So Deep






 膝の上に置いた雑誌を机で隠すようにほんの少しだけ引き出しながら、記事に目を落とす藤崎あかりの表情は複雑だった。
 ため息をつき、憂いの影が見え隠れするというのに、頬がほんのり赤らんで見えなくもない。
 まだ帰宅前の生徒たちが教室の端々で集まっている放課後、自分の机に座ったまま膝の上を睨むあかりの姿はやや目立ち気味である。
 本人には自覚がないのだろうが、いつ級友が声をかけてもおかしくないほどに。
「なーに読んでんの、あかり?」
 ふいにぽんと肩を叩かれたあかりは、椅子から飛び上がらんばかりに驚いた。
 振り返るとクラスメートの女子生徒が二人、あかりの膝元を覗き込んでいる。
「あ、あのっ、これは!」
「えー誰これ〜!? カッコよくない!?」
 友人の一人があかりの手から奪い取った雑誌は、女性向けのファッション誌だった。
 普段のあかりが学校でそういった雑誌を読むことはほとんどない。何しろ、見た目はごく普通の女子高生だが、所属する部活は囲碁部という地味なもので、休み時間などに詰め碁集を読んでいることも少なくない。
 もっとも根が明るいため、囲碁などに興味のない他の女生徒たちとも仲良く高校生活を送ってはいる。だが、年頃の女の子たちの話題の中心は彼氏や片思いの相手であり、いまいちついていききれない部分があることは否めないだろう。
「ね、ね、誰これ? ちょっと、三人ともイケてない?」
「ホントだ〜、芸能人? 新しいユニットかなんか?」
 あかりが開いていたページを食い入るように見つめる二人は、心なしか目がハート型である。
 彼女たちは気づいていない。雑誌の表紙に「注目のティーン・棋士の世界」と小さな見出しがついていることも、「棋士」なるものの職業が囲碁を打つことであるということも。
 あかりは再びため息を漏らし、何と説明すべきか思案する。
 記事は見開きで二ページ。向かって右側のページには、個性的な青年三人の全身が、左側のページは三段に分けられ、三人それぞれの簡単なインタビューが載っている。
 三人とも黒のスーツというホストまがいな格好だが、めいめいの性格に合わせてスタイリングされたのだろうか、まるでモデルのようにポーズを取っている様はあかりの級友が芸能人だと間違えたのも無理はないほど絵になっていた。
 黒髪の青年はボルドーのネクタイをきっちり締めてジャケットをしっかり着込み、前髪が金髪の青年はシャツのボタンをいくつか外してシルバーのネクタイも緩めに、銀髪の青年はノータイの上にジャケットを脱いで肩に引っ掛けている。髪も撮影用にセットされ、表情もきっちり作られた彼らの姿は、文句無しに格好良い。
 あかりは意を決して口を開いた。
「その人……私の幼馴染なんだ」
「ええっ!? どれどれ?」
「どの人!?」
 あかりは黙って三人の真ん中にいる、金髪と黒髪のメッシュ青年を指差す。二人は黄色い声をあげた。
「えー、超カッコイイじゃん!」
「この人いくつ? まさかタメ?」
 あかりが頷くと、二人はまた叫ぶ。
「ちょっとちょっと、幼馴染なんて言って実は彼氏とかじゃないでしょうね〜!」
「ち、違うって、ヒカルはホントにただの幼馴染!」
「そこらへんのアイドルより全然イイじゃん! あ、でも私こっちの人のほうがいいかな〜ちょっと悪そうで」
「えー私こっちかも。長髪ってあんまり好きじゃないけどこの人すっごいカッコイイ」
 騒ぐ二人を前に、あかりはとうとう彼らが碁打ちだと説明することができなかった。
 仕方のないことだろう。あかりだって、自分が囲碁部などに所属せず、進藤ヒカルという幼馴染がいなければ、この記事の彼らをデビューしたてのアイドルグループか何かとカン違いしただろうから。




 ***




 ――やっぱり学校になんか持っていくんじゃなかった。

 帰宅後、自室のベッドの上にぱさっと雑誌を置いたあかりは、その隣に制服のまま倒れこんだ。
 ほんの数秒そのまま突っ伏して、おもむろにむくりと顔を上げて頬杖をつき、改めて雑誌をめくる。開くのは当然、教室で眺めていたあのページだ。
 右から塔矢アキラ、進藤ヒカル、社清春。ヒカルとアキラはあかりもよく知っているが、社は新聞や雑誌の中でしか見たことがない。それでも、春頃の「週間碁」で北斗杯の様子にかなり紙面を割いているのを毎週読んでいたため、あかりにとっては馴染みのある名前だった。
 ポーズをきめた三人が並んでいる様は、とても碁打ちには見えない。
 ヒカル、また背伸びたんだ。思わず呟いたあかりは、しばらく会っていない幼馴染の大人びた姿に頬を染めた。


 ――日本代表として大会に出場した時の気持ちは?
 ――うーん、気負いみたいなのも確かにありました。でも、さすがに三度目の大会だったので……

 ――慣れた?
 ――雰囲気とかには。初めての北斗杯はもう国際棋戦ってだけであがっちゃって(笑)そういう意味での緊張はなかったから、全力出し切れていい対局になりました。


 字面からは分かるはずもないとはいえ、インタビューにも慣れた様子で答えているのだろうかとぼんやり想像する。
 中学卒業以来、あかりがまともにヒカルと顔を合わせたのは、去年の夏に囲碁部に指導碁に来てもらったあの時一度きりだった。
 メールや電話のやりとりには時折つきあってくれるものの、最近は忙しいのか、すぐに返事が返ってくることは稀になった。
 それでも、メールの文面や懐かしい声はあかりの知っているヒカルそのままで、それがかえって苦しくなる。
 こんなふうに、まるで芸能人みたいに雑誌に載っているヒカルを見ていると、もう手の届かない場所に行ってしまったのではないかと不安になる。
 先日、久しぶりに会った久美子に発破をかけられた。
『あかり、進藤くんと全然連絡とってないの? だめだよ、そんなんじゃあ』
 分かってはいる。
 モタモタしているうちに、気づけば高校三年目。来年には卒業してしまう。
 気楽な高校生のうちに、幼馴染の関係から少しでも進展させたかったという希望は確かにあった。
 しかし相手は社会人。あかりと違って暇はない。おまけに勝負の世界で、下手にヒカルに告白なんかして負担になったらどうしようと悩まないはずがない。
(――でも、全部言い訳なんだよね)
 本当の理由はただひとつ。
 フラれるのが怖いのだ。
 今までは、幼馴染というだけで特別なポジションにいられた。
 場合によっては、その位置さえも失ってしまうかもしれない。
 そんなことになるくらいなら、いっそ友達のままでとも思うが、ボヤボヤしていたらヒカルが他の誰かのものになってしまう。
 今日のクラスメートの反応を見てもよく分かる。ヒカルは格好良くなった。子供っぽい無邪気さが消え、それなりの試練を越えてきたのか、肝の据わった大人の男の目になっていた。
 ひょっとしたら、すでに恋人ができているのかもしれない――あかりは胸の痛みを押さえてまたため息をつく。
 雑誌に掲載された三人の簡単なプロフィールには、間近に迫ったヒカルの誕生日も載っている。
「……余計なこと載せなくてもいいのに」
 あかりはぼそりと呟き、口唇を尖らせた。
 自分だけはヒカルの誕生日を知っているという優越感がなくなってしまうではないか。
「ヒカルの誕生日……もうすぐだなあ……」
 あかりはベッドに顔を埋め、身体を丸めて目を閉じる。
 今年こそは、勇気を出してみようか。
 毛布を抱き込んだあかりは、またひとつため息をついた。






今回ちょっと長めです。そしてヒカルが強いです。
8話中あかり視点は2話分だけですが、凄く……苦労したような……
あかりの持ってる雑誌のコンセプトは何なんだろう。
余談ですが、アキラのボルドーのネクタイをボールドって書いていて
洗剤のいいニオイさせてどうすんじゃと一人寂しくツッコミました。