Time has come







 ――キスされる。
 ヒカルは瞬間的にそう思った。しかし避けようとは思わなかった。
 そのまま僅かに目を伏せると、アキラの口唇がゆっくりヒカルの口唇に押し当てられた。
 もう、これが何度目のキスか分からなくなってしまった。
 キスも回数をこなすと慣れるのだろうか。ヒカルは嫌だとも怖いとも何も思わなくなっていた。
 アキラの優しい口唇が、ゆっくりヒカルの口唇を暖める。なんだか慰められているようで、ヒカルはどんどん泣きたくなってきた。
 本当なら、泣きたくなるくらい哀しいのはアキラのほうではないのだろうか。それなのにいつも以上に優しくて、さっき酷いことを言ったばかりのヒカルにもこんなに優しくて。
 アキラの口唇が、そっとヒカルの瞼に当てられる。くすぐったくてヒカルがきつく目を瞑ると、睫毛の間からぽろぽろと滴が零れ落ちてきた。
「進藤」
 アキラの口唇が静かにヒカルの名前を呼びながら、何度も瞼と口唇を啄ばんでいく。ヒカルはなぜ自分が泣いているのか分からないまま、キスの雨を黙って受けていた。
(こいつ、ホントバカだ。なんで俺なんか好きになったんだろう)
 アキラの手がヒカルの頭を包み、キスはじわじわ濃厚になっていく。
(俺もバカだ。コイツのことどう思ってんのか全然わかんない。こんなにキスされても嫌じゃないのに、それでも全然わかんない)
 アキラの舌がヒカルの前歯の隙間から入り込み、上顎の裏側をそっと舐めた。背中を駆け抜ける痺れに、ヒカルの身体が強張っていく。
(俺、塔矢のこと好きなのかな?)
 アキラの髪が頬に触れてくすぐったい。嫌々をするように顔を捻ると、激しいキスへの反応だと受け取ったのか、アキラのキスがまた優しくなる。上口唇と下口唇を交互に包まれ、ヒカルの意識もじりじり痺れてくる。
(何にも分かんない……俺、そういえば誰かを好きになったことあったかなあ……)
 麻痺して蕩けそうな感覚の中、ふとひんやりした指がヒカルの脇腹に触れた。
 熱に支配された空気の中、そぐわない冷たさに思わず目を開いたヒカルは、自分の置かれている状況に愕然とした。
「うわあああ!」
 気づけば身体はベッドに倒され、その上にしっかり乗っかったアキラがヒカルのシャツをたくし上げている。
 アキラの目はこれまでのように、獣へのスイッチが完全に入っていた。
「バカ、ヤメロ!」
 ヒカルは噴火しそうな顔で怒鳴り、アキラの身体を押しのける。
 キスは散々許したが、さすがにそれ以上はマズイ。自分の気持ちもあやふやで定まっていないのに、これ以上順序を飛び越えるのは危険だ――ヒカルは目いっぱい抵抗した。
「塔矢のバカバカバカ、目ぇ覚ませっ! 俺がその気になるまで待つんじゃなかったのかよっ!!」
 髪を勢い良く引っ張ると、さすがのアキラも身体を起こす。しかし目はまだ半分以上猪のままで、とんでもないことを言い出した。
「……キミ、今その気になってなかった?」
「!!」
 服に覆われていない肌という肌を真っ赤にしたヒカルは、固く握り締めた拳をアキラのみぞおちに繰り出した。
「勘違いすんなー!」
 うぐ、と呻いたアキラはヒカルの隣にごろんと転がり、腹を押さえて丸くなる。
 これで目も覚めるだろう。ヒカルは額の汗を手の甲で拭いながら上半身を起こし、マラソンを完走した後のようにふうっと爽やかなため息をついた。
 横で転がっている獣を小突きながら、ヒカルはもう考えることを放棄することに決めた。
(もーぐだぐだ考えても分かんねぇや……。)
 なるようになればいい。迷ったり悩んだりするのも疲れてしまった。
 キスは、大丈夫。でもエッチは嫌。
(めんどくせーからそれでいーだろ)
 ――俺ら二人ともとっくにおかしいんだから。
「おい、塔矢。一局打とーぜ」
「うう……、キミ、本気で殴っただろ……」
「お前やめねぇんだもん。ホラ起きろよ、一局」
「ま、待って……まだ腹が、」
「あ、一局もいいけど、お前が今日やってた大盤解説のやつ! あれきちんと見てねーんだ、あれ検討しようぜ!」
「わ、分かったから、もう少し……」
「あーもー、早く起きろよ〜」




 愛とか恋とか今はまだ面倒くさい。
 いちいち混乱した心に名前をつけるのは難しい。
 今したいことをすればいいし、今思っていることを伝えればいい。……考え込むから余計にややこしくなる。それなら考えなければいい。
 好きなものは好きで、嫌なものは嫌。そこに理由は必要ない。世の中は結構単純にできている。
 もしアキラのことを好きになったのなら、素直にそう言える時がきっとくるのだろう。そして今はまだその時じゃない。
 それでも、昨日までの自分と、今ここにいる自分はきっと違う。
 何かが始まってしまった。
 ヒカルは暗闇で目を開き、隣のベッドから聞こえるアキラの寝息を確認して、またそっと目を閉じた。
 ――何が始まったって構わない。終わりさえ来なければ。





結局ふりだしに戻りました。
人間は理由付けが好きだから、
曖昧な状態を甘んじられるのは強い人だと思います。
それか底なしの脳天気か。
(BGM:Time has come/LUNASEA)