和谷の部屋には合計六人の男が入り込み、異様な光景だった。 「あーもー暑苦しいなー」 クーラーは動いているはずだが、妙に熱気がこもっている。それはこの場に酒が持ち込まれているというのが大きかったようだ。 「進藤、遅かったじゃん。塔矢に何か言われた?」 遅れてやってきたヒカルに、冴木が声をかける。 ヒカルはベッドの端に浅く腰掛けて、「ううん、別に」とだけ言った。 アキラの作り笑顔を思い出すと、また胸がどうしようもなく痛くなる。 今頃一人でマグネット碁盤でも触っているのだろうか。それともシャワーでも浴びて眠りなおしただろうか。 「塔矢も誘ったら来ないかな?」 ふいに、冴木より一つ年下の飯田三段がそんなことを言い出した。ヒカルが顔を上げる。一瞬輝きかけたその目は、和谷の言葉であっさり暗く曇ってしまう。 「来ねーって、アイツが来るわけないだろ。」 「たぶんな」 冴木の相槌が、またヒカルの胸を締め付ける。 「塔矢君ってそんなにカタイんですか?」 田村二段が誰ともなしに尋ねると、木嶋三段が大きく頷いた。 「カタイというか、碁の鬼だからな。浮いた話もないし、遊びにも乗ってこないし、俺らみたいな低段者の集まりなんか興味ないだろ」 「塔矢だってまだ三段じゃん」 「駆け上り方が違うだろ〜」 ヒカルはこの空気が酷く居心地悪くて仕方なかった。 こんなふうにアキラが話題にされるのは、普段のアキラを知っているヒカルにとっては辛く、しかし酒の席で真剣に腹を立てるのもどうかという臆病な気持ちも存在する。 下手なことを言って場を盛り下げるのは忍びない。しかし盛り上がっているのがアキラの悪口だというのがやりきれない。 「塔矢ってさあ、自分より下の奴ら完璧馬鹿にしてるよなあ。そりゃアイツは塔矢先生みたいな立派な父親がいて超サラブレッドだけどさあ」 ――違うよ、塔矢は誰よりも努力したから、今の塔矢があるんだよ。 「出だしが俺たちとは違うからな。そもそも俺はあのすました顔が苦手だね」 ――すましてなんかない。笑うし怒鳴るし訳分かんないこと喚くし、赤くなったり青くなったりしてすげー表情くるくる変わるんだよ。 「そうそう、他人になんか一切興味ありませんってツラがねぇ。」 ――そんなことない、俺のこと追っかけてくる時なんか物っ凄いツラしてるぞ。 「可愛げないっていうかさあ」 ――寝顔はすっげえキレイで可愛いぜ。あと、笑顔も結構カワイイ。 「なあ、なんかアイツトイレ行かなさそうじゃねぇ?」 ――バーカ、トイレどころか鼻血も出すぞ。 「うん、なんか生活感ないっていうか、血が通ってなさそうな感じがする」 ――……塔矢の身体は凄くあったかい。 「するする、塔矢ってチンコ勃たなさそうだよなあ!」 ――ちょっとくっついただけでギンギンだぞ! ぎゃはははと下品な笑い声が飛び交う中、遂にヒカルは立ち上がった。 「進藤?」 冴木の声に、ヒカルはただ「帰る」と呟いた。 「帰るって? 部屋に? お前今来たばっかじゃん」 和谷が口唇を尖らせるが、ヒカルはもう決めていた。 「なんか具合悪くて。部屋戻って寝る」 「大丈夫か? そういえば顔色悪いな。酒の臭いに酔ったかな?」 冴木が心配そうにヒカルの傍に寄り、額に手を当てる。当然熱はなく、疲れが出たのかな、と冴木はぽんぽんヒカルの頭を叩いた。 「無理すんな。明日もあるから、今日は休んだほうがいいな。」 「うん、ありがとう冴木さん」 ヒカルにはこんなに優しい冴木が、アキラにも優しくなってくれるといいのに――ヒカルはそんなことを思いながら、全員に向かってぺこりと頭を下げ、急いで部屋を後にした。 あの空気はヒカルには重すぎた。誰も知らないアキラを知りすぎているヒカルには。 今はアキラに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。仲間の集まりに誘われなくても、それを当然のように受け止めるアキラ。二人の部屋にたった一人、どんな気持ちでいるのだろう。 二人きりになろうがもうそんなことどうでもいい。 (俺しかアイツを分かってやれないのに、俺が傍にいなくてどうすんだよ) ヒカルはもどかしく廊下を駆け抜ける。 アキラは一人、マグネット碁盤の上に小さな碁石を並べていた。 ヒカルが出て行った後はため息のひとつふたつついたものの、仕方がないとも割り切っていた。 ヒカルが出向くような馬鹿騒ぎの場所には、自分は似つかわしくない。それはアキラ自身がそう思っているのではなく、周りがそう思っているものだから、どうしようもないことなのだ。 馬鹿騒ぎが嫌いな訳じゃない。ただ、自分の存在がそこにあることで、周囲に酷く違和感を与えるらしい。 ヒカルの言う通り、自分が若者の宴会場に訪れたところで、雰囲気が微妙になるのは目に見えている。それではヒカルも楽しめないだろう。 「そういえば、小学校の頃からそうだったかも」 アキラはぽつりと呟き、ヒカルが買ってきてくれた三つ目のおにぎりを平らげる。何も食べずに眠っていたものだから、コンビニのおにぎりでもとても美味しく感じる。缶コーヒーの組み合わせはどうかと思うが、それも一気に飲み干した。缶が離れた口から、小さな吐息が漏れる。 昔から、輪になって遊ぶような集団には誘われたことがない。いつでもどこでも碁ばかりだった自分が悪いのだが、かなり近寄り難い雰囲気を作っていたようだ。 昔からちっとも進歩がないと思うと、自分が情けなくも感じる。アキラは苦笑しつつ、しかしそれでもいいかと諦めていた。 おかげで碁にどっぷり浸った人生を送ってこれた。他人にどう思われても関係ないと跳ね除ける精神力も手に入れた。 唯一の特別な存在であるヒカルにもそう思われているのは少し哀しいけれど、それでもヒカルは他の誰より自分を分かってくれている。 でなければ、こんなふうにおにぎりを買って来てくれたりしないだろう。 「ごちそうさま」 アキラは誰も居ない部屋で一人頭を下げ、また小さな碁石を手に取った。 その時、ガチャガチャと鍵の回す音、ドアが乱暴に開いた音がして、アキラが驚いて丸くしていた目に飛び込んできたのはヒカルの姿だった。 「進藤!?」 アキラは思わず時計を確認する。まだ二十分も経っていないくらいだ。 「どうしたの? 何か忘れ物?」 「戻ってきた」 ヒカルはそれだけ言って、ドアの鍵を閉め直したようだ。アキラがぽかんとしている中、ヒカルはほんのり赤い顔で部屋の中央に入ってきて、先ほどアキラが眠っていたのとは逆のベッドにどっかり腰を下ろした。 アキラは鏡台に備え付けられている椅子に座ったまま、スプリングが跳ねてふわふわ上下に揺れるヒカルをじっと見る。 「……まだ時間は早いだろう? 何かあったのか?」 「なんだよ、俺が戻ってきたら悪いのかよ」 「悪くないけど」 アキラははっとする。今の返事にならないヒカルの返事は、照れ隠しだ。 「ひょっとして……ボクに気を使って戻ってきてくれたの?」 「お前に気なんか使わねぇよ」 ヒカルの顔が更に赤くなる。図星かな、と思い、アキラは少し申し訳ない気持ちになった。 「……みんなで楽しくやってたんだろう? 行って来ていいんだよ」 こんなことでヒカルを悩ませたくないと思い、努めて平静を装ってそう言ったのだが、予想に反してヒカルは哀しそうに視線を落としてしまった。 これにはアキラも慌てて立ち上がり、ヒカルの傍で膝をつく。 「し、進藤? ボク何かおかしなこと……」 「なんで、お前までそんなこと言うの?」 「え?」 「俺、ひどいこと言ったじゃん。お前来ると気まずくなるって。なんでお前怒んねぇの?」 ヒカルは床を睨んだまま震える声で呟く。アキラは戸惑い、ヒカルの顔を覗き込むように見上げる。 「でも、本当のことだから」 「そんなことないだろ! ……俺はそんなふうに思ってない……」 急に声を荒げたヒカルに驚きつつ、アキラは呆然とヒカルの言葉の続きを待った。 「俺、お前と一緒にいるの好きだよ。お前と碁打つの好きだ。つきあいにくいヤツだなんて思ったことない」 「進藤……」 「だから、他のヤツラにお前が誤解されてるの聞くと腹立つんだよ」 「進藤」 アキラはヒカルに手を伸ばし、そのツートーンカラーの髪の中へ指を滑らせた。ヒカルが黙ったままなので、そのまま髪を梳くように頭をそっと撫でる。 「進藤……ボクは周りにどう思われようと気にしていない。今のキミの言葉で充分だ」 「ちょっとは気にしろよ。俺はむかつく」 「ボクはキミさえいればいいから」 「それじゃダメだって! みんながお前のこと分かってくれないと嫌なんだよ!」 ヒカルの語尾はアキラの肩に吸い込まれた。 アキラは強い力でヒカルの頭を引き寄せ、腕の中に抱きこむ。 「進藤……今日はどうしたの? ボクをこんなに喜ばせて、いつものキミらしくないよ……」 「だって……お前があんまり自分のこと酷く言うから……」 「酷く言ったつもりはないよ。ボクはボクのイメージに慣れているだけだから。それに、ボクにはキミに接するように、他の人とは接することはできない」 そう言ってアキラは少し腕の力を緩め、ヒカルの目を正面から覗き込んだ。ヒカルも真っ直ぐアキラを見つめ返す。 |
主要キャラ以外の名前はみんな適当。
誰がどのセリフかも深く考えないでつけました。
でも案外みんなに陰口叩かれてる人のほうが
愛されてることが結構多い。