RENDEZVOUS






 風呂上がりに髪を濡らし、肩に湿ったタオルを引っ掛けた他はトランクス一枚という軽装すぎる格好で、ひたひた廊下を歩いてきたヒカルはリビングでパソコンに向かうアキラにそっと近付く。
 ローテーブルにノートパソコンを置いたアキラは、ソファには腰掛けずに律儀に足を畳んで正座して、ぴんと伸ばした背中をヒカルに向けたまま振り向く素振りを見せない。
 首に腕を絡め、棒でも差し込まれたような背中に胸を乗せて体重をかけると、恐らくヒカルの気配に気付いていたアキラは驚いた様子も見せずに口を開いた。
「……ちゃんと服を着て。今何月だと思ってるんだ」
「あっためて」
「風呂で温まってきたんだろう」
「お前がいい」
 意地悪いことを言う男の広い背中に鼻をこすりつけて、回した腕に力を込める。アキラは無関心を装って、キーボードを叩く手を止めない。
 負けじと身体を密着させたヒカルは、伸ばした指先を小動物の足に見立ててアキラの首元からシャツの内側へ侵入させる。ボタンを上から弾くように外しつつ、下へ下へと滑らせる指先がもう少しで胸に到達する頃、アキラの辛抱も限界に達した。
「……もう!」
 短く吐き捨てると、胸をまさぐる不埒な指を手首から拘束し、ぐいっと引き寄せた。片手だけを引かれたヒカルの身体はぐるりとアキラの正面に回って、たった今自分がボタンを外してはだけた胸に顔を埋めることになった。
 すぐに顎を上げたヒカルは、険しい目付きでヒカルを見下ろすアキラが掴んだ手首を放さないことに安堵しながら、ねだるように口唇を動かした。
 アキラは少し大きく口唇を開き、摘むようにヒカルに口付ける。ヒカルもまた薄く口唇を開いてアキラの舌を迎え入れ、目を閉じて柔らかい感触に集中した。
 途端、掴んでいた手首を押し込むように力を込めたアキラは、ヒカルが目を開くより早くヒカルの背中を床に倒してしまった。床にタオルが広がる。構わずに一度放した口唇を首筋に当ててきたアキラの行動に、予定していた動きと若干の違いを感じたヒカルが慌てて声を掛ける。
「お、い、待て、ベッド」
「行かない。このままイカせる」
 音だけでは判断に迷うような台詞を吐いたアキラは、苦情が来る前に文句の出所を深く塞いだ。そして左手はヒカルの手首を掴んだまま、右手を無防備なヒカルのトランクスの中に突っ込んで、この状況下で困惑気味に勃ち上がりつつあったものを撫で上げる。
 ヒカルの眉が振れた。短く息をついたのだが、出口はアキラに塞がれている。
 それでも小さな呻き声を漏らしながら、細めた目を閉じたり開いたりして、腹の下から昇ってくる快楽に身を捩らせる。ぎゅっと丸めた足の指先が、弱々しく床を擦った。
 アキラの手のひらは大きくヒカルのものを包み、輪を作った指で優しく締め付けるように刺激を与えてくる。ゆるゆると上下する動きに乱雑さはなく、実に丁寧にヒカルを追い詰めていった。
 同時に与えられる口付けが心地よくて、ヒカルは抗議をひとまずは放棄した。上顎をするりと舐められ、力が抜けた口唇をすっぽり包み込まれて吸い上げられる。
 触れられて一番感じる場所を二ケ所同時に弄られて、理性にしがみつく理由はなかった。自分の身体を知り尽くしている恋人の愛撫を全面的に受け入れたヒカルが、限界に達するまでそれほど時間はかからなかった。
 だらりと四肢を投げ出したヒカルを見下ろし、アキラはようやく手首の戒めを解く。軽く右手を自分のシャツで拭ってから、両腕をヒカルの身体の下に差し込んで抱き上げた。
 自分の胸でヒカルの頭を支えながら、立ち上がったアキラはリビングを出る。ヒカルは体重をすっかりアキラに預けて目を閉じている。
 寝室に辿り着いたアキラが、清潔に整えられたベッドにそっとヒカルを下ろした。毛布をめくり、優しくヒカルにかけてから、おやすみのキスを落とそうと腰を屈めた時――低い位置に下りて来たアキラの首に、ヒカルの腕が絡み付いた。
 アキラが咄嗟に身体を起こそうとする前に、獲物を捕らえたヒカルは驚いた顔を強く引き寄せた。先程のお返しとばかりに濃厚なキスを食らわせ、呼吸を奪わんばかりに吸い付く。
 音を立てて口唇が離れると、二人は軽く息切れしてしまっていた。
「……もう寝る時間だ」
 開けっ放しのドアから廊下の明かりを浴び、オレンジ色のアキラの顔が低く囁く。
「冗談……こっからが夜なのに」
 アキラの首に腕を絡めたまま、ヒカルは薄く微笑んだ。アキラの綺麗な顔が迷いに揺れる。
「疲れてる」
「平気。したい」
「キミには休息が必要だ」
「快楽もリクエスト中」
「……明日も仕事だろう」
「出発は九時でOKだ。お前が起こしてくれんだろ?」
 いけしゃあしゃあと言い返すヒカルを見るアキラの瞳で、躊躇いと諦めの色が拮抗していた。が、やがてゆっくりと瞼を下ろしたアキラは、次に開いた瞳の奥に確かな獣の光を宿していた。
「……知らないからな」
 投げやりな言葉とは裏腹に優しくキスを仕掛けたアキラは、ゆっくりとヒカルの上にのしかかっていった。



 ――たまにこんなふうに、我が儘を言ってでも身体を揺さぶられたい時がある。

 一日仕事で酷使した身体には不要な運動だと分かっている。分かっていながら、飢えてどうしようもない身体を自分一人で宥めることができなかった。
 身体に疲労が溜まれば溜まるほど、種を残したがる本能が騒ぐというのはヒカルにも聞き覚えがある。が、それと同じ現象であるかは判断ができなかった。
 闇雲に性欲を発散させたいという気持ちもあるにはあるが、加えてアキラの存在が不可欠だった。
 この男とどうにかなってしまいたい――ストレートに気持ちを表せばこれに尽きる。
 アキラが相手であることに意義がある。快楽が過ぎても堕落に抗うことができる、大切なパートナー。
 きっと嬉しいからだ。単純だが、真実味のある答えをヒカルはすでに用意していた。
 目指す道を眼差しに捉えたアキラ。揺るがない彼の愛を手に入れて、充実した仕事に囲まれて忙しく日々を過ごすヒカル。
 後は前だけ見ていればいい。それがどれだけ贅沢なことであるか。充分に噛み締めて、ヒカルは天に手を伸ばす。

 ――後は真直ぐお前を目指せばいい。遠い空の、その向こうへ。

 ようやく並んでスタートラインに立てた。一人ではこの先は進めなかった。多少回り道はしたが、夢見た通りに運命の相手とここまでやって来ることができた。
 胸の高鳴りは治まらない。時が経つにつれて、落ち着くどころかいっそう力を増してざわめいている。
 もうすぐだ、もうすぐだ――悪戯っぽく囁く輩がヒカルの中に棲んでいるのだ。ときめきを助長させ、気分を高揚させるくすぐったい呪文。
 ――もうすぐ二人であの場所を目指せる――
 望んでやまなかったあの場所――大切な光が消えたあの向こう。
 もういいかい。まあだだよ。はしゃぎながら浮かれながら、定めた時期がやってくるのを指折り数えて待っている。
 ぞくぞく震え出す心を鎮めるために、絶えず産まれる熱を発散するために、めちゃめちゃに身体を重ねるのだ。一番近くで、一番深いところで、愛しい存在と確かめ合いながら――「一緒に行こう」と。
 身体は疲れている。それでも心は眠らない。
 大声を張り上げて叫ぶ胸を、持て余さないようにギリギリまで走り続けたい。
 ばたりと倒れた時、受け止めてくれるだろうその胸で不安なく眠れるように。


「三の六」
「……二の二」
「……、二の、五……」
「……打ち掛けにしよう。続きは明日に……もう、おやすみ……」
 閉じた視界の闇の中で、耳慣れた低い囁きが優しくヒカルを諭してくれる。
 頬に触れた肌と、髪を撫でる手のひらの暖かさに誘われて、ヒカルは闇の奥の世界へようやく意識を飛ばし始めた。きっと、このもどかしさを理解してくれているアキラの胸に体重を預け切って。
 疲れ切った身体と、ざわめく心に束の間の休息を――

 ――ああ、お前に逢えて良かった。



 今日という一日が終わる。






久しぶりの本編でした。
いまいち季節感のない話です……。
アキラさん早いのであんまり負担かからないかも。
何の不安もない状態までやって来れました。
ラスト一年分、のんびりおつき合いください。
(BGM:RENDEZVOUS/BUCK-TICK)