MISTY HEARTBREAK






 「好きな人はいますか」と聞かれれば、それが仲間内の他愛のない会話でも、答えた内容が記事として全国に発信されるインタビューでの質問だったとしても、飾らず偽らず「はい」とバカ正直に答える。
 「その人は誰ですか」と更に聞かれると口籠ってしまうだろうけれど、しかしもしも「進藤ヒカルが好きですか」と聞かれたとしたら、真剣に「好きです」と返すだろう。塔矢アキラとはそういう男だった。
 不必要なまでにきっぱりと前を向き、一定の角度で引いた顎の硬さには頑固さがありありと見て取れる。
 常に上向きの眉尻と、その眉と平行に釣り上がった瞳は一見涼しげに見えて、時折実に情熱的な炎が揺れる。きゅっと結ばれた口唇は意志の強さを主張しているようで、曖昧さなど欠片も見当たらない。
 彼の顔を象る全ての要素が、彼を生真面目で誠実な人間に、悪く言えば融通のきかない扱いにくそうな人間に見せていた。
 そして全く見かけ通りの性格であるアキラは、何をするにでも実直に、かつ熱心に辛抱強く自分の意志を貫いた。それは恋愛でも変わらなかった。
 同じ年のプロ棋士である進藤ヒカルへの恋心を自覚してからのアキラは、最初こそ男同士であるという関門に悩みはしたものの、自分の想いが本物であると悟った後はひたすらヒカルへの猛アピールを繰り返した。
 連日連夜、顔を合わせる度、会わなくても電話やメール、あらゆる媒介を使って自分の想いを訴え続けた。
 初めこそ適当にあしらうという最悪の選択をしたヒカルだったが、すぐにアキラの本気を思い知らされることになった。
 数日、数ヶ月どころか数年に渡って繰り返された愛の告白にすっかり頭が麻痺してしまい、ふと離れた瞬間に暑苦しい存在がいないことへの寂しさに気づいてしまった時、とうとうヒカルはアキラを受け入れる決意を固めてしまった。
 それはアキラがヒカルに想いを告げた十五歳の頃から実に五年が経過していて、アキラは二十歳の年についにヒカルを恋人として手に入れたのだった。

 アキラはこれ以上ないほど真摯にヒカルを愛していた。誰の目も憚らず、いつでもストレートに想いを示すことこそが最良だと信じて疑わなかった。もし誰かに関係を問われたら「恋人です」ときっぱり宣言することを躊躇わないほど自分の愛情に自信を持っていた。
 誰かに咎められたくらいで揺らぐ愛ではない。寧ろ困難を乗り越えて更に愛が深まる、と夢見がちな一面もある。
 その厄介な性格は主に恋人となったヒカルを困らせ、アキラは絶えずヒカルに窘められてばかりいた。お前はもういいから何も喋るな、余計なことを人に吹聴するな。何度同じ内容を懇々と説かれたか分からない。
 アキラは過剰に人目を気にするヒカルの態度が若干不服だった。
 元々無理を言って恋人に口説き落とした相手だ。時折「本当に自分を愛してくれているだろうか」とアキラは分かりやすく悩みこんだ。
 アキラとしてはヒカルに自分と同じだけの愛情を見せてもらいたいが、アキラよりもずっと常識人だったヒカルは人並み程度の愛情表現が手一杯だった。その態度に自信を持てなかったアキラは、ヒカルがうんざりするほど落ち込んだりすることがあった。
 しかしこの扱いにくい男に数年掛けて落とされてしまっていたヒカルは、渋々ながらも恋人の機嫌をとるために、彼が望む最大限のことを了承するという懐の深さを見せたのだ。
 ……そんな経緯で、二人が一緒に暮らし始めてからもうすぐ二ヶ月が経とうとしていた。


 プロ棋士として忙しく活動している二人はそれぞれ違うスケジュールで動いていたため、同居していながら顔をなかなか合わせられない、なんてことが珍しくなかった。
 そのせいかは知らないが、アキラはヒカルが傍にいる時は最大限に喜びを示してみせた。例えばこんな具合に。
「ただいま」
「進藤、お帰り。疲れただろう? 食事作ってあるよ」
「……頼むから、抱きつくなら靴脱いでからにしてくんねえか……」
 帰宅したばかりのヒカルに小うるさく纏わりつき、髪やら頬やらにキスの大放出。ヒカルは随分慣れてしまっているのか、動じることなく身体に絡み付いているアキラを引きずりながらリビングへと向かう。
 リビングに入ったヒカルがくんくんと鼻を鳴らすと、アキラは微笑んでその首筋に口唇で優しく触れながら囁いた。
「キミの好きなハヤシライスにしたよ」
「おー、まじ? 腹減った〜」
「待って進藤、まだお帰りのキスが」
「ハイハイ」
 色気もなくぶちゅっとヒカルが一発かますが、アキラは実に幸せそうな顔でいそいそと夕飯をテーブルに準備し始める。ここで例え「今日はカレーの気分だった」とささやかな落胆を感じたとしても、決してヒカルは口には出さない。うっかり零してしまったが最後、何度ハヤシライスで構わないと取り繕おうがアキラは作り直すこと必至だからだ。
「美味しい?」
「おー」
 ヒカルを想って愛情たっぷりに作られた料理がいかに美味だとしても、ヒカルが必要以上に喜んだり褒めたりすることはない。同居を初めてすぐの頃、勘違いしたアキラに三日間同じメニューを作られてヒカルはすっかり懲りていた。
 食事が終わると自動的に食後の珈琲が差し出される。ヒカルが満腹の腹に心地よい苦味を口に含んでいる間、アキラはせっせと後片付けをしている。手伝いたくても、鉄壁の笑顔で拒まれるので好きなようにさせている。
「いいからキミは座っていて」
 洗剤で肌が荒れたら困るから、とか、皿を割って指を切ったら困るから、とか、心配しているのか馬鹿にしているのか分からないようなことを大真面目で説き、アキラはヒカルを働かせようとしない。
 仕方ないのでヒカルがテレビを見ながら食休みしていると、洗いものを終えたアキラが今度は風呂の支度を始める。もちろん一番風呂はヒカルへ。
「進藤、お風呂準備できたよ」
 満腹でうとうとしかかっていたヒカルの前髪を優しく梳きながら、不必要に甘ったるい声でアキラが囁くと、ヒカルは特に動じた様子も無くうーんと伸びをして立ち上がる。
 アキラが用意した風呂にのんびりと浸かり、風呂上りにアキラが買っておいてくれた炭酸飲料を飲んで人心地ついたら、ヒカルはそろそろ覚悟をし始める。
 ヒカルと交代で風呂に入ってきたアキラは、ちらちらとヒカルに意味ありげな視線を送りながらやけにもじもじと身を捩らせる。
 この辺りで察してやらなければ、焦らせば焦らすだけ無駄に燃え上がる恋人に何度か酷い目に遭わされたヒカルは、悟りを開いたような表情でため息ひとつ、アキラにこう提案するのだ。
「塔矢……、ベッド行く?」
 これが二人の常だった。いや、常というほど一緒にいる時間がしょっちゅうあるわけではないが、二人だけののんびりした夜が約束されている時は大抵こんな過ごし方をしていた。
 暮らし始めて一ヶ月目は、ヒカルも随分くたびれた顔をしていたものだった。しかし二ヶ月目からは半ば諦めの境地に入ったのか、アキラの甲斐甲斐しい愛情表現をハイハイと受け流す心得を身につけた。
 それはヒカルの防衛本能だったのかもしれない。まともな神経でアキラと長く付き合うなんて不可能だ――要するに、腹を括ったヒカルは健気にもこの先の人生をアキラと過ごすと決めた故に、淡白な態度を取ることを選んだのだった。


 ヒカルの態度の裏に隠された並々ならぬ決意など知る由もないアキラとしては、ヒカルの淡白な言動が不服だった。
 できれば自分と同じだけ盛り上がって欲しい、せめて二人きりの時くらいはと願うのだが、情熱的に抱き締めても抱き返してくるヒカルの腕はいつも冷静だった。
 五年間突っぱねられていたことを思えば充分贅沢な望みだろうと自分を戒めるが、人間とは一度欲が出ると際限なく深くなることは可能でも浅く留めることは難しい生き物ときている。
 せめて、とアキラは本人にとってはささやかな夢を見る。
 せめてもう少し熱っぽい目を向けてくれたら。
 せめて休日が重なった前夜くらい一晩中抱き締めさせてくれたら。
 せめて「愛してる」の返事が「ハイハイ」じゃなくて、「俺も愛してる」くらい言ってくれたら。
 心の中でだけ思っているのだったら別段問題はなかったかもしれないが、アキラは考えていることが非常に顔に出やすい性質だった。
 一緒に暮らす人間に常日頃上記のようなことを考えていることがありありと分かる目でじっとりと見つめられ、ヒカルの苦労が偲ばれるところだが、ヒカルが淡白だからこそ二人の仲が上手くいっていることはアキラは気づいてはいない。
 五年間相手の迷惑を考えずに想いを貫き通した男なのだから、至極当然と言えばそうかもしれなかった。






今回の裏テーマは「ウザさ」……かもしれない。
そのせいか文章もいつも以上に読みにくくなった気がします。
へたれというか、腹立たしいうざったさをお楽しみ?頂ければ……
ただ非常にネガティブな方向に話が進んで行きますので
あんまり幸せそうじゃない二人はちょっと……と思われたら
ストップされたほうが良いかもです。
(書き手は二人とも幸せだと思って書いています)