古より




「はっ!!」
 気合の入った掛け声と共に、両手の掌底を合わせて広げた手のひらから繰り出された光の塊が魔物に命中するや否や、標的は弾け塵となって掻き消えた。
 群れの最後の一匹を退治したマッシュは技を放ったままのポーズでふうっと大きく息を吐き、腕を下ろして屈めていた腰を伸ばす。その少し後ろでヒュウッとロックが口笛を吹いた。
「派手だねぇ」
 戯けた声に振り返ったマッシュはニヤリと笑い、右腕を振り上げ力こぶを作ってみせた。それから顔を反対側に向け、本日のパーティーメンバーである兄のエドガーとストラゴスの無事を確認して安堵に頷く。
 魔物の気配が消えた砂地を再び歩き出した一行は、ほんのり橙色が混ざり始めた空を背に帰路の続きを辿って行った。腹が減ったなとマッシュが呟けば、ロックも臍周りを押さえて食べたいメニューを挙げ始める。
 食べ物の話に花を咲かせる二人の背を苦笑しながら追うエドガーの隣で、ストラゴスが独り言のようにぽつりと零した。
「しかし、不思議な技じゃの」
 話し掛けられているのか判別できなかったエドガーは、念の為にストラゴスを振り向いて軽く首を傾げてみせた。ストラゴスもまたちらりとエドガーに横目をやり、「お前さんの弟のことじゃゾイ」と付け加える。
「マッシュのこと? ……ああ、あいつの必殺技か」
「そうそう。サマサの人間じゃからな、魔法を使う人間は珍しくはないんじゃが。マッシュの技は魔法ではない……しかし、どうも魔力に似たものを感じる気がするゾイ」
「はは、まさか……、あいつは普通の人間だ」
「普通の人間は手のひらからオーラを放ったりせんゾイ……」
 確かにそうだと眉を寄せて青い目を天に向けたエドガーの横で肩を竦めたストラゴスは、顎に手を当て何か考えたように首を捻ってから再びエドガーを振り返った。
「お前さんも修行とやらをすればオーラが出せるかの?」
「……可能性は低いと思うよ」
 前を歩く逞しい後ろ姿を見やって苦笑いを零したエドガーは、冗談めかしてマッシュのように手のひらを広げて構えてみせた。マッシュの背中目掛けて両手のひらを突き出し、ストラゴスに目配せして笑い合う。
 今夜の宿となるフィガロ城が視界に映り始めていた。



「明日の朝にはコーリンゲン側に着くだろう。久々に気兼ねなくゆっくり眠れるな」
 髪を緩く編みながらそう告げるエドガーに、すでに寝支度を終えたマッシュがベッドの上に胡座を掻いた格好で軽く肩を竦める。
「潜行中にトラブルでもないといいけど」
「縁起でもないな。優秀な操縦士が揃っているんだ、夜中に叩き起こされないことを祈ろう」
 エドガーは軽く笑って編み終えた髪の束を背中に跳ね除け、ベッドで待つマッシュの元へ歩いていく。マッシュの目の前で足を止めたエドガーは、意味深に弟の青い目を見つめながら右膝をゆっくりとベッドに乗せた。
「皆、ここしばらくファルコンの狭い部屋で寝泊まりしていたからな。今頃我が城の客間でぐっすり眠っているだろう」
 マッシュもまたエドガーから目を逸らさず、兄を迎え入れるように左腕を持ち上げて、手のひらを引き締まった腰に滑らせる。
「……確かに気兼ねはいらないな。国王の寝室の壁は分厚くて頑丈だ」
「多少の声が漏れない程度にはな」
 マッシュの広げた胸の中に滑り込むように身体を寄せたエドガーは、両手で無精髭の残る骨張った頬を包んで軽く瞼を伏せた。
「ベッドの広さも充分」
 かぱっと薄く口を開け、噛み付くようにマッシュの唇を塞いだエドガーのうなじの髪に指を差し入れ、マッシュはもう片方の腕で強くエドガーを抱き込んだ。
 そのまま背中から倒れ込んだマッシュにエドガーが口づけの雨を降らせ、酸素を求めて一度顔を上げた隙に今度はマッシュがエドガーを抱き寄せ引っくり返し、お返しとばかりに濃厚なキスを落とす。
 口づけの合間の息が荒くなってきた頃、もどかしく互いの衣服を脱がせ合い、相手の肌を撫で合いながら、陶酔の時に二人は身を浸す。凶暴な程にギラつかせた視線は熱く絡み合っていた。











 囁き声がする。

 か細い、女性の声だろうか。何処か遠くから聴こえてくるようでもあり、頭の中に直接流れ込んでくるようでもある。

 ──……ないで……

 はらはらと涙の雫を落としながら声の主は訴えた。闇の中で姿も見えないその人が、何故泣いていると分かるのか理解は追いつかないが、女性は確かに宝石のような涙をぽろぽろと零して語りかけてくるのだ。

 さわらないで。

 何に? 問いかけると、石像に、そう答えが響いてくる。

 ──魔力の弱い人間が触れると、あの方は魔石になってしまう……──

 耳の穴に直接注ぎ込まれたかのような声にゾクリと背筋が凍りついた。



「──ッ……!」
 ばちっと開いた目が捉えた視界には当初闇しか映らなかったが、徐々にベッドの天蓋の輪郭が見えてきたマッシュはここが何処であるのか思い出す。
 フィガロ城の兄の寝室。十年ぶりの再会ののち何度か訪れた程度の部屋の認識が早かったのは、マッシュの胸に寄り添って寝息を立てている裸のエドガーが傍らにいるためだった。
 まだ辺りは薄暗く、夜明けには遠いと静か過ぎる部屋の外の気配から察する。こんな夜中にふいに目が覚めた原因を探り、何やら奇妙な夢を見た、とマッシュが記憶を手繰り寄せ始めた時、不自然に荒い呼吸のせいで大きく上下する胸に揺り起こされたのか、腕の中のエドガーが小さな唸り声を上げた。
「……どう、した……」
 掠れて寝惚けた声に申し訳なくなり、マッシュはエドガーの剥き出しの肩を大きな手のひらで暖めるように包み、抱き寄せた。
「……何でも。夢を見てたみたいだ……ごめんな、起こして」
 優しく囁きかけて兄の額にキスを落とし、その柔らかい髪に頬を擦りよせ、形の定まらない夢のことなど忘れてしまおうと再びマッシュが瞼を下ろした時だった。
 微睡んでいたはずのエドガーが、不意に鋭い動きで頭を持ち上げた。
 その機敏な動作にマッシュが驚いてエドガーの様子を瞠ると、エドガーは視線をあちこちに巡らせてから訝しげに眉を寄せ、早口で「動いていない」と呟いた。
 何が、と尋ねかけてマッシュもハッとする。潜行中であるはずの城の駆動音が微かにも聴こえず、ゆらゆらと揺れているような感覚もない。潜行のスピードから計算される到着時刻は朝方より縮まりようがなく、今の時間に辿り着いている訳もなかった。
 完全に覚醒したらしいエドガーは身を起こしてマッシュの腕をすり抜け、床に散らばっていた下着を拾い集める。身につけつつ、同じく脱ぎ捨てられていた寝衣ではなく、通常の衣服を用意し始めたエドガーを見て、事態が深刻であると察したマッシュもまたベッドを下りた。
 部屋に灯をつけ直し、二人の身支度が終わったとほぼ同時、静かな廊下に慌ただしい足音が響いてきた。目配せし合った二人の予想通り、足音は部屋の前で立ち止まり、次いで扉をノックする音に変わる。
「起きている」
 エドガーが答えると、扉は躊躇いがちに開かれた。現れた兵士はすぐさま頭を下げ、顔を上げた時に中にいるマッシュの存在に若干驚いた表情を見せつつ、すぐに真顔に戻り報告を開始した。
「夜半に申し訳ありません。潜行中に異常が発生致しました」
「完全に止まっているようだな。いつからだ」
「つい先程です。それまで順調に来ていたのですが、何かに引っかかっていると操縦士が」
「引っかかって……? エンジンのトラブルではないのか」
 眉を顰めたエドガーは指を顎に添え、数秒考え込む仕草を見せた。そして顔を上げ、戸口へと向かい出す。
「ともかく一通り確認する。起きている技師は何人だ」
「今の時間は十名程かと」
「充分だ。手分けして機関室をチェックしよう」
「俺も行くよ」
 会話に割り込んだマッシュをちらりと振り返ったエドガーは、薄っすら口角を上げたことで返事代わりにしたようだった。好きにしろと言われたと見做したマッシュは、役に立たない自覚はあったが部屋でじっと待っている気分にはなれなかった。
 あの妙な夢の余韻がそうさせたのかもしれない。正体の分からない不安が胸の一部に巣食っているかのような、モヤモヤした気持ちが広がりつつあった。
 このトラブルもすぐに解消されることを祈りながらも、何か嫌な予感がしていたのは事実だった。

 エドガーの後について機関室に向かう道すがら、マッシュのその不安は大きくなっていった。
 進むにつれて妙な気配が漂ってくる。それは魔物が蔓延る洞窟のような、酷く澱んだ空気に感じられた。
「……兄貴、この気配……」
「何だ?」
 先を行くエドガーは平然とマッシュを振り返る。その表情は緊急事態で引き締まってはいたが、マッシュが案じているような異変は感じてはいないように見えた。
 何と説明すべきかマッシュが口籠もった時、進行方向にある地下へ降りる二つの階段──片方は機関室、そしてもう片方の地下牢に繋がる階段から、兵士が息を切らせて駆け上がってくる様が兄の肩越しに見えた。
「陛下!」
 呼び声に素早く正面を向いたエドガーは、早足で兵士に歩み寄る。
「何事だ」
「牢の一室が地下洞窟に繋がったようです……!」
「牢だと?」
 エドガーが聞き返したと同時のタイミングで、今度は機関室に通じる階段を数人の技師が登って来た。エドガーが促すように顔を向けると、彼らは姿勢を正し「機関室は異常ありません」と報告を行う。
 エドガーが神妙な顔つきで隣に並んだマッシュを見る。マッシュもエドガーと顔を見合わせて小さく頷いた。
 二人の足が地下牢への階段に向いた時だった。
「エドガー! マッシュ!」
 背後から響いて来た柔らかな高い声にエドガーもマッシュも面食らって振り向くと、奥の扉からティナが姿を現し二人に向かって駆けて来ていた。
「ティナ!」
「どうしたんだ、こんな夜更けに」
 驚きを隠さない二人に同じく寝支度から普段着に着替えを済ませているティナは、険しい表情で口を開く。
「はっきりとは覚えてないけど……さっき不思議な夢を見たの。その夢で誰かに呼ばれたような気がして、目が覚めたらお城が止まっていて……なんだか、とても嫌な気配を感じたものだから、様子を見にここまで」
「ティナも?」
 咄嗟に口を挟んだマッシュを、ティナとエドガーが同時に見た。
「マッシュもなの?」
「何か感じるのか」
 二人の問いかけにマッシュは戸惑いながらも頷き、地下牢に続く階段を顎でしゃくる。
「……良くない空気だ……、凄く嫌な感じがする」
「……俺には何も分からん」
 軽く目を細めたエドガーがフッと小さく息を吐き、気持ちを奮い立たせるかのように顔を上げて止まっていた足を踏み出した。
 迷わず地下牢への階段を降りるエドガーに続き、マッシュと、そしてティナも周囲に気を配りながら一段一段足を運んで行った。

 地下牢では番兵たちが右往左往していたが、現れたエドガーに気づくと整然と並んで敬礼をした。
「洞窟に繋がった牢は何処だ」
「はっ、こちらであります!」
 兵士の導きで三人が目にしたのは、かつてエドガーが盗賊に扮して地中に埋まったフィガロ城に忍び込む際に通過した端の牢だった。その後修繕したはずの壁が崩れ、奥にぽっかりと闇が覗いている。
 マッシュは息を呑んだ。嫌な気配は明らかにこの牢の向こうから漂って来ている。横目で伺ったティナも同じものを感じているのか、可憐な顔を強張らせて油断なく闇の奥を睨んでいた。
「……現在位置はどの辺りだ」
 誰にともなく尋ねたエドガーの問いに、兵士の一人が姿勢を正して答えた。
「潜行地点と、コーリンゲン寄りの浮上地点との丁度真ん中辺りであります」
「……となると、今の地形では地上は大地ではなく恐らく海だな……。このまま無理に浮上させるのはまずい。原因を調べるしかないだろう」
 そう告げてマッシュを振り返ったエドガーに対し、兄の意図を理解したマッシュも手のひらに拳を叩きつけて頷いてみせる。
「酷く嫌な気配がするぜ。強い魔物が出るかもしれない……俺が行くよ」
「お前一人では心許ないな。俺も行こう」
「でも、兄貴」
「なあに、お前がいれば大抵の魔物は蹴散らしてくれるだろう? このまま地下に留まる訳にはいかないからな、早急に対処せねばなるまい」
 異論のある者は、とエドガーが見渡した兵士の中から声を上げる者はいなかった。王自ら正体不明の洞窟を調査する危うさはあるものの、エドガーは歴とした戦士であり、マッシュと二人揃った時点でここにいる誰よりも強い存在であることは明確であるためだろう。
 では準備をとエドガーが細かな指示を出し始めた時、後ろにいたティナが一歩前に踏み出て双子の兄弟に並んだ。
「私も行くわ」
 エドガーが驚いてティナに向かい合う。
「ティナ……、しかし、時間も遅い、レディをこんな得体の知れないところに連れて行く訳には」
「不思議な気配を感じるの……。まるで、幻獣の聖地で感じたような」
 ティナの言葉にエドガーは眉を揺らし、再び牢の奥を振り返った。
「……この先に幻獣が……?」
「お願い、一緒に行かせて」
 詰め寄るティナに苦笑を見せたエドガーは、マッシュに目配せをする。マッシュも答える代わりに穏やかな笑みを浮かべてみせた。
「……ナイトは二人で構わないかな」
「ありがとう、エドガー!」
「くれぐれも気をつけて。私とマッシュから決して離れてはいけないよ」
 優しく微笑んだエドガーは、すぐに顔を上げて漆黒に染まる洞窟を睨んで目を細める。
「嫌な気配、か……」
 エドガー自身は何も感じはしないのか、分からないといった風に軽く首を横に振り、マッシュとティナに前進の合図をしていざ闇へと足を踏み入れた。