。今、心には何の翳りもなく、素直な気持ちでキミを愛している。 この気持ちを生涯忘れない。 たとえこの先どんなことがあったって、心を誓い合ったこの日をボクは決して忘れない―― *** 披露宴も滞りなく終了し、続いて呼ばれた二次会では頑なにウーロン茶だけを手にするアキラの目を盗んで、芦原の監視下(なんて頼りない監視だろう!)でヒカルはちゃっかりアルコールにも手を伸ばし、どれだけ飲んだのか帰る頃にはすっかり出来上がってしまっていた。 酒全般が全くダメなアキラよりは飲めると豪語していたヒカルだが、助手席でぐったりシートに凭れている様を見るととてもホテルどころではないだろう。 「しっかりしろ。車で吐くなよ」 「う〜〜、芦原さん、意外に強え……」 「やれやれ」 ため息をつきつつゆっくりと車を走らせ、すっかり夜の闇に包まれた街をすり抜けて我家へと急ぐ。 ヒカルは隣で唸っているが、アキラの心は穏やかだった。 途中、どこかで二日酔いの薬を買って行こう。 いつしかため息は鼻歌に変わり、アキラは軽やかにハンドルを切った。 |
ヒー結婚式ごっこしてしまった!
主役(=市河さん)ないがしろにしてイイ度胸だ!
アキラさん神父さんの言葉丸暗記スゲー。
どうやら書いていないだけでこの二人、
たま〜にホテルも行ったりしている模様。
それにしても相変わらず曲のチョイスが古い……
(BGM:LONG ROAD/THE CHECKERS)