TELL ME






 高段者との手合いが行われる木曜。
 最近になってようやく木曜日の常連になりつつある和谷は、いつものように気合充分で対局室を訪れた。
 ふと、いつもは静粛な対局室がどこかざわめいているのを感じ、和谷は自然と人々の視線が集まっている方向へ顔を向けた。
 そして固まった。
 和谷よりもずっと前からこの木曜の常連になっているおかっぱ頭の美青年、塔矢アキラ。
 首から上は髪型はさておき文句のつけようのない顔立ちだというのに、本日の服装は人目を引いても仕方のないサイケデリックな出でたちだった。
 渋いといえば聞こえはいいが、くすんでオヤジ臭い深緑のセーター。恐らく手編みなのだろう、よれよれでところどころ穴が開いたようにほつれている。肩の位置が明らかにずれているそれは、どう考えてもアキラの体型に合っていない。
 そして胸に燦然と輝く「LOVE」の赤い文字。悪趣味なことこの上ない。しかし、何かの罰ゲームを潔く受けているような堂々としたアキラの様子に、恐ろしくて周囲の誰も声をかけられない。
 そして和谷は、まさしく幻覚を見たかのようにごしごしと目を擦ってその様を見た。しかしどれだけ擦ろうとも目に映る景色は同じ。目も当てられない格好をしたおかっぱが碁盤に向かって対局開始を待っているその姿のみである。
 和谷は青ざめた。
 ――なんでアイツが「アレ」を!?
 そうしてアキラがあのセーターを入手するに至った経緯を推理した。
 ……推理するまでもない。
 ――進藤だ!
 和谷は続いて怒りに顔を赤く染め、タイミングよく対局室に現れたヒカルを捕まえて廊下まで引きずり出した。


「な、なにすんだよ、和谷!」
「お前……あのセーター、塔矢に渡したな?」
「なっ、なんでそれを……!」
 和谷は無言でヒカルの頭を掴み、対局室の入口から中を覗けと顎でしゃくった。
 ヒカルは訳が分からず言われるがままに中を覗き、そしてゲッと潰れたような声をあげる。
 ヒカルは顔を引っ込め、壁にべたんと背中をつけてがたがた震えだした。どうやら自分のしでかしたことの重大さを悟ったようだ。
「ま、まさか着てくるなんて……! 塔矢を甘く見てた……!」
「それだけじゃない。お前、なんで俺がお前にあのセーターを任せたのか知らないだろ?」
「え? ……邪魔だったからじゃないの?」
「お前に話しておかなかった俺が悪かったのかもしれないけど……」
 和谷は表情を渋く歪め、重い口を開き始めた。


 そもそもあのセーターの元々の持ち主は他でもない、塔矢門下筆頭の緒方精次であった。
 ある富豪にいたく気に入られていた彼は、二冠ホルダーの高額な指導碁料金にも怯まずに指名を入れてくるその家へと足繁く通わなければならなかった。
 忙しい合間を縫っての指導碁は大変面倒臭い。おまけに腕に覚えがあるのなら良いのだが、素人に毛が生えた程度の棋力の相手に何故俺が、という苛立ちが募るのも無理はなかった。
 おまけに見目麗しくないそこの長女が緒方に想いを寄せていた。
 あのセーターは、その長女が心を込めて編んだ愛溢れるプレゼントである。
 愛はともかく、出来としては最悪だった。色といいデザインといい、全てにおいて手作りの良さとは逆効果なそのセーターは、到底普通の感覚の人間には着こなせるものではない。
 仕事も女も一級品を望む緒方が、それを笑顔で受け取らざるを得ないという屈辱を受け、そのセーターは彼の弟弟子である芦原弘幸に押し付けられた。
 捨ててしまうと怨念がこもりそう、というのが理由のようだ。
 押し付けられた芦原にとっては、迷惑なことこの上ない。
 そんな何か念がこもっていそうなセーターなんて手元に置きたくない。しかし自分の手で捨てて呪われるのも困る。
 そこで芦原は更に他人に押し付けることを考え付いた。自分の手が離れたところでなら捨てられようが燃やされようが、呪いの矛先は刑を執行した相手に行くのではないかと思ったのである。
 そうしてセーターは対局が被るたびに芦原が絡む冴木へと押し付けられた。
 その際に、「このセーターを見ると緒方さんが発狂するから、塔矢門下には近づけないでくれ」と念を押して。
 逃げ足の速い芦原にセーターを任された冴木は、冗談じゃないと弟弟子の和谷に更にセーターを押し付けた。お前が責任持って処分しろ。ムチャクチャな言い分と共にセーターを受け取らされた和谷は、半泣きになっているところに通りがかったヒカルを捕獲したわけである。
 その時の和谷の台詞が、
「どんな方法でもいい。これの処分は任せる」
 ……だった。
 ヒカルは紙袋を開いておぞましいセーターが入っていることを認めると、さてこの処分をどうすべきかと頭を抱えてしまった。
 こんな趣味の悪いセーター、一日だって持っていたくない。しかし捨てたり燃やしたりすると何だか祟られそう。
 そんな時だった。人一倍センスがいまいちな囲碁界の貴公子、塔矢アキラが棋院の廊下を歩いてきたのだった。



「……つまり、緒方先生の命令であのセーターを塔矢門下から抹消しなきゃなんなかった。それなのに、なんで塔矢門下の純血種があのセーターを着てんだよ!」
「だ、だって知らなかったんだよ! 和谷、処分任せるって言ってたじゃん! 俺、あのセーター押し付けた後アイツに怒られないようずっと逃げ回ってたし……、まさかアレを着てくるほどアイツがキテレツなヤツだなんて思わなかったし!」
「実際着てきちまったんだからどうしようもねえだろ! 緒方先生に見つかったらただじゃ済まないぞ……自分の師匠の直系がアレを着てるんだから……」
 ヒカルは震え上がる。
 緒方を敵に回すのはよろしくない。あの蛇のような男に目をつけられたが最後、囲碁界に身を置くことすらままならなくなるかもしれない。
「ど、どうしよう」
「どうしようじゃねえよ……もうお前に全責任は移ったんだ。何とかしろ」
「わ、和谷〜!」
 不毛な言い争いをよそに、対局開始の時刻が迫る。
 二人は対局前に事を解決させることを断念し、碁盤に集中しなければならなかった。
 アキラ以外の塔矢門下が対局室にいなかったのが救いだろうか。勝負はいざ、昼の打ちかけ時間に持ち越された。





 対局前にヒカルの姿を目で探していたのだが、ギリギリに飛び込んできたらしいヒカルの顔を見ることができず、アキラは打ち掛けと同時にため息をついた。
 恐らくヒカルは親しい友人と昼食をとりに行ってしまうだろう。これは対局を早く終えて、待ち構えているしかヒカルを捕まえる方法はないだろうか……
 そんなことを考えていたアキラがぼんやり見つめていた打ち掛けの碁盤に、ふと影が落ちた。
 思わず顔を上げてアキラははっとする。
 ヒカルがそこにいた。
「塔矢……話がある。ちょっと、来い」
 ヒカルは心無しか青い顔をして、微かに震えている。
 その普段と違う頼り無い様子にアキラの胸がきゅんと縮んだ。
 ――進藤、緊張しているのか……
 アキラはすっと立ち上がり、ヒカルに負担をかけないよう頷いた。
 先導するヒカルの後を黙ってついて行く。
 ヒカルは使われていない対局室に入って行った。中には誰もいない。二人だけの空間に、自然とアキラの鼓動も早くなる。
「塔矢……」
 アキラに向き直ったヒカルは、神妙な表情でこう告げた。
「黙ってその服を脱げ」
 アキラの身体が凍り付いた。
 ――進藤! キミは、棋院で……そんな大胆な……!
 そこまで彼を追い詰めていたのだろうか。こんなになるまで気付かなかった自分を許して欲しい……!
 アキラは驚愕に青ざめながらも、ヒカルの必死の思いを汲んでやらなくてはと口唇を引き締めた。そう、彼が望むならとことんその願いを叶えてあげなくては。場所は棋院だし、打ち掛けの僅かな休憩時間しかないが、その気になれば短い時間だってなんとか……

 アキラがぶつぶつと呟く様をヒカルは怖れおののきながら首を傾げて伺った。
 もしや何か逆鱗に触れたのだろうか。押し付けておきながら脱げとは何事だ、なんて怒鳴られるのを覚悟しつつ、何かに取り憑かれたように厳しい目で一点を睨むアキラの顔をそっと覗き込んだ。
「あ、あの、塔矢?」
「分かった……キミの気持ちに応えよう」
「え?」
 蛇に睨まれたカエル。――ボキャブラリーの少ないヒカルの頭にも、そんな言葉は引っ掛かっていたようだ。
「あ? ちょ、おい、待て、うわ、塔矢あああ!」

 ……乱闘に限り無く近い愛情表現の果て、日本棋院に奇妙なカップルが誕生した。






 後日、週間碁に掲載されたヒカルの記事のはしっこに、「最近の趣味はプラモデル造り」と書かれていたことをアキラは遂に知らないままだった。






6周年記念リクエスト内容(原文のまま):
「「ヒカルからプレゼントを押し付けられたアキラ」でお願いします。
時期的にアキラくんのバースデープレゼントでもクリスマスの物でも、
全然記念日関係なくてもかまいません。
ヒカルくんの方も何か意図があるのか、
はたまたただの気まぐれか?オチは何でも〜」

オチは何でものお言葉に甘えて酷いことに……
空白の一行に全てを委ねて……!<委ね過ぎ
毎度毎度ばかな話ですいません。謝ってばかりだなあ。
リクエストありがとうございました!

この話のアキラさんイメージイラストをいただいてしまいました!
とっても素敵なイラストはこちらから
(2006.12.24追記)
(BGM:TELL ME/hide)