「ああ、進藤と塔矢? なんかあったんじゃない?」 倉田は和谷とは全く逆の方向で、呆気なく社の欲しい回答をくれた。 「な、なんかって、何が!?」 「さあ。なんかって言ったらなんかだろ」 しかし続いた言葉はひどく頼りない。 がっくりと肩を落とす社の前で、社奢りのコーヒーを啜りながら倉田は飄々としている。 「何があったかは知らないけどさ、なんかあったのは分かるよ。あいつらの最近の碁見てたら」 「倉田さん……気づいてたんですか」 「ん? まあそりゃあね。分かりやすいし。特に進藤」 倉田はコーヒーを一気に飲み干し、傍を通ったウェイトレスに「おかわり」と告げた。「ついでに甘いもの持ってきて」と続けられた言葉に社の目が据わっていく。 「今回の合宿だって、俺も進藤にやらないのかって聞いたんだぜ。そしたら社、お前が都合悪いから今回はナシってアイツが言ったんだから」 「……アイツ、俺のせいにしたんか……」 倉田はウェイトレスが持ってきたメニューに目を通し、アップルパイを指差した。 「まあ、ウソっぽいって分かったけどね。お前ちゃっかりここまで来てるしさあ」 ははは、と笑う倉田に社は仏頂面を向ける。 「笑ってる場合やないですよ。北斗杯は団体戦やないですか。アイツラこのまんまでええんですか」 「んー? だってどうしようもないだろー。俺らがどうにかできる問題じゃないし」 「……」 「お前、どうにかしようと思ってんの? 見かけによらずおせっかいなんだな」 倉田の前にアップルパイが運ばれてきた。嬉々としてフォークを取る倉田を、肩を落としたままの社はうさんくさげな目で見上げる。 「俺かて他人の問題にどうこう言いたかないけど、現に進藤の碁はダメになっとるやないですか。俺はあいつらのことライバルやと思うとるし、こんなふうにグダグダなってんの見たないですわ」 「まあ、大丈夫だろ。進藤がたまにおかしくなるのは今に始まったことじゃないし。去年の今頃もヘンだったじゃん? それに今回は少なくとも碁を打ち続けてんだから、いつか自分たちで何とかするだろさ」 ――今回は? 社は何か含みの感じる倉田の言葉を聞き返そうとした。ところがアップルパイの最後の一口をぺろりと飲み込んだ倉田は、話の矛先を真正面にいる社に変えてきた。 「人のことより、社、お前は大丈夫なんだろうな〜。和谷との決勝、お前の読み間違え結構後半まで響いてたじゃん。頼むぞ三将! 今年こそ安太善の鼻をあかしてくれよ!」 マズイと社は椅子のまま後退った。安太善の名前が出てくると倉田はしつこい。 聞きたいことが聞けたような聞けなかったような中途半端な状態だが、そろそろ退散せねば。社はガンバリマス、と威勢良く立ち上がり、レシートを掴む。 そしてふと、思い立って倉田に向き直った。 「倉田さん。……塔矢の連絡先分かりますか」 「塔矢の? なんで?」 「進藤がウソついて合宿とりやめにしたんなら、塔矢も時間持て余してるかもしれんから。せっかく東京来たんや、一局打ってもらおうと思って」 会心の出来だと社は思った。表情、口調、特に不審に思われる言葉はないはずだ。 倉田はうーんと軽く首を回して、あいつが時間持て余すってことはないだろうなあ、と独り言のように呟いた。それでも、携帯電話を勝手に教えて怒られたら困るけど、自宅の番号ならいいか、と自らの携帯電話を取り出してくれる。 「どうせ棋院に聞いても分かるもんな。……ほら、これ」 「おおきに」 社は素早く倉田が表示させたアキラの自宅番号を携帯電話に打ち込んだ。 これで収穫はゼロではない。わざわざ倉田を捕まえたかいがあったというものだ。 それじゃあ、と今度こそ倉田の前を立ち去ろうとすると、声色を変えるでもなく、飽くまでもいつも通りの倉田の声がこんなことを告げた。 「……あのさ、塔矢って進藤絡むとコワイよ?」 ……この時社は、倉田敦という男は底の読めない侮れない男だと思い知ったのだ。 その夜、社は狭い和谷宅で一晩中碁石を握ることになった。 招かれた伊角、越智、本田、冴木、門脇といったプロ棋士たちと共に、ひたすら対局し、検討を重ね、去年の合宿のように一睡もせずに早碁を繰り返したりした。 良い時間を過ごした、来て良かったと素直に思うのだが。 しかし去年いたはずの二人の姿がないことは、少なからず物足りなさを感じさせた。 越智はヒカルとの一戦以来、多少は落ち込んでいたようだったが、すぐに持ち前のプライドを取り戻して碁盤をしっかり睨んでいた。その姿を見てほっとするのとは逆に、越智を破ったはずのヒカルが心配でたまらなくなる。 今日一日で社が集めたキーワード。 ヒカルとアキラの間に何かあった。 それに気づいている者といない者。 プライベートでヒカルとアキラの付き合いはないと言った和谷。 「塔矢は進藤が絡むとコワイ」という倉田の言葉。 何かつながりそうで、何もつながりそうにない。自分のおせっかいもここまでだろうか? (いや) まだひとつ鍵が残っている。 社はさきほどアキラにかけた電話のことを思い出した。 社が東京に出てきていたことを知らなかったらしいアキラは、少し驚いていたものの僅かながら時間を作ってくれると言っていた。 明日はアキラと打つ。それが最後にして最大の鍵になるだろう。 北斗杯まであと二日。倉田の言う通り、他人に感けている場合ではないのかもしれない。 しかしヒカルやアキラの不調は日本の不調だ。何とかできることがあるなら、多少の手伝いくらいしたっていいだろう。 それに、自分には何かできることがあるような気がする――これも、社の野性のカンだった。 *** アキラと会うべく再び日本棋院にやってきた社は、一般対局場でアキラの姿を探す。 個性的な黒い頭は見当たらず、どうやら自分が先に着いてしまったようで、社は対局場の入口でアキラを待つことにした。 昨日の電話の声に、別段変わりはなかった。打ちたいと告げるとすぐに時間を作ってくれた。 何故今年の合宿がなかったかなんて話は一切していない。 もしもヒカルの話題を出したなら、なんらかの反応はあっただろうか…… 「待たせてすまない」 穏やかな声と共に目の前に立った男を見て、社はあ、と口を開けた。 グレイスーツのジャケットを脱いで腕にかけ、淡いストライプのシャツに藍色のネクタイ。涼しげな眼差しで現れたアキラは、背筋をぴんと伸ばして社に柔らかい笑みを浮かべていた。 思わずその仕草に見惚れた社は、すぐにはっとしてぶんぶん首を振る。 「社?」 「あ、いや、な、なんでもない。久しぶりやな」 なんだか、アキラはまた少しいい男になったような気がする。 元々キレイな顔立ちではあったが、以前感じた中性的な印象が薄らぎ、良い意味で男臭さを感じる。身長が伸びたせいだろうか、体つきも去年会った時より幾分がっしりしているようだ。 「長く待っていたのか?」 アキラは受付の女性に奥を借りると告げながら社を先導する。 「いや、さっき来たとこや」 「それならよかった。あまり時間がとれなくてすまないが、打てるだけ打とう」 前を進むアキラが軽く振り返り、黒い髪が揺れた。 穏やかで、落ち着いて見える。特におかしな様子もない。 そもそも彼の碁に変化が見られたといっても、ヒカルのような極端なマイナス面の変化ではなかったのだ。見た目で分からなくても無理はない。 しかし打ってみたら、と社は拳を握る。実際に打てば、なんらかの変化が分かるはずだ。そこからうまく話を持っていき、ヒカルとの間に何があったか聞きだせるかもしれない。 社はアキラに促されるまま奥の席に座り、向かい合って頭を下げた。 「お願いします!」 「……」 二度の対局を経て、社の口数は極端に少なくなっていた。 一度目は中押し、二度目は二目半でアキラに敗れた社には、遂にアキラの変化をその目で見極めることができなかったのである。 いや、棋譜にしてじっくり検討みれば何らかの兆候は読み取れたかもしれない。しかし実際にアキラと対局となると、彼の厳しい攻撃に対抗するので精一杯で、些細な変化など分かったものではない。 社もこの一年、社なりに成長してきたつもりだった。ところが目の前の男には社に比べて一回りも二回りも余裕がある。甘い手はすかさず叩かれた。成長していたのは社だけではなく、アキラもまたそうなのだと思い知らされた。 そして惜しいと心から思った。アキラがこれだけの男になっているのなら、ヒカルもまた相当に飛躍していたはずではないのか。 一人足踏みをしているヒカルを思うと歯がゆくなる。 アイツは何をやってるんだ。こんなところでもたついてる場合じゃないだろう。 「まだ少し時間があるから、検討しようか?」 アキラは整地を終えた盤上の石を崩しながら、社にそう尋ねた。しかし社からの返事がないことに気づいて、ふと不思議そうに顔を上げる。 社は厳しい表情でじっとアキラを見ていた。 社? とアキラが社の異変を指摘するより早く、社の口唇が動いていた。 「お前……進藤と何があったんや」 瞬間、まさにそれは瞬間だった。 それまで穏やかだったアキラの纏う雰囲気が、一瞬で音を立てて凍りついた。 静かだった瞳の奥に刃物の切っ先のような光が灯り、社を正面から突き刺していく。その息のとまりそうな視線の強さに、社の身体は呆気なく竦んだ。 「……彼と……何か話したのか」 押し殺したように呟く声には先ほどのような柔らかさは微塵もない。 恐ろしいほど余裕がない。なんて分かりやすい反応をしてくれるんだ――社は目の前で鋭い双眼を向けているアキラに対し、ただひたすら首を横に振るしかできなかった。 ――塔矢って進藤絡むとコワイよ? コワイどころじゃないっ! 社は食えない男・倉田敦の軽い口調を呪った。彼がどこまで二人のことを知っているかは知らないが、下手に首を突っ込むと命がない、くらいの忠告はして欲しかった。目の前のアキラなら、社一人闇に葬るくらい訳がなさそうに見える。 しばしそうして(相当に一方的だが)睨み合いを続け、やがてアキラは社から目を逸らす。その表情に最初のような笑みが戻ることはなかった。 「……時間だ。失礼する」 硬い声でそう告げて、アキラは社を振り向かずその場を離れていった。社もアキラを引き止めることができなかった。寧ろ重苦しい雰囲気から開放され、ほっと息をついたほどだ。おかげで、自然と身体を支えていた肘の力が抜け、かくんとバランスを崩して椅子に仰け反ってしまう。 こうして社は全てのキーワードを手に入れた。正直なところ、これらのキーワードをつなげようとしてもどうにもならなかったのだけれど。 しかし今、アキラの変貌ぶりを目の当たりにした社には、まさしく野性のカンで、ある答えが導き出されていた。 ――アイツ、進藤に惚れてるんや。 突拍子のない答えが自分の中から弾き出されて、まさか、と社の頭は必死でその答えを否定しようとする。 しかし社は、アキラの鋭い瞳の奥に燃える恋の炎を見てしまったたのだ。なんの確証もない、ただの直感が導いた答えを、とうとう社は打ち消すことができなかった。 北斗杯まであと一日。 ひょっとして、自分はとんでもないことに首を突っ込んでしまったのではないだろうか……? 社はすっかり抜けた腰で椅子をずり上がりながら、頭を抱えた。 |
もう社にうまい具合にいろんなとこ拾ってもらいました。
便利屋にしちゃってごめん社。
(BGM:Monotone Boy/レベッカ)