時の色






 アキラは怒っていた。
 実際には荒れ狂うほどの怒りではなく、腕を組んで眉を顰めている顔が怖いから怒っているように見えるだけなのだが、怒りを静めるにはひたすら謝るに限ると考えている的外れなヒカルは何度目かの「ごめん」を口にしていた。
 その割に顔は締まりのない苦笑いで、口調からしても反省しているとは言い難い。おまけにアキラがこんなに厳しい顔をしている理由は、何よりもヒカルを心配しているからだったため、ヒカルの謝罪ははっきり言って効果はなかった。
「謝るくらいなら却下だ。いいからその日は大人しくしていろ」
「ええ、だって勿体無いじゃん。行こうぜ、な? 黙って予定空けたのはごめんって。でもその日しか空けられそうになかったし、丁度いいし」
 丁度いい、のところでアキラの眉が神経質に揺れる。
 より眼光が鋭くなったのを間近で確認したヒカルは、笑顔を引き攣らせながら若干後ずさりした。
「丁度いい、だって……?」
 地を這う低音にヒカルが身構える。
 マズイ、これは落雷だ――予め耳を押さえるのと、予想通り雷が落ちるのはほぼ同時だった。
「誕生日は祝わないって決めたじゃないか! なんでボクの誕生日に合わせるんだっ!」


 遡ること数日前。
 ヒカルがよく出向く指導碁先で、今年で期限が切れてしまう、余っているからとテーマパークのパスポートを二枚もらってきた。
 そこが昔、付き合う前にアキラと一緒に出かけた場所だったことを思い出したヒカルは、忙しいスケジュールの中で調整できそうな日にアキラの誕生日である十四日を見つけると、アキラに出かける確認も取らずにさっさと日程を工面してしまったのだ。
 しかし、事後承諾で「一緒に行こうぜ」と誘われたアキラが腹を立てたのは、ヒカルが一人で予定を決めてしまったからだけではない。
 まず第一に、アキラの誕生日に特別なことをするということ。少し前から二人はお互い話し合い、相手の誕生日に贈り物で気を遣うのはやめようという取り決めをしていた。
 これから先ずっと一緒にいるつもりなのに、いちいち全力でお祝いしていたら疲れてしまうから。そう納得し合って、それでも特別な日であることは間違いがないので、夜を一緒に過ごす程度でお祝いの形に変えていたはずだったのだが。
「不必要に祝うなと言われたから、今年のキミの誕生日だって検討だけして終わってしまったんじゃないか。ずるいぞ! ボクだってあの約束がなければキミにちゃんとしたプレゼントを贈りたかった!」
「ま、まあまあ、ずるいったって……一緒に出かけるだけじゃん。お前の誕生日なのはたまたまだよ。予定空けられんだろ?」
「たまたまだなんて言って、本当は意図的にボクの誕生日を選んだんだろう? キミのびっしり詰まったスケジュールに運良くずらしやすい日があったなんて信じられない!」
 アキラの追求にヒカルは苦笑して、肯定こそしなかったが否定もしなかった。肩を竦めながら、何度か分かったと繰り返し、じゃあさ、と妥協策を持ちかける。
「来年の俺の誕生日は派手にやろうぜ? ハタチのお祝いだし。な? それでチャラにしようぜ。ケーキとかでかいの買ってさ、一日べったりしてさ、……どうせその頃は一緒に暮らしてんだし」
 悪戯っぽく微笑まれ、アキラが軽く言葉に詰まる。
 らしくなく口唇を尖らせたアキラは、薄ら頬を赤らめてヒカルをやんわり睨みつけた。
「……来年?」
「うん。いいだろ?」
「……、約束だぞ」
「ん、約束!」
 小指を差し出されてしまえば、釣られるようにアキラも小指を絡めて指きりの契約が結ばれてしまう。
 しかしアキラが問題にしているのはそれだけではなかった。

 第二の問題は、ヒカルの忙しさがいよいよ尋常じゃなくなってきたことだった。
 年末年始の喧噪は本来棋士にはあまり関係がないはずなのに、棋院外から持ち込まれる仕事が師走モードで大騒ぎしているのに合わせて、ヒカルもまた巻き込まれるように多忙を極めるようになっていた。
 家にはほとんど寝に帰るだけ、とぼやいていたヒカルの言葉通り、朝出かけた後は分刻みであちこちに引っ張られ、対局のある日も夜に仕事を入れていたりとまさに目が回る生活が続いており、今日アキラと顔を合わせたのも実に二週間ぶりだったのだ。
 忙しいあまりに食事がおろそかになっているらしく、少し前に社に指摘された頃より更に肉が落ちたことを確信したアキラは、テーマパークで遊ぶ暇があるなら身体を休めろと怒ったのだった。
「キミのそのジーンズ。前に穿いていたのが緩くなってついこの前買い直していたものだろう? それだってもう緩くなってるんじゃないか」
「ば、ばか、これはわざと腰で穿いてんだよ。そんなに痩せちゃいねえって、大体一日遊ぶくらいの体力もねえのに対局なんか出られる訳ないだろ。息抜きさせてくれよ〜」
 わざとらしい甘ったれた声にすんなり納得したつもりはなかったが(ついでにジーンズを腰で穿くというのも理解不能だったのだが)、出かけることが息抜きになるという主張は分からなくもないためアキラが一旦黙る。
 仕事で各地に飛び回ってはいるものの、自由な時間はほとんどない。おまけに飽くまで仕事なのだから、イベント先の観光地で珍しいものを見せられたり美味しい食事を勧められたりしても、その待遇を受けるためのお愛想を忘れてはならず、顔の筋肉が強張るまで一日にこにこしていなければならないことは少なくない。
 仕事から離れて、ヒカルが好きなように遊び回るのなら心の休息にはなるだろうか……なあなあ行こうぜ、いいだろと肩に頭を乗せられて、アキラの勢いもどんどん萎みがちになっていく。
 行けないことはない。ようやく最近は仕事のペースが戻って来て、ヒカルほどではないにしろそれなりに忙しく過ごしているアキラだったが、調整できない日程ではなかった。誕生日だと伝えればある程度の融通も利く。
 それに、二人で出かけるのは相当に久しぶりだ。完全なるプライベートで最後に出かけたのは一体いつだっただろう? 北斗杯以降はずっとアキラが沈んでいたため、出かけるどころか今年は逢う回数だって去年に比べれば激減していた。
 誘われて、嫌なわけがない。息抜きに一緒に遊ぼうと言われて嬉しくないはずがない。
 疲れている時に傍にいたいと言われて。ついで、という言葉を使いながらも産まれた日を祝おうと言われて。
 ヒカルが行きたいと言うのだから、断る必要なんか何もないのだ、本当は。それなのに、先の二つの理由を挙げてぐじぐじと渋っているのは、もうひとつだけ心に引っかかっていることがあるから。
「……な。行こ。俺、お前と一緒に行きたい」
「……、……分かった、よ……」
 もう三年も前になる。
 三年前と全く同じ日、同じ場所に二人で向かうことで、あの当時のほろ苦い記憶を引っ張り出されるのが――ほんの少しだけ怖かった。





恐らく今後こんなにタイムリーに本編を
更新できる機会はないんじゃないかと……!
18〜19歳ラストのお話です。