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 特に見たい番組があったわけでもなく、とりあえず帰ってから癖でテレビをつけて、食事の支度の最中も実際に夕飯を食べている時もそのままつけっぱなしになっていた、あるチャンネルでのワイドショー特集。
 一週間分の出来事をダイジェスト版にして紹介しているシーンで、名前くらいは知ってる女性タレントがカメラに向かって嬉しそうに手の甲を見せていた。
 正確には左手の薬指に光る指輪。ど真ん中で大きなダイヤが輝いている。
 それまでただ黙ってテレビを見ていたのは食後の満腹感が頭を鈍らせていただけで、全く興味がなかったから、という訳ではなかった。逆に言えば、特別その話題にツッコミを入れたい理由なんかなかった。
 しかし腹のものがこなれて来て、その時に目についた話に対して何の気なしにコメントするのはそんなに珍しいことじゃないはずだ。
「ごてごてして邪魔くせえよなあ。指輪なんてめんどくせえもん見せびらかす気が知れねえ」
 他意のある言葉じゃなかった。
 だからその言葉に対して返って来るコメントがあるとすれば、「ああ」とか「そうだね」とかそんな軽い相槌程度のものだと信じて疑っていなかった。
 しかし、見てしまったのだ。
 その言葉を告げた瞬間、ソファの隣に座る男の顔が実に分かりやすく引き攣ったのを。





 ***





 棋院の一室を借りて行われる森下門下の研究会に向かう道すがら、ヒカルは軽い溜め息混じりに昨夜のことを思い出していた。
 ごくごく軽い調子で小馬鹿にするような発言をした後、びしっと凍るような音が真横から聞こえて来そうなほど隣に座っていたアキラの顔が強張った。どう考えても、反応したのは――指輪の部分に違いない。
 だとしたら面倒なことになったなと、がりがり後頭部を掻く。
 別に深い意味があって指輪を否定した訳ではなかった。しかしあの男は時に不憫なほどの馬鹿正直な受け取り方をして、言葉足らずのヒカルとの間に誤解を生じたことがこれまで何度あっただろう。
 ひょっとしたら、普段はアクセサリーどころかファッション全般に興味もなさそうにしているくせに、指輪に対しては何らかの憧れがあったのだろうか。「邪魔くせえ」と言ったヒカルの発言を言葉通りに受け止めたらしい表情を思い出すと、どうやらそのセンが濃厚だ。
 この場合、アキラが頭の中で思い描いていたのは、単純に指にはめることを目的とする指輪ではないだろう。
 つまりあのタレントが幸せそうにカメラに見せていたように、薬指にはめる指輪が問題なのだ。
 ヒカルは眉を顰めて、それから軽く頬を赤らめた。
(涼しい顔してっけど、アイツ……ああいうの好きそうだな。変なとここだわりあるしな……)
 指輪に対するアキラの反応について、何故ヒカルがこんなに頭を悩ませているのかと言うと、二人が今現在恋人同士として同棲生活を送っているという事実があるからだった。
 十六歳の時にお互いを恋人として受け入れ、十八歳で同棲を始め、喧嘩と仲直りを何度も繰り返して二年の月日が経った今では二人は二十歳を迎えていた。
 つき合い始めた頃の初々しい気持ちは薄れても、相手の性格を良くも悪くも理解して落ち着いた時間を過ごすことが出来ているヒカルとアキラの関係は、実に良い状態であると本人たちも思っているはずだ。
 しかし数年一緒に暮らしても、たまにこんなふうに知らない一面がちらと覗くことがある。
 アキラと指輪の組み合わせはヒカルにとっては意外だった。棋士という職業上、指に何かはめているのは目立つものだし、何より打つ時に邪魔ではないだろうか。
 まあそれも、お互いの利き手ではない左手にはめるのならば全て解決されてしまうのだが……
(指輪……してみたかったのかなあ……。それとも俺につけさせたかったとか? ま、まさかお揃いか?)
 考えれば考えるほど、恥ずかしさに身体がむずむずしてくる。
 指輪に否定的なイメージはない。しかし、自分がするとなるとちょっと事情が変わって来る。
 だって一応男同士なのだ。人目を憚る関係なのだ。それが仲良く指輪なんてはめていたら、周りから奇異の目で見られたりしないだろうか。
 アキラだってそんなこと分かっているだろう。だからこそ、ヒカルの言葉に傷付いたのかもしれない。
 変なところで落ち込みやすいのだ、あの男は。ヒカルが思いも寄らないところで勝手に凹んでいたりする。
 確かに恥ずかしいが、指輪が嫌いな訳じゃない。しかし直接指輪についての見解を聞いた訳でもないのに、フォローの言葉を入れるのは不自然だろう。謝るというのもおかしな話だ。
(気にしてなきゃいいんだけどな。変なところでやせ我慢するヤツだからな……)
 どうも悩みが先走っているような気がしつつ、研究会が行われる部屋の戸に手をかけて、さて頭を切り替えるかと中に入ったヒカルだったが。
 何気なく隣に座った冴木の左手、薬指にシルバーのシンプルな指輪が輝いているのを見て思わず目を剥いた。
 さり気なくセンスのいい小物をつけている冴木がアクセサリーをつけていることは珍しくない。普段だったら気にしないどころか気付きもしなかったかもしれない、しかし今のヒカルにとっては「薬指の指輪」があまりにタイムリーで、驚いた気配で冴木が振り向くほどのオーバーなリアクションをとってしまった。
 冴木は隣で奇妙な動きをしたヒカルを見て目を丸くし、すぐにその視線の先にある自分の左手を見下ろして、納得したように苦笑いした。
「これか? なんだ、目敏いな。そんなに変か?」
「い、いや、変とかじゃないけど……冴木さん、今までそんなのつけてたっけ?」
 そんなの、というのは勿論「薬指の指輪」に限定される。
 冴木は困ったように小さく笑って、少しだけヒカルに顔を近付けて周りに聞こえないような声で囁いた。
「彼女にな。つけさせられたんだよ。問答無用でな」
 ヒカルは大きく見開いた目をぱちぱち瞬きしてみせた。
 ぼそぼそと冴木が説明した内容は次のようなものだった。
 最近冴木はメディアへの露出が増えて、少々過激なファンがつき始めたらしい。ファンたちの暴走が目に余るようになってきたこの頃、我慢ならなくなった彼女が牽制の意味を込めて指輪をプレゼントしてくれたのだそうだ。
 必ず薬指につけるようきつく言い渡されたらしい。それも、あえて左手に。
「プレゼントって言うより、飼い犬に首輪つけるみたいな感覚だな。あんまり煩いから渋々つけたけど、やっぱり目立つか?」
「うーん……、そ、そうでもないと思うけど」
「そっか。それならいいんだけどな」
 渋々と言いながらも、照れ笑いを見せる冴木は満更でもなさそうな表情をしている。
 夕べ、指輪への否定的発言の後にびしっと強張ったアキラの顔を何故だか思い出しながら、ヒカルは躊躇いがちに尋ねてみた。
「冴木さん……、その、それ、邪魔にならない? 打つ時とか……」
「ん? まあ、打つのは右手だから、邪魔にはならないよ」
「あ、そ、だよね。お、俺の他に誰かになんか言われたり、した? 冷やかされたりとか……」
「男は基本的に反応薄いからな。みんなこんなとこまで見ちゃいないだろって思ってたから、お前が分かりやすい反応して逆に驚いたよ」
 肩を竦める冴木の前でヒカルは曖昧に笑ってみせた。
 それから、声を潜めて一番聞きたかったことをそっと質問した。
「その……牽制の効果って、出た?」