古より




「なあ、ティナの見た夢ってどんなんだ?」
 先頭を歩くマッシュが軽く背後のティナを振り返って尋ねた。手にしたランプの灯りが大きく揺れて影を背負ったマッシュの顔を見たティナは、記憶を辿っているのか考え込むように両目を上向きに動かした。
「何だか、不思議な声がして……、そう、『触らないで』……それから助けてって……」
「声? 俺の見た夢と似てるな……俺も、確か触らないでって……」
「マッシュ、余所見をするなよ。何が出てくるか分からんのだぞ」
 ティナの後ろからしんがりのエドガーがひょいと顔を出し、きちんと前を見てろと注意する。マッシュは苦笑し、ハイハイと返事をしつつも度々背後を振り返って話を続けた。
「なんか、すげえハッキリした声だったんだよな。すぐ近くで囁かれたみたいな。女の人の声で」
「同じだわ、女の人の声だった」
「二人とも、もう少し声を落として。得体の知れないところで自分達から居場所を知らせる必要はない。嫌な気配がするんだろう?」
 会話が盛り上がると自然と声量が大きくなる二人へ苦言を呈したエドガーは、足場の悪い洞穴の内部をぐるりと見渡して神妙な顔つきになる。
「自然とできたものにしては道が複雑だ……しかもまだ先がある。もう少し用心した方がいいぞ、マッシュ」
 名指しで指摘されたマッシュは肩を竦め、はあいと気の無い返事をしてから前を向いた。
 油断をしている訳ではないが、ティナの見た夢の話も気になる──マッシュはひんやりしていながら何処か乾いた空気が蔓延る洞窟を、時に幅が狭くて腹を凹ませたり天井が低くて身を屈めたりしながら、ごつごつした岩地に転がる小さな砂利を踏み締めて奥へ奥へと前進した。
 進むたびに例の気配は強くなる。この先に何かがあるのは間違いない。あの奇妙な夢と関係があるのかは分からないが、ティナが同じ夢を見ているのなら無意味ではないのかもしれない。そんなことを考えながら、幸いにも特に魔物などに出くわすこともなく、不思議なことにマッシュは前方に光を見た。
 三人は立ち止まって顔を見合わせる。ここは地中のはず。進んだ道に地上に出るほどの傾斜があったようには思えなかった──訝しげに眉を寄せたマッシュと、厳しい表情のエドガーの視線がぶつかり、二人は無言で頷き合った。
「ティナ、気をつけろよ」
 マッシュは軽く振り返ってティナが首を縦に振るのを見届け、いざ光を目指して洞窟の出口と思われる場所へと足を踏み出した。


「……ここは……?」
 洞窟の向こうに現れた開けた空間には靄がかかり、ぱっと見で全景を捉えられはしなかった。
 しかし霞んだ視界に広がる空は真昼のそれであり、前方にチラチラと映る石造りの柱は明らかな人工物で、靄が動くことによって微かな風すらあることが分かった三人は顔を見合わせた。
 それぞれの表情からして、この光景が夢ではないと確信し合う。強い魔力はどうやら前方の建造物から感じると、マッシュは不思議な気配か漂ってくる方向に顔を向けて唇を引き締める。
「ティナ、私達の後ろに」
 エドガーが静かな声でティナに呼びかけ、マッシュに目配せした。マッシュはティナが気づかない程度に小さく頷いて合図を返す。
 引き返さずに前進を決めた兄の作戦は、ティナを最優先に守ること。勿論ティナだけでなくエドガーをも守り抜くと決めているマッシュは、不要になったランプを地に置いて、エドガーと並んで未知の空間に足を踏み出した。
 所々ひび割れて剥がれた石畳の隙間から草が生えている。植物と分かる程度の緑ではあるが、何処と無くくすんだ色のそれは生気が感じられなかった。
 草だけではない、そよぐ風を僅かながら感じるというのに、不気味なほど静かなこの空間に響くのは三人の足音のみ。その音は反響することがなく発したそばから空気に掻き消え、ひっそりとした辺りには他に生き物の気配も動く影もない。
 そもそもここが地中であるという受け入れ難い現実を前にしながらも、これが丸ごと夢であると思わない程度には感覚が麻痺して来たのかもしれない──マッシュは幻とは思えない景色を睨みながらボロボロの石畳を注意深く踏み締めた。
 歩みを進めるごとにぼんやりと見えていた建物の石壁がはっきり見えて来る。酷く古いものであるというのは、こびりつく苔と脆く崩れて役割を果たしていない外壁ですぐに分かった。
 近づくにつれ、この建造物がかなり大きな城であることに気づいた三人は、城門らしき箇所を前に立ち止まる。扉は朽ちて開いており、中に入るのは難しくはなさそうだった。
 エドガーが城門の上方を見上げて眉を顰める。マッシュが視線の先を追うと、紋章のような象形が石壁に刻まれていた。
「これは……」
 エドガーの肩越しに同じく見上げたティナが首を傾げる。
「なあに? エドガー」
「見覚えがある。過去に読んだ文献に似たものが出て来た」
「この城が何なのか分かるのか?」
 会話に潜り込んだマッシュの問いに、頷くとも首を捻るともつかない曖昧な動きを見せたエドガーは、一言「魔大戦」と呟いた。
「千年前の……、魔大戦で滅びた都市……」
 そう口にしたエドガーは隣のマッシュに顔を向け、今の言葉にピンと来ていない様子のマッシュに尋ね始めた。
「マッシュ、覚えていないか? 子供の頃にばあやに聞かされた昔物語を」
「ばあやに……?」
「古代の城の大広間で行われた、魔導師と幻獣オーディンの戦いの物語だ」
 ティナがハッと息を呑む。マッシュは軽く目を見開いて、大きく首を縦に振った。
「覚えてるよ。城を守るために怪我したまま戦ったオーディンの話にワクワクした……でもあれはお伽話じゃ」
「それがそうでもない。魔大戦で実際に滅んだ都市が話の元になっているという話だ。城の図書館に古い文献があってな……あの紋章は恐らく」
 マッシュは再び頭上の紋章を見上げ、かつて枕元で乳母が話してくれた物語を思い起こす。子供の頃に空想した景色がこの城であるとは俄かには信じ難かった。
 ティナが神妙に眉を寄せ、そっとエドガーの腕に触れた。振り返るエドガーに、やや緊張の面持ちで問いかける。
「幻獣の物語、なの……? お願い、どんなお話か聞かせて」
 エドガーはティナを安心させるように穏やかに微笑み、身体の強張りを解くようにティナの肩をぽんと叩いた。
「歩きながら話そうか」

 遥か昔。魔導の力を持たない人間、幻獣から魔力を得た魔導士、そしてそれぞれの人間たちに加担して仲間同士で争うこととなった幻獣達が入り乱れ、世界を焼き尽くした長い長い戦があった。
 幻獣による最後の総攻撃を受けていたこの城で、戦力となる味方の幻獣は先の戦いで深手を負ったオーディンただ一人。数多の敵を一刀両断にした斬鉄剣を手に、攻め込まれた城の大広間で対峙するは大将格の魔導士だった。
 渾身の斬鉄剣をひらりと躱した魔導士は、呪われた力でオーディンに魔法をかけた。哀れ石と化したオーディンは、城が朽ちて砂に沈む様を物言わぬ顔で永遠に見つめていた。
「人の為に戦い、人の為に散った幻獣オーディンの伝説だ。最期まで引かず闘う姿に子供の頃は憧れたものだったが……ここがその舞台かもしれないと思うと不思議な気分だ」
 静まり返った城内にエドガーの潜めた声が吸い込まれていく。
 城の中は城外ほどには荒れているように見えなかったが、壁はヒビだらけ、床板は剥がれ、所々裂かれた絨毯が元はどのような色と模様だったのか判別できないほどにくすんでいた。奇妙なのは、ランプの類がひとつもないのにも拘わらず、城の内部がぼんやり明るいことだった。明らかに普通ではない状況だと理解しつつ、 エドガーに足を止める気配は見られず、マッシュもそれを咎めることはなかった。
 マッシュは忙しなく四方を見渡しながら兄の一歩先を守るように進んだ。フィガロ城で感じた嫌な空気が、城内に入って更に濃く重くなったように感じる。時折後方を振り返るが、ティナも同じように感じているのか眼差しに不安が見て取れた。
「幻獣と幻獣が争わなければいけなかったなんて……」
 微かなティナの独り言にエドガーは顔を向け、優しく首を横に振った。
「人と人が争い続けるのと同じさ。魔導の力があるだけで、そういう意味では幻獣も我々人間も大した違いはないのかもしれない」
 さらりと返したエドガーの言葉を聞き、悲しげだったティナの表情から影が微かに消えたように見えて、マッシュは小さく微笑む。
 子供の頃に聞かされたオーディンの物語について、彼が幻獣であることを意識した記憶はマッシュにはない。最期まで諦めずに闘い抜いた、英雄として憧れ讃える気持ちが湧いたのみだった。
 幻獣も人も何ら違いはない。人にはない不思議な力が使える、それだけではないか。マッシュは広げた手のひらを見つめてから固く握り締めた。
 入り口を潜って真っ直ぐ進んだその先に、かつては豪奢な彫刻が施されていたと思われる大きな扉が見えて来た。両開きの扉の片方は蝶番からぶら下がるように崩れ、隔てられていたはずの向こう側の景色が隙間から伺えた。
「そういえば」
 恐らくはあの先が昔語で聞いた大広間だろうかと、マッシュが照準を合わせるように目を細めていた時、いつの間にかほとんど隣を歩いていたエドガーが思い出したように声をかけてきた。
「お前が話していた、嫌な気配というのはまだ感じるのか」
 エドガーの問いかけに考えるまでもなく頷いたマッシュは、軽く辺りを見渡してから前方の壊れた扉を指差してみせた。
「どんどん強くなってる。あの先が出所かな」
「巣窟に近づいている訳か。ティナは?」
「嫌な力もあるのだけれど、それだけじゃない不思議な気配も感じる気がするの……。」
 マッシュとティナの返答に肩を竦めたエドガーは、諦めたように息を吐きながら自嘲気味に微笑む。
「やはり俺には何も分からん。二人の言うことが本当なら、用心して進んだ方が良さそうだ」
 そう言って笑みはそのままに目つきを鋭く尖らせたエドガーを横目に、マッシュもまたこの奇妙な気配がエドガーに全く伝わらないことを不思議に思っていた。
 色がついている訳ではない、臭いを感じる訳でもない。しかし何ものかが発している生きたエネルギーの切れ端のようなものが、空気に紛れて流れて来る。この感覚をどう説明したら良いのか分からず、どうすれば感じられるのかも分かるはずがなかった。
 それだけではない、この城の違和感もマッシュはずっと気にかかっていた。何処を見ても廃墟となって久しいと分かる千年前の城だと言うのに、噎せ返るような埃っぽさも鼻をつく黴臭さもない。まるで映像の中を歩いているような現実感のなさが、マッシュの警戒心を更に強めていた。
「なあマッシュ。お前の必殺技、あれは全てダンカン殿から教わったものか?」
 心成しか先程よりゆったりと歩みを狭めたエドガーがおもむろに尋ねてくる。マッシュは傾げた首を軽く横に振ってみせた。
「全部じゃないよ。いくつかは俺が自分で作った技だ」
「あの、魔法のような……オーラを放つ技は?」
「オーラキャノンのことか? あれは俺が編み出した技だよ。手のひらに気合いを集中させるとエネルギーが塊みたいに浮き出てくるんだ」
 エドガーが再び溜息をつく。
「どういった原理でその現象が起こるのか想像もつかんな。不思議な気配を感じる能力といい、お前は俺にはない特別な力を持っているのかもしれん」
「そんな、まさか──」
「シッ、開けるぞ」
 気づけば眼前に迫った朽ちた扉の前で、人差し指を唇に添えたエドガーがもう片方の手を壊れた扉に当てていた。
 息を呑むマッシュとティナの目の前で、軽く押すだけで開いた扉の向こうには、かつては煌びやかだったと思われるシャンデリアの残骸が天井からぶら下がる広々とした空間が現れ、対面の壁には背凭れの欠けた玉座も二つ並んで見えた。
「ここが大広間か……、ん?」
 エドガーが目を凝らした玉座の前に何かが立っている。思わず身構えたマッシュとエドガーは、それがまるで動かないことを悟って注意深く近づいて行った。
 距離が短くなるにつれてそれがかなり大きいものであると気づかされる。人の形に似ているが非なるもの、巨大な馬に跨って鎧を着込んだその身体はマッシュの倍はありそうな大きな姿で、頭に長い二本の角を持ち、厳しい形相は魔物のそれにも似ていた。
 そして二人は何故これが動かないのかを理解した。傍目にもザラついた外肌は紛れもなく石であり、苦痛に目を剥く馬とその上で大剣を掲げた人ならざる大男の、今にも動き出しそうな石像だった。
「……なんと……まさか、本当に……、石化された、オーディン……」
 言葉を詰まらせながら信じられないといった表情で石像を凝視するエドガーが、躍動感溢れる馬の前脚目掛けてそっと手を伸ばす。

 ──さわらないで──

 不意に頭に蘇った声がゾクリとマッシュの背を撫でた。
 思わず目線を動かした先では、エドガーがまさに石像に指先を触れんとしているところだった。
「触るなッ……」
 咄嗟に叫んだマッシュの声にビクッと手を引いたエドガーは、驚いて顔を向けてきた。
 その見開いた目を見てマッシュ自身も自分の声に驚いたように口を押さえる。エドガーは気を悪くしたと言うより心配そうに眉を寄せ、軽く小首を傾げた。
「どうした? マッシュ。血相を変えて」
「あ、いや……、なんか、それ……触っちゃダメな気がして……」
「……、何か感じるのか」
「気のせいかもしれないけど……、さっき見てた夢、『触らないで』って、もしかして──」
「エドガー! マッシュ!」
 マッシュの言葉を遮るように、ティナの声が割り入って来た。マッシュとエドガーはハッとして後方を振り返るが、ティナの姿は大広間の何処にもない。
「ティナ! 何処だ!」
 エドガーが声を張り上げる。再び聴こえてきたティナの呼びかけは、二人の位置から思いがけず離れたところから響いて来るようだった。
 マッシュとエドガーは玉座に背を向けて駆け出す。元来た扉の少し手前、最初に訪れた時は気がつかなかった大広間から他の部屋に繋がるドアが薄く開いているのを見つけたマッシュが、そのドアを押し開いて中に踏み込んだ。