古より




 目を焼くような眩しさはほんの一瞬、薄れて行く赤い靄が空気に混じって消える頃、ブルルと馬の鼻を鳴らす音が耳に届き、その馬上で輝きを取り戻した鎧に身を包んだ幻獣オーディンが、来訪者に向けてゆっくりと視線を巡らせていた。
「オーディン様……!」
 たまらずに声を上げた王女へオーディンの目が止まった時、仮面のような風貌が柔らかく変化したように見えた。
 ひらりと馬から降りたオーディンはマッシュを大きく超える堂々たる体格で、その佇まいだけで見るものを圧倒する存在感があった。愛馬の首をひと撫でして宥めてから、オーディンが王女の元へ一歩近づく。
「王女よ……、ご無事であったか……」
 酷く低く、しかし優しさを感じる声色だった。王女は潤んだ瞳を震わせて、声を詰まらせながら答える。
「あの魔導士がかけた呪いが解かれるまで、千年もの月日が流れていたようです……。この方たちが救ってくださいました。再び生きてあなた様にお逢いできようとは……、ああ、言葉もありません……」
 その時、先程と同じ違和感に襲われたマッシュが咄嗟に顔を上げて辺りを見渡した。ぐにゃり、と空間が捻れたような、明らかな空気の変化がこの場所に起こったことをマッシュは視覚と嗅覚から悟った。
 時が止まっていたかのようなこの城は元々朽ちてはいたが、不思議なほどに無機質だった。それが今、埃臭さと日陰の湿っぽさ、床の軋み、ひび割れた壁から落ちる石屑、これまでは気にならなかった城の息遣いがオーディンの復活と共に蘇ったのか、入り込んだ当初とはっきり姿形を変えているとマッシュは悟った。
「千年、ではないな……。我々の時はそこまで進んではいない。この者たちが千年前に引き込まれたのだ」
 オーディンの呟きに三人の視線が集中する。唖然とする三人の前でオーディンはぐるりと辺りを見渡して、闇色の瞳を細く狭めた。
「時空が歪んでいる。貴殿らは確かに千年先から来たのだろうが、あの魔導師は城ごと我々の時を止めた。我々が動き出した今、城もまたもとの姿を取り戻した……貴殿らは千年前の世界に留まることになる」
「そんな……!」
 ティナは青ざめ、マッシュは思わずエドガーを見た。険しい顔のエドガーは何かを思案しているのか口を噤み、じっとオーディンを見据えている。
 オーディンが不意にエドガーの手元に目を留めた。
「それは……斬鉄剣……?」
 オーディンの呟きに王女が反応し、エドガーを手のひらで指し示す。
「オーディン様が魔導師の手で石像と化した後、わたくしの目の前で斬鉄剣は魔力から産まれた竜に封印されました。彼らはその竜を倒し、斬鉄剣を取り返してくださったのです」
「しかし、人間があの剣を持つことができるとは……」
 オーディンは怪訝そうに眼孔を窪ませ、口を開いて静かな声で尋ねた。
「我々が目覚めるまでに何が起こったのかを、話してはもらえないか」
 頷いたエドガーが、ひとつひとつ丁寧に説明していく。
 砂漠の城の潜行中にこの城に繋がる地下洞窟と繋がったこと。マッシュとティナが聞いた王女の声と感じた嫌な気配。マッシュの必殺技とティナの魔法で倒した竜。エドガーが軽々と持ち上げた斬鉄剣。ティナが触れて目覚めた王女と、マッシュとティナが力を合わせて石化が解かれたオーディン──
 時折細かな注釈を挟みながら伝えるエドガーの話を聞き終えたオーディンは、ひとつ大きく頷いて、まずはティナに顔を向けた。
「そうか……、道理で我々に似た力を感じる訳だ。あの鼻垂れマディンが父親になったか……」
 感情を測りにくいオーディンの暗い瞳ではあるが、何処か感慨深げに弧を描く様には暖かみが感じられる。
 次いでオーディンはエドガーとマッシュを交互に眺め、最後に意味ありげに王女を見つめて、口元に小さな笑みを乗せた。
「成程……『力』と『魔』に分かれたか……」
 言葉の意味が分からずにマッシュもエドガーも眉を寄せる。オーディンはごつごつとした指でまずはエドガーを指した。
「斬鉄剣は私の気が込められている。私以外のものが扱える代物ではない……それ故あの魔導師も封印するしか術がなかった。ただの人間がそのように片手で持てるはずがない」
 続いてマッシュに指を向ける。
「王女の言う通り、魔力を持たない人間が触れると私は魔石となっていただろう……貴殿の技には紛れも無い魔力が込められているようだ。貴殿らがここに呼ばれたのは、必然であったやもしれぬ」
 そして最後に天を仰ぎ、何かを探るように首を左右に動かして、ある一点を睨んで暫しそのまま動かなくなった。
「……あそこだな」
 ボソリと零したオーディンがゆっくりと上げた腕を真っ直ぐに伸ばしてそれまで睨んでいた箇所に人差し指を向け、指揮を取るように斜めに振り降ろした。
「二人に分かれたのもまた、必然なのだろう。我が力は一人の人間が引き受けるには荷が重い……貴殿ら二人が力を合わせれば、その斬鉄剣で時空を切ることができるはずだ」
 目を見開いたマッシュは慌てて隣のエドガーを振り返り、エドガーも驚きに眉を顰めたまま握ったままの斬鉄剣を見下ろした。
「今ならまだ間に合うだろう。魔力を持つ男よ、貴殿の兄の肩に手を添えるといい。力を持つ男よ、貴殿の弟からの魔力を得たらあの空を斬れ。気を込めて振り下ろせば元の世界への道を斬り開くことができる。斬鉄剣に斬れぬものはない」
「……、あなた方は……?」
 エドガーの問いにオーディンは闇色の目を優しく狭めた。そして王女の肩に腕を回し、しっかりと抱き寄せた。
「我々は共にここで生きる。人間と幻獣が相容れない存在では無いと、マディンの娘が証明してくれた」
 オーディンに身を寄せた王女は潤んだ瞳を閉じ、細い指で震える唇を静かに覆う。その様を見たティナは重ねた両手を胸に当て、瞼を伏せて安心したように微笑んだ。
「さあ急ぐが良い。時空が安定してしまえばいくら斬鉄剣と言えども手は出せぬ……二度と元の世界には戻ることができない」
 オーディンの言葉にマッシュとエドガーは頷き合い、エドガーの背後に回ったマッシュがその肩に手を乗せた。
「何だかよく分かんねえけど、気合い込めりゃいいのか!?」
 そう声を張り上げたマッシュは、必殺技を打つ前のように精神を手のひらに集中させた。肩に何か感じるのか、エドガーが軽く後方を振り返ろうとして、手にした斬鉄剣の剣身が光り始めたことに気付いたのだろう、即座に剣に目を向ける。
 マッシュが手を当てた肩を伝わり、エドガーの握る柄から剣先まで白く小さな火花のような光が散り始めた。エドガーは剣を掲げ、確認するようにオーディンを見る。
「斬り開け」
 オーディンの声を合図に、エドガーは高く構えた斬鉄剣を大きく斜めに振り下ろす。
 パァンと耳に刺さる破裂音が響いた次の瞬間、ただの景色だったはずの空間に一筋の黒い線が現れ、その周辺をぐにゃぐにゃと歪めながら口を開けるように広がり始めた。
 人一人が通れるかと思われる大きさになった頃、呆然と眼前の光景を眺めて放心していた三人に対してオーディンが鋭く呼びかける。
「さあ、閉じる前に! 元の世界へ帰るが良い!」
 凛とした声にハッと肩を揺らしたエドガーが、まずはティナを促す。続いてマッシュにティナを頼むと添えてから、オーディンを振り返って力強く微笑んだ。
「礼を言おう、オーディン殿。王女殿下とどうか幸せに」
 オーディンは口角を上げ、小さく首を横に振った。
「礼を言うのはこちらの方だ。貴殿らのお陰で我々は血を残すことができる……千年先の世界で、再び貴殿らの力となることを約束しよう。さらばだ、我が子孫よ」
 エドガーが青い眼を大きく広げた。
「兄貴! 穴が閉じる、早く!」
 オーディンと王女を向いたまま突っ立っていたエドガーの腕を後ろから引っ張り、マッシュは先を行くティナを追う。
 力の抜けたエドガーの手から斬鉄剣が離れ、吸い寄せられるようにオーディンの元へ戻って行くその様が、古代の城で見た最後の光景だった。


 闇に飛び込んだかと思われたのは一瞬、弾き出されるように空に飛び出した三人は受け身が間に合わずにそれぞれ地に転がった。
 ごつごつとした岩が蔓延る土の上で、唸りながら身を起こしたマッシュは即座に辺りを見渡す。すぐ傍で同じく地に伏せながらも腕をついて頭を持ち上げるエドガーとティナの無事を認め、ホッと大きく息をついた。
「痛……、ここは、何処だ」
 服の埃を払いながらエドガーが立ち上がる。
「……元の洞窟じゃねえかな? このぽっかり空いた空間、見覚えがある……」
 マッシュも軽く打ち付けた腰をさすりつつ、薄暗い周辺に視線を巡らせる。
 フィガロ城の牢と繋がった洞窟と、ひんやりした空気や臭いが似ている──マッシュはそう考えかけて、来た時には手にしていたランプをあの城の手前で置いて来たことを思い出した。その割に仄かに空間が明るいのは何故かと首を傾げた時、ティナがあっと声を上げた。
「これは……、魔石と、斬鉄剣……?」
 マッシュとエドガーが同時に振り向いたその先で、見覚えのある大剣が地に突き刺さり、その傍に置かれた淡い虹色の光を放つ石が薄闇を照らしていた。
 近づいたティナがそっと光る石を拾い上げる。
「魔石……オーディン……」
「千年先で、我々の力になると……、約束を守ってくれたのか」
 エドガーの呟きにマッシュが目線を落とした時、何処からか複数の声が洞窟内に響いて来た。

 エドガー様──……、マッシュ様──……、
 ご無事ですか──……

 三人は顔を見合わせ、やや苦めの笑みを零す。
「間違いなく千年後の世界に戻って来たようだな」
「ああ、早く戻ろうぜ」
 マッシュに頷いたエドガーは、地に刺さった斬鉄剣の柄を握り締め、軽く力を込めて引き抜いた。持ってみるかと言いたげに兄に差し出された剣を前に、マッシュは苦笑して首を横に振る。
 一度だけ後方を振り返った三人は、その後は真っ直ぐに帰路を辿って自分たちを案じる呼び掛けに応えた。




 *




「……これが、フィガロがまだ国家として成り立つ前の家紋のようなものだ。あの城の紋章とよく似ていると思わないか」
 フィガロ城の図書室にて、テーブルに開いた古めかしい一冊の歴史書を囲むエドガー、マッシュ、ティナの三人は、地下洞窟での不思議な体験について振り返っていた。
 マッシュは難しい顔をして腕を組み、首を右へ左へと傾ける。
「つまり、どういうことだ?」
「……あの王女とオーディンが生き延びて、子孫を残した可能性がある。そして、その血筋が我がフィガロの創始者に受け継がれていたのでは、と」
「ってことは……」
「エドガーとマッシュにも幻獣の血が流れているということ……?」
 軽い興奮で頬を紅潮させたティナに、エドガーは控えめな苦笑いを見せた。
「もしもそうだとしても、幻獣の血は限りなく薄くなっているだろう。しかしオーディンは確かに私たちを「我が子孫」と呼んだ……、千年の時を超えて、感じるものがあったのかもしれない」
 完全には納得しかねるといった調子でマッシュが組んだ腕を机に乗せ、エドガーに向かって身を乗り出した。
「夢で王女の声が俺とティナにだけ聞こえたのは何でだよ」
「さあ……、あの城は丸ごと魔法で時を止められていたようだからな。魔力の強い者にしか届かない思念だったのだろうか」
「俺に魔力があるってんなら、俺の技は魔法みたいなもんだってことか?」
「そういうことだな。『力』と『魔』……、我々が双子で産まれたことでうまく幻獣の力を分担できたのか……、まあ、全ては推測だがな」
 ふうっと短く息をついたエドガーがぱたりと本を閉じる。
 テーブルに肘をつき、手に顎を乗せて夢見がちに話を聞いていたティナは、やけに浮き浮きと嬉しそうに瞳を輝かせていた。
「でも、もしも本当にエドガーとマッシュがオーディンの子孫なら、幻獣の血を引いていても愛し合うことができるんだって分かったわ! 私も、愛を知ることができるのかもしれない……」
 うっとりと口にするティナをにこやかに見守っていたエドガーとマッシュの表情が、数秒置いたのち硬く強張った。
 口元は笑みを乗せたまま、エドガーもマッシュも引き攣った頬で恐る恐る交互に問いかける。
「ティ……ティナ……? 今、何て、言ったかな?」
「二人が愛し合えるんですもの、私にもきっと愛を感じる時が来ると思うの」
「ちょ、ちょっと待て、ティナ、俺たち、愛、……って、」
「エドガーとマッシュは愛し合っているんでしょう? リルムがそう言ってたわ」
 きょとんと唇を小さく尖らせて不思議そうに瞬きしたティナを前に、エドガーもマッシュも顔色を青や赤に目まぐるしく染めて口を戦慄かせた。
「リッ、リルムだって……!? く、詳しく聞かせてもらえるかなっ……!?」
「あのマセガキ……! 何処で勘付いて、いや、あいつ、みんなに言いふらしてるんじゃないだろうな……!?」


 わいわいと賑やかな声が飛び交う図書室にて、開け放たれた窓から机上に置かれた本の皮表紙に一筋の風が吹く。
 それは遥か千年前から続く古よりの息吹。



リクエストは「双子がオーディンの子孫だったら」でした。
リクエストありがとうございました!