SELVES






「……うん、じゃあ……おやすみなさい」
 アキラの視界に、携帯を耳から離したヒカルの背中が映る。少し丸まったその背中は、普段知っているものより何だか小さく見えた。
 通話を終えたヒカルは、静かに電源を落としたようだった。
「……お母さん、怒っていなかった?」
 風呂上がりでパジャマ姿になり、肩にかけたバスタオルで髪を拭きながらヒカルに近づいたアキラが静かに尋ねると、対してアキラから借りたTシャツにトランクス一枚というラフな格好のヒカルは笑って首を横に振った。
「全然。寧ろ喜んでたよ。……最近結構遅くまで碁の勉強してたから。たまに遊んで息抜きしろだってさ」
「……そうか」
「お前によろしくって」
「ああ……」
 アキラはヒカルの隣に腰を下ろし、まだ乾いていないヒカルの髪に触れた。ヒカルはそのままアキラに寄りかかり、甘えるように体重を預けてくる。
 アキラはヒカルの身体を抱きとめながら、自分と同じシャンプーの匂いに目を細めていた。
 時刻はすでに午後の九時をまわっていた。
 床で獣じみた行為に及んだ二人はそのまま時間を忘れて没頭し、ぐったりと痺れた身体をどちらともなくのろのろと起こしたのが午後七時。ヒカルは身体に畳の跡がついたと笑っていた。
 出前で遅い夕食を済ませ、風呂を沸かして順番に入り、そして今、ヒカルが塔矢家に泊まると自宅に電話を入れたところだった。
 アキラは締め付けるほどきつく抱いたヒカルの身体が、思ったほど細くなっていなかったのを身を持って実感して、少し安堵を覚えていた。やはりヒカルは痩せたのではなく、窶れたのだ。アキラが離れていた僅かな時間で。
 父があんなことにならず、アキラがずっと傍にいたら、ヒカルの憔悴は防げたのだろうか。今更どうしようもない仮定とはいえ、ヒカルの窶れた原因が分からない今は何もかもに苛立ちを感じてしまう。
 くっついているヒカルの体温が心地よい。濡れたままのヒカルの髪を撫でながら、アキラはヒカルの身体を拘束するように腕を回した。
 帰国したばかりで、身体が疲れていないはずがない。実際、少し前まで無茶なセックスに夢中になっていたせいでアキラの全身は酷く重かった。
 それなのに頭がやけに冴えている。疲れに任せて眠ることを許さないように、どこか冷え冷えとした思考が目まぐるしく働き続ける。
 ヒカルはアキラに何も話すつもりはないらしい。
 アキラがヒカルの異変に気付いていることに、ヒカルもまた気付いているだろう。それでも、ヒカルが自分から口を開くことはないのだと、アキラは確信していた。
 一番深いところで身体を繋いだ後なのに、心が微かに離れている。しかしまだ、触れ合っている部分のほうが大きいはずだ――アキラは先程ヒカルがアキラを求めた時の目を思い出し、軽く下口唇を噛む。
 あの一瞬、確かに水面が覗いたヒカルの目は、今は元に戻っている。いつもと変わらない、大きな黒い瞳がぱちぱちと瞬きの合間にヒカルを見つめるアキラの姿を映し出す。何も映さない深い水底なんかではない。
 腕の中で、ヒカルが小さなくしゃみをした。
「そんな格好をしてるからだ」
 アキラはヒカルを抱く腕に力を込めて、下半身が下着一枚というヒカルの薄衣を諫めた。
 ヒカルは悪びれずに「だって楽なんだもん」と子供みたいな言い訳をして、身を捩ってアキラの顔を覗き込んだ。
 その目に、やはりアキラの理性を奪った湖の波紋は見られない。
 お互いを食らい合った少し前と同じく、艶を帯びて濡れた瞳がアキラをじっと見つめている。その黒目に宿る獣に再び熱を煽られそうになり、アキラは少しだけ目を逸らした。
「……進藤、明日の予定は?」
「ん……手合いだけ」
「……打っておかなくていいのか?」
 アキラが少し声を落として尋ねると、ヒカルはその問いが煩わしいとでも言うように眉を寄せた。
「……いいよ、今日はもう……。それより、せっかく久しぶりなんだぜ……」
 身体を摺り寄せてくるヒカルに、アキラは小さく息をつく。
 抵抗らしい抵抗をしない代わりに、アクションを起こすわけでもないアキラに焦れたのか、ヒカルはアキラのパジャマのズボンに手を伸ばし始めた。
「おい……進藤」
 アキラの声を無視して、ヒカルはズボンとトランクスをずり下ろし、その中央に顔を埋めてくる。
「……、進、藤」
 欲望に忠実な自分の分身をヒカルの口内にしっとり包まれ、アキラは急速に昇り詰める血液の流れに逆らいきれないことを悟る。
 自分から仕掛けておきながら、たどたどしく口を動かすヒカルの肩に手をかけ、アキラはその身体をひっくり返すように押し倒した。それ一枚しか下半身を覆っていないトランクスに手をかけ、荒々しく引き抜いてしまえば、ヒカルの素肌は呆気なく外気に晒される。
 シャツをたくし上げ、先程アキラが力任せに吸い上げていくつか痕を残したその胸に口付けしつつ、アキラはヒカルの下肢に手を伸ばした。ヒカルが顎を仰け反らせる。二人の息はいとも簡単に上がっていく。
 そうして、再び闇に落ちる。お互いの腹を探り合いながら、不自然な空気に気づかないフリをして、快楽に逃げ道を求めて落ちていく。
(――それでもいい、今は)
 アキラはヒカルのしなやかな身体に舌を這わせながら、いじらしいほどに自分を求めるヒカルを強く抱き締めた。

 ――キミが望むなら、いくらでも忘れさせてあげる。
 余計なことを考えないように、強く強く抱き締めてあげる。
 たとえあの湖の底に引き込まれようとも、ボクがその手を掴んで何度だって引き戻してやる――
 だから今は全て忘れて、ボクだけを感じて。
 キミを苦しめる全てのものに背を向けて、ボクだけを見て。
 そして、再びキミを惑わせる何かに立ち向かわなければならなくなった時、


 ……ボクも隣に立たせてくれ……






 どろどろに溶けた意識が眠りに混じるまで、アキラとヒカルは飽きもせず身体を絡ませ続けた。
 気を失うように眠ったヒカルの顔は疲れてはいたが、どこか安らかでアキラはほっと肩の力を抜く。
 そのこけた頬にキスをして、アキラは静かに誓いを立てる。
 ――ずっと傍にいるから、キミは何も見失わないで……
 明日から戦いが始まるのだ。口唇を引き締めたアキラは、ヒカルの髪に顔を埋めて目を閉じた。
 せめて今だけは、自分もヒカルの温もりに酔おう。

 目が覚めたら、全力でキミを捕まえるから。








ヒカル捕獲作戦開始……?
ヒカ風邪引くよ……
(BGM:SELVES/LUNA SEA)