電話を終えて戻って来たアキラは、何とも疲れた顔をしていた。 アキラの部屋で中断された対局の続きをあれこれと読んでいたヒカルは、そんなアキラを不思議そうに見上げる。 「どした? 何の電話だったの?」 「昔、部活で世話になった先輩からでね。大したことじゃないんだが……」 「お前の顔、大したことじゃないって感じじゃねえけど……」 「……いや、何でもない。さあ、続きやろうか」 ヒカルの質問を曖昧に濁して、アキラは軽く笑ってから碁盤の前に座ろうとした。 その様子に納得の行かなかったヒカルは、少々むっとした顔をして脇からアキラにタックルをかます。 「うわっ!」 予期せぬヒカルの行動にバランスを崩し、アキラは床に尻をついた。 ヒカルはその上にずり上がるようにしてアキラの顔を覗き込み、憮然とした表情のまま囁く。 「言えよ、気になるじゃん。……言わないとキスすっぞ」 自分で言って恥ずかしくなったのか、ヒカルの頬はほんのり赤らんだ。 アキラは一瞬目を丸くしてから、実に嬉しそうにその目をほっそり緩めた。 「……じゃあ、言わない」 「このやろお」 ヒカルははにかんだように笑ってから、口唇を軽く尖らせてちゅっと小さなキスを仕掛けた。 ぎゅっと瞑っていた目を開くと、あまりに優しくヒカルを見上げるアキラの目と視線がぶつかってしまって、今更ながら自分の行動の恥ずかしさにどっと汗をかく。 少し頬のこけたアキラの微笑みが、何だか儚気で綺麗だ……とヒカルは思った。 「……で、電話なんだって?」 ひとしきりイチャイチャした後、アキラの気が弛んでいるところを見計らって再びヒカルは尋ねた。 もっともそんなヒカルの企みなんてアキラにはお見通しだったため、ふいを突かれたという素振りもなく、寧ろやれやれと言った調子で渋い口を開いてくれた。 「創立祭がね、あるらしいんだ。海王高校で」 「カイオウ? それってお前が行ってた中学の名前じゃ……」 「附属なんだよ。海王中学に通う生徒の6割がそのまま高校に上がる」 「へえ、そうなんだ。……んで、その海王の創立祭がどうしたってんだよ」 そこで一旦アキラは言葉を区切り、少し話しにくそうな顔をした。 何か厄介なことでも頼まれたのだろうかと、ヒカルも思わず心配そうな顔を向けてしまう。 そんなヒカルに苦笑して、アキラは軽く肩を竦めてみせた。 「先輩は囲碁部でね。創立祭のイベントに出てくれないかと言われた」 「イベント……?」 「囲碁部主催のイベントがあるらしい。プロとして招きたいと口説かれたんだよ」 ヒカルは瞬きを何度か繰り返し、アキラの言葉の意味を考える。 そして、ようやくアキラが口籠った理由を思い付いた。 「……ひょっとしてお前、OK出した?」 「まあ、世話になった人だったから……」 「先月の、まだ気にしてんのかよ……」 「そういうつもりではなかったけど……」 苦笑いを見ると、気にしていないこともなかったのだろう。 先月、ヒカルはアキラを伴ってあかりが通う高校へ出向いた。あかりが所属する囲碁部の部員たちに指導碁を打ってやるためだ。 アキラは最初、安請け合いで厄介事を引き受けるななんてことを言って激高していたのだが(しかしどちらかというとあかりに対する嫉妬の割合が強かったようだ)、実際に彼らと指導碁を打ってその考えを改めたよらしい。 部員たちは、皆真剣にヒカルとアキラに立ち向かって来た。そして、プロと打てるという喜びを顔いっぱいに表現していた。その純粋な熱意を間近で感じたアキラは、その後ヒカルに素直に謝ってくれたのだ。 しかし、あの時はアキラが半ば意地になってヒカルについて来ようとして、無理矢理過密なスケジュールを変更したという問題があった。実際、アキラは今でも忙しい毎日を過ごしている。突発で創立祭のイベントに招かれて、快く返事をすることは難しいはずだ。 それを断れなかったと言うことは、先月のやりとりを気にしているからではないだろうか。すなわち、初めこそ厄介事だと思っていた部活動の手伝いで彼らの熱意に打たれたと言った自分の言葉を。 「別に、あかりんとこ行ったからってああいう仕事断るなって意味じゃねえんだぞ。お前、ただでさえ忙しいんだからさ……」 「分かってるよ。でも、押しの強い人だったから、そういう意味でも断れなくて。まあ、運良くスケジュールは空いていたから」 「……運悪く、だろ」 ヒカルの低い呟きを聞き、アキラは声に出して笑った。 ――笑い事じゃねえだろ。 ヒカルはアキラのこけた頬を恨めし気に眺める。 ここ最近の過密スケジュールのためか、アキラはすっかり痩せてしまっていた。 気のせいかとも思っていたが、はっきりと頬が削げたようなラインが現れてしまってはもう否定のしようもない。 「せっかくの休みだったんじゃん……」 「一日中拘束される訳じゃないから大丈夫だよ。何でもない、平気だ」 気にしていないのは本人ばかり。 先月だって、急に走らされてフラフラしていたくらい体力が落ちていたと言うのに。 ヒカルはじっとりとアキラを睨み、少し考え、それからはっとしてぽんと手を打った。 「そうだ、俺も行けばいいんだよ!」 「え?」 さも名案というように、ヒカルは顔を輝かせてアキラににじり寄った。 「俺も一緒に行く! そしたらお前の負担減るかもしんねーし! それにほら、この前あかりんとこにお前も来てくれたじゃん」 「うーん……でも……」 「遠慮すんなって! な!」 苦笑いを隠さないアキラは、少し迷うように視線を宙に泳がせて、それからはっきりと嬉しそうに笑った。 「……分かった。後で先輩に連絡してみるよ。キミを連れて行くって」 その言葉に、ヒカルは一瞬きょとんとしてすぐに赤くなる。 「あ……、そ、そか、お、俺なんかお呼びじゃない……よなあ」 あかりの高校の時とは訳が違う。名門海王の囲碁部のイベントなのだ。中学であれだけ名を馳せていたのだから、高校に上がっても実力は変わるまい。 すでに五段となり、海王中学出身のアキラが呼ばれることに何ら違和感はなくとも、ヒカルがおまけでついて来ることへのメリットは向こう側にはないだろう。 焦るヒカルに、アキラは微笑んだまま首を横に振った。 「そんなことはないよ。仮にも海王の囲碁部だ、キミのことを知らない人間はいないだろう」 「そ……そっかなあ……?」 「そうだよ。キミにはもう少し自覚が必要だな。キミが来ることで異論のある人間はいないよ……大丈夫、ちゃんと連絡しておくから」 やんわりとしているようで有無を言わせない強さを持ったアキラの言葉に、ヒカルは躊躇いつつも頷くしかなかった。 ひょっとしたら余計なことを申し出てしまっただろうか。アキラに迷惑がかかったらどうしよう…… 気まず気に口唇を尖らせたヒカルを、ふと覗き込むようにアキラが身を低くする。 「……心配してくれてるんだ?」 嬉しそうにそんなことを言われて、ヒカルは言葉に詰まった。 お前が痩せたりするからじゃん……本当はそう言い返したかったが、目の前のアキラのアップに思わず見蕩れて何も言えなくなってしまう。 ふいにアキラが目を細めた。ふわりと雰囲気の変わったその様子を察したヒカルは、照れくささを押し殺してそっと目を閉じる。 ぎこちなくアキラの口唇が触れた。 ちゅ、と優しく口唇を掠める熱に胸がじんわり熱くなる。 そのままきゅっと腕の中に抱き込まれて、ヒカルはアキラの優しいニオイにうっとり頬を緩ませた。 こうして身体を触れあわせているだけで、こんなに幸せな気持ちになれる。 恋人同士になってからというもの、背伸びをしようと試行錯誤を繰り返し、いくつかの失敗を経験してきた二人にとって、ただ抱き合っているだけの時間が何よりお手軽で安心できる「幸せ」だった。 |
再びちょっと懐かしい頃の二人です。
戴いたリクエストの設定とは若干変更させて頂きました……
毎回何かしら問題があってすいません……!