One More Kiss






 少し前から、「誕生日に欲しいものは」と聞かれていた。
 ボクは彼の誕生日当日をきちんと祝うことができなかったから、なんだか不公平な気もしたのだけれど。
 迷わず「キミ」と答えた。
 彼は赤い顔で苦笑して、もっとマシなもんにしろ、と言った。
 ボクはそれでも「キミがいればそれでいい」と答えた。
 彼は呆れたように笑っていた。
 ――お前、ホントバカだな。
 何度言われた台詞か分からない。
 それでも、ボクは彼にそう言われるのは嫌いじゃなかった。
 ……だってその通りだと思うから。





 ***





 待ち合わせ場所には、人の群れがいた。
 ――とアキラが思ったのも無理はない。
 なんといってもここは、巨大なネズミを筆頭に二足歩行の動物たちが住まう夢の世界。全国から人が集まる日本一のテーマパークである。
 なんだここは。どうして平日なのにこんなに人がいるんだ。大人も子供も溢れかえってまるで海だ。人の海原!
 青くなって固まるアキラの横で、ヒカルは誰よりも元気溌剌、拳を握って気合を入れていた。
「やっぱデートったらここだよな!」
「……そうなんだ……」
「なんだよ、お前の誕生日祝いだぞ。もっと嬉しそうな顔しろよ」
「う、うん、嬉しいよ……」
 それは嬉しい。もう嬉しくて小躍りしそうだ。というか実際に家でちょっと踊った。
 嬉しいが、この人集りを見て怯まない人間がいるのだろうか?
 確かにデートコースは任せる、と言ったものの。

 ――誕生日、一日デートでいい?
『お前欲しいものはっきりしないからさー。丸一日俺とデート。どう?』

 もちろん、とアキラは満面の笑みで答えたのだ。
 そもそも、もうすぐ誕生日だと物欲しげにしているくせに何もねだらないアキラの態度が中途半端だったのだ。どうやらヒカルなりに相当悩んだらしい。いつものように碁を打ちまくるのでは自分の時と同じで芸がない。かといってアキラの欲しいものも浮かばない。
 そんなヒカルの口からデートという単語が出た。半ば冗談なんだろうが、冗談でもなんでもいい。デート。間違いなくデートだ。ヒカル自身がそう言っているのだから。アキラはすっかり舞い上がった。
 行きたい場所は? の問いにも、キミとならどこでも、なんて返していた。
 じゃあ俺が決めちゃうぜ?
 いいよ、キミに任せるよ。
 アキラが夢見るロマンティックデートコースと、ヒカルの単細胞デートコースには相当な開きがあったようだ。
 この日のために少し前から調整を重ね、アキラもヒカルも一日休めるように奮闘してきた。ゆっくり、のんびり、二人で過ごすために。
「今日は遊ぶぞー!」
 ゆっくり、のんびり……
(……無理だ)
 デートは一気にサバイバルに突入した。ヒカルは元気いっぱい。
 アキラは十六歳になってすぐに訪れた試練に手を合わせる。
 ――どうかボクの体力が最後までもちますように。



「お前顔色悪いけど大丈夫か?」
 最寄り駅からふたつのテーマパーク内を繋ぐモノレールに乗り換えて、降り立った駅で早速最初のの休憩タイムを取ることになってしまった。
 あまり高いところが得意ではないアキラは、時折ガタガタと揺れる不安定な乗り物のおかげで朝から一杯ひっかけたみたいな足取りになっていた。
「……大丈夫」
 呟いた自分の声に抑揚がなく、アキラは先が思いやられてため息をつく。せめてこの場所に連れてきてくれたヒカルががっかりしない程度には頑張りたいものだが。
 ヒカルに続いて駅を出たアキラは更なる衝撃に襲われた。
 ――人! 人だ!
 まるでモンスターが現れた瞬間のようにアキラの身体は硬直する。
 パークの入口と思われる前方のゲートには、それはそれはたくさんの人が群がっていた。
「平日なのに人たくさんいるんだな〜」
 のんびりしたヒカルの声が信じられない。
(どうしてそんなに呑気なんだ!? ボクだちはまさにあの中に突入しようとしてるんだぞ!)
「頑張ろうな、塔矢!」
 笑顔でガッツポーズを見せるヒカルに目を吊り上げるわけにもいかず、アキラは力なく拳を握ってみせた。
 今日はボクの誕生日。――何故努力が必要なのでしょう、神様。
 神様だってこんなことでいちいち恨まれてはたまったものではない。アキラの嘆きも虚しく、ヒカルは張り切ってゲートへと向かう。その後ろを弱々しく歩くおかっぱ一人。
「塔矢、ハイ、チケット」
 ヒカルが項垂れているアキラにチケットを渡す。咄嗟に受け取ったアキラは、日付入りのチケットをヒカルが予め用意してくれていたことがちょっと意外だった。
 ――前もって買ってくれていたのか。
 自分の誕生日の日付が入ったチケット。アキラにとっては何よりのプレミアムチケットだ。
 たとえ志半ばで倒れても、このチケットが思い出として残るだろう……アキラは入園前からすでに生還を諦めているようだった。
 そんなこととは露知らず、ヒカルはもたもたしているアキラの腕を引っ張ってずんずん前に向かう。そのせいで、一人ずつ入らなくてはならない入口の回転レバーにアキラが太股を強打するハメになった。
 太股を押さえながらゲートをくぐって、すぐに案内用パンフレットを手に取り、アキラはパークの全貌を確認する。
「……広いんだね」
 人の数もさることながら、この敷地面積にアキラは圧倒された。
 アキラの知っている普通の遊園地と規模が違いすぎる。これだけの広さだから、これだけの人が集まっても受け入れられるわけだ――桁外れの真実にアキラは間抜けな溜め息を漏らす。
「塔矢、お前ここ初めて?」
「うん。名前は知ってた」
「そりゃ名前くらいは誰でもなぁ。お前行きたいとこある?」
「……キミに任せるよ」
 テーマパークに無知なアキラとしてはそう言う他なかったのだが、アキラはこの時ほど自分の言葉を後悔したことはない。
 アキラの言葉を聞いて、ヒカルが元気良く叫んだのだ。
「よし、じゃあまずは三大マウンテン制覇だ!」
 マウンテン?
 アキラの頭には、マウンテンとは日本語で山だ、程度の認識しかなかった。
 後から思えば、もう少し注意深くパンフレットの全景図に目を通しておくべきだったのかもしれない。





 アキラはぐったりベンチに凭れていた。
 宙を彷徨う目はどことなくうつろ。髪がやや乱れ、口唇は僅かに開いて頼りなさげに息を吸ったり吐いたりしている。
 ――こんなことでへこたれちゃいけない……
 アキラは自分を励ました。励ましの心の声すら暗い。
 なんたって、まだマウンテンとやらは二つしか制覇していないのだ。ラストワンが昼食の後に手薬煉引いて待っている。
 アキラは午前中の出来事を思い起こしてこめかみを押さえる。
 そうだ、三大マウンテン制覇だ! と勢い良く走り出したヒカルを慌てて追ったのだ。随分長い距離を走り、まるでジャングルのような景色によくできているなと感心する間もなく、アキラがヒカルの後ろで見上げたのは巨大な岩山だった。
 凍りつくアキラの耳に届く「ギャー!」と響く楽しげな悲鳴。走り抜ける今にも壊れそうなボロ列車(と、アキラの目には映った)。そして延々と並ぶ人の列。
「……」
 遠い目って、こういう目なんだ。アキラの乾いた笑みには多分に自嘲が含まれている。
「待ち時間三十分だって。やっぱ平日だと早いんだな」
 さんじゅっぷん!?
 アキラが聞き返す間もなく、ヒカルは再び走り出す。アキラも慌てて追う。次の山は水飛沫も激しいツタの中。
 またしてもアキラは硬直した。何故滝の中から乗り物が出てくるんだろう? そして耳を刺す悲鳴。勢い良く飛び散る水。目の前で落ちていく丸太ボートの角度の急なこと。冬の水はさぞや冷たかろう。
「あー、こっちは待ち時間五十分だ。塔矢ぁチケット貸して」
 呆然と二つ目の山を見上げているアキラからチケットを奪い取り、ここで待ってて、と言い残したヒカルはいったん人の影に消えていく。
 言われたとおり待っていた(というより動けなかった)アキラの元に戻ってきたヒカルは、さきほどのチケットともう一枚の紙切れをアキラに渡した。
「これ、ファストパス。この時間に来たらあんまり待たずに乗れるチケットだから、なくすなよ」
 あんまり待たずにってことは、やっぱり乗るんだ。
 アキラは再び神に祈った。
 ――神様! ボクは昔、緒方さんの車で体験した初めての高速道路で目を開けたまま気絶したことがあるんです!
 神からの返事はないまま、アキラは泣く泣く再び走り出したヒカルを追う。
 最後に辿り着いたのは、山というより近未来的なドームだった。
 他の山と違って、外観から中の様子が想像できない分、余計に不安が募る。
「待ち時間三十五分か。まあいいとこかな。塔矢、ここに並ぼうぜ」
 ヒカルの笑顔にアキラは引き攣った笑みを返すのが精一杯だった。
 この得体の知れない乗り物のために三十五分も並ぶなんて、しかも三十五分も待つくらいに人が並んでいるなんて、ここは一体どうなっているんだろう。
 アキラは悶々と三つ目の山の中身を想像する。
 ――中は明るいだろうか、暗いだろうか。完全な室内ってことは暗いのかも。ひょっとしてオバケ関係が出てくるのだろうか。
(それなら平気だ、ボクは緒方さんと違って非科学的なものには強い。)
 ――スピードはどのくらいだろうか。さっきの一つ目の岩山、あれは相当だ。緒方さん並だ。まさかあそこまでは凄くないだろう。
(そうだ、室内でそんなにスピード出したら危ないじゃないか。大丈夫、大丈夫だ。)
 見たところこのドームもそれほど広そうじゃない。きっと一瞬で終わる。一瞬暗闇を走り抜けて、多少オバケが出たって問題ない。あ、でも暗かったらオバケなんて見えないかな。それならそれでもいいけど。
 ぶつぶつ一人で呟くアキラの肩を、ヒカルがぽんと叩いた。アキラとしたことが、隣のヒカルの声すら耳に入らないほど緊張していたらしい。
「……おい、前。俺らの番だぜ」
 三十五分は、長いようで短い。
 アキラはヒカルにぐいぐい背中を押され、スペースシャトルの上半分を切り取ったような乗り物に無理やり乗せられた。
 安全レバーが降りる。ヒカルの「塔矢、しっかりつかまってろよ」の言葉。
 アキラが「!?」を盛大に頭に飛ばす中、シャトルは発進する。
「!!!???」
 ――本日アキラが初めて乗ったアトラクションは、パーク一のスピードを誇る三大マウンテンの一角だった。


 その後の阿鼻叫喚を思い出してアキラは軽く胃をさする。
(それから……放心したボクを引き摺って道を戻って、今度は岩山に並んで……ガタゴトガタゴトと……風を切って……顔が痛くて……)
 ――俺たちついてるよな! フツー三十分前後で乗れるなんて滅多にないんだぜ!
 冷気で少し頬と鼻に赤みがさしたヒカルの笑顔は、つやつや輝いて眩しかった。
 対称的に生ける屍と化したアキラ。さすがにふたつ目のアトラクションから降りた後のアキラの奇妙な足取りに気づいたのか、ヒカルは慌てて手近なベンチにアキラを座らせて飲み物を買いに走って行った。
 なんだか身体の感覚が怪しい……
 アキラは脱力した手足をぼんやり見下ろす。白い息が一瞬視界を遮り、冷えた風が頬を刺す。
 その頬に、ふいに熱いものが当てられた。
 びくりと生き返ったアキラが振り向くと、右手に持った紙コップをアキラに突き出して、左手にも紙コップ、そして器用に脇でポップコーンを抱えたヒカルが立っていた。
「進藤……」
「大丈夫か塔矢?」
 ヒカルはアキラの隣に腰を下ろすと、右手の紙コップをアキラに手渡した。受け取ったアキラがプラスチックのフタを取ると、中から湯気がもわっと上がる。鼻をココアの甘い匂いがくすぐった。
「ちょっと休憩な。……ごめんな、きつかったんだろ?」
「い、いや……その、ちょっと……びっくりして」
 温かいココアを一口含むと、強張った全身がやんわり溶けていくようだった。何故か気持ちもほっとする。
 同時に、先ほどまで情けなく放心していた自分が恥ずかしくなった。
「お前、あんまりこーゆーとこ得意じゃなさそうだもんな。……なんか悪かったな」
 俯きがちにココアを啜るヒカルの横顔を見て、アキラは激しく自分を叱咤する。
 ――ボクの馬鹿! 進藤がせっかく連れてきてくれた場所なのに、多少のことで魂抜かれてる場合じゃないだろうっ!
「平気! 平気だ!」
 慌てて取り繕うアキラを見るヒカルの目が、「無理すんな」としみじみ語っている。
「いや、無理じゃない! ちょっと驚いたんだ、そう、ボクは初めてだから! 次は大丈夫!」
 妙な大声で空元気をアピールするアキラにヒカルはまだ心配そうな顔を見せていたが、アキラのあんまり一生懸命な様子が可笑しくなったらしい。肩を竦めたヒカルは、実感のこもった声で
「お前、ホントにバカだなあ」
 と笑ったのだった。






あーなんか凄く脱線してすいません。
本当はベタなデートさえできればなんでもよかったのですが、
東京近辺のデートスポットなんて知らな……
そんなわけでネズミになりました。
あまりくどくならないように気をつけます……
ちなみに都合上「平日だからすいてる」としましたが、
本来この時期はクリスマスイベント真っ最中で
とてもすいてる状況じゃないと思われます……。