TELEPHONE CALL






 それを最初に提案したのはアキラだった。
「今後のためにもお互い持っておくべきだと思うんだ」
「ん〜、まあ持つのはいいけどさあ。今後のためって何?」
 ヒカルの疑問はもっともである。
 アキラはアイスコーヒー片手にやけに真剣な顔で力説する。
「いつでも連絡をとれるほうがいいだろう」
「別に……」
「いいや! キミはこの前も寝坊で手合いに遅刻した。先日はイベントの待ち合わせにも遅れたと緒方さんから聞いている! ボクのためだけじゃなく、全ての人のためにキミは携帯電話を持ったほうがいい!」
 ヒカルはそうですか、とため息をついて、冷めてよれよれになったポテトを口に放り込む。
 あんまり店の中で大声出さないで欲しい。喉まで出かかったが言わなかった。いわゆる「逆ギレ」状態のアキラはもっとタチが悪いからだ。
 棋院からの帰り道、腹が減ったとこぼすヒカルが特にお腹のすいていないアキラを無理やり連れてきたのは、ファーストフード店の代名詞的存在・マクドナルドだった。
 アキラとマックに訪れたのはこれで二度目。初めてやって来た時、物珍しげに店内を見渡すアキラは、やはり注文の仕方すらも知らなかった。きょろきょろしながら不慣れな様子でカウンターに並ぶアキラを見て、ヒカルは笑いを噛み殺すのが精一杯だった。
 もう一度アキラをマックに連れてこようと企んでいたのはずっと前からなのだが、手合いの時のアキラはこういった場所に似合わないきっちりした服装が多いため、なかなか誘うことができなかったのである。
 今日は珍しく黒いワイシャツにグレイのジーンズと軽装のアキラを発見し、ヒカルは意気揚々と渋るアキラをここまで引き摺ってきた。もたもたと注文するアキラの横で楽し気に茶々を入れて、席についたヒカルは機嫌よくジャンクフードを頬張っていたのだが。
 他愛もなかったはずの話が何かの弾みでヒカルへの説教に切り替わってしまった。
 大体キミは緊張感が足りなさ過ぎるとか、イベント最中での居眠り(誰が告げ口したんだろう?)まで指摘され、そもそも次の日の予定でさえ把握していないじゃないか、キミは肝心な時に連絡がとれない! とどんどんアキラの声量はエスカレートしていった。
 後半のヒカルは半分耳を塞ぎながら、ハイハイと黙って頷く張子の虎状態になっていた。その様子が更にアキラを怒らせるのも分かってはいたけれど。
 黙っていれば文句なしにいい男なのに。ヒカルはテーブルを挟んで目を吊り上げている古風な黒髪の男を見た。
 棋院での物腰柔らかな姿とは正反対だ。誰も塔矢アキラが人目も気にせず大声を出して喚くなんて思うまい。
 この店に入ったばかりの時だって、女の子の視線が一気にアキラに集中したのだ。しかし今やその視線も意味合いが違ったものになっている。いわゆる遠巻きに、というやつだ。
「とにかく、そろそろ携帯くらい持ってもいいんじゃないか。ボクたちはもう仕事を持つ身なんだし、緊急時に連絡がつきやすいほうがいいだろう。……実はボクも持とうと考えていた」
「お前も持つの?」
 今まで携帯電話を持っていなかったのには特に理由がない。
 そもそも自分が囲碁を始める前、こんなふうに高校進学をせずに仕事に就くなんて自分も親も全く考えていなかった。そしてヒカルの両親は「学生にそんなもの必要ない」というタイプだったので、つい今年、中学を卒業したばかりのヒカルに携帯電話が与えられないままだったのは不自然なことではない。
 しかしアキラの言う通り、仕事を持つ身としては携帯電話くらい持っていたほうがいいかもしれない。イベント先や指導碁先で何かあった時を思うとそれは酷く大切なことのように思えて来た。
 問題は親が何と言うかだが、そのままの言葉で両親に伝えれば、母親も渋ることはないだろう。それにすでに自ら金を稼いでいる身なのだ、支払いだって自分でできる。文句を言われる筋合いはないのだ。
(そういえば、和谷も伊角さんもみんな携帯持ってるもんな。あかりでさえ結構前から持ってたし)
「よし分かった、俺携帯持つ」
 ヒカルが決意すると、アキラの表情がやっと明るくなった。
 笑うとアキラは途端に可愛くなる。特に今みたいな、頭に花が咲いたような素直な喜び方をした時。
 ヒカルも思わず口元を緩ませた。
「じゃあ、来週両親が帰ってくるから、その時でいいかい?」
「いいかいって、何が?」
「だってボクたち未成年だから、親の同意書が必要だろう?」
「それはそうだけど、……、」
 噛み合っていないアキラとの会話に、ヒカルは符合点を探した。プラス、アキラの性格を考慮して、浮かんだ答えにヒカルはあっと口を開ける。
「……ひょっとしてお前、俺と一緒に買いに行くつもり?」
 向かい合うお互いの呆けた顔の間抜けなこと。
 アキラの顔はみるみる赤くなり、ヒカルの表情はげんなり萎れた。
「お前って、案外子供っぽいよなあ」
「……キミに言われたくない」
「まさか、おそろいにしようとか考えてないよな?」
「……!」
 口をぱくぱくさせながら首をぶんぶん横に振るアキラを見て、ヒカルは深い深いため息をついたのだった。





 結局翌週、ヒカルとアキラは待ち合わせて携帯ショップへと向かっていた。
 男同士で携帯を新規購入しに行くのもちょっと気が引けたが、思いのほか楽しみにしているらしいアキラの期待を裏切ることも躊躇われた。ヒカルは案外お人好しだったのだ。
 アキラは手合いの帰りに、ヒカルは休日だったため自宅から、それぞれ待ち合わせ場所に出向いた。案の定、ヒカルは五分ほど遅刻し、アキラにぶつぶつと「こんな時に携帯があれば……」と文句を言われるハメになった。
「だからこれから買いに行くんだろぉ」
 スタートから不機嫌になりつつ、それでもアキラがこの日を楽しみにしていたらしいことは分かっていたので、ヒカルはそれ以上文句を言わなかった。
 アキラと少し特別な関係になってから、それなりに時間が経った。いい加減ヒカルにもアキラの扱い方が飲み込めてきたようである。

 訪れた携帯ショップは、平日のせいか客もまばらだった。
 購入自体は問題なく済んだ。ただ、機種を決める時に、ヒカルが欲しがったものとアキラが欲しがったものとがお揃いにならなかったため、アキラが少し渋い顔をしていたが。
 ヒカルは、黄色と黒の自分の髪のようなツートーンカラーで、防水機能もついたアウトドア向けのちょっとごついものを。
 アキラはシンプルな黒の折りたたみで、薄さと軽さにこだわったカードみたいなシャープなものを。
「だから、俺らでお揃いってかなり無理があるって」
「……」
「お前にソレ似合ってるよ。俺にも合うだろ?」
 ヒカルは買ったばかりの携帯電話を自分の顔の隣位置まで掲げ、アキラににっこり笑ってみせた。
 アキラもようやく、「……そうだね」と苦笑いした。お互いの携帯電話をチェンジして持ってみた時、あまりにも好みが合わないという事実をようやく受け止めたようだ。



 ***



「おー、ついにお前も携帯持ったか!」
 森下九段の研究会に向かう途中、廊下で会った和谷に早速ヒカルは先日購入した携帯電話を見せびらかした。
「へへ、買っちゃった。まだ使い方よくわかんないけど」
「持ってくれて助かったぜ〜。お前に連絡するのにいちいち家の電話だとキンチョーするからさ。番号教えろよ」
「オッケー」
 和谷に電話番号を伝えると、その場で和谷がヒカルに電話をかけた。ワンコール鳴らして切れた和谷からの着信履歴が残る。
「登録、登録っと……」
 ヒカルはうきうきと和谷の電話番号を登録する。
 この電話帳にはまだ、アキラと棋院の番号しか登録されていなかった。電話帳の登録件数が増えると、友達が増えたみたいな気分になってなんだか楽しい。
「進藤、メールアドレスは?」
「あー、あるよ。えーと、どこで出すんだっけ……あった、これ」
 ヒカルは画面に自分のメールアドレスを表示させて、和谷に見せた。和谷はヒカルから携帯を受け取り、自分の携帯電話にそのアドレスを入力していく。
「なになに……hi、ka、ru……」
 hikaru-0920-at@――
「……at? なんで@かぶせてんの?」
「ん? ……まあなんとなく。長いほうが変なメール来ないんだろ?」
 ヒカルは慌ててごまかした。
 at。@ではない。お揃いの携帯が買えなかったアキラがせめてものと、ごねて無理やり付け足したアルファベットだ。
(ホント、アイツはバカだ)
 アキラのメールアドレスにも、ひっそり鎮座している「hs」のアルファベット。
 ――まあ、いいけどさ。アドレスなんていつでも変えられるし。
 アキラが聞いたら卒倒しそうなことを平気で考えつつも、変えるつもりもないヒカルだった。



 その後の研究会で、冴木や白川たちの電話番号とメールアドレスを入手し、ヒカルは順調に溜まりつつある電話帳をほくほく眺めていた。
 初めての携帯電話は、意外だけれど結構面白い。珍しくヒカルは帰ってすぐに碁盤に向かわず、ベッドに寝転んだまま携帯をいじっていた。
 あらかじめ登録されている着メロを一通り確認する。無機質にアレンジされたクラシックばかりじゃちょっと物足りない――ヒカルは着メロサイトを探して夢中になった。
 カメラ機能も試してみる。何も映すものがないので、とりあえず碁盤を撮影した。映り具合に満足して、今度はファインダーをセルフモードに切り替えて自分を写してみたりする。
「ひゃはは、ひっでー」
 思いっきりくしゃくしゃに歪めたブサイクな顔が写っていた。
 自分の顔でひとしきり笑い、何かに使えるかもと画像を保存した瞬間、手の中の携帯が突然ブルブル震え出した。同時にけたたましい電子音。
「うわっ」
 焦って適当にボタンを押すと、音も震えも止まる。
 画面には「メール 1件」の文字が表示されていた。
「メールかよ。後で音変えておこっと」
 届いたメールを開くと、差出人は「塔矢アキラ」となっている。

『こんばんは。明日は夕方までには碁会所に行ける予定だけど、そちらはどうですか。今何をしていましたか。』

「……アイツ、おっそろしくメール慣れしてねぇんだなあ……」
 わざわざ冒頭に挨拶までつける希少価値の高いメールだ。
「別に敬語じゃなくていいのに」
 いざ文を打つとなって、きっと妙に身構えたのだろう。アキラらしくてヒカルはけたけた笑った。
「なんて返信しようかな〜……」
 ヒカルの指がすばやく動き始める。






原作の二人は携帯持ってる様子ないですね。
よく考えたら中学生だったんだもんなあ。
アキラさんはメール打つのに最初時間かかりそうとか思ったんですが
パソコン使いこなす人間がそれはないか。
ストラップとかはつけなさそうですね。